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天辻家の今日のおやつ #13 「マグケーキ」

 

 
 

 

 辰弥が近くのスーパーに買い出しに行って、店を出たら雨が降っていた。
「あー……降ってきたか……」
 天気予報は確かに雨だった。だが、予報では数時間後だったため、傘を持たずに出たらこの始末である。
「帰るまではもつと思ったんだけどなぁ……」
 少しくらいの雨だったら歩いて十分くらいだしそのまま帰るが、雨は降りだして既にある程度時間が経過しているようで本降りになっていた。
 仕方ない、と辰弥が電話帳を呼び出し、日翔の名前をタップする。
「日翔、ごめん傘持って迎えに来て」
 用件だけを言って通話を切る。
 激しさを増す雨に、辰弥ははぁ、とため息をついた。
 雨は嫌いだ。身体は冷えるし、カグラ・スペースが微惑星帯バギーラ・リングを離れた隕石を除去していても環境汚染はひどく、落ちる雨粒には高濃度の汚染物質が含まれている。雨に濡れたら必ずシャワーを浴びるようにと指導されているくらいには人体への影響は大きかった。
 それでも、辰弥は自分がこの程度の汚染物質で体調を崩すような存在ではないことを理解している。だからそのまま家に帰ってもよかったが、それはそれで日翔がいらぬ心配をしてしまう。
 とりあえずは日翔に迎えに来てもらって、帰ったらシャワーを浴びるか、と思いつつ辰弥は降り続ける雨に煙る街並みに視線を投げていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 大して濡れることはなかったが、それでも跳ねた雨水を吸った服で体が冷えた辰弥と日翔は交代でシャワーを浴びることにした。
「日翔が先に浴びてきなよ」
「お、いいのか? じゃあお言葉に甘えて」
 辰弥の配慮に感謝しつつ、日翔が着替えとタオルを持って浴室に向かう。
 それを見送り、辰弥もタオルを首にかけたまま台所へと移動した。
「今のうちにおやつを作ろう。マグケーキでいいか」
 元々、買い出しから帰ってからおやつを作るつもりだったが雨のせいで予定が狂ってしまった。
 それでも作りたいものは作りたいもので、当初予定していたものではなく簡単に作れるものを作っておやつ作りたい欲を解消することにしたのだ。
 冷蔵庫を開けて卵を取り出し、砂糖とサラダ油も量っておく。
 粉もの類を保管しているコンテナからホットケーキミックスを取り出し、辰弥はふっと口元に笑みを浮かべた。
 ホットケーキミックスと言えば本来ならホットケーキを作るための材料だが、ミックスというだけあって小麦粉だけでなく糖類やベーキングパウダー、乳製品などが調合されている。そのため、卵と牛乳を混ぜるだけでふわふわのホットケーキが作れるのだが、小麦粉を使ったおやつの多くはその原材料を自分で混ぜ合わせているようなものなのでホットケーキミックスがあれば簡単に他のおやつも作れてしまう。だから、辰弥は疲れているときでも簡単におやつが作れるように、とホットケーキミックスは常備していた。
 今回も、日翔がシャワーを浴びているうちに作れてしまうような簡単なものを、と考え、先ほどの材料を取り出した次第だ。
「おっと、これも必要」
 一度閉めた冷蔵庫を再び開け、辰弥は一本のボトルを取り出した。
 一見、プラスチック製のウォーターボトルに見えるボトルには透明な液体が入っている。
 だが、ここに入っているのがただの水ではないことを辰弥は理解していた。
「ん……この残り具合だったらもうできてるやつだな」
 残っている量から中身を判断し、辰弥が調理台にボトルを置く。
「さてと、作りますか」
 ボウルに卵を割り入れ、よく溶いておく。そこに砂糖とサラダ油を入れてしっかり混ぜ合わせ、ホットケーキミックスを投入する。
 泡立てることなくしっかりと滑らかになるまで混ぜ合わせ、そこにボトルの液体を投入した。
 しゅわ、と泡立つ液体。
 うん、と辰弥が満足そうに頷く。
「炭酸使うって考えた人すごいな」
 辰弥が投入した液体は炭酸水だった。砂糖も何も入っていない、純粋な炭酸水。
 日翔が炭酸飲料を好んで飲むことから、市販のものは糖分が高いしと購入した炭酸水メーカーは日翔の喉を潤すだけでなく辰弥の料理にも役立っている。
 例えば天ぷら。本来なら冷水で衣を作るところを炭酸水に変えただけでよりサクサクに仕上がる。
 今回も辰弥はホットケーキミックスを使ったマグケーキを作るわけだが、炭酸水に含まれた二酸化炭素の泡がベーキングパウダーとともに生地を膨らませ、メレンゲを立てずともふわふわのケーキが出来上がる。
 炭酸水をさっと混ぜ合わせてできた生地を、辰弥はいくつかのマグカップに流し込んだ。入れすぎると溢れるのでカップの半分程度まで流し込み、電子レンジに入れる。
 出力とタイマーを設定してスタートボタンを押したところで、日翔がタオルで髪を拭きながら台所に顔を覗かせた。
「おー、お先ー」
「うん」
 辰弥が振り返って笑う。
「シャワー待ってる間におやつ作ってたんか?」
「うん、マグケーキだからすぐにできるし」
 加熱されるマグケーキにちら、と視線を投げ、辰弥は首にかけたタオルを持ち直した。
「加熱が終わったら出来上がりだよ。今のうちに俺もシャワー浴びてくるから」
「おう」
 辰弥が浴室に向かったのを見送り、日翔がふむふむと電子レンジの前に立つ。
 いくら台所を出禁になっているといえどもそれは辰弥が勝手に言っているだけで、見ていないところでならいくらでも侵入はできる。
 そうやって冷蔵庫の食材をつまみ食いしては怒られる日翔だったが、今回も辰弥が作るおやつが楽しみで仕方がない。
 マグケーキったらマグカップで作る蒸しパンみたいなやつだよな、などと思いつつ、日翔は加熱され、もこもこと膨らみ始めたマグケーキを興味深そうに眺めていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「上がったよ」
 シャワーを浴びてさっぱりした辰弥が頭を拭きながらリビングに顔を出す。
「おー、お疲れー」
 TVでサブスクリプションの映像コンテンツを見始めていた日翔が動画を一時停止し、ひらひらと手を振る。
「おやつ、食べようぜ」
「そうだね、もうできてると思うし」
 頭を拭く手を止め、辰弥が電子レンジの前に立った。
 扉を開け、中を覗く。
 もこもこと膨らみ、マグカップから頭をのぞかせているマグケーキにふっと笑う。
 ――が。
「……日翔?」
 辰弥の口から出た言葉は低く、ドスの効いたものだった。
「ヒィッ」
 思わず日翔が情けない声をあげる。
「食べたでしょ」
「いや、あの、あ、あの、その……」
 しどろもどろになる日翔。
 その手元には空になったマグカップが一つ。
「クッキーじゃないんだからつまみ食いしたらすぐに分かるって。しかもそのマグカップ、鏡介のだよ」
「ゲェッ」
 やばい、と日翔がマグカップを眺める。
 青と緑の線で描かれた電子回路のような絵柄のマグカップ、これは確かに鏡介の趣味だ。
 やべえ、と日翔が恐る恐る振り返って辰弥を見る。
 つまみ食いがバレた時の辰弥は怖い。それはもう母親おかんのように怒る。下手をすればピアノ線が飛んでくる。それを回避するのは慣れたものだが、タイミングを読み誤れば恐らく首の一つや二つは確実に吹っ飛ぶだろう。
 しかも、今回は鏡介の分を食べたとなるとダブルで怖い。鏡介はハッカーであるゆえにか戦闘力はほとんどない。普段からもやしやら骨なしチキンやら言われてキレているがその程度である。もちろん、鏡介も泣き寝入りするわけでなくHASHハッシュで報復してくるが、これは電脳GNSに対して有効な攻撃方法であってGNSを導入せず通信を通信端末CCTで行っている日翔には全く効かない。
 そう考えると鏡介が怒ったところで大したことはないのかもしれないが、恐ろしいのは別にある。
 一度、日翔が登録していたすべてのサブスクリプションサービスをハッキングでログアウトさせた上にキーチェーンに保存していたパスワードを消去してしまったのだ。
 流石にこれは日翔も堪えた。別にパスワードを忘れていたわけではないが、再ログインの手間はある。しかもキーチェーンのデータが消されたということはいつもなら顔認証だけでログインできたものをもう一度設定し直さなければいけなかったので「もう二度と鏡介を怒らせるものか」と思ったほどである。
 これは鏡介を怒らせる、またパスワード消されるのか、と震える日翔の背後から辰弥が近づいてくるのが気配で感じられる。
 やべえ、何をする気だ、そう思った日翔の首筋に――。
「ぴゃああぁぁぁぁ」
 首筋に温かいものを当てられ、思わず変な声が出た。
 思わず振り返り、ソファの後ろに立つ辰弥を見上げる。
 背後に立っていた辰弥の顔は怒っていなかった。
 苦笑を浮かべ、手にしたマグケーキの底を日翔の首筋に当てている。
「た、辰弥……」
「もう、日翔はいつもつまみ食いするんだから」
 そう言いながら辰弥が回り込んで日翔の隣に座る。
「仕方ないね、鏡介には黙っておくよ」
「すまん」
 日翔が素直に謝る。
 てっきりピアノ線かナイフは飛んでくると思っていただけに拍子抜けもするが、むしろこれは諦められたのだろうか、と考える。
 日翔の隣に座った辰弥が自分のマグカップからはみ出したケーキをむしりながら口を開いた。
「……ありがと」
「?」
 怒られることはしたが感謝されるようなことをした覚えはない。
 日翔が首を傾げると、辰弥はむしったケーキを口に放り込んだ。
「……うん、おいしい」
 そう呟き、もう一度ケーキをむしる。
「迎えに来てくれて、ありがと」
「お、おう……」
 日翔としては辰弥が「迎えに来て」と言ったから迎えに行っただけだ。感謝されるようなことではない。
 それでも、辰弥は嬉しかったというのか。
 思わず辰弥の頭に手を置いてくしゃっと撫で、日翔は笑顔をその顔に浮かべた。
「こんなことでいいなら何度でも迎えに行ってやるよ」
「いいの?」
「ああ、お前がどこに行ったとしても絶対に迎えに行ってやる。お前は『グリム・リーパー』に必要だし、それに――」
 そこまで言って日翔が口を閉じる。
 それ以上口にするのは恥ずかしかったし、それに――。
 ――期待をもたせて裏切ったら悪いしな。
 たとえ辰弥がどこに行ったとしても迎えに行きたいという気持ちは本物だ。大切な仲間で、家族で、鏡介と同じくらい手放したくない親友。
 だが、日翔自身分かっていた。
 この約束が最後まで守り切ることができないことを。
 あとどれくらい時間があるんだろう、と考え、自分に課せられた運命を呪う。
 もし、約束が守れなくなったら辰弥はどう思うんだろうか、と考え、日翔は小さく首を振った。
 そんな未来のことを考えていても仕方がない。今考えるべきは今のことと、ほんの少し先の未来だけ。
 そう遠くない未来であったとしても、その未来を考える必要はない、と日翔はその考えを振り切るかのようにマグケーキをむしった。
「あめぇ……」
 口の中でふわふわとほどけるマグケーキにため息を漏らす。
 辰弥がシャワーを浴びている間に一つは食べてしまっていたが、こうやって辰弥と一緒に食べていると味が違うような錯覚を覚える。
「マグケーキって、うまいよな」
 むしっては食べ、むしっては食べ、を繰り返しながら日翔がぽつりと呟いた。
「さっき一人で食った時より、お前と一緒に食ってる方がなんかうめえ」
「だったらつまみ食いやめなよ」
「ごもっとも」
 そんなことを言いながら、二人でマグケーキをちびちびと食べる。
 たまにはこんなゆるい時間があってもいいか、と思いつつ、日翔は少しでもこの時間が長く続いてくれればいいのに、と考えるのだった。

to be continued……

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