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No name lie -名前のない亡霊- 第2章

 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 彼苑かれその度流わたるはテロで親を失った。そのテロから十二年。高校生になった度流は人とは少し違った見え方のする目を生かして、美術部に所属し、絵を描いていた。
 高校二年生の春、コンクールで最優秀賞を取った度流の絵が展示会場から盗まれる事件が発生。それが報道されたのと同巡の三日目に差し掛かる頃、度流は何者かに命を狙われ、「虹野にじのから」と名乗る不思議な少女と出会ったのだった。

 

第2章「彼女と嘘」

 

「あら、度流くん、顔色が悪いわよ? 大丈夫?」
 朝、眠れずに徹夜となった度流の顔を見て、優音の母親が心配の声をかける。度流はそれに答えず、本題を告げた。
「あの、優音ちゃんは……」
 本当は聞いてはいけないような気がした。真夜中、度流が眠れなくなるくらいに胸を締め付けた不安が、本当であることを知りたくなかった。
 けれど、現実は非情だ。
「それがねえ、優音は昨夜ゆうべから帰っていないの。連絡も取れなくて。ごめんなさいね」
 あっさりとした返答。優音の母が優音のことを心配していないわけではないのだろうけれど、度流からすると、あっけらかんと告げられた印象が強い。
 優音は遅帰りをするような女の子ではないはずだ。女の子の夜歩きは危ないし、夜は表社会では姿を現さない危険な輩の独壇場でもある。度流と優音の近所は比較的治安のいい方だと思うが、慢心してはいけない。だから優音も気をつけているはずである。
 それなのに、帰っていないとは……度流は寝不足だけではない頭痛に苛まれながら登校する。このまま優音が帰って来なければ、親が捜索届を出すだろう、と度流は自分に言い聞かせ、一人での通学路を歩いた。
「あ、そうだ。今日の一時間目ってなんだっけ、優音ちゃ……」
 しん、と通学路が静まり返った気がした。くせで振り返り、そこに誰もいないことに気づく。
 ずきり、と胸が痛んだ。
「そうだね、歴史だね」
 度流は一人で答える。
 沈鬱な顔をする度流に、いつもなら、優音は。
『どうしたの? 度流くん。歴史苦手だったっけ。でも、度流くんって苦手教科とか特になかったよね』
 それに、こう答える。
「優音ちゃんこそ、学年でもトップでしょ。僕なんてクラスの平均くらいだよ。やっぱり、電脳科学を研究してると頭良くなるの?」
『そんなことないよ。私は度流くんの役に立ちたくて、色々とやってみてるだけ。いきなりGNS――電脳を頭に入れたら危険がいっぱいだもの。最近は稀だけど、GNSを介して脳を直接的に攻撃するガイストハックなんて言うのもあって』
「それは怖いね」
『でしょう? 私も怖いんだ』
 なんて、虚空に向かって手を伸ばし、微笑む彼女を抱きしめようとして、手が空しか掴まないことに気づく。
 彼女は今、ここにいない。
 度流は昔のことを思い出す。
『私がずっとずっと、傍にいるからね』
『そう、ずっと。永遠に』
 両親を目の前で失って、孤独の水底にいた度流を掬い上げてくれた、優音の言葉。
 永遠なんてものはない。命は有限で、時間もまた有限だ。けれど、それでも限りある中で、優音はいつだって度流の傍にいることを選び続けてくれた。これは誰にも否定しようのない事実だ。
『あ、学校が見えてきちゃったね。席が度流くんの隣じゃないの、嫌だな』
「新学期だもの、仕方ないよ」
『もう少し、くっついていてもいい?』
「ふふ、学校までまだあるもん。僕もくっついていたいよ」
『おそろいだね』
 いつものように、腕を引き寄せ、組もうとして、その体温がないことに気づく。
 度流は浅く吸った息を食んだ。
「優音ちゃん……」
 名前を呼んでも、返事はない。
 優音はそこにいないから。
「大丈夫?」
 後ろから声をかけられて、度流はびっくりする。思わず優音の名前を呼びそうになったが、振り向いた先にいたのは優音とはどこも似ていない同じ学校の女の子だ。大きな丸い眼鏡をかけたボブヘアの女の子。たぶん、クラスメイトだ。
 度流は曖昧に笑う。
「うん、おはよう」
「あ、おはよう」
 会話として、おかしかった。けれど、度流のそんな異常さに、慣れた様子で女の子は答える。
 いつもなら。
『こーら、度流くんってば、せっかく心配してくれてるんだから、お礼言わないと。ありがとう、大丈夫だよ、岩垣いわがきさん』
 なんて、優音が取り次いでくれるのに。優音がいないせいで、言葉が凍る。喉の奥から出てこようとしない。
 女の子――同級生の岩垣は、すぐ異変に気づいた。
「あれ? 荒崎さんは? 今日は一緒じゃないんだね」
「え、あぁ、うん」
「喧嘩でもした?」
「荒崎と彼苑が喧嘩なんて、天変地異でも起こらなきゃあり得ないだろ」
 そんなことを言って、快活に笑う背の高い女子が岩垣の背中をばしばしと叩いた。力が強いのか、叩かれた岩垣が噎せている。
 この少女も、おそらく同級生なのだろう。顔を見ても、ぴんと来ないけれど。
『おはよう、新島にいじまさん。今日はバスケ部、朝練はないの?』
 いないはずの優音が自然とそんなことを言うのがわかって、度流は「おはよう、新島さん」と告げることができた。
「おう。でも確かに、彼苑が一人でいるのは珍しいな。荒崎が彼苑を一人にするわけがないのに
 新島の言葉に、度流はほっとする。その通りだ。優音は度流を一人になんてしない。気づけば隣にいる。それが周りから見ても明らかなくらい当たり前のことなんだ、と第三者から証明されて、度流は安心した。
 優音がいないことをおかしいと思うのは、自分だけじゃないんだ、と。
「実は、昨日から会えてなくて」
「それは大変だな」
 ひどく他人事のように、新島が頷く。まあ、実際他人事ではある。
「荒崎、具合でも悪くしてるのか? 昨日も休みだったよな」
「そうだね、心配だね」
 岩垣も同意する。度流は俯いた。
 昨日、優音が学校に来なかったことは知っている。度流を待たずに、どこかに行ってしまった。別に、優音に慰めてほしいとか、そういうことは求めていないけれど……優音が傍にいないと、なんだか虚ろな心地がする。
『度流くん』
 心の中にはずっといるのに、優音の体温が、ない。
『行こう、遅刻しちゃうよ』
 そんな優音の声が瞬いて、度流ははっと携帯端末CCTの時計を見る。始業時間である二日目昼日が近づいてきていた。
 岩垣のことも、新島のことも忘れて、度流はぱたぱたと学校へ向かった。
「ありゃ重症だな」
 なんて、新島の声が零れたのを度流は知らない。

 

 一時限目、歴史の授業。
「我々が住んでいるこの星、惑星アカシアは一日が八時間であり、三日を一巡と数えます。けれど、かつての人々は一日八時間すら永遠のように感じていました。それは何故か、わかる人は挙手を」
 度流は歴史の授業をぼーっと聞き流していた。その目線は空席となっている優音の席へ向けられている。
 明らかに上の空の度流の様子を、教師が責めることはなかったし、わざわざ指名することもなかった。度流が上の空になる原因が、二巡も学校に来ていない、もはや彼の半身と言ってもいいほどの存在である優音にあることを知っていたから。それに、度流は普段から授業態度の良い生徒で、成績こそ学年平均レベルだが、電脳GNSという便利な記憶媒体が普及し、GNSを入れていなくても、外部端末CCTにより、メモ機能が発達している中、手書きで板書を取る度流の姿勢は意欲的で好印象だ。
 そんな度流が心ここにあらずなのは、心配ではあったが、わざわざ腫れ物に触れる趣味はないのだろう。教師は挙手した別の生徒を指名する。
「かつてアカシアでは微惑星帯バギーラリングからバギーラレインが降り注ぎ、日夜大災をもたらしていたからです」
 指名された生徒がはきはきと答える声も、度流の耳を素通りしていく。まあ、素通りしても問題ない内容だった。
 度流たちが暮らすこの世界は惑星アカシア。かつてはバギーラリングより降り注ぐバギーラレイン――隕石により、世界を脅かされていた。
「正解です。それを救ったのが、現カグラ・スペース、当時は御神楽宇宙開発です。御神楽宇宙開発がバギーラレインの制御に成功してから約四百年、我々は平穏の下に暮らしているのです」
 小学校でも、中学校でも習った内容だ。御神楽がいかに素晴らしく、世界に多大な影響を与えている組織なのか、ということを改めて認識させられる授業である。
 普段なら、やっぱり御神楽はすごいんだ、と目を輝かせる度流なのだが、優音のことばかり考えているからか、なんだか思考が逸れた。
『けっ、こういうのばっかじゃん。御神楽讃歌を謳うだけの授業なんて、やっぱただの洗脳だよ。くだらねえ』
 過去、同級生だった男子生徒の声が脳裏に蘇る。度流は知れず、苦い顔をした。
 その同級生とは、優音を介して知り合った。が、友達、というには犬猿の仲だった記憶しかない。何せ彼は度流と真逆で、御神楽陰謀論者だったから。
 それでも、優音以外との関わりの薄い度流がよく話した人間だったと思う。だから少しだけ、他より印象も強かったし、顔も覚えている。
 それを思い出したのは、そうだ。優音がその人物を度流に紹介した文句がこうだったからだ。
『度流くんにも、同性の友達がいたらいいと思って』
 それはそっくりそのまま、先日度流が優音に言った言葉だ。
 そんな気遣いをしてくれる優音が好きだし、優音にも同じものを返したかった。だから度流は提案したのだ。
 そこでふと、考える。
 優音とくららは度流の目には仲良く見えたが、あれは友達判定に入らないのだろうか。
 度流はじっと、優音の席を見つめた。あの席でいつも、優音はクラスメイトに声をかけられては応答している。くららもたまに訪れる。優音は優しいから、微笑みを湛えて、誰にでも好印象を抱かせるように接する。
 それで優音に恋心を抱いた輩が何人かいたが、そのことで度流がもやもやすることはない。何があっても優音は度流を選んでくれるという信頼があったし、その信頼を優音が裏切ったことはない。
 二人きりで話をしたいと切り出す男子に、優音はいつも困ったように微笑んで、度流を見る。
『恋人でもない異性と二人きりになるなんてできません』
 そう、きっぱりと断っていた。
 これが小学生の頃からだから、優音も度流も「マセガキ」と呼ばれたものだが、二人の関係の不変さに、周囲は口を閉ざした。それからぽつぽつと二人の恋仲を認める声や、祝福する声が聞こえてくるようになった。
 どこか遠く思えていた環境音の中に、授業の終わりを告げる鐘が割り込んでくる。度流ははっとして、居ずまいを正した。日直の無機質な「起立、礼、着席」が響き、面白いくらいにクラスの全員がそれに従う。教師はどこかほっとしたように、教室を出ていった。
 教室がぱたぱたと忙しない雰囲気になる。次の授業は移動教室だった。度流は持ち物を整え、当然のように優音の席へ向かう。
「優音ちゃん、一緒にい……」
 そこで、周囲が、それまでの忙しなさ、物音、呼吸音すら忘れたように静まり返ったのを感じる。度流もあっと気づいた。
 空っぽの席。優音は真面目で、置き勉なんてこともしないため、机の中も空っぽで、席には本当に何もない。……何もないことに、度流は気づいた。おそらくみんなは、最初から気づいていた。だから、度流の行動に引いているのだ。
 痛ましいものを見つめるような視線が刺さる。憐れみ、可哀想、悲しい、どうして。そんな感情たちが、度流の背中に突き刺さる。
『あはは、早いよ、度流くん。授業さっき終わったばかりじゃない。忘れ物はない?』
「行こう」
 優音はこんなことを言うだろう、というのは脳内にありありと思い浮かべられるのに、実物がそこにない。だから、差し出した度流の手を握り返す手もない。
 それでも、度流は空想の中の優音に微笑んで、次の授業へと向かった。

 

「体育の後は、水分補給しないとだよね。優音ちゃんはミルクティーが好きだよね。ふふ、僕もミルクティーにしようっと」
 がこんがこん、と自動販売機が二本のミルクティーのボトルを落とす。度流の背後を通りすぎていく人々は、度流の方には目もくれず、GNSで何かを見ていたり、操作をしているようだった。
 体育の授業が終われば、後は放課だ。掃除をして、ホームルームが終われば、部活か下校である。
「ふふ、おそろいだね」
 二本のボトルを持って、度流が虚空に微笑む。当然ながら、そこに優音はいない。度流もそれは知っていた。
 いいのだ、これで。放課後、今日は部活を休んで、優音を探す。優音を見つけて、ミルクティーを渡せば、度流のこの行いも無駄じゃなくなる。
 そう信じるしかなかった。どんなに胸の奥が膿んだようにじくじくと痛んでも、優音に会うことができれば、その痛みも、苦しみも報われる。優音のためのものだった、と昇華することができる。
 掃除を終わらせ、美術室に部活を休む断りを入れに向かう。学校に来ていない友達を探しに行く、といえば、簡単に休むことができるだろう。何より、度流は無自覚だが、度流と優音の恋仲は暗黙の了解であり、誰も止めるはずがない。
「あ、先輩」
 美術室に入ると、放課後になったばかりのがらんとした教室の中で、聞き慣れた声がした。くららだ。
 ほとんど白に近い色の落ちた髪。ブラウスは第二ボタンまで開けられ、申し訳程度に二つほどボタンを閉め、スカートに仕舞われない裾がふわりと広がっていた。本人曰くそのだらしなさは「蒸れるから」らしいのに、上には厚手のカーディガンを羽織っているので、本当に意味がわからない。
「くららちゃん、いつも言ってるけど、着崩すにも程ってものが……」
「それより先輩、大丈夫ですか? 彼女さん、行方不明なんでしょ?」
 苦言を呈そうとしたところで、くららの言葉に、度流は息を飲んだ。誰も突きつけて来なかった現実を、くららは無遠慮に突きつけてきて――正直、ほっとした。
 変な話、自分に聞こえていた「優音の声」が幻聴であることも、「優音の姿」が幻覚であることも自覚していたのだ。けれど、誰も肯定も否定もしないから、自分はこの幸せな幻に浸っていていいのかもしれない、なんて思い始めていた。本物の優音はそこにいないのに。
「よく知ってたね」
「先輩ってば掲示板見てないんですか? って、そっか、先輩と彼女さんはGNS導入してないんでしたね。ええっと……これを、先輩のCCTにっと……」
 ぴろん、と度流のCCTに着信が入り、度流は通知のあったメッセージアプリを開く。くららのアカウントからリンクが送られてきていて、よく考えずにタップし、警告画面が出てくる。
『度流くん、メッセージで送られてくるリンクは詐欺とかの犯罪に巻き込まれる可能性があるから、安易に踏んじゃ駄目だよ』
 そんな優音の声が聞こえた気がして、度流は少し顔を歪める。少し滲んだ視界で、確認ボタンを押して、リンクを開いた。
 それは学校の匿名掲示板だった。GNSが普及し、手軽に電子媒体へアクセスできるようになった現代、学業中であれ、暇潰しがてら、こういうところに書き込みをする文化は廃れることなく続いており、そうして「学校の七不思議」やら都市伝説めいたものが絶えることなく言い伝えられているのだ。
 GNSを使うことによって、授業中でも人から隠れてできてしまうことも、こういう文化を加速させる一因となっている。
「あれ、でも、匿名掲示板って、グローバルネットじゃないっけ? 学校ではグローバルネットには繋げないって……」
「あ、先輩知らないんですか。確かにグローバルには繋げないですけど、学校用ローカルネットワークには繋げるんですよ。だからこれは学校が管理してる回線の中で建てられたスレッドたちですね」
「すれ……ど……?」
「弱すぎません!?」
 彼女さん何も教えてくれなかったんですか!? と驚愕するくらら。度流は目を白黒とさせる。
 度流は人並みにネットに詳しい……わけではない。むしろ、優音が人並み以上に詳しいため、その知識を度流が持つ必要はない、と判断しているのである。苦手な方面のことで優音を頼ることができるのは嬉しいし、頼られて優音も嬉しそうにしていたから、そのままでいいと思ってきた。
 そう説明すると、くららは頭を抱える。くららは優音とも度流とも交流のある数少ない人物で、二人がその辺のちんちくりんには引き裂けないほどの仲であることはもちろん理解していたが、まさかここまでずぶずぶの依存関係だとは知らなかった。
「というかこれ、見せない方よかったのかな……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
 くららは頭痛を覚えながら、度流に送ったリンクのスレッドタイトルを見る。匿名の一番は「今日の度流くんスレ」と書いている。匿名である以上、一番の正体を探るのは無粋というものだが、どう考えても一番が荒崎優音であることは、誰の目から見ても明らかだった。
 度流の知らないことだが、優音はローカルの回線でいくつか掲示板に普通のスレッドも建てている。勉強の科目ごとの教え合いスレッドや部活動応援スレッドなど、学校らしいスレッドを大量に建てる中に、時折「よく考えるとこれは頭がおかしいのでは」というスレッドを建てている。「今日の度流くんスレ」は二十三のナンバリングがされているわけだが、他のスレッドの盛り上がりに埋もれて、実はマイナースレとなっているのである。
 優音が巧妙だな、とくららが思ったのは度流についてだけでなく優音について語るスレッドも建てていることだ。度流についての情報はほとんど優音にしか需要がないが、ミスコンやったら一位狙えるレベルの美人である優音の情報は特に男子たちに需要がある。彼氏持ちと知って尚、諦められない男子というのも憐れな話だが、需要と供給の循環を作り、それを等価交換させることで、自分の需要も満たす、という人生何周目か疑いたくなるような掲示板の運営をしているのだ。
 おそらく、くららが入学する前の一年で、優音は完全に学校の掲示板の運営管理権限を掌握したようなものなのだろう、と見る。度流ただ一人のために。
 度流に何故学校掲示板の存在を教えなかったのか、疑問に思うが、それに対する優音の返答にはいくつか当たりがついた。度流と同じかそれ以上に度流の存在が史上である優音は「度流くんをびっくりさせたかったから」とか「度流くんにどこまで秘密にできるか試したかったから」なぞと答えるのだろう。
 さて、スレッドについて軽く説明すると、度流はCCTの画面を操作して、スレッドの内容を見ていく。くららが機械音痴を疑ったが、さすがに基本的な動作くらいは問題なくできるようだ。
 度流はスレッドに書き込まれた度流のプライバシーが存在しない度流の詳細を見て、特に驚いた様子もなく、すらすら読んでいく。どちらかというと、くららがドン引きしていた。と同時に理解する。この彼氏にして、あの彼女あり、というわけだ。
「彼苑くんが荒崎さんといないところなんて初めて見た」
 そんな書き込みに端を発し、度流の些細な日常の仕草や変わった挙動などが書き込まれ、今日の分だけで四百件近いリプライがついている。
 特に書き込んでいるであろう度流の同級生からは度流の不穏さを心配する声が多く寄せられていた。
「彼苑、荒崎いないのに荒崎の席ずっと見てる」
「時々微笑んでるよね? 何か見えてるのかな?」
「優音ちゃんって声かけてるし、声かけてから一瞬置いていないことに気づいてるみたいだし、相当精神にきてるだろ、これ」
「誰かー、慰めてあげなよー」
「声かけづらいよ!」
「いや、彼苑慰めたとして、荒崎が見つかったとしてよ……荒崎にされそうじゃね? それが怖い」
「それな」
「万が一荒崎さんがんでいたとしても、当然のように祟ってきそうだよね……」
「それはそれとして、彼苑ははよ病院行け。結構ガチめにヤバいやつぞ」
「先生気づいてくれない? 無理か……」
 などなど。表立って行動するのが苦手らしいネット民らしいコミュニケーションが成されている。そんなに心配なら声かけろよ、とくららも思ったが、自分もこのスレの民たちと同じ立場なら、優音に祟られないか不安にはなる。
 それくらい、優音は度流のことを大切にしている。自分以外度流に必要ないようにしようとしているのかもしれない。くららにわかるのは、優音は適材適所が上手いことくらいだろう。あとは、思考操作。単純な犬のマーキングと似たような、「所持者である主張」とも言えるが、それを人間の複雑な思考回路に沿って植え付けることによって、他者を敵ではなく「こちら側」に引き込んでいるのだ。
「あたしは見るROM専なので、書き込みはしないですけど、見ただけで今日の先輩が大丈夫じゃなさそうなのはわかりますよ。彼女さんも名前が伏せられることなく、いないって書かれてますし、慰霊塔の絵のこともありますし」
「うん。……たくさんの人が僕を見てるんだね」
 度流の言葉に、さすがに引いただろうか、とくららは度流を見る。だが、そこには何か決意した眼差しがあるだけで、自分のプライベートが筒抜けなことに対する感情などはなかった。
 度流がくららに振り向く。
「こんなに多くの人が僕と優音ちゃんのことを心配してくれているなんて知らなかったよ。ありがとう」
「えっ……はい」
 度流の思考は少し斜め上の回答を叩き出す。
 あのスレッドの何をどう見たらそんな解釈になるのか、くららはちんぷんかんぷんだったが、度流の目が真剣さを帯びてくららを見据えたので、くららはどきりとし、居ずまいを正す。

 

『度流くんはね、とても真っ直ぐな子だから、一度決めたら、諦めないし、達成するためには躊躇いなく人の手を借りられる、潔い人なんだよ』

 

 いつか、優音にそう言われたのを、くららは思い出した。
「くららちゃん、僕は優音ちゃんを探しに行こうと思う。だから、見つけるまで、部活には顔を出せないと思うんだ」
「わかりました。部長とか、先生とかにはあたしから言っておきます。……でも、どうやって探すんです?」
「それは……」
 言い淀んで暗い表情になる度流に、くららも釣られて曇りかけるが、思いつきで、GNSで優音のCCTを呼び出す。度流が、くららの動作に、クエスチョンマークを浮かべながら訊ねた。
「何してるの?」
「いや、少しでも力になれたら、と思って。彼女さんとはGNSからの脱却論議で連絡先交換してるんですよ。確か、先輩とおそろいのCCTでしたよね?」
「う、うん。でも、音信不通にしてる優音ちゃんが通話に応じるとは思えないよ」
「わかってますよ。あたしの電話に出るくらいならとっくに先輩に連絡してるでしょ、あの人。……ん、成功」
 何やら呟くと、くららは度流に地図の画面を共有する。画面の一ヶ所に赤いポイントが点いていた。
「これは?」
「今通話繋いで、彼女さんの端末の位置を特定しました。彼女さんの行方の手がかりになるんじゃないですか?」
 そう、優音の端末は優音が持っていて然るべきだ。優音と度流のCCTはそこそこ型番が古いけれど、二人おそろい、ということで大切にしている。それを優音が手放すとは考えにくい。となれば、端末がある場所が優音のいる場所となる。
 それが地図上の赤いポイント。その場所は度流もよく知っていた。
「御神楽ホテル爆破事件慰霊塔……」
 特に不自然なことはなかった。優音が行方を眩ませた昨日、展示されていた度流の絵が盗まれた、と報道があった。それを確かめに慰霊塔に行った、と考えるのが自然だ。もっと他の用件があるのかもしれないけれど、可能性として一番高いものだから、すとんと内腑に落ち着く感覚がある。
「端末や本人が見つからなくても、何かしらの手がかりにはなるはずです。それに、情報は鮮度が大事ですし」
「そんな、食材じゃあるまいし」
 くららの言い回しに、度流がくすりと笑う。くららは少し、痛ましげな表情で度流を見た。
「わかりませんよ。あたしの着信スルーして、移動中かもしれませんし。でも移動しているにせよ、今、確かにここにいたっていうのはわかるわけですから、移動ルートは絞れますよね」
「なるほど。なんだかだんだん光明が見えてきたよ。ありがとう、くららちゃん。いってきます」
 はいよー、という気の抜けた返事を置き去りに、度流は美術室を出た。サブバッグにミルクティーのボトルを仕舞い、昇降口から駆け出していく。
 優音に会いたくて、靴を履く暇すら惜しく感じた。
 目指すは慰霊塔。

 

『度流くん、ウィンターホリデーに合わせて、慰霊塔でイルミネーションがあるんだって。一緒に行こう』
『きらきらが星みたいで、綺麗だね』
『度流くんのお父さんとお母さんもね、きっとこの星の向こうで、見守ってくれていると思うんだ。だから』
『二人で、幸せになろうね』
 手がかじかむような日に、手袋もつけずに互いに手を温め合った日を思い出す。あの頃、まだテロの傷が癒えず、御神楽がホテルの跡地に建てた慰霊塔に向かうことすら度流は拒絶していた。
 そんな度流を連れ出して、度流の背中を撫でながら、そんな話をしてくれたのは、優音だった。立ち直れない度流の心をその弱さごと包み込んでくれた。優音の優しさが、じんわりとひび割れた心を修復してくれたから、度流は今、一人でも慰霊塔に向かえている。
 優音に会いたいから。優音が傷ついているのなら、今度は自分が優音の心の綻びを直してあげる存在になりたいから。
 地図を見なくても、辿り着ける程度には馴染みのある場所となった慰霊塔。父と母の墓は別にあるけれど、慰霊塔にも墓参りの感覚で来られるようになった。
 あのとき、何もできなかった自分の無力を嘆く時間は終わった。優音は自分が助ける。
 そう決然と、慰霊塔の方を見据え、歩を進める度流の視界の中に、ちら、と見覚えのあるものが閃く。
「優音!」
 度流の目と同じ、薄紫色。それは「おそろいだね」と言って持っていた、優音のCCTである。度流は色違いで同じ機種を持っているから見間違えようがない。
 CCTだけがそこにあり、優音の姿はない。ということは、優音が落とした? と浮かびかけて、突然、サブバッグがぱぁん、と弾けた。弾けたように見えたのは、サブバッグの中にあったミルクティーがばしゃんと飛び散ったからである。
 状況が理解できないまま、ミルクティーに濡れて立ち尽くす度流。呆然とする度流を誰かが突き飛ばした。その誰かを度流が視認する前に、誰かは消え、数秒して戻ってくる。
 度流はその間に優音のCCTを拾っていたのだが……
「おい、狙われてる自覚ないのか? 大人しく隠れてろ……って、うげ」
「……うげ」
 お互いに、顔を認識して、お互いに失礼な呻きを出す。助けてくれたとおぼしき人物は度流の顔見知りだったのだ。
「人の顔見て『うげ』とか言うなよ、彼苑」
「そっくりそのままお返しするよ、天辻あまつじくん」
 けっ、と度流の返しに嫌そうな顔をする同じ年頃の少年。天辻、と呼ばれた彼は度流の中学時代の同級生で名を天辻日翔あきとという。
 風の噂に、日翔は高校に進学しなかった、と聞いたが、どうやら本当らしく、度流と同い年の日翔は制服ではなく私服姿だ。
「本当に高校通ってないんだ……」
「いや、もっと他に言うことあるだろ。つーかお前みたいな人畜無害がなんで命狙われんだよとか色々言いたいことはあるが、ひとまずここ離れようぜ。こっちだ」
 日翔に導かれるまま、歩き出す。だが、日翔の顔を見ているうち、ちりっと脳裏に焼けつくような何かを感じた。違和感、だろうか、これは。
「何か……」
 見落としているような、気がする?
 度流の口から零れた言葉に日翔はちら、と度流を気にする素振りを見せるが、有無を言わせず、度流の手を引いて慰霊塔から遠ざかっていく。疑問のような何かは歩いているうちに自然と霧消して、すぐに度流は違和感があったことすら忘れた。
 それからしばらく、二人は無言で歩いた。元々、度流と日翔は仲が良かったわけではないから話すこともないのもあるが、日翔の雰囲気が知っているよりぴりぴりしていたから、というのもある。
 会わなかったのはほんの一年のことのはずなのに、雰囲気が変わったな、と度流は日翔の横顔を見て思った。中学の頃の日翔はもっと等身大で朗らかな感じだったから。
 とはいえ、天辻日翔という人物は一癖あって、おそらく友達のいなかった子どもだ。日翔の両親は御神楽陰謀論者で、日翔もその思想にすっかり染まっていた。多くの人が御神楽を支持する世の中、そんな日翔の存在はどうしたって浮いてしまう。日翔本人はちっとも気にしていない様子だったが。
 御神楽を心酔する度流とは水と油のような関係である。それでも二人が知り合いなのは、優音が二人を友達にしようとしたからだった。
「ここまで来りゃ、大丈夫だろ。って服が盛大に汚れてんな……まあ、鞄も悲惨なことになってるけど」
 日翔が度流を振り返り、顔をしかめる。度流はジャケットとズボンがミルクティーで濡れており、半ば乾いてがびがびになっていた。が、破れたサブバッグに比べれば、この程度の被害は可愛いものである。サブバッグはミルクティーのボトルが割れたことによりびたびたになり、中に入っていた運動着ももれなくびしゃびしゃになっていた。
「いいよ。家に帰ればなんとかなるし。それに、優音ちゃんが……」
「すぐに家に帰るのはやめとけ。お前ってそこそこ有名人だろ。家くらい特定されてんだろ」
「……」
 日翔は度流の身を案じているようだった。
「荒崎が……いないのはなんでだ?」
 日翔は神妙な面持ちで無遠慮にそう訊ねてきた。度流は苦笑いをする。こういうところは変わってないな、と思うとなんだか安心した。
「優音ちゃんは今、行方不明なんだ」
「荒崎が行方不明でお前が命を狙われるって、なんかきな臭いな……で、CCTそれが手がかり?」
 度流はたぶん、と自信なさげに頷いた。置き去りにされた優音のCCT。そこからはあまりいい予測は立てられない。
 日翔が肩を竦めて指摘する。
「まるでお前をあそこに誘き寄せるためにあったみたいだな。最悪、荒崎、もう死んでるんじゃないのか?」
「そんなわけない!!」
 思わず叫んでしまい、日翔と目がばちりと合って、目を逸らした。ごめん、とほとんど口の中で呟いた言葉は、日翔に届いたようで、日翔は俺も悪かった、と返す。
 それでも、優音のCCTが慰霊塔にあり、度流がそこで狙撃された事実は変わらない。狙撃手の腕が悪いのか、度流の悪運が強いのか、度流には傷一つないが。
「でも、慰霊塔に僕が行ったのは偶然なんだ。待ち伏せなんて、できないよ」
「本当に偶然か? ってか、なんであそこに行こうと思ったんだよ」
「優音のCCTの位置情報を調べたら、慰霊塔だったんだ」
「調べた? お前がか?」
 日翔がからかうように笑う。
「荒崎に教えてもらわないとCCTの操作もろくにできなかったお前にそんな芸当ができるとは思えないんだが」
「うぐ……」
 その通りである。度流は機械音痴であり、ネット音痴であった。CCTも通話機能とメッセージアプリを使うくらいなもので、他の機能はさっぱりである。正直、学校でネットワークが制限される理由もよくわかっていない。
 日翔は友達と呼べる人間ではないが、中学の三年間だけでも、腐れ縁の続いた仲だ。度流のネット音痴機械音痴を把握しているのも当然であった。
 度流は正直に、後輩に教えてもらったことを白状する。すると、日翔は再び神妙な面持ちになった。
「あの荒崎と仲が良さそうってだけでも充分に胡散臭いが」
「失礼すぎやしない?」
「その後輩ってのが、裏で何か手引きしてるんじゃねえの? タイミングよすぎんだろ」
「そんなわけない。あの子は普通のいい子だよ」
「あのなあ!」
 日翔は思わず、と言った様子で、ぽかっと度流をはたいた。思いの外痛くて、度流ははたかれた頭を押さえる。
「お前さ、御神楽信じてるのもそうだけど、人のこと信じすぎってか、なんでもかんでも鵜呑みにしすぎ。友達のいないお前が可愛い後輩できて浮かれるのはわかるけどよ」
「友達いなくて悪かったね。僕は――」
「はいはい、荒崎さえいればいいんだろ?」
 台詞をとられて、むう、とむくれる。日翔は慣れた様子であしらい、続ける。
「ちったぁ人を疑った方がいい。命狙われてんだから、警戒はいくらしたって足りないだろ」
 ごもっともである。どんなに人を信頼したって、自分の命には代えられない。
 それに、殺されかけたのは今日だけじゃない。昨日は空という少女にも助けられた。二日続けて命を狙われたのだ。偶然とするのはあまりにも能天気が過ぎるだろう。
「……わかった。ありがとう」
「お、素直だな」
「さすがに二巡連続で命狙われたら、ね」
「お前まじで何したんだよ……」
 度流としては、何も心当たりがないので困っているのだが。
「荒崎が行方不明で、その上絵? も盗まれて、命狙われるとか……知らないうちに闇の世界に踏み込んだもんだな」
「踏み込んでないってば」
 つい、日翔には言い返してしまったけれど、踏み込んだつもりはなくても、踏み入れてしまっている可能性は否定できなかった。
 それでも、くららのことを疑うには、躊躇いが生じる。……人を信じることに慣れすぎて、疑い方がわからない、というのが正しいかもしれない。
『大丈夫だよ、度流くんのことは、私が守るからね』
 記憶の中の優音かのじょはいつもそう言ってくれた。けれど今、彼女はいない。
 度流が途方に暮れているのを感じ取ってか、日翔が度流の肩を気軽にぽんぽんと叩き、懐から出したメモを渡す。見ると、それは住所と連絡先のようだった。
「これ、俺の連絡先と住所。まあ、俺の世話になんかならない方がいいだろうけど、顔見知りが死ぬかもしれないってのに、何もしないのは気分悪いしな。何かあったら来るなり、連絡するなりしろよ。んじゃ」
「うん、ありがとう、天辻くん」
 日翔の言葉に少しの安堵を覚えながら、去っていく彼の姿を見送った。
 ――くららへの疑惑を度流の心に淀ませながら。

 

to be continued……

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おまけ

 

 


 

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