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鏡の夜を超えて 第1章

by:蒼井 刹那 

 目の前に、扉が見える。
 現実に存在する扉ではない。プログラムによって可視化された、セキュリティの裏を突くための 裏口(バックドア) 。
「今ならまだ戻れるぞ」、と自身の心が囁く。
 ここで手を引けば、安穏とした今まで通りの生活を送ることができるのだぞ、と。
「……いや、」
 男は自身の甘い囁きを振り切るように首を振った。
「俺は、あいつのいない世界で、のうのうと生きていくわけにはいかない」
 全てを知る権利があるから。
 巧妙に隠蔽された事実を暴く必要があるから。
 たとえそれが己の身を滅ぼすことになっても構わない、と男は手を伸ばした。
 ここはメガサーバ『世界樹ユグドラシル』の麓。世界のネットワークインフラを支える、まさにネットワーク世界の世界樹。
 許された管理者しかアクセスできないと言われる強固なセキュリティに守られたその領域に、男は挑もうとしていた。
 目的はただ一つ、真実の解明。
 あれはただの事故ではない、隠蔽された事件なのだと、男の勘がそう告げていた。
 だから男は挑む。世界最難関のセキュリティに。勝ち目のない戦いに。
 だが男には勝算があった。
 たとえ最難関のセキュリティであったとしても、ヒトが作り出したものなら突破口も裏口もあると。
 男の手が扉に触れる。
「さあ、戦争の始まりだ」
 戦争、今の世界では失われた言葉。
 失われたと思われているが根強く残っている言葉。
 そして、
「これは俺とお前の、世界に対する戦争だ、和美かずみ
 今はもういない、パートナーに。
 その力を借りるかのように。
 男は、世界樹に侵入ダイブした。

 

第1章 出会い

 ――もし、雨が降っていたら。
 そんなくだらないことを考えていたらぽつり、と雨粒が降りかかってきた。
 ぽつり、ぽつり、ザーザーと雨脚はあっという間に強まり、痛み熱を持つ身体を冷やすかのように熱を奪っていく。
 ――いやマジであいつらやり過ぎなんですが。オーバーキルにも程があるだろ。
 数刻前の出来事を思い出す。
 最近話題のAR対戦ゲーム、その野良マッチで見知らぬ挑戦者に挑まれ返り討ちにしたら「お前のその動きチートだろ! ふざけんな !! 」と取り巻きと結託され暴行を受けたのだ。
 最近、あのゲームユーザー層の治安が悪くなってきたからな、そろそろ引退考えたほうがいいか? などと考えつつも彼は身じろぎして上半身を起こした。
 ご丁寧にもあのチンピラ風情は近くの路地裏に引き摺り込んで殴る蹴るの好き放題を働いてくれた。自力で大通りに出なければ誰も助けてはくれないだろう。
 身体はひどく痛むし多少の出血もあるが骨や内臓、頭に問題はなさそうだ、と判断した彼は上半身を起こしたところでふと違和感を覚えた。
 ――雨がかからない。
 つい先ほどまでひどく降られたし、まだ周りは雨音が大通りの喧騒とハーモニーを奏でている。それなのに、自分には水滴が落ちてこない。
 そこまで認識してから、彼は頭上を見上げた。
 目の覚めるような蒼。
 青空が、そこにあった。
「これはひどくやられたわね。立てる?」
 青空を思わせる鮮やかなブルーの雨傘が、差し伸べられていた。

「……あ、ああ……」
 傘の向こうに見える、雨に濡れた女性の顔に我に返り、彼が慌てて立ち上がる。
「いてて……」
「パッと見た感じ骨に異常はなさそうね。ついてきて、手当してあげる」
 とりあえずこれで血を拭いて、と差し出されたハンカチを反射的に受け取り、彼は女性の顔を見た。
 整った目鼻立ち、濃すぎず薄すぎない上品なメイク。
 美人の部類であることは容易に判断できた。
 なんで俺を、と思いつつも手当してもらえるなら助かる、と彼はハンカチで口元の血を拭い、
「あ……すまない、汚してしまった」
 シンプルなパステルブルーのハンカチについた血を手の中に隠すように謝罪した。
「気にしないで、どうせ百均の安物よ」
 傘はない? それなら相合傘で構わないわね? と女性は自分が濡れるのも構わず彼に傘を傾ける。
「いやあんたが濡れているだろ、俺にはお構いなく」
 そういえば天気予報で雨が降ると言われていたな、ちょっとコンビニで買い物してすぐに帰るつもりだったのにうっかり対戦してしまったんだった、そう彼は反省した。
 女性の傘には入らず、隣に並んで彼女に追従する。
 手当してくれるとはこの女性は近くに住んでいるのか、むしろ俺の方が近所のはずだが、という思いとこんな美人とお近づきになるなら多少遠くてもいいか、という下心が彼の中でせめぎ合う。
 しかし女性の足取りは迷うことなく彼を彼がよく知る場所へと誘った。
「え、」
 その部屋のドアを前にして彼が思わず声を上げる。
 表札に書かれた家主の名前は「永瀬ながせ 匠海たくみ」――彼のものだった。
「あんた、なんで俺の家を」
 傘を閉じて水滴を払う女性に問いかけた彼の声はわずかに乾いていた。
 あら、と女性が傘を広がらないように留めてから答える。
「貴方のオーグギア、セキュリティがガバガバだったから所有者情報からここを突き止めるのは簡単だったわよ」
 そのときになって、匠海は初めて女性がオーグギアの性能を上げる外部デバイスブースターを装着していることに気が付いた。
 これを装着している人間はよほどのゲーマーかハッカーくらいのものである。
 とにかく中に入って、手当てできないと女性が片手を挙げて玄関の自動ロックに触れる。
 ピッ、と電子音が響きロックが解除される。
「あんた……」
 ハッカーマジシャンなのかという言葉を飲み込み、彼――匠海が女性を見る。
 魔術師マジシャン――視界にAR情報を投影するウェアラブルデバイス『オーグギア』を用いて電子機器に侵入するハッカーの総称。
 かつての情報端末PCと違い、より感覚的に、直感的に操作できることからハッキングがeスポーツの一種となっているこの時代にわざわざ違法な一般端末侵入を行う人間がいて、しかも自分の目の前でその腕を披露してくれるという経験はこの世広しといえどもそうそうないぞ、と匠海は驚きを隠せなかった。
 彼のその様子に女性があちゃー、やっちゃった、と舌をペロリと出す。
「ごめんね、わたし本職はプロプレイヤースポーツハッカーだから侵入は得意なの。でも事情が事情とはいえこれは違法だから内密に、ね?」
 彼女が人差し指を立て、自分の唇に当ててから匠海の唇に触れる。
 殴られて腫れあがっているため痛むはずのその行為だったが、感覚が麻痺してしまったように彼は痛みを感じなかった。
 彼の心臓がドクン、と高鳴る。
(やばいやばいやばいやばい落ち着け落ち着け匠海、これは逆ナンとかじゃなくてただ俺を落ち着かせようとしているだけであってだな)
 自分にそう言い聞かせ、匠海は平静を取り繕いドアノブに手をかけた。
「心拍上がってるわよ。落ち着きなさい」
 そう言い、女性はさっさと匠海の部屋に踏み込む。
「救急箱どこ? 元気があるなら先にシャワーを浴びて汚れを落とすことをお勧めするわ」
「あ、ああ……」
 救急箱の位置を説明して、匠海はタオルを手に取った。
 シャワールームへ歩みを進めて、そして、
「部屋のものにアクセスするなよ? 絶対にだぞ?」
「それ、『アクセスしてください』という意思表示でいいかしら?」
 匠海は本気で言ったつもりだったが、女性には古典的ギャグという認識だったらしい。
「ギャグじゃねーよ本気だよ!」
「やっぱり深夜のオカズのせいへ……」
「それ以上言ってはいけない!」
 逆にどっと疲れが出てくる。匠海はこれ以上は付き合ってられん、さっさとシャワーを浴びて手当をしてもらおう、助けてくれたのは感謝するがそれ以上は何も考えてはいけない、と女性に対する印象を更新した。
 最悪ではないがそれに近い。
 助けてくれたことには感謝する、匠海はそれは認めていた。しかしそれ以外のネジが外れすぎている。
 ―それでも、嫌いにはなれないんだよな。
 彼女に対する率直な思い。
 目の前で匠海のオーグギアと玄関をハッキングするわ下世話な話題に踏み込むわで印象は悪くなったがそれでもどこか惹かれるものがある。
 それが何なのかは匠海には分からなかったがそれでもこの女性をぞんざいに扱ってはいけない、敬意を持つべきだという意識だけはあった。
「あつつ……」
 全身擦り傷だらけなのにうっかり熱めのシャワーにかかってしまい、声が出て浴室の外から女性の何やらからかうような台詞が飛んできた気がするがそれには構わず匠海はタオルを洗濯機に放り込んでいつものようにリビングに戻った。
「……」
「……」
 何故か沈黙が辺りを支配する。
 先に口を開いたのは女性の方だった。
「……せめて、タオルくらい巻いて」
 ボンッ、と匠海の顔が真っ赤になる。
「キャーーーーーーーー!!!!」
 絶叫し、匠海がタオルタオルと探すが手近な場所にタオルがない。
 バタバタと部屋を走り回り着替えをかき集め部屋着を身にまとい彼は寝室に閉じこもった。
「ちょっと、手当てできないでしょ」
「うぅ……おムコに行けない……」
「そんな貧相なモノじゃないでしょ……実物見たの初めてだけど」
 何やら聞こえてきた気がしないでもないが匠海はそれどころではない。
 どうして初対面の、よりによって女性にさらけ出してしまったんだ。癖とは恐ろしい、と彼は絶望のあまりブランケットにくるまってすすり泣いていた。
 そのブランケットを容赦なく引き剥がし、女性はベッドの縁にどん、と救急箱を置いてその隣に腰掛けた。
「大丈夫そうだけど手当てするから。腕出して」
 半ば強引に匠海の腕を掴み、女性は消毒液を染み込ませた綿球をピンセットでつまんで手当を始めた。
「ってぇ!」
 消毒液が傷に染みる。匠海が思わず叫ぶ。と、女性が「大袈裟ねぇ」などと嘯くが黙れお前わざと強く押し付けてるだろと彼は思わざるを得なかった。
 ―絶対、この女は俺で遊んでやがる。見てろよ後で吠え面かかせてやる。
 そんなことを思いつつ、匠海は手当を受け、女性がサージカルテープを丁寧に切るところを眺めていた。
「はい、終わり」
 しばらくの沈黙ののち、手当てが終わる。
 女性が匠海の肩をぽん、と叩き、立ち上がった。
「あ、ああ……助かった」
 チンピラにボコボコにされてから、まさか助けてもらえるとは匠海は微塵も思っていなかったため(多少のトラブルはあったものの)女性の手助けは本当にありがたかった。
 本来なら名前や住所を聞いて後日お礼しなければいけないところだろうが相手は変なところがあるが女性、勘違いされたくない。
 そう考えてしまうと彼はどうしても何も言えなかった。
 女性は立ち上がったものの部屋を出るそぶりを見せることも「それじゃ」と言うこともなくベッドに腰掛けた匠海を見下ろしている。
 なんだ、何を待ってるんだ? と匠海が疑問を覚えた時、女性は口を開いた。
「それで、落ち着いた? 本題に入っていい?」
 彼女の口調は先ほどまでの茶化すようなものとは打って変わって落ち着き払っていた。
 本題? と匠海が尋ねる。
 ―この女性は、何か目的があって自分に近づいてきたのか? それとも……
「待て、俺は金そんなに持ってないぞ! 臓器売買も違法だろ! まさかあんたプロプレイヤーとか言いながら実は裏社会で生きてるマフィアか?」
 思わず叫んでしまったが匠海はこの時ほど命の危険を感じたことはない、と思った。
 困っているところを手助けして高額な謝礼を要求する詐欺だか恐喝だかも最近多い。
 チンピラにボコられた匠海は格好の獲物だろうしむしろ女性がけしかけた可能性も今なら考えられる。
 ―ああ、人生終わったな。
 人生とは、斯くも儚きものなりや。そんな言葉が匠海の脳裏をよぎる。
 が。
 女性は腰に両手を置いて盛大にため息をついた。
「言うに事欠いてそれ? なによわたし別にお金に困ってないわよ。それにそんな詐欺まがいの本題じゃないわ、ちょっと貴方に興味があるの」
「だから命ばかりは……って?」
 ベッドの上で土下座する勢いで命乞いを始めようとした匠海の動きが止まる。
「興味? 俺に?」
 ええ、と女性が頷く。
「貴方、ARプロゲーマー?」
「? いや? 普通の会社員サラリーマンだが」
 最近は会社員と言ってもオフィスに出勤して勤務する会社はあまりない。一部業種を除いて基本的に在宅勤務、必要に応じて出勤するという勤務体制が主流である。通勤時間がもったいない、やオーグギアの普及、それを支える世界樹ネットワークインフラの成長が不自由ない在宅勤務を可能としていた。
 今回の匠海はたまたま休日だったが勤務時間中も自分のタスクに支障がなければ割と自由にコンビニに散歩に行くことは許されている。
 しかし、女性はなぜ彼をARプロゲーマーかと尋ねたのか。
 その心当たりを探り、匠海はあっと声を上げた。
「まさか」
「全部見ていたわ。『フォーチュン・バスター』で圧倒的人権キャラと言われるイクリプスを特に強みもない凡キャラ、ニャミィであそこまで徹底的にボコボコにするのを見るのは初めてなんだけど」
 なんということだ。あのプレイを、女性は見ていたというのか。
「貴方、あのコンボは初めて?」
 いや、と匠海は否定した。
 女性の言う「あのコンボ」とは恐らく彼がボコられるきっかけとなったチート扱いの攻撃のこと。完全に制御できるわけではないが、彼はある程度の確率でそのコンボを成立させることができた。
 それを女性に伝えると、彼女は再びため息をついた。
「……少し興味が変わったわ。貴方、今からわたしと対戦しなさい」
「はぁ?!?!
 いきなり何を、である。
 匠海はなんでだよ嫌だよんなもんと文句を言うが女性は空中に指を走らせゲームを起動、彼に対戦を申し込む。
 視界に飛び込んできた対戦申し込みのウインドウを見てから、匠海は女性を睨む。
「……本気か?」
「ええ、もちろんニャミィ使うわよね? 手を抜いたらどうなるか覚悟してもらうわよ」
 この家のデータ全てを流出させるから、と洒落にならない脅しを宣言して、女性は早く応じなさいよと促す。
 分かった、と匠海は渋々Acceptボタンをタップした。
 彼の視界にフィールド、手に選択したキャラクターに応じた武器、サポートキャラクターニャミィが描画される。
 対する女性の選択キャラクターは……やはりゲーム内最高レア、最強人権キャラと言われるイクリプス。
「あんたも力こそパワー派イクリプスかよ」
「普段は違うキャラ使うけど、ガチの時はイクリプスくらい使うわよ」
二人の視界に体力、気力その他のゲージとタイマーが表示される。
『Ready GO!』
 合図と共に、二人が動く。
 オーグギアを使用し、視界に各種情報を展開するARゲームはその特性ゆえかなり身体を動かす。
 狭い室内でも動けるように動作制限モードも存在するが、二人が今プレイしている『フォーチュン・バスター』はあまり激しく動かなくてもプレイできるバランスで制作されているためよほど飛び跳ねたりしない限りはご近所さんに迷惑をかけることもない。武器こそ握っているもののどちらかというとサポートキャラクターをいかに誘導するか、そしてスキルをどのように繋げてコンボにするかのコマンドにかかっている。
 それでも女性は派手な動きで攻撃を仕掛けてきた。
 それをギリギリでいなし、匠海は女性の技量を測る。
 ―やばい、こいつ強い。
 人権キャライクリプスなど使わずとも公式戦で上位狙えるのではと思えるくらいの技量。コンボも正確で確実に匠海の体力を減らしてくる。
「ちょっと、本気出しなさいよ!」
 向こうで女性が怒鳴る。
 確かに、本気を出さなければ勝てない。勝たなければこの家のデータ―オカズのコレクションくらいなら多少の羞恥心だけで済むがこの家には仕事で使う社外秘データもかなりある。
 さすがにそれを流出されたら懲戒解雇だけでは済まないだろう。
「ええい!」
 だったらなんとしても勝つしかない。それも、この女性の高々な鼻をへし折るくらいの勝利を突き付けて。
 ちら、と匠海は各パラメータを見た。
 ―行ける。
 判断は一瞬だった。
 振り下ろされる大剣を身を捻って躱し、彼は女性の懐に飛び込んだ。
 同時に複数のコマンドを入力する。
「いっけええええええ!!!!」
 彼に追従するニャミィの全身がスパークする。
最終奥義エレメンタルバースト?!?! この条件で?!?!
 信じられない、という面持ちの女性。
 サポートキャラクターが持つ最終奥義、エレメンタルバースト。基本的にプレイヤーがピンチかつ気力ゲージが最大までチャージされて初めて発動する最強スキルである。
 女性は見ていた。匠海の体力も気力も発動条件を満たしていなかった、ということを。
 だからここで発動するはずがないとたかを括っていたのだがこんな懐に潜り込まれて発動されるとガードも回避もできない。そもそも発動条件を満たしていないのに発動するとはやはりチートなのか、とゲージを見て、彼女は気付いた。
 条件を満たしている。いつの間にか匠海のゲージは発動条件を満たしていた。
 まさか、自傷コマンド? と女性が呟く。
 このゲーム、最終奥義発動をスムーズにするための自傷コマンドがある。だがそれは隙が大きく、すぐに踏み込まれて大ダメージを受け自滅するため使いこなせるプレイヤーは少ない。
 それを、この男性永瀬 匠海は使いこなせるのか。
 とはいえ、それでも今の攻撃は女性の体力を削り切るには足りなかったし、自傷コマンドの使用で匠海はピンチ状態、尚且つ気力ゲージも空。
 これは勝ったわね、と女性が思った瞬間。
 低い姿勢から自分を見上げる匠海と目が合った。
 その目は敗北を目前にした絶望ではなく。
 勝利を確信していた。
「これからが本番だ!」
 匠海が握る武器が振るわれる。同時にニャミィが追撃を行う。
「……え?」
 嘘だ、と女性は思った。
 このゲーム、それなりにプレイしているがここでサポートキャラクターが追撃できるコンボが存在するとは思わなかった。
 匠海とニャミィの息が合った攻撃が連続して炸裂する。
 最終奥義を受ける前は三分の二以上、受けた後もまだ残っていた体力が一瞬にして削られる。
 がくり、とイクリプスが倒れ、光の粒子となって消滅する。
 『You lose』と女性の視界に表示される。
「負けた……」
 自分の敗北が信じられず、彼女はガックリと膝をついて項垂れた。
 が、すぐにがばりと頭を上げる。
「今の絶対チートでしょ!!!! あんな連携見たことない!!!! そもそもあのタイミングでの奥義発動とか!」
 ビシィ、と匠海を指差し女性が捲し立てる。
「こんなコンボ成立するなら攻略サイトも公式も認知してるはずよ!」
「……だからあまりやりたくないんだよなぁ……」
 人差し指で頬を掻きながら匠海がぼやく。
「飛び込みのタイミング、三フレーム以内に薙ぎ払い入れてキャンセルしたら自傷コマンドが移動しながら発動できる。奥義を打ったらそのままスライディングして飛び込んで詳しくは省くがコマンド三つで連撃できる」
「……は?」
 女性の顔が険しくなる。
「それ本気で言ってるの? そのタイミング……確かに理論上では可能だけどコマンド打てるの?」
「ああ、たまに失敗するが」
「ちょっと待って本当に意図的に出せるの?」
 しかもブースターなしなんて信じられないと言う女性に匠海が頷いて肯定する。
 先程のチンピラはそれが信じられずにチート認定してきたのだが。
「貴方本当に人間? 実はアンドロイドじゃないの?」
「言うに事欠いてそれかよ」
 そもそも人間みたいに精巧なロボットアンドロイドはまだ存在しないしそもそもあんたさっき俺を手当てしたから人間だと確認してるだろと匠海が指摘する。
「……そうだった」
 でも信じられない、と匠海の腕をペタペタ触り出す女性。
「動体視力も反応速度も大したものね。筋肉もいい感じに付いてるし体力も申し分ないわ」
「……そりゃどうも」
 女性にそう言われると嬉しいはずなのになぜか妙な不安を覚えてしまう。
 この女性、実は何かとんでもないことを企んでいるのではないかと勘繰ってしまう。
 匠海がそんなことを考えているとピロン、と音がしてメールが着信する。
 開封するとそこには住所と日時が記入されており、マップアプリへのリンクも貼られていた。
「なんだこれ」
 怪訝そうな顔をする匠海に、女性が説明する。
「そのメールの日時にその住所の場所へ来て。詳しくはそこで説明するわ」
「差出人はお前かよ」
 ええ、と女性が頷く。
「貴方には素質があるわ」
「何の」
 匠海のその問いに、女性は一言だけ、「来たら分かるわ」と答えた。
「それじゃ、わたしの用件はこれで終わりだから」
 用は済んだ、と踵を返す女性。
「あ、おい待てよ」
 話が全く見えない、と匠海は思わず女性を呼び止めた。
 ドアノブに手をかけようとした女性が動きを止める。
「……佐倉さくら 和美かずみ
「は?」
 唐突に出てきた名詞に匠海が困惑する。
「わたしの名前よ。じゃ、当日待ってるから」
 それだけ言い残し、女性が部屋を出ていく。
 嵐が過ぎ去ったかのような雰囲気に、匠海はしばらく呆然としていた。
「……佐倉 和美……」
 彼女が先程送ってきたメールに記載された日時に指定された場所に行けば何か分かるのだろうか。
 それとも、今は何も盗らなかったが当日匠海がのこのこ顔を出すからその時に身包み剥がそうというつもりなのだろうか。
 だが、それでも名前を名乗ることはないだろう。偽名を名乗ったとしても調べればすぐに分かること、つまり彼女は何らかの意図があって自分を呼び寄せているのだ、と匠海は考えることにした。
 とはいえ、信用しきる前に実際に検索しておく必要はあるが。
 ブラウザを起動、検索バーに彼女の名前を入力する。
 すると、一番上に本名登録型のSNSのプロフィールが表示された。
「……本当に本名名乗ったんだな」
 掲載されている写真に写る人物も先ほどの女性と同一人物であることを示している。
 いくつかの写真はスポーツハッキングの大会で入賞したという報告に添付されており、本当にプロプレイヤーであるという裏付けも取れた。
 念のため、彼女が参加した大会も検索する。
 参加チーム一覧と結果から彼女の所属チームを割り出す。
「……チーム『キャメロット』か……元ネタはアーサー王伝説か?」
 流石にプレイヤーネームの一覧で彼女を特定することはできなかったがこの流れから推測するに彼女が送ってきた場所は恐らくチームの拠点。
 ―まさか、な。
 そんなことがあってたまるか、と匠海は低く呟いた。自分がスポーツハッキングのチームに誘われることなど、あり得ない、と。
 確かに匠海もスポーツハッキングの経験はある。ハッキング対象となるサーバが設置された施設をハッキングし、相手チームより先にデータを入手、解読、解析した方が勝利というルールのスポーツハッキングは遊びとしては確かに悪くないが難易度が高すぎる。ハイレベルなチームだと対戦相手の妨害もお手のものだと言われているがそこまでできるチームもそうそうないと言われるくらいである。
 つまり、匠海は「経験がある」程度の超初心者ビギナー。いくら「素質がある」と言われても戦力になるには程遠いはず。
 一体何を考えているのやら、と匠海は女性に巻かれた包帯にそっと触れた。
 ―また会えるのか。
 そう思ってから、彼は女性に惹かれていることに気がついた。
 あの、嵐のような女性に。
 今までの日常がひっくり返されることを期待しているのだ。
 それはワクワクするような昂りで、匠海はきっと面白いことが起こるのだと確信していた。
 そうと決まれば当日を待つのみ。
 傷を早く癒やし、万全の体調で挑まなければ。
 そう考え、匠海はベッドに潜り込んだ。

 

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