世界樹の妖精 第4章

by:蒼井 刹那   

  第4章 かつてとの触れ合い

 

 ――匠海。
 懐かしい、声。
 振り返ると、そこには一つの人影が。
 その人影が、もう一度自分の名を呼ぶ。
 形のいい唇が自分を誘う。
 思わず手を伸ばし、一歩踏み出す。
 一歩。もう一歩。
 だが、いくら進んでも人影のもとにたどり着けない。
 名前を呼ぶ。●●、と。
 それでも距離は縮まらない。
 いや、距離は確実に縮まっているだろう。
 しかし踏み出す一歩が重く、粘度のある液体をかき分けているようで、距離を縮めることができない。
 少しずつ、ほんの少しずつ距離を縮め、もう一度手を伸ばす。
 手が、触れるその瞬間。
 人影が弾けた。
 赤黒い雨が肌を濡らす。
 人影が立っていたところを中心に、赤黒い水たまりが広がる。
 もう一度、人影の名を叫び――

 

「!!」
 がばり、と上体を起こし、覚醒する。
 恐る恐る右の手のひらを眺め、それからその手で顔を覆う。
「……夢か」
 嫌な夢を見た。だが、同時に懐かしさも感じる。
 夢で叫んだその名を口にしようとして、匠海は首を振った。
「……そんなことをしてあいつが還ってくるものか」
 時計を見て、アラームが鳴る数分前であることを確認し、ベッドから降りる。シャワーを浴びて出勤の準備をするかと考えてから。
「……あ」
 仕事に行く必要はなかった。休日とか祭日とかそういうものではない。
 とはいえ、二度寝する気にもなれず匠海はしばし考え、TVのリモコンを手に取った。

 

『永瀬 匠海に1週間の謹慎を命ずる』
 その命令書が届いたのは3日前。あの緊急排除モード展開騒ぎの処分が決定したわけだが、1週間とは長いのか短いのか。
「ま、仕事をしなくていい分楽ができる」
 気遣う仲間にそう告げ、帰宅した匠海だったが。
「……世界樹内じゃないとあいつには会えないんだよな」
 無線接続でも可能とはいえ、妖精は世界樹内でのみ活動できる存在だった。謹慎を言い渡され、世界樹へのアクセスを禁止された今、妖精に会うことは「不可能」だろう。
 しかし。
裏口バックドアはあるんだよなあ……」
 世界樹の管理エリアに侵入するための裏口は存在する。それも複数。
 発見次第運営は監視官に削除するよう要請し、監視官はその指示に従うが実のところ監視官が監視するうえでも便利なものなので「運営が」発見したものだけは削除され、それ以外のものは放置されていたりする。
 当然、それを狙ったハッカーも多数存在するが最初からある裏口を利用する人間は監視官の間では程度が低い、と酷評される。本当に腕がいいハッカーなら既存の裏口に少し細工をして侵入するか裏口自体を新たに作り出して侵入する。
 とはいったものの今すぐ妖精に会って確認しなければいけないことがあるわけでもなく、数日くらいは放っておいても構わないだろう。もし、確認したいことができた場合は裏口を開きIDを偽造して接触すればいい。
 それよりも今やらなければいけないことはインプラントチップに干渉し、脳内のナノマシンを暴走させるウィルスの追跡だ。どこでインプラントチップとナノマシンのことを知ったのか探る必要がある。
 あの日、仲間にウィルスを送り込んだ侵入者は特定できている。現在どの拘置所に収容されているかまで特定はできていたが、面会する気にはない。面会したところで真実を話すとは限らないし何らかの交換条件を持ち出してくる可能性が非常に高い。それに、匠海は魔術師マジシャンだった。魔術師なら魔術師らしく己の技量で真実を暴くべきだ。
 まずは、と匠海は普段使用しているものとは別のオーグギアを手に取り、装着した。ID偽造はもちろんのこと、ダウンロードしたものから自作したものまで各種ハッキングツールをインストールした法スレスレどころか真っ黒な違法オーグギア、様々な嘘情報やウィルスが飛び交う『第二層』を泳ぐにはこれでも十分と言えるかどうか。
 一般人なら存在を知らない、迷い込んだとしても対策していなければ即座にオーグギアに致命的なエラーを吐かせるウィルスに感染してしまうようなネットワークの『第二層』。そこには昔ながらのコンピュータ時代から根付く様々な情報が眠っている。例えば夜のおかず、核爆弾の作り方、果ては最新の再生医療のノウハウの一部まで。もしかすると、インプラントチップに関しての情報もリークされているかもしれない。
 しかし、ストレートに「インプラントチップ ウィルス」などと検索すればその検索キーワードがインプラントチップのリーク情報になってしまう可能性もある。ここはよく考えて。
「……」
 やばい、すっとキーワードが浮かんでこない。「オーグギア ウィルス 脳にダメージ」で検索してもインプラントチップにたどり着けるかどうか。
 いや、逆にたどり着けるかもしれない。もしインプラントチップの情報がリークされているのなら、このキーワードでもあいまい検索で引っかかる可能性がある。
「検索。キーワード『オーグギア』『ウィルス』『脳にダメージ』」
 音声入力の後、目の前に検索結果が浮かび上がる。
 大半は「オーグギアを多用することによる脳への負担」に関する警鐘ニュースやそれに対するユーザーの反論、ずいぶん昔にあった掲示板のスレッドのようなやり取りだったが根気よくページをめくるといくつか気になる情報も出てきた。
「……『オーグギアは反応速度が遅いと言われているが、それを改善する技術が開発されているらしい。ソースは俺』」
 はっきりとインプラントチップだと言及はされていないがこれは情報漏洩以外の何物でもないだろう。開発者が開発環境の悪さにぼやいたのか、それとも開発者の知り合いが代理で発言したのか。
 気になるので、とりあえず読み進めてみる。
 内容としては、オーグギアの反応速度を上げるために脳にインプラントチップを埋め込み、ナノマシンを注入することでタイムラグを格段に減らすことができるらしい、というものだった。それに対してのユーザーの反論が、
「インプラントチップにウィルス仕込まれたら脳に影響するんだろ? コンピュータウィルスの人間感染 キタ――(゚∀゚)――!!」
「そもそも脳にインプラントチップを埋め込むって、それなりに大規模な手術になるんじゃないのか?」
「インプラントチップを埋め込んでも適応できない体質の人間とか出てきそう」
 一つ目以外は割とどうでもいい反論だった。
 逆に言うと、一つ目はかなり的を射ている発言ではないだろうか。
 それよりも、最初の言及で情報漏洩と思ったが蓋を開けると完全にインプラントチップと言及されておりよくこのスレッド消されなかったな、いやむしろ魚拓を取られたりまとめブログが作られたりして逆に信憑性を高めることになるから消せなかったのか、と考える。
 とはいえ、インプラントチップの言及がされているためこれで検索はしやすくなった。いくつかの単語の組み合わせを変えながら、検索を続ける。
 さすがに、機密情報なのでそう簡単に見つかるものではない。いくら調べてもインプラントチップが開発されているらしい、という噂止まりだった。
 ここまで来て、確信する。
 インプラントチップを攻撃するウィルスは開発者か、自分と同じくインプラントチップを埋め込んだ人間、つまりそれなりの立場にいる存在だということ。匠海も自分のインプラントチップを解析逆アセンブルして「自衛用に」ウィルスを作っているから分かる。
 そこまでしている人間はそうそういないであろうが悪意を持って他人に使うためにウィルスを作る人間がいないとは言い切れない。あの侵入者が逃げるための撒き菱としてウィルスを投じたのか、それとも悪意を持って投じたのかは本人に聞かねば分からない。が、聞いたところで仲間が復帰できるわけでもなく、重要かといえばそうでもない。自身のインプラントチップを改造して反応速度をさらに上げていることを考えるとウィルスを作ったのも本人で間違いないだろう。
 先ほどの検索が無駄になった結果ではあるが、あのようなウィルスが出回っていないかそうでないかを確認する必要は一応ある。それにインプラントトップの改造を他人に任せていたとすればこんな面白い話題、『第二層』に流れないはずがない。確かにリーク情報はあったが、あの程度のリークはインプラントチップの改造に関わった人間が書いたとは思えない。自分が関わるなら、『第二層』に書き込むなら「インプラントチップは云々、改造すればARMMOとかで有利になれるかもな」くらいは添えておく。
 最近のARMMOのゲームは多岐にわたり、街中の決められた場所に現れるARモンスターをAR武器で倒していくアクションRPGをはじめとして市場がかなり加熱しているため投資家の間でも人気の銘柄ぞろいである、らしい。
 匠海も仲間に誘われていくつかのARMMOのゲームに参加したが、かなりハードな動きを求められ長続きしなかったという実績を持っている。もちろん、世界樹での監視も全身を使うものなので体力はそれなりにある方だが、それとこれとは別問題、なのだろう。
 とにかく、ウィルスの件に関してはあの侵入者の独自開発ということで確定してしまってもいいだろう。
 オーグギアを普段用のものに交換し、匠海は立ち上がった。
 時計を見る。時間は昼を過ぎたところ。
 何故、このタイミングで謹慎が入ったかとも思うがちょうどよかったのかもしれない。
 行くか、と上着を羽織り、匠海は外に出た。

 

 外は通り雨が過ぎたのか、アスファルトがしっとりと湿った状態だった。
 駅まで歩き、電車に乗る。
 オーグギアの普及により、電車に乗るのも昔のように切符を買うかチャージしたICカードを自動改札にタッチする、といった面倒な手続きは必要ない。改札を通るとAR表示で電子マネーの残金が表示され、駅を出るとそこから運賃が差し引かれる。
 匠海が降りた駅は都会から外れた、少し懐かしい感じのする郊外にあるものだった。
 駅前にある商店街の花屋で小さな花束を購入してからバスに乗り、暫く移動する。
 到着したのはとある寺。その裏手にある墓地に、用があった。
 とある墓の前に立ち、匠海は大きく息を吐いた。
「……来たぞ」
 低く、呟く。
「……何回来ても、慣れないものだな」
 そう言ってから手にしていた花束を置く。
「もう、3年か」
 あっという間に過ぎた3年だった。
「……おや」
 不意に、後ろから声が掛けられる。
 振り返ると、そこに立っていたのは墓地を管理している寺の住職。
「よくいらしてくださいました」
「……命日ですから」
 住職に軽く会釈してそう応える。
「ご家族の方は去年までは何度かお見掛けしましたが、今年に入ってからは一度も。故人も、寂しがっているでしょうね……」
 そうですか、と返答してから墓に向き直る。
「事故、なのは俺も目撃したし周りの状況からもそうだと言わざるを得ないがやっぱり納得できません」
 3年前の今日。
 匠海は、かけがえのない存在を喪った。
 それは同時に、彼を世界樹へと誘うものとなった。
「……あれは本当に事故だったんだろうか」
 それではごゆっくり、と住職が立ち去ってから、匠海が呟く。
 世界樹の監視官となって3年。監視する片手間に色々調べたが、あらゆるログがあれは不幸な事故だったのだと告げてくる。
 あれは本当に事故だったのか。
 あの日、仲良く歩道を歩いていたらとあるWEBショッピングサイト直営の配送トラックが暴走し、突っ込んできた。
 その際に、わずかに早く対応できたのが彼女だった。
 咄嗟に匠海を突き飛ばし、彼女は。
 配送トラックは安全と人員削減のために完全自動化されたAI運転によるものだった。それが暴走するということは確かに導入直後数件あった。だがここ数年はAIも安定し、安全だと宣言されていたはずだった。
 だから、匠海はおかしいと思ったのだ。誰か、悪意を持つ魔術師マジシャンがAIを乗っ取り、暴走させたのではないかと。
 そこで配送トラックの運行ログの開示を求めたが、それは聞き遂げられず。
 元々大手企業のシステム管理を行うだけでなくオーグギアを使い、企業のサーバに見立てたダミーサーバをチームに分かれて攻撃し合うスポーツハッキングが好きだった匠海は行動に移すことにした。
 世界樹のハッキングである。
 全世界のネットワークインフラの中心ともいえる世界樹への侵入は困難を極める。
 スポーツハッキングに飽き足りないハッカーは皆世界樹を目指す、とも言われいた。
「世界樹を攻める」、そう宣言した匠海にハッキングチームの仲間はああ、飽き足りなくなったのだな、と判断した。
 実際は違う。ショッピングサイトのサーバに運行ログがなく、システムを調べた結果世界樹に保存されていると知ったからだった。
 しかし世界樹のネットワークセキュリティはあまりにも強固だった。匠海一人の力では突破することは難しかったかもしれない。
 彼が世界樹のセキュリティを破ることができたのは、彼女のおかげだった。
 彼女が遺したオーグギア、事故で彼女の肉体は大きく損傷したがオーグギアは奇跡的にも無傷だった。
 形見として受け取ったそのオーグギアのストレージに遺されていたもの。
 それは数々の彼女お手製のハッキングツールとソースコードだった。それと、一本のビデオメッセージ。
 ハッキングの腕前は匠海以上だった彼女の置き土産を、彼は必死で解析した。
 彼女のハッキングツールをそのまま使うこともできた。だがそれでは彼女に寄生することになってしまう。確かに最近のハッキングは元からあるツールを駆使して進めていく、ということが主流になり、ツールを改造、さらには一から開発ということ自体少なくなっている。しかし彼女はそれを望んでいない、と匠海は解析し、改良し、そして世界樹に挑んだ。
 世界樹の最深部に到達し、フラグを残すことに成功した彼は思惑通り世界樹の監視官として任命されることになった。
 侵入者としてデータベースから目的のデータを閲覧するだけでも良かったかもしれなかったが、データのコピー中などに発見された場合のリスクを考えると、監視官として任命され、監視するふりをしてデータを閲覧した方がはるかに安全だった。
 彼女が事故死してわずか数か月後のことである。
 ちなみに、世界樹の最深部に残したフラグは彼女が遺したビデオメッセージの一部だった。ほんの数秒、トリミングしただけの、匠海をすぐに特定できるフラグ。
「……駄目だな、俺としたことが」
 そこまで思い返してから、匠海は頭を掻きながら呟いた。
 ここに来るといつもそうだ。世界樹にハッキングを仕掛けたころのことをありありと思い出してしまう。
 それは今までの調査結果の報告を墓前でしてしまうからか。
「……お前に突っ込んだトラックの運行ログの解析は巧妙に偽装されていた、というところで止まっている。偽装の痕跡もよほどの魔術師じゃないと分からないものだし誰がそんなことをしたか、なんてとても」
 彼女と付き合っているときは「ああ、俺より上の人間なんてごまんといるんだな」程度の認識だった。スポーツハッキングも勝利することは目標にしていても頂点に立つ、というビジョンが視えていなかった。
 それが、彼女が死んで、世界樹を目指すようになり、初めて「乗り越えてやる」という意思が芽生えた。
 あの、巧妙に偽装された運行ログももっと上を目指すことができれば完全に解析できるのではないだろうか。そう思いつつずるずると月日は過ぎていたが、匠海は諦めていなかった。必ず、解析する、と。
「……そういえばな、世界樹は今無差別戦争状態になっている。妖精が急に現れてな、そいつを巡っての監視官対魔術師の対決だよ」
 その妖精が、何故か俺になついていてな、とぼやき、それから何か思いついたような顔をする。
「なんだろう、妖精といるとなんか懐かしい感じがして気になったんだが、お前に似ているのかな」
 今まで全く意識していなかった。
 よく考えると、彼女に似ているのではないだろうか。
 見た目はそこまで似ているわけではない。それでも、言動から若干の懐かしさを感じる。
 そこまで考えてから、匠海は妖精と出会ってから今まで妖精のことを何一つ知ろうとしていなかったことに気が付いた。
 いきなり自分の前に現れて、何故かなつかれて、それでもただ仕事を増やした張本人程度の認識しか持っていなかった。
 たかがAI、懐かしさも感じるが最近のAIは自己学習で相手に合わせた言動が取れるのだろうとしか考えていなかった。
 よく考えれば何故妖精なのか、何故ハッカーたちは妖精を目的とするのか、そんなことを調べることすらしていなかった。
「……妖精のこと、何も知ろうとはしていなかったな。一体どういう存在なのか、どうして俺になついているのか、それだけでも真っ先に知るべきだった」
 そう呟いて、改めて墓石を見る。
『ダメだよ、匠海』
 そんな声が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。
 それでも、久しぶりに彼女の声を聞いた気になり、少し心が軽くなる。
「……ありがとう、また来る」
 来た時とは違い、少し晴れた顔で匠海はそう言い、墓地を後にした。

 

 帰ってから、匠海はクラウドストレージにある動画ファイルをいくつか開いていた。
 命日だからか、普段はあまり思い出さないようにしていた彼女の記憶が次々と蘇り、久しぶりに映像とはいえ動いて喋る彼女に会いたくなったのだ。
 オーグギアが普及してから、ドライブレコーダーのように普段の何気ない生活も簡単に動画に収めることができるようになった。
 特別な日の思い出でなくてもいい、普段の彼女を見たかった。
 今再生しているのは、料理中の彼女の後ろ姿。
 その日の食卓に並ぶ予定のコロッケに手が延ばされるのは、匠海がつまみ食いをしようとしたからだ。
『ダメだよ、匠海』
 その声と共に、視界がコロッケから彼女に移される。
 匠海に背中を見せていたはずの彼女がいつの間にかこちらを向いている。
『つまみ食いは許しません』
 ああ、そうだ。
 墓地で聞いた気がしたあの言葉は、彼女がよく口にしていた言葉だった。
 匠海がちょっと悪戯をしようとした、それ以外にもやってはいけないことをやろうとしたとき、彼女は必ずこの言葉を口にしていた。
 そして、この言葉の後には必ず、
『わたし、信じてるから』
 と、彼女はついつい許してしまうのだった。
 懐かしいな、こんなこともあったな、と思い出に浸る。
『しかし、お前がコロッケを作るのは久しぶりだよな』
『だって腹が減っては戦はできぬって言うじゃない』
 映像の続きは少々不穏な展開になっていた。
 そうだ、思い出した。
 この時、彼女はとある場所にハッキングを仕掛けるとか言っていたような。
 それを、匠海は止めようと、いや同行しようとしていたはずだ。
『いくらお前のハッキングの腕が俺よりも上とはいえ、ちょっと危険じゃないか? 何だったら俺も』
『何言ってるの匠海、匠海のハッキングの腕は認めてるけど、ここは単独で侵入した方が安全なの』
 だが、と匠海が言い返そうとすると、彼女は彼の鼻先に人差し指をずい、っと突き付けた。
『戦争だよ、匠海』
 いつになく真剣なまなざしで、彼女がそう言った。
『これは戦争なの。わたしとあの企業の。そこに匠海が割り込む余地はないの。それに、無理に割り込めば、わたしより匠海が危険にさらされる』
 戦争。その言葉を、彼女は重要なハッキングの際にそう使っていた。
 だが、なぜか違和感を覚える。
 彼女の言葉を、彼女の声ではないが最近、どこかで聞いたような。
 妖精だ、と少し考えてから匠海は思い出した。
 匠海の記憶が正しければ、妖精は自分を巡るハッカーとの攻防を『戦争』と呼称していた。『戦争』というものが一般人の常識に残っていない今、この言葉を使うのはごく限られた人間だけだ。
 偶然かもしれない。だが、彼女と妖精に何らかの関係性があるのではないかと思ってしまう。
 そこまで思うと、今度は妖精のことが気になってきた。
 彼女の墓前で妖精のことを何一つ知ろうとしていなかったと告白したばかりだ。
 彼女の思い出に浸るのもいいが、今はもういない彼女、それだけでは何も生み出さない。
 少し妖精のことを調べてみるか。
 開発者が誰か、聞いてみるだけでもいい。
 なんとなくだが、開発者に心当たりがないわけでもない。
 いくら謹慎期間が1週間でもそれだけ放置していればきっと妖精も暇をしているに違いない。AIに暇という概念があるかどうかは疑問だが。
『第二層』を少しうろついたとはいえまともにハッキングをしていないと腕が鈍るというもの、ここはひとつ世界樹にハッキングを仕掛けて妖精を構いに行くか。
 そう思い立ち、匠海は再生していた動画を停止した。

 

 IDを偽装したハッキング用のオーグギアを装着、起動する。
 アクセス先は世界樹、ただしその前に複数の見ず知らずの人間のオーグギアとサーバを経由させる。
 アクセスが完了したら即座に世界樹のネットワークを可視化し、ついでに他の監視官の巡回経路も可視化させる。
 その上で匠海は自分の割り当てエリアに侵入、妖精を探す。
 妖精の姿はすぐに見つかった。
 暇そうに匠海が普段使うツールに腰かけ、足をぶらぶらさせている。
 ログが残らないように細工を仕掛け、一時的にIDとアバターを巡回用に切り替える。
 匠海を見た瞬間、妖精は驚いたような顔をした。
 謹慎はまだ解けていないのである。それなのに自分の前に現れるとは思っていなかった。しかも非合法な方法でアクセスして。
『タクミ?』
「ああ、あまり騒ぐなよ。世界樹にハッキングしかけてるんだからな」
『なんで。あと数日すれば謹慎解けるんじゃないの?』
 まあな、と匠海が頷く。
「だが、お前が暇をしていると思ってな、構いに来た」
『暇人ねー……謹慎ってそういうものなの?』
「暇人言うな。まあ、暇じゃないと言えば嘘になるが」
 妖精の出自など、謹慎が解けてから改めて調べればいい。
 だがそれでバレれば懲戒解雇もあり得る。
 勿論、今のハッキングがバレても同じ結果、いや、もっとひどい懲罰が待っているかもしれない。
『ふーん……タクミがハッキングしてでもわたしに構いに来るなんて』
「単なる腕慣らしだ」
『なーんだ、世界樹でわたしを巡った戦争の展開が気になったのかなって思ったのに』
 そんな妖精の反応に、どきりとする。
 今までは全く意識していなかったはずなのに、どうして。
 彼女の墓参りで似ているかもしれない、と認識してしまったからか。
 彼女が重要な時に口にしていた『戦争』という言葉を妖精が口にしたからか。
 とは思ったが今はそんなことはどうでもいい。
 妖精がまだハッカーに捕獲されていない、世界樹も無事であるというなら安心した。
 いや、今は匠海もハッカー側の立場だからここで妖精を捕獲すればどうなるのだろうか。
 ふとそんなことを考えるがそれは多分フェアではないのでやめておく。
 匠海がここに来たのは、ただの腕慣らしだ。そのついでに妖精をちょっと構ってやればいいと思っただけだ。
 なので、少しだけ話をする。
「いや、お前と出会ってそこそこ時間がたつがお前のことを全然知ろうとしていなかったなと思って」
『気づくのが遅いよ』
 ぷくー、と妖精が頬を膨らませる。
『といってもわたしから自分のことをペラペラ喋ることもできないし、そもそもわたしって自分がどういう存在かもよく分かってないし』
「詳しく知りたければハッキングで暴けってことか?」
『多分ね』
 そうか、と匠海は納得した。
 そもそも何者かがハッカーたちに「妖精を捕まえる事こそが我々人類の勝利条件、腕に覚えのあるもの、立ち上がるのだ」と宣言しているのだ。全ては捕まえた人物のもの、ということだろう。
 それでも、開示されている情報はあるはずだ。
 今はそんなに時間がないため多くは聞けないが、一つだけ、聞いておこうと思う。
「あまり喋れないとは言ったが、開発者の名前を聞くくらいはいいか?」
『へえ、パパのことが気になるんだ』
「茶化すな」
 そう、匠海が返したことで妖精はただならぬ雰囲気を感じたらしい。
 これは何か重要なことだ、と判断したのだろう。妖精が開発者の名前を口にする。
『普段はパパと呼べって言われて名前は聞いてないけど周りから日和ひよりさんって呼ばれてた』
「日和? 日和博士ってことか……」
 匠海が記憶のページをめくる。しかし、そんな苗字の人間はいなかった。
 なんとなく当てが外れてしまった気分になる。
 ここで自分が予想していた人物に行き当ってしまってもどうすればいいか分からないが、それでも何かにかするくらいはしてもらいたかった。
 結局、妖精が彼女に似ているような気がするのはただの気のせいだったのか。
『戦争』というキーワードはただの偶然だったのか。
 肩を落としかけた匠海に、妖精が声をかける。
『予想が外れた顔してる』
「そりゃあなあ……」
 お前のことを知りたくて開発者を聞いたが、もしかしたらと思った人物じゃなくてな、なんか振出しに戻った気分だと素直に伝える。
『なるほど……』
 妖精が納得したように頷き、それから続ける。
『タクミの、わたしを知りたいという気持ちに応えられなかったかー……やっぱり、わたしを知るならわたしの本体ファイルを見つけ出してデータを暴くってことなんだね』
「だろうな」
 そろそろ戻るか偽装を更新しないと仲間の巡回に引っかかる。
 妖精は世界樹内にしか出現できないことを考えれば当然本体ファイルもその中だろう。戦争の火種となっているくらいだからどんな監視官でも管轄内に怪しげなファイルがあればすぐに気づくはず。少なくとも匠海の管轄内にはそれらしきものはなかった。だから、あるとすれば監視官でも入ることのできない世界樹の中枢部分ではないだろうか。
 どうする、世界樹の中枢へ侵入するか。
 匠海に、一つの選択肢が提示されていた。

 

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