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Vanishing Point 第1章

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  序

 遠くから聞こえる乾いた破裂音に、目が覚める。
 それが銃声だと、何故か理解する。
 理解すると同時に、覚醒しきらない脳が視覚に投影される室内の様子を分析する。
 ――赤灯が点灯している。
 本来なら静まり返っている深夜、照明は常夜灯のみのはずである。
 それなのに夜間緊急時――マニュアルでは過激派組織等による襲撃があった場合――に点灯する赤灯が点灯し、薄暗くも視界を失わない程度の光量を保っている。
 ――襲撃?
 マニュアルを思い出し、仮眠をとっていた当直の研究員は慌てて身を起こす。
 緊急時に開けることになっているロッカーの扉を開き、中からType-4T4アサルトライフルを取り出してマガジンを確認、コッキングハンドルを引いて初弾を装填、安全装置セイフティ安全SAFEから連射AUTOに切り替える。
 訓練で何度も経験したこととはいえ今回は初めての実戦となるだろう、そう考えただけで研究員は身震いした。
 赤灯が点灯しているのは外部から襲撃があった場合だけではない。たまたまこの研究員が思い出したのが襲撃のパターンだっただけであり、違うパターンも想定される。
 ――まさか。
「その可能性」に気付くと同時に、宿直室の内線電話がけたたましく鳴り始めた。
 一瞬びくりと身を震わせ、研究員が受話器を取る。
 ――どちらだ
《起きていたか! コード・レッド発令だ! 今すぐ援護に向かってくれ、場所は――》
 ――敵襲警報コード・レッド
 緊急事態には違いないが、最悪の警報発令コード・ブルーではなかったことに安堵の息を漏らし、研究員は分かった、と応えた。
 T4のスリングを肩に掛け、いつでも構えて撃てるように持ち直して部屋を出る。
 遠くで聞こえていた銃声が近づいてくる。
 同時に聞こえる断末魔の叫びは仲間のものなのか、襲撃者のものなのか。
 小走りで廊下を駆け、曲がり角で壁に背を付け遮蔽を取り経路に侵入者の姿がないことを確認する。
 再び廊下を走り、次の角で同じように侵入者を確認しようと僅かに身を乗り出したところで研究者は銃声を耳にし、同時に焼けつくような痛みを覚える。
 撃たれた、と認識するのにそう時間はかからなかった。
いたぞコンタクト!」
 通路の向こう側から怒鳴り声が聞こえる。
 今来た方向に駆け出しながら研究員は相手は統率のとれた集団で、その辺のならず者ではないと冷静に判断する。
 壁からはみ出してしまい撃たれた右腕は酷く痛むが引鉄トリガーが引けないわけではない。戦闘能力は失われていないのは自分でも理解している。
 だが、あのほんの少しの身の乗り出しを正確に撃った襲撃者を相手に撃ち合って勝てるはずがない。
 それなら、切り札を切らねば死ぬのはこちらだ、と研究員は呟いた。
 その時点で彼は冷静さを失っていたのだろう。
 この時の彼の判断が、事態をさらに悪化させることとなる。
 勝手知ったる研究所を駆け抜け、隔離室隣の観察室の扉を開け、中に入る。
 襲撃者が入ってこないように扉をロックし、強化ガラス越しに隔離室の中を見る。
 そこには拘束具で全身を拘束された小柄な人影が眠っている。
 観察室のコンソールを操作し、研究員はその拘束を解除すると共に気付薬を投与する。
 人影の首筋にアームが伸び、シリンダーが突き立てられる。
 外れた拘束具が床に落ち、堅い音を立てる。
 研究員はコンソールをさらに操作、隔離室のロックも解除した。
 そこで拘束解除時に起動させることになっている首輪型爆弾セイフティのことを思い出し、さらにコンソールに指を走らせようとする。
 マニュアル通りに拘束を解除するなら先に首輪型爆弾を起動してから拘束具を外さなければいけない。
 緊急時とはいえ危うく仲間を危険にさらすような行動をとってしまった自分自身に腹を立てながら起動のためのコマンドを打ち込もうとする。
 その時、扉が破られた。
 プラスチック爆弾による扉の破壊ブリーチングは流石に耐えられなかったらしい。
 しかし、研究員は悠長にそんなことを考えることはできなかった。
 次の瞬間、無数の弾丸が研究員に突き刺さる。
 研究員が倒れ伏したのを確認した襲撃者が「問題なしクリア」とサインを送り、観察室に三人の武装した人間が突入する。
 そのうちの一人が強化ガラス越しに人影を視認し、他の二人にサインを送る。
 三人が、人影を見る。
 ゆらり、と小柄な人影が身体を起こす。
 その昏く、紅い双眸がガラス越しに三人を見る。
 次の瞬間、隔離室と観察室を隔てるガラスが砕け散った。
 無数の破片が三人を襲う。
 馬鹿な、強化ガラスだぞ、と迫りくる破片に三人が驚愕する。
 しかし、それだけでは済まなかった。
 三人のうちの一人の義眼ナイトビジョンがさらに迫り来る何かを視認する。
 咄嗟に、彼は両手で左右にいた二人を突き飛ばした。同時に三人を何かが貫き、壁に張り付ける。
「……かはっ!」
 三人を貫いた何かは直ぐに引き抜かれ、全員床に崩れ落ちる。
 直後、隔離室のドアが開き、中にいた人影が出て行ったことを理解する。
 これはまずい、と胸を貫かれた一人がそう判断するもこの傷は明らかな致命傷、力を振り絞って首を動かすと他の二人は幸いにも咄嗟の突き飛ばしで急所を外したらしく、身動きできないものの呻いている。
 せめて、他の仲間に連絡を、と思うもののもう指先一つ動かすことができない。
 その、暗転しつつある視界に人影が揺らいだ。
 先ほど射殺したと思った研究員が体を起こし、コンソールに縋り付く。
 襲撃者はその先を見届けることができず、そこで力尽きる。

 

 

 ――自分は何をしてしまったのだ。
 倒れた襲撃者を尻目に、研究員がコンソールの受話器に手を伸ばす。
 受けた傷は深い。恐らくは助からないだろう。
 廊下で撃たれた時点で気付いていたはずだ。襲撃者の殺意に。
 いや、その殺意故に切り札被検体を使って襲撃者を殲滅しようとしていた。
 だが、研究員はイレギュラーな手順を踏んでしまった手順を誤ったために事態を悪化させてしまった。
 マニュアル通りに首輪型爆弾を起動させることができていればこの騒ぎの後に爆弾を爆破して被検体を「処分」することができただろう。
 貴重な被検体を処分することには心が痛むが、研究所が襲撃された以上ここで研究を続けることは難しい。
 それなのに、首輪型爆弾を起動することなく自分は被検体を解き放ってしまった。
 本来ならあってはいけない、最悪の事態コード・ブルー
 それは、この施設で研究している被験者の脱走を意味する。
 研究員は撃たれたショックで考えがまとまっていなかった。
 被検体を解き放てば襲撃者を殲滅できると思っていたが、そんなはずはない。
 そんなことをすれば、被検体による敵味方関係なしの殺戮が、始まってしまう――
 だめだ、誰も何も気づかぬままに野放しにしてはいけない。
 しかし今首輪型爆弾の起動コードを打ち込む力はもう残っていない。
 最後の力を振り絞って研究員は体を起こし、コンソールの受話器を取った。
 内線を館内放送モードに切り替える。
「……被検体脱走コード・ブルー……すまない、私は……」
 それ以上、研究員が言葉を発することはできなかった。
 ずるりと身体が床に沈む。
 床に広がる己の血でできた血だまりを感じ、研究員の意識は闇へ墜ちていった。

 

 

 小柄な人影が廊下を駆け抜ける。
 途中、何人もの研究員や警備員を視認したがその人影は次の瞬間にはただの肉塊と成り果て床に沈む。
 角を曲がると同時に「いたぞコンタクト!」という叫び声と共に銃弾が飛来するが持ち前の俊敏さで回避、一人の腕を行き掛けの駄賃とばかりに切断しそのまま突破する。
 その先でももう一グループと遭遇、それも強引に突破しさらに駆ける。
 このまま駆け抜ければ「外」に出られるだろう、と小柄な人影は理解していた。
 この研究施設から一歩も外に出なかったわけではないため、少なくとも出口へのルートは把握している。
 やっと出られる、と小柄な人影は走り続けた。
 あとはこの直線通路、出入り口にはロックがかかっているだろうが小柄な人影にはそんなものなど存在しないにも等しい。
 あと少しで出入り口に到達する、と小柄な人影が思った時、突然轟音とともにすぐ横の壁が崩落した。
 瓦礫が小柄な人影に降り注ぎ、その身を埋める。
 抜け出さなければ、と藻掻くものの瓦礫は重く、直ぐには動かない。
 だが、その藻掻きも聞こえてきた足音に中断せざるを得なかった。
 足音は小柄な人影が埋まる瓦礫の目の前で止まる。
 ほんの少し、視線を動かすと瓦礫の隙間から人影を視認することができた。
 人影は二つ。
 角度の都合で顔までは見ることができない。
 それでも一人は全身のラインがはっきりと分かるブルーを基調としたボディスーツを身に纏った女、もう一人は戦闘服BDUを身に纏い、ハイブリッドライフルKC M4 FAMSを手にした屈強そうな男。
 その肩には黄色をベース色に薄紫の花と桜色の四枚の花弁が意匠されたエンブレムが。
 今ここで攻撃してはいけない、と本能がそう告げる。
 今はここでじっとしてやり過ごせ、という本能に従い、息をひそめる。
 話し声が聞こえる。
「……で、今夜研究所にいた研究員は全員死亡か投降、こちらの被害も一人瀕死、四人が重傷ということでいいかしら。そのうち三人が班ごと襲われた、だったかしら」
「ああ、第一号エルステの戦闘能力を侮っていたな」
 どうやらエルステは敵味方関係なく殺害していたようだ、と男が続ける。
 それに対し、女は溜息を一つついたようだった。
第二号ツヴァイテから第四号フィアテは拘束が解かれていなかったため回収済みだ」
「それで、エルステは」
「まだ発見されていない」
「……ヤバいわね。このまま外に出ていたら街は大惨事になりかねないわ」
「だが、今の我々では捜索も難しいだろう。瓦礫に埋まっている方に賭けて改めて捜索隊を投入するしかない」
 それに対し、女は少し沈黙した。
 味方の損耗率を考慮し、捜索隊を投入するリスクを考えていたのだろう。
「……無駄ね。捜索隊を呼んでいる間に逃げられる可能性が高いし、仮に瓦礫に埋まっていたとしても下手に掘り起こして暴れられれば大きな被害は避けられない。確保は諦めましょう、ただ、万が一の保険でここにナノテルミット弾を撃ち込む」
 それなら瓦礫に埋まっていたとしても助からない、もし助かっていた場合は恐らく何かが起こるはずだからその時に対処しましょう、と女は判断した。
 その提案に、男も頷いたようだった。
「それなら、ナノテルミット弾の要請をしておこう。撤収だ」
 男の言葉の後、足音が再び響き始め、二人が立ち去る。
 ここにいてはいけない、と小柄な人影――第一号エルステ――が二人の気配を感じなくなったところで再び藻掻き、瓦礫から抜け出そうとする。
 二人の言う『ナノテルミット弾』が何のことかは分からなかったが、少なくとも今すぐここから逃げなければ死ぬということだけは分かった。
 暫くの瓦礫との格闘の後、漸く自由の身となったエルステはふらふらと立ち上がった。
 次の瞬間、起動されなかった首輪型爆弾が砕けて破片が地面に落ちる。
 周りに生きた人間の気配はない。
 今なら、逃げられる。
 突如襲い掛かってきた倦怠感を振り払うように首を振り、エルステは足を引きずりながら歩きだした。
「力」を行使しすぎた、早く休息しろという警告が全身を苛むがここに留まっていることはできない。
 ゆっくりと、だが今の自分が出せる最大のスピードで瓦礫の山となった研究所を抜け出し、エルステの姿は闇へと消えていった。

 その数分後。
 空から飛来したいくつもの焼夷弾が研究所に降り注ぎ、超高温の炎が全てを焼き尽くす。
 その後の捜索でかなりの数の焼け焦げた遺体は発見されたものの損傷が激しく、暫くの日数を要したが全ての遺体の特定は断念せざるを得なかった。
 研究所を襲撃し、ナノテルミット弾の投下を決断、実行した組織は一つの決定を下す。
 ――兵器開発第1研究所が非人道的に開発を行っていた局地消去型生体兵器「Local Erasure BioweponLEB第一号エルステは発見されず。その後目撃証言や暴走による事件などは発生せず。このまま普通の人間に溶け込むことを祈り、監視レベルを最低まで引き下げる。と――

 

 

  第1章 「Starting Point -起点-」

《――昨日未明に発生した滝畑岩湧市たきはたいわわきしの研究施設爆発・炎上事故についての続報です。昨日未明に発生した滝畑岩湧市の研究施設が爆発・炎上した事故は周辺住民の話によると直前に銃声のようなものが聞こえたともあり、警察当局は事件、事故両方の可能性を――》
 電脳、一般的にはGehirn Netzwerk SchnittstelleGNSと呼ばれる脳内拡張システムによる視覚干渉で視界に表示しているニュース番組が昨日の事故の続報を報じている。
 メディアには格好の餌だったのだろう、昨日からこのニュースが繰り返し報道されている。
 爆発直後、炎上する研究施設の報道ヘリからの映像が繰り返し流され、視聴者の不安を煽る。
 相変わらずメディアはクソだね、と思いつつもニュースを見ていた黒髪の青年は視界に割り込んだ着信にニュースを閉じ、回線を開いた。
《時間だが、準備はいいか?》
 発信者の顔と名前が視界に映し出され、聴覚に直接言葉が届く。
(問題ない。いつでもいけるよ)
 一般的な通信端末CCTと違い、GNSによる通信に発声は必要ない。
 昔は超能力の一つと言われていた念話テレパシー科学GNSによって実現していた。
 GNSはUJFユジフがその基礎を開発し、現在では各国が裏で協力しつつ技術開発を進めている「人間の脳にナノマシンを注入し、制御ボードを埋め込むことで脳自体を通信端末とする」技術である。サーバや他人のGNSと接続することで情報の共有や義体の精密制御、技能のダウンロードも可能としている。
 元々は義体制御をスムーズに行うために開発された技術だったが、現在は通信手段の一つとして一般に普及しつつある。
 元々、この世界アカシアの義体は初期のものは神経を義手等に直接接続し、生身の頃と変わらない動作をするように作られていたが神経を伝わる電気信号の変換ラグにより素早い動きは苦手としていた。それでも後期にはあまり違和感のないものとなっていたがそれでも多少のラグは仕方のないもの、と言われていた。
 だがGNSの開発により義体に動作命令を出すスピードが格段に向上、さらには生身以上の動きをすることも可能となった。技能の動作プログラムをダウンロードすれば未経験者でもプロと遜色ない動きを見せることもできる。例えば射撃管制プログラムをダウンロードすれば銃を握ったことがない人間でも精密な射撃を行うことができる、というものだ。
 もっとも、その実現には少なくとも腕を義体化しているという条件は必要ではあるが義体も一般的な技術として普及している今、珍しい話ではない。
 それゆえ、身体の一部を義体化したならず者による犯罪も多発していた。
 もちろんGNSには通信に発声が不要だったり、通信のための装備が不要だったりとGNS単体のメリットもあるため、義体をつけていないがGNSを導入している人間もいる。この黒髪の青年もその一人のようだ。
「んじゃ、さっさと終わらせますか」
 黒髪の青年の横で待機していた茶髪の青年が通話に割り込み、返事をする。
 黒髪の青年とは違い、GNSではなくCompact Communication TerminalCCTの拡張ヘッドセットを装着しており、黒髪の青年には通話と耳に入った音声が重なって聞こえる。
 茶髪の青年の言葉に、黒髪の青年は手にしていたハンドガンTWE Two-tWo-threEをチェック、問題がないことを確認して立ち上がった。
 夜風が前髪を揺らし、その奥の、深紅の瞳を街灯の光が照らす。
(予定通り俺が先行する、遅れないで)
「分かってるよBloody BlueBB、お前もやられんなよ」
《俺の腕を舐めてるのか? トラップもセキュリティも全て無効化している》
 名前欄に『Gene』と表記された茶髪の青年の発言に同じく名前欄に『Rain』と表記されたメンバーがほんの少し憤りの表情になって反論する。
 へいへい、とGeneが謝った。
《俺が悪うございました。Rain、お前の腕は分かってるよ》
(そこ、喧嘩しないで)
 冷静な黒髪の青年――はじめに名前を呼ばれたBloody Blueである――の一喝に黙る二人。
 それも束の間、三人は互いに「気をつけて」と言葉を交わし動き出した。
 小走りで建物に駆け寄りロックの解除を確認、侵入する。
 Bloody Blueが先行し、トラップの無効化と見張り等がいないことを確認、さらに奥へと進む。
(――っ!)
 廊下の向こう側で人の気配を感じ、Bloody Blueが銃を握っていない方の手でGeneを止める。
(見張りがいる、排除するから待って)
 その言葉をCCTで受信したGeneが頷き、待機する。
 そしてほんの僅かに身を乗り出し、射撃。
 銃に装着した減音器サプレッサーが特に響きやすい高音域を掻き消し、銃声は周囲には響かない。
 正確に頭部を撃ち抜かれた見張りがその場に崩れ落ちる。
 他の気配がないことを確認し、Bloody Blueはハンドサインで合図を送り、再び移動を開始する。
(ターゲットは?)
 ある程度進んだところでBloody Blueが確認する。
《監視カメラをジャックしているが、寝ているようだ》
 ベッドの上で動きはない、とRainが続けた。
 了解、とさらに進み目的の部屋の前に到達する。
 ドアに鍵が掛かっている。
 電子ロックなら後方でサポートしているRainが解除できるがこのドアは鍵を使って開け閉めするタイプの旧式アナログ
 Geneがポーチからキーピックを取り出す。
「一分待ってくれ」
 Geneが小声でBloody Blueに指示を出し、キーピックを鍵穴に差し込んだ。
 頷いたBloody Blueがドアとそれに向き合うGeneの前に立ち警戒体制に入る。
《周辺の監視カメラに巡回なし……いや、一人近づいているな》
 今現在、音響センサーお前の耳が足音をとらえている、とRainが警告するとBloody Blueはそのようだね、と銃を構え直し返答する。
(君のセンサーは俺が担当してるんだ、俺が気付かなくてどうする)
 これがBloody Blueが電脳化している理由。
 ハッカーであり、後方から支援するRainのためにGNSを経由して自身を各種センサーを積んだドローンにしているのだ。
 現在、Rainの視覚と外部ディスプレイには各種監視カメラの映像以外にBloody Blueの視界と耳に入る音が共有されている。
 Rainは微弱な音波を検知して二人に警告したわけだが、まさかBloody Blueも感知していたとは。
「それにしても支援のためとはいえよく自分のGNSをハッカーにさらせるよな」
 カチャリ、と解錠の音がしてGeneはキーピックをポーチにしまい、立ち上がる。
「信頼してる仲間とは言え、俺にゃ無理だ」
 そうぼやきながらもGeneはドアを開け、二人が中に侵入する。
 Bloody Blueは入口のすぐそばで警戒、Geneがベッドに近寄る。
 Rainの報告通り、ターゲットは眠っていた。
 完全に布団に包まれている事もなく、無防備な状態。
 それが罠でないことを確認し、Geneはその頭に向けて発砲した。
 その後布団の上から数発、さらに布団をめくって数発。
 寝具を染める赤黒い液体にダミー人形でないことを確認、Geneはちらり、とBloody Blueを見た。
 Bloody Blueも小さく頷き、二人は音を立てずに廊下に出る。
 先ほどRainが警告した何者かの接近の気配も今はなく、二人はそのまま誰にも見つからずに建物から離脱した。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

《――続いてのニュースです。天空樹建設の会長、大空おおぞら たかし氏、七十九歳が今朝、自宅で殺害されているのが発見されました。自宅では他に警備の高見たかみ あきらさんも遺体で発見されており――》
 CCTでニュースを眺めていた茶髪の青年の頭を発注一覧表発注カタログがはたく。
「ってぇ!」
 CCTのホログラムスクリーンから視線を外し、頭を上げるとそこには発注カタログを手にした黒髪の青年が仁王立ちしている。
日翔あきと、今、勤務中」
 それだけ言い、黒髪の青年が発注カタログを押し付けてくる。
 日翔、と呼ばれた茶髪の青年がなんだよー、と文句を言いながらそれを受け取った。
「ほら、昨日の仕事のニュース確認しとかないと」
「足がつくことやってないだろ。それとも君は現場に痕跡残すという凡ミスが自覚あると?」
 だとしたら生かしておけないんだけど、と物騒なことを言う黒髪の青年の深紅の瞳が笑っていないことに日翔は「あ、こいつ本気だ」と認識した。
「俺がそんな凡ミスやるかー?」
「やる」
 ――こいつ、即答しやがった。
 いや確かに以前うっかりマガジン一本現場に落としましたけどー、その後始末で色んな人に迷惑かけましたけどー、と思いつつ天辻あまつじ 日翔あきとはため息交じりに反論した。
「あれからもうやってないだろ。それとも辰弥たつや、お前は過去の出来事をネチネチ掘り返すタイプか?」
「掘り返す気はないけど過去にやらかした人間が二度とやらかさないという証明は誰にもできない」
 それは悪魔の証明になる、という黒髪の青年――鎖神さがみ 辰弥たつやの言葉に日翔は「むぅ、」としか返せなかった。
 そして、この会話から分かる通りこの二人は昨夜の大空 隆殺害の張本人、黒髪の青年がBloody Blueで茶髪の青年がGeneである。
 夜は依頼があれば裏の社会の仕事をこなし、昼間は店員目当てに女子高生が足しげく立ち寄るファンシー雑貨取り扱い店『白雪姫スノウホワイト』の従業員として二人は、いや、
「遅くなったな」
 バックヤードからぬっと姿を現した長い銀髪を後ろで無造作に束ねた長身の青年――Rainこと水城みずき 鏡介きょうすけ――の三人は働いていた。
「遅かったな、鏡介」
「ちょっと気になることがあったからな」
 少し確認していた、と鏡介。
 それから、彼は辰弥を見た。
「あの時、違和感は?」
「どの時」
 辰弥が詳細を問いただすと鏡介はあの時だ、と繰り返した。
「日翔がピッキングをしているとき、足音をとらえただろう。だが少し違和感を覚えてな」
「ああ、あの時」
 記憶のページをめくり、辰弥がなるほどと頷く。
 確かに、あの時微かに聞こえた足音は警備のものではなかった。
 まるで小さい子供が裸足でペタペタ歩いていたかのような軽い音。
 深夜に子供が歩き回るはずがないと思っていたが。
 ああ、と鏡介が頷く。
「もしかすると家人だったかもしれないな。巡回の割には結局ターゲットの部屋の方には来なかった雰囲気がある、俺の気にしすぎか」
「見られてないならそれでいいよ。少なくとも、俺は危険性は低いと判断したんだろうし」
 そう言いながら、辰弥はハンディターミナルを鏡介に手渡した。
「在庫チェックよろしく。俺はこれから販売傾向とかの集計あるから」
「はいよ、店長」
 素直にハンディターミナルを受け取った鏡介がそう応えてカウンターを出る。
 その様子を眺めていた日翔が少々不満そうに口を開いた。
「なんで俺たちの中で最後に入ってきた辰弥さんが店長なんっすかねえ……納得いかねえ」
 その瞬間、じろりと辰弥が日翔を見た。
 その視線が明らかに冷たく、夜の仕事殺しの時に見せるそれだと判断するのに時間はかからなかった。
 咄嗟に、日翔がカウンターの下に伏せる。
 その頭上を何かが掠めて飛んでいく。
 避けきれず、切断された髪が数本、日翔の目の前に落ちる。
「や、やべえ……」
 こいつマジで殺る気でやりやがった、と息を吐いてから日翔が頭を上げる。
「危ないだろ! 殺る気か!」
「……ちっ、避けたか」
 日翔に向けて放った「何か」を回収し、心底悔しそうに辰弥が呟く。
「そこ、殺しあうなら外で殺れ」
 在庫チェックを始めていた鏡介が二人を振り返ることなく注意する。
 鏡介としては日常茶飯事の痴話喧嘩に慣れ切っているところである。
 だってよー、と日翔が文句たらたらに口を開く。
「いや鏡介お前もおかしいと思わないか? 普通ここは在籍期間の長い俺かお前が店長になるべきだろ? なんで辰弥が」
「少なくとも金銭関係は俺とお前に任せられないと宇都宮うつのみやが判断したからだろ」
「……む」
 ずばり、言い切られて日翔は口を閉じた。
 ここでまさかかつてのリーダーの名前を聞くとは思わなかった。
 かつては日翔と鏡介の二人を取りまとめていた宇都宮うつのみや すばる。日翔が辰弥を連れてきた時も深く追求せず受け入れた人物。
 だが、彼は三年前に三人の目の前で狙撃され、海に落ちた。
 その後遺体は上がらなかったものの生存は絶望的だと、三年経った今でも誰もが思っている。
 その昴が狙撃される直前、言ったのだ。
「自分に何かあった時は鎖神の指示に従え」、と。
 今思えばまるで狙撃されることを察知していたかのような発言、だがその発言は忠実に守られることになった。
 現在は辰弥がチームリーダーとして、そして「白雪姫」の店長として二人をまとめている。
 鏡介の言う通りではある。日翔はレジの違算を繰り返すし鏡介に至ってはハッキングして売り上げをごまかす。それを知っているから昴は比較的真面目に見える辰弥をリーダーとして指名したのだが日翔としては少々不満もあるらしい。
 書類を小脇に抱えてバックヤードに移動した辰弥の背を見送り、日翔が盛大にため息を吐く。
「……先輩の立場がないですねえ、鏡介さん?」
「先輩とか後輩とか関係なく俺たちの中ではあいつが最年長だろう」
 見た目最年少だが、と余計なことを付けたしつつ鏡介が淡々と在庫チェックを行う。
「それも分からないじゃないかー。あいつ、記憶飛び飛びなんだぜ? 年齢だって記憶違いの可能性も」
 発注用のタブレットを操作しながら未だに文句が出てくる日翔である。
 それに対して、今度は鏡介が溜息を吐いた。
「なんだお前はあいつより上でいたいのか?」
「そりゃあまぁ」
 一応保護者だし、と続けつつ日翔はそうだな、と頷いた。
「あの時身分証明書も身元が分かるものも何も持たずボロボロの状態で路地裏に倒れてたら保護したくなるだろー」
 辰弥は四年前に路地裏でボロボロの状態で倒れていたところを日翔が保護した。
 辰弥は四年経った今も相変わらず自分が何者なのか、どこから来たのか、どういう生まれなのかは全く憶えていないということで日翔の家に居候している。鎖神 辰弥という名前も本人が名前すら分からないということで日翔が便宜上付けたものである。
 ただ、日翔も鏡介も辰弥が真っ当な人間でないことだけは理解していた。
 そのことに気が付いたのは日翔が辰弥を拾って暫くしてからの事だった。
 とある依頼に日翔がミスをしてピンチに陥ったところを救ったのがいつの間にか後をつけてきていた辰弥だった。
 日翔も鏡介も自分たちは裏社会の人間で殺しを生業としていることは伝えていなかった。
 それなのに、辰弥はそれを察して尾行し、日翔がミスをして取り囲まれたところを、
「……たった一人であの包囲を殲滅とかなんなんあいつ」
 今でも思い出すとぞっとする。
 少なくとも十人はいただろうか。その、日翔に対する包囲を辰弥はたった一人で殲滅した。不意打ちであったとしてもその手際は鮮やかで明らかに手慣れたものだった。
 それで二人は悟ったのだ。
こいつ辰弥も裏社会の人間だ」と。
 それなら、と二人は街の裏社会の住人が集まる暗殺連盟アライアンスに声をかけ、スキルチェックを行ったところとんでもないポテンシャルを秘めていることが発覚、辰弥は改めてチームメイトとして加入することになった。
 ナイフによる近接戦闘もハンドガンやアサルトライフルによる中距離戦闘も、果ては狙撃銃スナイパーライフルによる遠距離狙撃も正確でまさに「殺しをするために育てられてきた」という印象を誰もが受けた。
 そして辰弥にはもう一つ得意とする得物があった。
 それが、
「あのピアノ線マジでヤバいわ……」
 先ほど床に落とされた自分の髪を拾い、日翔は呟いた。
 辰弥が最も得意とする得物。
 それが太さ0・1ミリの高炭素鋼ワイヤーピアノ線だった。
 半径数メートル以内なら確実に射程に入る。投擲するときの力加減で捕縛から切断まで正確にこなす。ピアノ線を利用したブービートラップも即座に用意する。
 そんな人間がどうしてボロボロの状態で倒れていたのか、また、ここまでのスキルを持ち合わせていながらこの街アライアンスの誰もが知らないという秘匿性にどこか別の街から流れてきたのだろうと予測されるが正解は未だ闇の中。
 それでも、辰弥の加入によって日翔と鏡介のチームはアライアンスの中でのランクを大幅に上げることとなり依頼の難易度も上がっていった。
 二人にとって、辰弥の加入はそれぞれの立場を上げることにもなった、のだが。
「……おかんなんだよなあ……」
「いや俺はそんな風に育てた覚えはないぞ」
 日翔のぼやきに鏡介が即座に反論する。
 確かに「居候させてやるんだからせめて家事くらい手伝ってくれてもいいだろう」と家事の基礎を鏡介が教えたのは事実である。
 日翔は圧倒的に生活能力に欠けている。彼が辰弥を保護してくるまでは鏡介がある程度の面倒を見ていたが、先の通り居候に家事を任せれば、と辰弥に家事を教えれば二年も経つ頃には日翔の家はチリ一つ落ちていない綺麗な状態になってしまった、というわけだ。
 だがまさかここまでのおかんキャラになるとは誰が思ったのか。
 根が真面目だからかもしれないが、もう少しはっちゃけてくれてもいいんだよと思う二人であった。
 そんなことを話しつつもそれぞれがそれぞれの業務を進めていると、不意に出入り口が開いた。
 カラン、とドアベルが鳴り響き中に一人の女性が入ってくる。
「相変わらずこの時間は閑古鳥ねー」
 一見、ごく普通の会社員に見える女性が店内を見回し二人を視認する。
「あら、鎖神君は?」
「裏で集計してるぜ」
 日翔がこれが客に対してだったら確実にクレームが飛ぶ口調で女性に答える。
 だが女性もそれには慣れているようで、嫌な顔一つせず日翔がいるカウンターに近寄る。
「昨日はお疲れ様、と言いたいところだけど新しい仕事よ」
「マジかよ」
 女性の言葉に日翔が露骨に嫌そうな顔をする。
「なんでこうも立て続けなんだよ、こちとら睡眠不足なんだよ」
「睡眠不足は美容の敵というだろう、レディ」
 鏡介も在庫チェックの手を止めてカウンターに寄ってくる。
「……相変わらず女にはキザなのね、水城君」
「それはどうも。まぁあんたには取り繕っても仕方ないがな、姉崎あねさき
 別の言い方をすれば「お前を女扱いしても誰も得しない」という鏡介の発言に眉を顰めることもなく姉崎と呼ばれた女性――姉崎あねさき あかね――は詳細データの入ったチップを鏡介に手渡した。
「まぁ、わたしも分かってるわよ。最近の『グリム・リーパー』の稼働率は他のチームに比べて高いことくらい。でも他のチームも稼働率が上がってて」
「姉崎、そのチーム名で呼んでいるのは日翔だけだ……それはそうと暗殺連盟アライアンスが繁忙期というのも嫌な話だな」
 チップを受け取った鏡介がそう言うと、日翔が「なんだとー!」と反論する。
「いいじゃん『グリム・リーパー』。カッコいいじゃん死神じゃん」
 実際、日翔の仕事着コスチューム死神グリム・リーパーが描かれたスカジャンである。
 響きが好きなのか死神そのものが好きなのかは鏡介は分からなかったが、日翔は頑なにチーム名は『グリム・リーパー』だと主張している。
「俺としては同意しかねる」
「まあまあ、アライアンスにはそう登録されてるんだから」
 チーム名で揉め始める二人に割って入り、茜は溜息を吐いた。
 このチーム、仲がいいのか悪いのか。
 茜に割って入られたことで興が削がれたか鏡介が「知らんがな」という顔をしつつも彼女を見た。
「しかし、他のチームに振り分けられないほどヤバい仕事なのか?」
 アライアンスはこの街の裏社会に溶け込む住人フリーランスをとりまとめ、時にはチーム間で協力させたり他のチームの不始末を処理したりしている。
 この街では裏社会に依頼したい案件があればまずアライアンスと接触することになるが、アライアンスが依頼を各チームに振り分けるため基本的には依頼が特定のチームに偏ることは少ない。
 依頼人が個別にチームを知っている場合はその限りでもないが、現在は茜が言うようにこの三人グリム・リーパーの稼働率は他のチームに比べて高くなっている。
 その理由を、茜は自分なりに理解しているつもりだった。
「あなたたちのバランスが良すぎるのよ。突破力に優れた天辻君、ウィザード級ハッカーで後方支援に特化した水城君あなた、そしてどのような状況にも対応できる鎖神君が集まれば大抵のことは何とかなるから。ただ……」
「ただ?」
 言い淀む茜に鏡介が先の言葉を促す。
「もうちょっと連携取りなさいよ。今はそれぞれ自分の力に任せて突破してるけど、それじゃ誰かに何かあった場合カバーできない。バランスがいいとは言ったけど、そのバランスは危うい足場の上よ」
「えー、今の状態でうまくいってんだからいいだろ」
 カウンターに頬杖をついて日翔が反論する。
 そうかしら? と茜はそう言い、
「ま、そのうち痛い目見たら分かるんじゃないかしら」
 そう続けてバックヤードの入り口を見た。
「ああ、姉崎来てたんだ」
 集計が終わったのか、ちょうど辰弥が出てきたところだった。
「やっほー、相変わらず顔色悪いんじゃない?」
 まぁ生きてるのを確認したからいいけどと言いつつ茜は親指で鏡介を差し、「仕事、来てるから」と伝えた。
「君がここに来るのは仕事の連絡の時だけじゃないか」
 そう言いつつも辰弥も日翔の隣に立つ。
「とにかく、仕事の件は了解した」
「わたしが言える立場じゃないけど、無理しちゃダメよー」
 それじゃ、わたしは帰るわと茜はくるりと踵を返した。
 そのまま手を振りながら店を出る。
 それを見送り、三人は互いを見て、それから頷きあった。
「とりあえず、今夜は打ち合わせだね」
 辰弥の言葉に再び頷く日翔と鏡介。
 時計は間もなく最寄りの高校の下校時間を差すところ。
 これから「昼の」三人の戦場が始まる。
 だからなんで女子高生ご用達のファンシーショップなんかを生活の隠れ蓑にしなきゃいけないんだと思いつつ、三人は押し寄せた店員目当ての客女子高生を見て溜息を吐いた。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

《準備はいいか?》
 辰弥は視界に映り込む、日翔はCCTのホログラムティスプレイに映し出された鏡介に大丈夫だと頷く。
《今回の依頼は指定暴力団マルボウ山手組やまのてぐみ』からかよ。なんで反社の手伝いしなきゃいけないんだ》
 そんなことをぼやきつつ鏡介が茜から受け取ったチップのデータをロード、資料を展開する。
 数枚の写真と通信記録が二人にも共有される。
《ああ、『山手組』のシマを荒らした麻薬密売グループバイニンがいるのか。で、今回はこいつらを消せ、と》
《んなもん『山手組』にも専属の暗殺者キラーいるだろー、なんで俺たちが》
 今回、辰弥と日翔はそれぞれの自室にいる。
 そのため辰弥の聴覚には日翔の声が重複して届くことはない。
《ぶっちゃけ断ろうぜー、テメェのケツはテメェで拭けって》
(この街から出ていきたいならそうすれば?)
 彼らの住む上町府うえまちふにおいてアライアンスが大きく表沙汰になることなく裏社会で活動できているのはこの『山手組』の影響であるところも大きい。『山手組』幹部が表社会と癒着して圧力をかけたりもみ消したりしてくれるからこそ、上町府のアライアンス所属フリーランスは何かあっても守られている。
 つまり、『山手組』を怒らせればアライアンスの上町府での活動を危険にさらしかねないためアライアンス自体が怒らせた張本人を消すことも十分考えられる。
 それが分かっているから、日翔の無責任な発言に辰弥は苦言を呈さざるを得なかった。
(俺たちがアライアンスで守られているのは『山手組』のおかげだ。二人とも、嫌なのは分かるけど受けざるを得ない)
《わーってますよー……でもなんで今回はアライアンスに依頼投げたんだ?》
《……『山手組』の中に裏切り者がいるかもしれないな。それなら下手をすれば情報が洩れる》
 GNSの演算に頼らず自前のハイスペックPCで情報をまとめているのだろう、鏡介の視線がせわしなく動いている。
《麻薬の取引現場はアライアンスの情報班が既に特定、取引日時も割り出せているが組が下手に動けないからアライアンスに投げた感じだな》
 そう言いつつ鏡介が地図と該当地点の建物及び見取り図を共有する。
《廃棄された工場だが取引の現場として取り壊さず利用されている。今、ネットワークを確認したが監視カメラと赤外線センサーの反応がある》
《相変わらず仕事が早いな》
 打ち合わせをしつつ現場を下見ハッキングしてセキュリティ周りを特定する鏡介に日翔が舌を巻く。
(でも、当日に監視が増える可能性と見張りの人間を置く可能性はあるよね?)
 見取り図に光点で追加される各種セキュリティの位置を見ながら辰弥が確認する。
《そうだな。セキュリティ周りはスタンドアロンの制御システムがあった場合辰弥の力を借りることになるが全て無効化できる。ただし人間に関しては自力で排除してくれ》
(……で、取引に関わる人間は皆殺しでいいの?)
 辰弥のその発言を聞いた日翔は「物騒な表現するなあ」とふと思った。
《『殲滅しろ』だそうだ。『誰一人生きて帰すな』とのことだ》
 ……まだ「皆殺しにしろ」という表現のほうが可愛かった。
 日翔はそんなことを思いつつ、辰弥はそれなら気が楽だと言わんばかりの表情で「了解」と返答した。
《次の取引日程は三日後の0時、それまでに準備だ》
《あいよ》
《それと辰弥、個別で話がある。後で個チャに来てくれ》
 辰弥としては全く想定していなかったことにいささかの驚きを隠しつつも了解、と返答する。
 日翔はというと「密談とかずーるーいー」などと嘯いていたがそれ以上は詮索せず会話から退出する。
 ただ、それだけでは彼がうっかり再入室することもあり得るため辰弥も退出、鏡介の個別チャットに接続する。
(個別で話とは、そんな珍しいわけじゃないけどどうしたの?)
 入室早々、前置きなく単刀直入に辰弥が尋ねると鏡介がああ、と返答する。
《GNSのポートを拡張したい。お前の脳の話だから一応許可は必要だと思ってな》
(別にいいよ?)
 辰弥は即答した。
 GNSは脳に小規模な手術を行って導入されるもの、人類の約九割はGNSを導入するほど普及はしたが、まだまだ導入に抵抗感を持つ人間は少なくない。日翔が未だにCCTを使っているのもそれが理由だ。
 だが、辰弥はその抵抗感が全くないのかメンバーとなって早々、鏡介がハッカーだと知るや否や「俺がGNS導入するからそれ使ってスタンドアロンの端末攻めたりできない?」などと提案してきたのだ。
 ウィザード級ハッカーとアライアンスに認知されているとはいえ、ネットワークに接続されていないスタンドアロンの端末のハッキングは流石の鏡介も現地に赴かないと行うことはできない。しかし、辰弥の提案を受け入れれば彼のGNSポートから端末に接続することで遠隔でのハッキングが可能となる。
 それでも、はじめは鏡介も反対したのだ。「それはお前を危険にさらすことになる」と。
 鏡介はPCをメインで使用しているがGNSは人間の脳をコンピュータとして拡張するもの、そこからネットワークを通じてハッキングを行うことは可能である。
 ただし、セキュリティに引っかかって抵抗された場合、防御プログラムにより脳に注入したナノマシンや制御ボードを暴走させらせ「脳を焼かれる」ことになる。
 実際、鏡介もハッキングに失敗して脳を焼かれ死亡したハッカーを何人も見てきた、いや、自分が「脳を焼いた」人間を見ているため分かっている。
 自分がそんな凡ミスを犯すことはあり得ないとは思っているが、それでも自分のハッキングで仲間を危険にさらすことだけは嫌だった。
 それでも辰弥は鏡介の反対を押し切った。
 何が彼をそこまで追い立てたのかは鏡介には知る由もなかったが少なくとも彼が自分に対して絶大な信頼を寄せている、ということだけは理解した。
 余程の信頼を寄せていない限りこのような行動をとることはあり得ない。
 それならその信頼に応えることが筋だろう、と最終的に鏡介は提案を受け入れた次第だ。
 受け入れてしまえばあとは慣れたもので時折こうやって辰弥の許可を得てはGNSに違法な改造を施すことがある。流石にGNSの改造は拒否されると思っていたがそれすら辰弥は受け入れ、鏡介の端末として行動している。
 そんな、鏡介の考えに気が付いたのか。
(そんなに気に病まなくていい。俺が君に協力したいと思ってるだけだから)
 思わず、辰弥はそうフォローしていた。
 全ては自分の選択だから何かあっても君の責任ではない、と。
《どうしてそこまで》
 俺は日翔ほどお前の面倒を見ていないぞ、という鏡介の言葉に辰弥は苦笑した。
(理由、言わなきゃいけない?)
 辰弥のその発言に、鏡介が一瞬ドキリとする。
 何を考えているんだこいつは、と思うが平静を取り繕いいいや、と断る。
 彼が自分のことを信頼してくれているならそれでいいじゃないか、と鏡介は自分を納得させた。
《そこまで詮索する気はない。だからさっきの発言は取り消しさせてもらう》
 まさかの発言取り消しに辰弥はえぇー、と声を上げた。
(セコい。発言取り消しはセコい)
《なんだよ、お前こそ理由が言いたいのか》
 それが、鏡介の敗因となった。
 辰弥が待ってましたとばかりに空中に指を走らせ、GNSのストレージを操作する。
 鏡介のテキストチャットに一枚の画像が添付される。
(その写真見て)
 辰弥はそう言うと、ニヤニヤして鏡介の反応を窺う態勢に入る。
 そのニヤニヤ顔に若干の不安を覚えつつ、鏡介は画像を拡大した。
《ぶっ!》
 鏡介がエナジードリンクでも飲みかけていたか盛大に噴き出す。
 ウィンドウいっぱいに広がるあられもないポーズをとった全裸の女性の写真が彼の視界に入る。
《……》
(ん? どうかした?)
 相変わらずニヤニヤ顔の辰弥に、鏡介のこめかみに青筋が浮かぶ。
《おい辰弥てめえその脳焼くぶっ殺す!!!!
 鏡介の絶叫が、聴覚フィルタリングされて辰弥に届けられた。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

 三日一巡後、日付が変わった時分。
 アカシアの一日は八時間で、カレンダー上でも三日一単位で「一巡」と呼ばれるため時間にして二十四時間後。
 麻薬密売取引の現場となる廃棄された工場のすぐ近くで辰弥と日翔はスタンバイしていた。
 仕事前のゲン担ぎでいつものようにGNS経由でニュースチャンネルを呼び出す。
《――先日、南区で発生した殺人事件についての続報です。警察の発表によると、遺体は血を全て抜き取られていたとのことで、同日発生した大空 隆氏の殺害との関連性について調査を始めたとのことです。この二件の殺人事件は手口が似ているものの大空氏と違い血液が抜かれているため――》
 ――関連って、近くで殺しがあった……?
 しかも手口が似ているとはどういうことだ。
 最近のニュースは意図的に一番必要な情報が隠されていることがある。
 違和感を覚えるもののその正体に気づくことができず、辰弥は視界の時計を確認した。
 そろそろ開始の時間、いつまでもニュースを見ているわけにもいかない。
 鏡介はいつも通り別の場所でハッキングの態勢に入っている。
 あの打ち合わせの翌日、辰弥は何食わぬ顔をして鏡介の許に赴きGNSのポート拡張を行った。
 その影響を今日の任務で見ることができるかどうかは分からないか、現時点では自身のGNS、それに付随しての気分や体調に変化は見られない。
 いつものようにTWE Two-tWo-threEをチェックしてホルスターに収め、スリングで肩にかけていたPDWTWE P87もチェックする。
 今回は殲滅ということで広範囲にも対応できる装備をしている。
 それは日翔も同じで愛用のハンドガンネリ39RアサルトライフルKH M4を装備している。KH M4はオプションで様々なパーツを取り付けられるが日翔は大雑把な性格のためかそれともそんなものは必要ないと判断したのか銃本体のみで運用している。
「Gene、大丈夫? マップ憶えてる?」
 GNSの通信ではなく肉声で辰弥が確認する。
「大丈夫だ」
 そういうお前はと訊いてくる日翔に俺は問題ない、と返答する辰弥。
「こっちはRainとGNSで繋がってるからね、ナビは問題ない」
 建物近くのコンテナの影から工場を眺め、侵入経路を確認する。
 正面のシャッターは堅く閉ざされており、見張りらしき姿も見える。
 だが、そもそもそんな目立つところから侵入するのは自殺行為なので経路の候補からははじめから外れている。
 予定では工場外側の非常階段から二階に上がり、非常口から侵入、下に降りて現場を押さえる手筈になっている。
 その途中にあるセキュリティは追加されていない限り全てRainが無効化済みのはず。
 気にするのは見張りだけでいい。
《――時間だ》
 鏡介から連絡が入る。
 たった一言のその連絡に、辰弥と日翔は互いに頷きあい、コンテナの影から飛び出した。
 廃棄された工場の周りに夜間照明はない。
 闇にまぎれて非常階段に到達、階段を上り非常口から内部に侵入する。
 いつものように辰弥が先行、キャットウォークの見張りに背後から近寄り頸動脈を掻き切る。
 声一つ上げることできずにこと切れるその見張りをそっとその場に横たえ、さらに進み階下へ。
 工場内部に残されたコンテナの影から影を移動し、途中で見かけた見張りは全て排除、奥へと進む。
 工場奥の制御室が今回の取引現場だと言われた場所だった。
 ドアを開け、それぞれTWE P87とKH M4を構えて突入する。
 しかし。
 中には人の姿はなかった。
 ――いや、
 パイプ椅子に縛り付けられ、ダクトテープを口に貼られた男が一人、呻いているだけだった。
 辰弥の眉が寄る。
「おい、これって……」
 日翔が辰弥に視線を投げたその瞬間。
 頭を掴まれ、床に叩き付けられた。
「――っ!」
 咄嗟に床に手を付き、顔面から倒れ込むのを防ぐ。
 直後、制御室の窓ガラスが砕け散った。
 無数のガラスの破片が降りかかる。
 同時に頭上を通り過ぎる無数の銃弾。
「何するんだ」とはもう言えなかった。
 いち早く察知した辰弥が自分を庇ったのは自明である。
 その辰弥はというと、制御用コンソールから頭が出ない程度の中腰で屈んでおり、銃弾の切れ目のタイミングにTWE P87だけを窓の高さに持ち上げてブラインドファイアで応戦している。
 それを見て日翔も即座に体を起こし、応戦する態勢に入る。
「おいどうすんだよこれ!」
 KH M4を連射しながら日翔が辰弥に声をかける。
「罠だった、ってことだね。姉崎が裏切るとは考えられないしアライアンスの情報班がガセネタ掴まされたか、それとも……」
 飛来する銃弾の数と頻度を考えると制御室の周りには少なくとも十人以上。
 今はこちらも応戦しているため向こうも足踏み状態であるが、制御室に乗り込まれれば不利は確実だろう。
《大丈夫か?》
 鏡介から通信が入る。
「大丈夫も何も、こっちは撃ち合ってるとこなんですけど!」
 普段なら発声の必要がないGNSの通信に辰弥が怒鳴る。
「情報どうなってんの? 情報班やらかした?」
《恐らくガセネタを掴まされたんだろう》
「根拠は何なんだよ!」
 鏡介と辰弥のやり取りに日翔も割り込む。
《そこに転がってる死体だ。恐らく、取引自体は事実だったがそいつが情報班に情報を売ったのがバレてこうなったのだろう》
 鏡介に言われて二人は振り返る。
 そういえば、この部屋には縛られた人間が一人いた。
 だが、初弾を被弾していたのだろう、頭部が半分弾けた状態で転がっている。
 死体は見慣れているのでこれといった感情は湧かない。むしろ今何とかしなければ自分たちがこうなる、と二人とも自覚していた。
「こうなると俺たちで殲滅は無理だ、アライアンスに応援要請頼む!」
 普段戦闘になろうものなら突撃して制圧する日翔がじれったそうに怒鳴る。
 銃撃戦はそれなりに場数は踏んでいるがそれでもこちらから思うように攻められない状況はかなり歯がゆい。
 辰弥もそれに同意し、鏡介に依頼するが、当の鏡介は
《……戦況は把握した。三十秒耐えてくれ》
「は!?!?
 落ち着いた鏡介の声に日翔が怒鳴る。
「三十秒耐えられると思ってんのか!?!?
《耐えられるか、じゃない、耐えろ。俺がなんとかする》
 普段ならあまり無理を言わない鏡介が強めの口調で指示を出す。
 同時に、
《BB、特にお前には負荷をかけるだろうから耐えてくれよ》
 辰弥にだけ、妙に気遣う発言が飛んできた。
 それに何かを察したか。
「了解、俺のGNSは君に預けた」
 そう言いながらも辰弥の反撃の手は緩まない。
「キツいぞこれ!」
 出入り口にも注意を払いながら日翔が怒鳴る。
 下手に手榴弾でも投げ込まれれば命がない。
 ――と、思っていたところに二人の間に投げ込まれる何か。
 それが「何か」を把握する前に日翔は手を伸ばして「それ」を掴み、窓の外に投げ返した。
 直後、響く爆発音。
「――っぶねぇ!」
 相手は素人だった。
 手榴弾はピンを抜いてから数秒後に爆発する。
 慣れた人間ならその時差を計算して投げ込み、確実に相手のそばで爆発するようにする。
 それを、投げ込んだ本人は把握していなかったのか。
 ピンを抜いてすぐに投げ込んだため、日翔が投げ返す余裕があった。
 爆発で銃撃に切れ目ができたそのタイミングを逃さず立ち上がり、辰弥がTWE P87を斉射する。
 まだ、三十秒は経過していない。
 だが、相手が手榴弾を使ってきた以上次はない。
「まだか!」
 日翔が叫ぶ。
 その声を引鉄に、辰弥が床を蹴った。
 コンソールに片手をつき、飛び越えヴォルトの要領で窓の向こう側――密売グループの集団に突撃する。
「おい待てBB!」
 鏡介が指示した時間は経過していない。
 いくら相手に一瞬隙ができたとはいえ、今飛び出せば相手の格好の的である。
《何やってんだBB! 下がれ!》
 鏡介も叫ぶがその指示に従う辰弥ではない。
 飛び出した辰弥に向け、数人がその銃口を彼に向ける。
《クソッ、やむを得ん!》
 辰弥の視界から最優先ターゲットを選定、端末を操作する。
《準備完了してないからな! BB、覚悟しろよ!》
 辰弥が独断で動いたというなら同じく独断で動くしかない。
 鏡介が端末を操作し、エンターキーを叩く。
 直後、辰弥の視界の隅にウィンドウが展開、文字列が凄まじい勢いでスクロールする。
 同時に彼を襲う激しい頭痛。
「……く……!」
 左手で頭を押さえるものの、辰弥の右手はTWE P87を手放さない。
 その、彼の視界の先で異変が起きた。
 辰弥に銃を向けた密売グループの数人が頭を押さえ、呻き始める。
 その光景を、辰弥だけでなく日翔も視認していた。
「……まさか……GNSハッキングガイストハック……?」
 目の前の光景に思わず手を止め、日翔が呟く。
 噂には聞いていた。
 ガイストハック、対象のGNSをハッキングして行動不能にしてしまう、最悪の場合自分から攻性プログラムを送り込み脳を焼き切るハッキング。
 通常のコンピュータと違い、脳を端末化しているGNSのセキュリティは生半可なものではない。
 GNSからハッキングして脳を焼かれるのは自分からポートを解放してアクセスするため逆に防御プログラムを送り込まれ発生する事象で、自分から相手のポートをこじ開けるのはコンピュータのセキュリティをかいくぐるより遥かに難易度が高い。
 それを、鏡介は指定した三十秒を短縮して行ったというのか。
 そんなことを考えている日翔の視界の先で辰弥が応戦している。
 いくら鏡介が相手のGNSにハッキングを仕掛けたとはいえ、導入者全員が無力化されたわけではない。
 ほとんどのメンバーは未だ健在で、遮蔽物に隠れている日翔ではなく飛び出してきた辰弥に向けて銃を向けつつある。
 咄嗟にそのメンバーに向けて発砲、日翔も辰弥を追おうとした。
「来ないで!」
 密売グループの集団に取り囲まれた状態でターンした辰弥が叫ぶ。
 ターンしつつもいつの間に抜いたかコンバットナイフを一閃、何人かを床に沈めている。
 その声に、日翔の動きが止まった。
 飛び越えようとしたコンソールに蹴りを入れてその反動で制御室に留まる。
 舞うような動きで辰弥が身を沈める。
 次の瞬間。
 血飛沫が舞い上がった。
 辰弥からではない。
 その周りを取り囲む、密売グループがバラバラの肉片となり、床に血の海と肉の山を作る。
 血が滴り、辰弥を中心に廃工場中に張り巡らされたピアノ線が赤く染まり、その存在が顕になる。
 辰弥が「来ないで」と叫んだのはこれが理由だった。
 この静止を聞かずに突撃していたら日翔も挽肉の一部になっていただろう。
「……」
 ごくり、と日翔が息を呑む。
 ――鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ
 あの、自分がピンチになって辰弥が飛び込んできた時を思い出す。
 あの時も、そう、このように――
「――っ」
 流石の日翔もこの肉塊の山に吐き気を覚え、思わず口元を押さえる。
 全身に返り血を浴びた辰弥がゆらり、と立ち上がる。
 その手に付いた血を舐める。
 その動作の途中で、日翔を見る。
 その目から、光が消えている。
 ――まずい。
 日翔がそう思った時、唐突に辰弥がその場に崩れ落ちた。
「BB!」
 慌てて日翔がコンソールを飛び越え、辰弥に駆け寄る。
 血の海に沈む辰弥を抱き起し、揺さぶるものの反応がない。
 完全に、意識を失っている。
 今、この場で生きているのは自分と辰弥だけ、他に生きているものの気配はない。
 警戒は緩めず、日翔は鏡介を問いただした。
「おいRain、BBのGNSに何やった!?!?
 日翔の問いかけに、ややあって鏡介から返事が届く。
《二、三人なら行けると思ったが予想以上に負荷が高かったか》
「はぁ!?!?
 いくら鏡介がウィザード級ハッカーでもGNSのハッキングはGNSの通信を介さないとセキュリティに辿り着けないはず。
 と、いう知識が日翔にあったが、実際は「グローバルネットワークに接続していない」GNSをハッキングするのにGNS同士の近接通信を利用しているだけである。
 鏡介は日翔に「ガイストハックを警戒する程度の知識があればGNSをグローバルネットワークから切断し、近接通信でやり取りしている、その隙をつく」と説明している。
 その説明通り、鏡介は現場にいる辰弥のGNSをリモート操作してそこから近接通信でGNSにアクセスガイストハックしたわけである。
 日翔が「お前がガイストハックすれば簡単に無力化できるだろう」と発言しての反論であったが、その問題をクリアして実行してしまうとは。
 いや、今はそんなことはどうでもいい。
 鏡介は「予想以上に負荷が高かった」と言った。
 それに、三十秒耐えろと言った時、そしてガイストハックを行う直前、辰弥に対して気遣う発言をしたこと。
 その時点で止めるべきだったかもしれない。
 鏡介が辰弥のGNSを拡張しており、それを利用して密売グループ内のGNS導入メンバーにガイストハックを行うことを。
 その反動が、これか。
 辰弥は意識を失い、戦闘不能である。
 直前に鮮血の幻影で周囲を一掃していたからよかったものの、生存者がいた場合危なかったのはこちらである。
「ヤバい博打打ちやがって」
《すまない、だがBBを狙っていたメンバーがいた以上こうしなければBBが危なかった》
「だろうな……で、状況は?」
《一応、アライアンスに応援は要請した。だがもう工場周辺に生体反応はない、と言いたいところだがBBが気絶してるから正確な情報じゃないぞ》
 なんだかんだで依頼は完遂した、という判断でいいのだろうか、と日翔は考えた。
 とりあえず座り込みたくなったが周りは血の海と肉塊の山、流石にここで座りたくなくて日翔は辰弥をファイヤーマンズキャリーの要領で担ぎ上げ、工場の外に移動する。
 血と硝煙の匂いが籠った工場から夜風が吹く外に出て、ふぅ、と息を吐き辰弥を降ろし自分も座り込む。
「……なあRain、お前、こうなるのは想定していたか?」
 思わず、鏡介に尋ねる。
 ガイストハックを行うつもりであったとしても、辰弥をその踏み台にする以上リスクは把握しているはずだ。
 そのリスクが想定通りだったのか、それ以上だったのかふと気になったのだ。
 少しの沈黙。
 重い口調で鏡介が答える。
《同時に二、三人程度なら問題ないと思っていた》
「問題大ありだったな」
 同時に二、三人想定という時点でかなりの驚愕ものである。
 だが、この状況はあまりにもまずすぎる。
「……BBを殺す気か」
《……すまない》
「まあ、済んだことは仕方ないがな」
 それだけ言って、夜空を見上げる。
 なんとかなったとはいえ、とんでもない仕事だった。
 鏡介の援護も辰弥の攻撃もなければ二人とも死んでいた可能性も高い。
 そのため、誰を責めることもできなかったがそれでもこの心のモヤモヤだけは晴らさないと気が済まない。
 空を見上げたまま暫く休憩して、それでも辰弥が起きる気配を見せないため日翔はペタペタと彼の頬を叩き始めた。
「おい、いつまで寝てる」
「……う……」
 小さく声を上げ、辰弥がうっすらと目を開ける。
「やっと起きたか」
 辰弥の顔を覗き込み、その目に光が戻っていることを確認し、ほっとしたように日翔が呟く。
「……ごめん」
「ったく、無茶しやがって」
 なんでRainの指示を待たずに動いたんだよ、ととりあえず確認しておく。
「流石に手榴弾投げ込まれてヤバいと思った」
「まぁ、それは分かる」
 だが独断であの行動はいただけないな、と日翔はやんわりとたしなめた。
「ほんと、ごめん」
 辰弥が再び謝罪したタイミングで工場の前に一台の車が到着し、数名の男女が降りてくる。
「生きてますか? と聞きたいところですがその様子だと終わったようですね」
 先頭に立った中年の男性が日翔に声をかける。
「ああ、山崎やまざきさんか。お陰様で」
 ほっとしたように日翔が応える。
 駆けつけたのはアライアンスのまとめ役、山崎やまざき たけると彼が声をかけて即応できたフリーランスたちだった。
「全く、Rainから連絡があった時は流石の『グリム・リーパー』だけでは荷が重かったかと思いましたが何とかなるものですね」
「いや、それ、ならなかったですから」
 あと少しで二人とも蜂の巣でしたよと抗議する日翔に猛は「それは申し訳ない」と謝罪する。
「一応、後始末はこちらでしておきましょう。二人とも血塗れじゃないですか」
 だから、早く帰って治療を、という猛に日翔はありがとうございます、と頷いた。
「ちょっとこっちも被害でかいんで先に帰ります。おい、BB立てるか?」
 そう言って立ち上がった日翔は漸く上半身を起こした辰弥に手を差し伸べた。
 その手を取り、辰弥も立ち上がる。
 だが、鏡介のアシストによるGNSの負荷の影響が強く残っているのか足許が覚束ないため日翔が肩を貸す。
「ったく、無茶するんだからお前は」
 廃工場から離れながら、日翔がぼやく。
「とはいえ、鮮血の幻影といい、お前のピアノ線攻撃なんなん。どこに隠し持ってんだよ」
 普段の仕事でも何かあればピアノ線を投擲する辰弥だが、それを持ち歩いているところを見たことがない。
 袖の中などに隠しているのだろうが鮮血の幻影を発動するほどのピアノ線となると相当な量になるだろう。それをどうやって持っているのか、どうやって取り出しているのかは全く分からない。
「……んなもん、男には秘密のポケットくらいあるよ」
「それ、女の台詞なんですけどー」
 停めてあった車に戻り、日翔が運転席に収まる。
「帰りは俺に任せろ。お前は後ろで休んでな」
「ごめん、そうさせてもらう」
 余程堪えたのだろうか、辰弥が素直に後部座席に潜り込む。
 きちんとシートベルトを装着し、日翔は車を発進させた。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

 帰宅してすぐに二人は交代でシャワーを浴び、全身の血を洗い流す。
 シャワーを浴びてからは日翔は僅かに受けた傷の処置を、辰弥は「ちょっと寝る」と自室に戻る。
 辰弥の「ちょっと寝る」に関しては「何があっても入ってくるな」という意思表示のため、日翔はリビングのソファの上でゴロゴロしながら片手を振って応答する。
 その返事を信用はしていたが万一の乱入のことも考えて念入りに鍵をかけ、辰弥はふぅ、と息を吐いた。
 その直後、激しい眩暈に襲われドアにもたれかかる。
「く……」
 この症状は自分がよく分かっている。貧血だ。
 最初の眩暈をなんとか受け流し、彼はふらつきながらクローゼットに歩み寄った。
 あの、鮮血の幻影を使った直後に倒れたのもGNSの負荷だけでなく耐えられないほどの貧血に襲われたからだ。
 クローゼットを開け、その奥に隠すように置いてある冷蔵保管庫を開ける。
 中から取り出したのは、輸血パック。
「……血を、流しすぎた……」
 流石にここまでの貧血はまずい。輸血一本で間に合えばいいがと思いつつ慣れた手つきで腕に針を刺し、ベッド横のカーテンレール――本来この部屋には採光のための窓はないが、スムーズに起床できるよう太陽光を再現した光を出す窓状のディスプレイに取り付けられているものである――にパックをぶら下げ横たわる。
 実際のところ、今回の仕事で彼が受けたダメージはGNSの負荷以外ほとんどなかった。受けた傷もほぼかすり傷程度である。
 それでも、輸血に頼らなければいけないほどの貧血を彼は自覚していた。
 ――これを知ったら、あいつらは何と言うか。
 そのための、「入ってくるな」という意思表示であり部屋の施錠。
 日翔には「邪魔されると眠れなくなるから」と言い訳しているがもし知られてしまえば。
「……俺には、これしかないから」
 ――この世界裏社会で生きていく以外の方法を知らないから。
 あの二人なら、彼のこの状態を知れば確実に仕事のメンバーから外すだろう。
 だが、それだけは嫌だった。
 あの二人と共に依頼をこなすから、もう少しこの世界で生きていてもいいかなと思っている。
 それに、メンバーから外されることであの二人に何かあれば。
 そう思ってから、彼は苦笑した。
「……俺らしくない」
 日翔たちと出会う前のことは憶えていない。いや、思い出したくない。
 ただ、辛かったという感情だけが残っている。
 それが日翔に拾われて、『グリム・リーパー』のメンバーとして迎えられて、彼は初めて世界を知ったと思った。
 だから、この毎日を繰り返したい。
 だから、輸血のことは絶対に話せない。
 そんなことを考えているうちに、辰弥はいつしか深い眠りに落ちていった。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

 不意に、インターホンが鳴る。
 日翔がCCTのインターホン受信モードで応答すると、来訪者は鏡介だった。
「辰弥は?」
 日翔がドアを開けるなり、鏡介が開口一番そう言ってくる。
「今日は寝る日だ。言っとくが、寝てる間は面会謝絶だぞ」
 人間の体というものは二十四時間サイクルで活動するもので、一日が八時間しかないこの世界では適正な睡眠を取ろうとすると三日に一度は丸一日寝ることになる。
 先ほど説明した三日で一巡という単位はこの人間のサイクルを元にして考案されたものである。
 夜の仕事で不規則な生活になりやすい彼らだが辰弥は仕事の後は必ず丸一日寝る、と宣言して閉じこもっている。
 たとえ来客があったとしても辰弥を起こしてはいけない、日翔はそう理解しているため相手が鏡介であってもそう伝えていた。
 それを知っているため鏡介も「起こせ」とは言わず、
「それなら起きるまで待つ」
 と勝手にキッチンに乗り込んでちゃっかり自分用のコーヒーを淹れ始める。
「辰弥に用か?」
 ハッカー故に白雪姫昼の仕事以外では基本的に外出しない鏡介が家に顔を出したことで日翔は何か不安を覚えていた。
 用がなければ来るはずがない、それならその用とは。
 ああ、と鏡介がマグカップを手に頷く。
「辰弥のGNS拡張についてちょっと確認しておきたくてな。本当なら仕事中以外は接続していないんだが、あの事があったから今ちょっと接続している」
 そう言って、鏡介は空中に指を走らせて何かを操作する。
 すると、日翔のCCTからホログラムディスプレイが浮かび上がった。
「なんだこれ」
 表示されるパラメータに日翔が首をかしげる。
「辰弥のバイタルだ。現時点では血圧はかなり低めだが他は大丈夫そうだな」
 自分はGNSの視界で確認しているのだろう、鏡介がバイタルを確認してそう呟く。
「GNSに負荷をかけて倒れたんだ、もっとヤバい状態かと思っていたがあいつ、案外回復が早いな」
「それなんだが、大丈夫なのか? 俺はGNS導入してないから分からんがそんなに負荷をかけて……」
 それならGNS導入ってやっぱり危険だよななどと呟く日翔に鏡介はそんなことない、と否定した。
「俺の想定では二、三人程度ならそこまで負荷がかかるわけがないはずなんだ。確かに負荷がないわけではないから頭痛とかはするだろうがそこまでのはず、だった」
「それなのに、倒れた、と」
 二人は辰弥が倒れた原因を完全にGNSの負荷が原因だと思っていた。
 その実際は貧血だったが、二人は辰弥の貧血のことは知らない。
「俺の計算が間違っていたのだろうか」
 深刻な面持ちで鏡介が呟く。
 自分の計算ミスで辰弥を、いや、二人を危険にさらした。
 その責任は重大である。
 考え込んだ鏡介に、日翔が深く考えるなと声をかけた。
「まぁ、GNSはよくてもあいつの体力の問題とかもあったかもしれないし」
 あいつ、攻撃力は高いが体力は全然ないしと続ける。
「体力の問題だったならいいがな」
 腑に落ちないのだろう、マグカップを抱えたまま鏡介が呟く。
「……だが、もう辞めとけよ」
 今回は全てが終わった後だったからよかったもののまだ生き残りがいた場合の危険性が高すぎる。
 次も大丈夫という保証はどこにもない。
 そうだな、と鏡介も同意した。
 少なくとも、辰弥の安全が確保できるまではガイストハックは行わない方がいい。
「しかし、どうしてあんなことに」
 鏡介が呟く。
 辰弥の打たれ弱さは彼も気づいている。
 鮮血の幻影をはじめとする攻撃力の高さには目を見張るものがあるが、その足を引っ張るかのような体力の低さ。
 倒れていた四年前あの時もそれが原因だったのかと鏡介は日翔に問いかけた。
 それに対してどうだろう、と日翔は考える。
 四年前のボロボロの状態だった辰弥を思い出す。
 あれだけの攻撃力を持ちながら、ボロボロになって倒れていた辰弥。
 余程のことがあったのだろうと、今なら思う。
「……気になるな、あいつの過去」
 それは鏡介も同じだった。
 そのため、ダークウェブをはじめとしてあらゆる方向から辰弥の過去を探った。
 だが、辰弥に該当する人物のデータはいくら探しても見つからなかった。
 ――桜花国この国にも、世界中のどの国にも。
「……一体何者なんだ……」
 四年間、ずっと追い求めているものの見つからない答え。
 いつか、分かるときが来るのだろうか。
 それとも、知らないままの方がいいのだろうか。
「……辰弥……」
 ふと、どちらかが呟く。
 同時に、辰弥の部屋の鍵が開けられる音が響く。
「……呼んだ?」
 ドアが開き、帰ってきた時よりは幾分顔色が良くなった辰弥が、顔を出した。

 

◆◇◆       ◆◇◆

 

 買い物袋を手に、辰弥が上機嫌で帰路に着く。
(卵と牛乳が安かった。消費量半端ないから助かる)
 今日は最寄りのスーパーの特売日、それに合わせてシフトも休みにしていたのでタイムセールにも余裕で間に合い、目当ての食材は全て安く購入できた。
 今日の夕飯は何にしよう、などと足取りも軽く歩く。
 四年前の自分には想像もできなかった生活。
 ナイフは扱えたのに包丁は握れず、黒焦げの目玉焼きを出しては日翔と鏡介に呆れられていたのも今は懐かしい。
(よし、今夜はハンバーグで)
 今日買った食材以外の材料は冷蔵庫にある。
《おい、回線開いたまま夕飯の献立を考えるな》
 腹が減る、と鏡介から苦情が入る。
(ごめんごめん。別に食べにきてもいいのに)
《俺は基本的にエナジーバーとゼリー派なんで》
 鏡介は別に辰弥の料理に不信感を抱いているわけではない。
 同居しているわけでもないのに食事だけ食べに行くのは面倒だし申し訳ない、というだけだ。
 そっか、と辰弥が残念そうに答える。
(ま、こっちはちゃんと作ってるから大丈夫だ)
《お前のおかげで日翔の生活の質QOLはかなり改善されたからな、感謝するよ》
 それはどうも、などと答えながら辰弥が角を曲がる。
 この角を曲がれば、もう自宅のあるマンションは目の前である。
 エントランスに入り、オートロックを解除しようと一旦荷物を床に置き、ポケットに手を突っ込む。
 その時、彼の視界に人影が入った。
 オートロックの入り口の前に、小柄な人影が倒れている。
「え、ちょっ……」
 荷物をその場に置いたまま、人影に駆け寄る。
《おい、どうした?》
 鏡介から視界共有の申請が届くがそれどころではない。
 抱き起こすと、その人影は推定五~七歳くらいの、透けるような白い髪の少女だった。
 病院で着る検査着のような布を纏っている。
 まさか、と思い首筋に指を当て、脈を確認する。
 少し弱いが拍動を感じて安堵の息を吐く。
「……おい、大丈夫か?」
 そっと揺さぶり、反応を窺う。
 少女が薄く目を開ける。
 その紅い瞳が白い髪と相まってより強い印象を植え付けてくる。
 少女が焦点の定まらない視線で辰弥を視認し、口を開く。
「……パパ……」
 僅かに聞き取れるボリュームで、少女がそう呟く。
 その言葉に一瞬、硬直する辰弥。
 何を、と言おうとするも言葉が出ない。
 少女はもう一度、辰弥を「パパ」と呼び、
「やっと、逢えた……」
 それだけ呟き、再び目を閉じた。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第1章 「ずぼら☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第1章」のあとがきを
こちらで楽しむ(有料)ことができます。

 


 

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