Vanishing Point / ASTRAY #01
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「カタストロフ」の襲撃を逃れ、キャンピングカーでの移動を始めた三人はまず河内池辺で晃と合流、それぞれのメンテナンスを行うことにする。
第1章 「A-Erial 架空」
「それ」は河内池辺を目前にして辰弥が用を足すべくトイレに入ったときに発覚した。
ハーフパンツを下ろし、その下のスパッツも下ろしたところで辰弥は違和感に気付いた。
「……」
あまりの嫌な予感に顔が青ざめ、確認するかのように下着に手を突っ込み――。
「ないーーーー!!!!」
キャンピングカーに辰弥の絶叫が響き渡った。
『どうした辰弥!?!?』
バタバタと足音が近寄り、日翔と鏡介がトイレに首を突っ込んでくる。
二人の視線の先でわなわなと震えている辰弥は、ある意味で生まれたばかりの小鹿のようだった。
だが、二人がトイレに駆け込んできたことで辰弥も必死で冷静さを取り戻し、ぷるぷると首を振る。
「な、なんでもない!」
「何でもないことないだろ、何があった?」
「まさか、尿路結石か!?!? しまった、この近辺の闇医者をまだリサーチしてない」
大丈夫か、診た方がいいか? と迫る日翔とa.n.g.e.l.に近隣の闇医者を検索させ始めた鏡介に辰弥が必死に首を振って二人をトイレから追い出す。
「大丈夫! とにかく大丈夫だから! なんでもないから!!!!」
トイレのドアを閉め、鍵をしっかりかけ、その向こうから「本当に大丈夫なのか?」と聞こえてくる声を無視し、辰弥は便器に腰掛けた。
(……ノイン、)
務めて冷静に、心の中でノインに声をかける。
(どういうこと)
『んー?』
辰弥の視界にノインの姿が映り込む。
(なんで消したの! びっくりしたじゃない)
『だってじゃまだから』
(んな、主任のノリで邪魔って言わないで!)
早く戻してと懇願する辰弥と、それをのらりくらりとかわすノイン。
『いやだよそんなもの、汚らわしい』
(主任にも生えてるんですけど!?!?)
『え、それほんと?』
なぜかそこでノインが食いついた。
なんで!?!? と思いつつも辰弥がとにかく、と急かす。
(とにかく戻して! どっちもないとかふざけてんの)
『じゃあエルステ、女の子になる?』
(それはもっとやだ!!!!)
いくら自分に頓着のない辰弥でも一応は男としての誇りのようなものはある。いくら自分を棄ててノインと融合したからといって性別まで捨てるほどプライドのない存在ではない。
むぅ、とノインが頬を膨らませる。
『何がいいの。おち――』
(ノインーーーー!!!!)
だめだ、ノインにそんな単語を言わせたことがバレれば後から晃に殺される。
しかしこれ以上議論を進めればノインは絶対に言葉にする。
今は一旦退いて、後からなだめすかして戻してもらうしかない。そうでなくても自分たちの細胞は流動的に入れ替わっているのでノインがその部分から離れれば戻せばいい――離れてくれれば。
(分かった、このままでいいよ……。今のところは)
『むふー。分かればよろしい』
それなら、と満足したようにノインの姿が掻き消える。
「……」
ノインがいた場所をぼんやりと眺め、それから辰弥は頭を抱えた。
「……どうしよう……」
こんな身体では下手に公衆トイレには行けないし温泉にも入れない。
逃避行と分かった上で、それでも各地の温泉に入れることを楽しみにしていただけにショックは大きい。
いや、タオルで隠せばワンチャン……と思いつつも全く想定していなかった事態とノインの裏切りにショックが隠せない。
「もうずっとこのままなのかな……」
そう呟いた瞬間、なぜか千歳の顔が脳裏をよぎった。
それを起点として様々な記憶が蘇り、胃の辺りから何かが込み上げてくるような感覚を覚える。
「ぅ……」
口元を押さえ、辰弥が低く呻く。
早鐘を打つ心臓と揺らぐ視界、さらには呼吸が浅くなり、それだけで自分がフラッシュバックによるPTSDの発作を起こしていることに気付かされる。
まずい、と胸の辺りを掴んで呼吸を整えようとするが、それだけで治まるほど発作は軽いものではない。
「おい、辰弥、まだ踏ん張ってるのか?」
扉の向こうから日翔の声が聞こえる。
その声が一気に辰弥を現実に引き戻す。
「――っ、大丈……夫」
日翔はただ用を足しているだけだと思っているかもしれないが、それでもいつまでもトイレに立てこもっているわけにはいかない。
大きく息をついて呼吸を整え、辰弥は立ち上がった。
「ごめん、もう出る」
大丈夫、と自分に言い聞かせ、ドアに手をかける。
開く前にもう一度息をつき、辰弥は何事もなかったかのようにドアを開けた。
◆◇◆ ◆◇◆
辰弥たちが乗ったキャンピングカーが河内池辺市内に入っていく。
「うわぁ……」
助手席の窓から外を眺めた辰弥が感嘆の声を上げた。
数時間前のフラッシュバックからは完全に立ち直っている。
日翔も鏡介も辰弥がいきなり叫んだ後、トイレに引きこもっていたことに関しては深く追求してこない。
ただ、「調子が悪いなら闇医者に診てもらったほうがいいぞ」とだけ言ってそれ以上は深く触れてこない。
それに感謝し、辰弥はほんの少しだけ上の空で街並みを眺めていた。
「本当に餃子の街なんだね」
大通りに並ぶ飲食店の多くが餃子専門店となっており、サイネージも焼きたて餃子のアニメーションが多い。
餃子と言えばにんにくを使うので食べた後の口臭が気になるところではあるがそんなものを気にしていては何も食べられない。
特に食べるのが大好きな日翔と料理をするのが趣味の辰弥が揃えばこの街はたとえ餃子以外に何もなかったとしてもそれだけで一つの大きなエンターテイメントとなってしまう。
「腹減ったぜ、餃子食べようぜ餃子!」
「レシピとか手に入るといいな」
うきうきとそんなことを言い合う日翔と辰弥に、運転席の鏡介は苦笑して窓の外に視線を投げた。
餃子専門店が多いことを除けばかつていた
それなら辰弥や日翔の望み通りまずは餃子を楽しむことが最優先。内臓を義体化しているが普通の食事もできる鏡介としても「ご当地グルメ」は食べてみたい、と思うところだった。
(
自分でも検索用のブラウザを開きながら鏡介が自分のGNSに格納されたa.n.g.e.l.に問いかける。
鏡介のその問いかけが終わらぬうちに、a.n.g.e.l.が返答した。
『私は地球製のAIですのでアカシアのデータベースに関しては特殊第四部隊が用意した作戦用が主となります。そのため、おすすめの店と聞かれても即答は出来かねますがアカシアが地球と酷似していることを鑑みて河内池辺市が栃木県宇都宮市に該当し得ると判断します』
「――む、」
a.n.g.e.l.の返答に含まれた「宇都宮」という単語に鏡介が思わず声を上げる。
そういえば昴と戦っている際に彼がアカシアではなく地球の人間で、宇都宮というアカシアには存在しない苗字も実は地球の日本という国で普遍的に使われているものだとa.n.g.e.l.から聞いていたはずだ。
地球で言うところの宇都宮とアカシアで言うところの河内池辺が重なり合うものだと言われて思うところは色々あるが、鏡介はそうか、と指を動かして
(今開いた
『アクセスしました。今後、アカシアの詳細マップに関してはこちらのデータベースを元に検索を行います』
相変わらず自己判断によるアクションが早いな、と思いつつ鏡介が言葉を続ける。
(で、口コミ評価が高くて人気も高い店は?)
鏡介がそう尋ねると、視界にa.n.g.e.l.がデータベースの口コミ評価から分析した上位店舗がいくつかピックアップされる。
『評価及び人気の上位店舗をピックアップしました。しかし、こちらの店舗のいくつかは「とりぷる本店」で食べ比べをすることが可能です』
「……なるほど」
人気店舗の餃子が一か所で食べ比べできるのなら辰弥も日翔も喜ぶかもしれない、と鏡介はa.n.g.e.l.の提案を受け入れることにした。
「おい、」
そう言い、鏡介が二人に店の情報を共有する。
「この店なら人気店の食べ比べができるらしいが、どうだ?」
「へえ、餃子の食べ比べ!」
ページを開いた日翔が面白そうに声を上げる。
「いいじゃん、辰弥、どうだ?」
「いいね、色んな店の餃子、食べてみたい」
辰弥も興味を持ったようで、目を輝かせて鏡介を見た。
「よく見つけたね。ええと、a.n.g.e.l.ってAIに訊いたの?」
「ああ、アシスタントとしては申し分ない」
元々は辰弥が「カグラ・コントラクター」の中でも最強と言われる
「とりあえず、『とりぷる本店』に向かおう。そんなに遠くではないし、ショッピングセンターの中にある店だから駐車場にも困らない。そこで一旦飯にしてそれからRVパーク池辺へ向かえばいい」
「了解。ルートは鏡介に任せた」
辰弥の言葉に、鏡介が分かった、と頷く。
ナビに「とりぷる本店」が入っているショッピングセンターの住所を入力すると、車は滑るように目的地へと向かい始める。
「しっかし、まさかこんな形で旅することになるなんてなぁ……」
後部座席に収まった日翔がふと呟いた。
「そうだね」
そんなことを言いながら辰弥がシートベルトを外し、後部座席に移動する。
「おま、危ねえなあ」
移動中に動くんじゃねえよ、と日翔が苦笑すると辰弥がソファに腰を下ろして首を振った。
「今更。もっと危ないことはずっとしてきたし、うっかり鏡介を蹴ったりしないようにトランスで調整したから」
「うわ、トランスの乱用」
トランス、と聞いて日翔の眉がわずかに寄る。
今更辰弥のトランスについて気持ち悪いとか人間じゃないと言う気はない。それよりも、もっと気がかりなことがあった。
知らずとはいえノインの血を吸っていた辰弥は第一世代のLEBの中では唯一辰弥にだけ備わっていた「吸血した対象の特性をコピーする」という能力で第二世代LEBのトランス能力を身に着けていた。
その弊害としてテロメアを異常消耗するトランスのデメリットをもろに受けてしまったためトランスするたび自分の命を削る、という状態となっていた。
その点、第二世代LEBはテロメアの損傷が起こりにくい体質に設計されており、辰弥もノインと融合したことでその体質を引き継いだが、それでもトランスが命を削る行為であることに変わりはないという認識の日翔は渋い顔をせざるを得なかった。
日翔がこの事実を知ったのは全てが終わってからだ。肉体を生体義体に置換する直前は動くこともままならず、「グリム・リーパー」の活動からは完全に身を引いた状態になっていたし辰弥も何も語らなかったためトランスの弊害など知る由もなかった。
全てが終わり、ノインと融合した辰弥を迎え入れてから何が起こったのか、どうしてこうなったのか、今後どうなるかを説明されただけなので理屈では理解していても実際にトランスされるとどうしても自分の寿命が縮まってしまうような錯覚を覚えてしまう。
「無茶すんなよ」
「大丈夫だよ、この程度でテロメアが大きく削れることはないって」
もう、日翔は心配性だなあと笑う辰弥に日翔は苦笑で返すしかできなかった。
「そう、父さんは心配性なのだ」
「もう呼ばないって。いつまでもこすらないでよ」
「やだ。父さんって呼ばれたい」
そう言う日翔の視線がわが子を見守る父親のそれで、辰弥が思わず目を伏せる。
「……父さんなんて、呼べるわけないじゃん……」
まだ、ノインと融合する前だったら呼べたかもしれない、そんな思いが辰弥の胸を締め付ける。
自分はもう日翔の知る鎖神 辰弥ではない。ただ人を殺すためだけに生み出され、実際に自分という個を棄てて勝つことに固執した成れの果て。
そんな自分が、今更日翔を父親として受け入れることはできない、と辰弥は思っていた。
いくら日翔が血の繋がっていない、ましてや人間ですらない辰弥のことを息子だと思ってくれたとしても、辰弥自身がその思いに耐えられない。それほどまでに汚れてしまったという認識が辰弥にはあった。
「ま、とにかく俺は大丈夫だから」
「むぅ」
話を逸らされ、日翔が不満そうに唇を尖らせる。
「まぁ、お前がそう言うならいいけどさー。父さんはちょっと寂しいです」
「……ごめん」
謝るしかできなかった。
心の中では日翔を父さんと呼べればどれほどいいだろうかと思っても、それを口にすることはできない。この感情だけは、このまま自分の中に閉じ込めておけばいい。
そんなことを辰弥が考えていると、車は静かに駐車場に入っていく。
「二人とも、着いたぞ」
鏡介の言葉に二人が同時に立ち上がる。
「どっちがいっぱい食えるか試してみるか?」
「日翔の方が食べるに決まってるでしょ」
辰弥が苦笑しながら足元のねこまるの頭を撫でる。
「ねこまるは留守番な。後でちゅ~ぶ買ってきてあげるから」
辰弥の言葉にねこまるがにゃあ、と声を上げる。
『ニャンコゲオルギウス16世!』
そんなノインの幻聴には構わず車を降りる。
「こっちだ」
二人の姿を認めた鏡介が先に立って歩きだす。
「あ、ついでだから今夜の食材も買って行った方がいいかな」
「そうだな。RVパークに泊まるならキャンプか! マシュマロ買おうぜ! 焚火で焼きたい!」
後ろではしゃぐ辰弥と日翔に、先に立つ鏡介は口元にふっと笑みを浮かべた。
◆◇◆ ◆◇◆
「とりぷる本店」は「餃子専門店が並んだフードコート」のような様相を呈していた。
食事用スペースを囲むように並ぶ人気の店の数々にいち早く反応したのはやはり辰弥だった。
「すご」
出店しているのは常設の五店舗と日替わりで池辺餃子会加盟店の店舗がいくつか。
軒を並べる人気餃子店の数々に、辰弥も日翔も目を輝かせていた。
「そういえば、とりぷるって店名だけどトリプルって普通『三倍』とか『三つ』って意味だよね。看板見るまで気づいてなかったけど表記はひらがなだし、何か意味あるのかな」
看板に書かれた「池辺餃子とりぷる」の文字を見て辰弥が不思議そうに尋ねる。
「ああ、
ここへ来るまでに調べていたのだろう、鏡介が即答する。
「へえ……さすが餃子の街」
「え、じゃあ普通にとりぷる! と言えば餃子が三人前出てくるってことか?」
じゃあさっそく注文で言ってみるか? とノリノリの日翔に、鏡介はバカ、と笑った。
「今はもうオンラインオーダーになっているからな。とりぷるは毛野弁の名残だ」
「ちぇー」
そんな日翔と鏡介のやり取りをよそに、辰弥は店内に並ぶ各店舗のカウンターに視線を投げる。
「こんなにあるとどこから食べるか迷うな」
「いっそのこと全部買えばいいだろ」
ほら、早く並ぼうぜと日翔がさっさと店の一つに向かって歩き出す。
「あ、待ってってば」
日翔を追いかけ始めた辰弥に、鏡介が苦笑する。
「席を取らなければ落ち着いて食えないだろうに」
イートインスペースはかなりの席が埋まっている。時間は食事時近くで早めに確保しておかなければ座れないかもしれない。
仕方ないな、と思いつつ鏡介は二人とは別にイートインスペースに向かって歩き出した。
辰弥は日翔がいれば大丈夫だろう、そんな思いを抱えながら。
先に紙コップに水を汲み、手近な席を見つけたところでちら、と辰弥に視線を投げる。
辰弥は楽しそうに日翔と話しながら注文用の列に並んでいる。
その様子に鏡介の胸がちくりと痛む。
やはり、今の辰弥の姿には慣れない。本人は気にしていないようなので気にしているのは自分だけかもしれないが、他に何か手はなかったのかと考えてしまう。
例えば、自分が昴にHASHを送り込むことができていれば、など――。
済んでしまったことだからこそ、悔やんでも悔やみきれない。いくら自分のハッキングの限界であったとしても、もしあの時昴にHASHを送ることができていれば辰弥にあそこまで惨い選択をさせなくてよかったのではと思ってしまう。
考えても仕方のないことだが、鏡介はそう思わずにいられなかった。
自分が不甲斐無いせいで、と。
そこまで考えたところでだめだ、と首を振り、鏡介が店内に視線を巡らせる。
いくら「カタストロフ」でもこんな人混みで襲撃してくることはないだろう。だが、警戒するに越したことはない。
周囲にいるのは家族連れやカップルなど、一見してごく普通の一般人ばかりのように見える。
だが、自分たちも含めて裏ではどのような立場にいるかは一見しただけでは分からない。
流石にあからさまなことはしないか、と鏡介がため息をついたところで餃子が大量に乗せられたトレイを手にした辰弥と日翔が戻ってきた。
「鏡介、聞いてよ。日翔が注文しまくるんだけどー」
「いいだろ全部食べ比べしたいじゃん!」
ぶつくさ言うものの顔が笑っている辰弥と、元からずっと笑顔の日翔。
二人の笑顔を見ているだけで何故か鏡介の心も軽くなる。
こいつらが笑っているならまあいいか、と思いつつ、鏡介はテーブルに並べられた餃子の数々を見た。
常設の五店舗だけでなく日替わりの店舗も全て網羅した上に全て三皿ずつある。
一人一皿か、と計算したところで鏡介の顔が青ざめた。
「……これ……全部食うのか?」
「たりめーよ! 制覇したいだろーが!」
「いや、普通に、何人分あるんだこれ……」
常設五店舗が各三皿で、その時点ですでに十五皿ある。そこへもって日替わり店舗のものも三皿ずつ……と考えるともう数えるのも嫌になってくる。
テーブルの上にみっちり並んだ餃子の皿に、鏡介は「どうして……」と呟いた。
「無理だろこれ」
少なくとも俺は三皿が限度だぞと続ける鏡介に、日翔が「ん?」と首をかしげる。
「俺が腹減ってるから残ったら全部食う。辰弥もそれでいいだろ?」
餃子の皿を前に、日翔がテンション高く手を合わせる。
「それじゃ、いっただきまーす!」
「……いただきます」
辰弥と鏡介も手を合わせて呟き、それから餃子を口に運んだ。
「うんめー!」
真っ先に声を上げたのは例にもれず日翔。
一口で餃子を一つぺろりと食べては隣の皿に箸を伸ばす。
「おお、どれもうめーな!」
「もっと他にあるだろ……例えば、ここの餃子は皮がもっちりタイプ、こっちはパリパリタイプとか」
「うん、こっちはにんにくガッツリ、こっちは……にらを多めにしてるのかな」
口いっぱいに広がる餃子の風味に舌鼓を打ちながら、三人はひたすら餃子を食べ続ける。
「いやー、襲撃されてみるもんだな」
「そのおかげで俺は商売道具を壊されたんだが」
ポジティブな発言をする日翔に対し、鏡介が恨めしそうに呟く。
どうやら遠隔操作で自宅のPCにアクセスを試みたようだが応答がなく、破壊されたと判断したらしい。
仮に破壊されていなかったとしても何らかのウィルスや追跡用のプログラムを埋め込まれている可能性があったのでそれを考えると手間は省けたがあのレベルのPCとなると再購入にはかなりの費用が掛かる。
色々便利ツールも入れていたんだが、とぼやきつつも鏡介が餃子を食べていると、横から箸が伸ばされてきて、鏡介は咄嗟にそれを自分の箸で払いのけた。
「日翔!」
「ケチー」
箸を払われた日翔が文句を言うと、鏡介はぎろり、と日翔を睨みつけた。
「お前は! まだ! 自分の分があるだろ!」
「でもお前食いきれないって言ってたじゃん!」
いいだろ食わせろと再度箸を伸ばす日翔と器用にも箸でそれを払う鏡介。
そんな不毛な戦いに、辰弥はくすっと笑みをこぼした。
「なんだよー」
くすくす笑う辰弥に日翔が頬を膨らませるが、辰弥が笑う理由は何となく予想できた。
上町府にいた頃はよくあった光景。武陽都に来てからはあまり見られなくなった光景。
ALSが進行し、弱っていく姿を見せ付けてしまっただけに、脳を生体義体に移植して快復できたことは日翔にとっても喜ばしいことだった。
辰弥と鏡介を悲しませずに済んだ、それだけではなくこうやって旅を楽しむことができる。
旅のきっかけは襲撃だったかもしれないが、それでも叶わなかった夢が叶ったことに、日翔は二人に感謝せざるを得なかった。
「もう、日翔は仕方ないね」
そんなことを言いながら辰弥が自分の餃子を日翔の皿に移す。
「辰弥、甘やかしすぎだ」
鏡介がたしなめるものの、辰弥は苦笑して首を振る。
「俺がしたいと思ったから。やっぱり、日翔にはいっぱい食べてもらいたい」
「……」
そう言われてしまうと、もう言い返すことができなかった。
今はただこの奇跡を噛み締めるしかない。
日翔は元気になった。辰弥ももう心配ない。
その事実に、鏡介は何かが込み上げてきたような気がして慌てて餃子を口に入れた。
これでいい、日翔も辰弥も今が幸せならそれでいい。
日翔が次々餃子を口に運ぶのを見ながら、鏡介は餃子から溢れる肉汁の熱さに思わず顔をしかめた。
『あむあむ。おいしー』
辰弥がふと隣を見ると、ノインも口をもぐもぐさせて頬に手を当てていた。
(味、分かるの?)
『エルステが食べたら、その味が分かる。あ、次、もっかい食べたいからからこっちの餃子食べて』
とノインは相変わらず自由に辰弥の餃子の一つを指差す。
(はいはい)
ノインに従わない理由もなく、辰弥がノインに指示された餃子を口に運ぶ。
ノインが選んだのは池辺餃子の中でも特ににんにくをふんだんに使っている店舗のもの。
(……匂い、気になるやつ)
『むふー。にんにくいいねえ』
あ、次こっちの、と気楽に指示をしつつ、ノインが餃子を楽しむ。
仕方ないなあ、と思いつつも、辰弥は次の餃子を口に運んだ。
「あ、ここ土産物屋もあるんだ」
一時は食べきれるかと不安になった量の餃子がきれいに片付き、満足そうに水を飲んでいた辰弥がふいに声を上げた。
「ああ、物販もあるとはデータにあったな。冷凍餃子だけでなく餃子グッズもあるのか」
「なんだよ餃子グッズって」
大真面目に説明する鏡介に日翔が笑うが、辰弥はそれに構わずコップの水を飲み干し、立ち上がった。
「ちょっと見てきていい?」
「ああ、見て来いよ」
俺たちはもうちょっと休憩したら皿返してそっち行くわー、と日翔が手を振り、辰弥は物販コーナーへと歩みを進めた。
冷凍ケースには大量の餃子が置かれている。
キャンピングカーには冷蔵庫も完備されているので買っておくのもいいな、と思いつつ辰弥はその横のグッズコーナーに視線を投げた。
餃子を模したキャラクターや店内にある餃子像のキーホルダーやタオルハンカチなど、土産物としては定番のグッズが所狭しと並んでいる。
折角来たんだし、記念に何か買ってもいいな、と辰弥はキーホルダーの棚の前に立った。
人気のキャラクターとコラボしたフィギュアキーホルダーや食品サンプルに金具を取り付けたキーホルダーなど、種類が多くて見ていて飽きない。
『エルステ、主任にお土産買って、ノインからって』
ノインがキーホルダーの一つを指さしてねだってくる。
(はいはい、後でね)
そんなノインの言い分をスルーし、辰弥は棚にぶら下がったキーホルダーの数々に視線を巡らせた。
その中の一つ――女性に人気のキャラクターが身の丈ほどの餃子を抱きしめているキーホルダーに手を伸ばす。
「――千歳、」
思わず、千歳の名を呼ぶ。
もう、話すことはおろか逢うことも叶わない千歳に思いを馳せる。
昴と決着をつけるために、千歳に対する想いは一度清算した。最後の言葉が「好きでしたよ」というものであったとしてもそれは自分を縛り付けるための方便だと自分に言い聞かせていた。
千歳は、俺のことなんて本当は好きではなかった――と。
実際の千歳の感情をもう知ることはできない。知ることができないからこそ、辰弥は自分の心を少しでも軽くするために千歳は自分のことなんて好きではなかった、ただ昴に命令されて恋人を演じていたのだ、と思い込むことにしていた。
それでも、それは千歳の辰弥に対する感情のシミュレーションであって、辰弥から千歳に対する想いはずっと変わらない。
今でも千歳のことは想い続けている。いくら千歳に嫌われようともこの感情だけは手放したくない、その思いで歩みを進めている。
思わずキャラクターもののキーホルダーを手に取ってしまったのももしかしたら「千歳にプレゼントしたい」と思ってしまったのだろう。
そう思いながらも、辰弥はキーホルダーを棚に返すことができなかった。
「お、いたいた」
背後から日翔の声が響き、辰弥が振り返る。
日翔と鏡介が並んで歩いてくる。
辰弥の隣に立ち、日翔は辰弥が手にしているキーホルダーに視線を落とした。
「お前、キャラもの好きだったっけ」
どう見ても女性向けなかわいらしいキーホルダーに日翔が声を上げる。
「ん――」
どう答えよう、と辰弥が考える。
だが、すぐに苦笑してキーホルダーを握りしめた。
「千歳に、と思って」
「辰弥――」
日翔の声が詰まる。
「そんな、秋葉原は」
「日翔、好きにさせてやれ」
日翔の言葉を遮り、鏡介が頷く。
「いいんじゃないか。買っていけ」
「――うん」
キーホルダーを大事そうに握りしめた辰弥がレジに向かう。
その背を見送ってから、日翔は鏡介に視線を投げた。
「鏡介、秋葉原って……死んだんだろ」
「だが、それでも辰弥にとっては大切な人なんだよ――今でも」
鏡介も千歳の最期を目撃しているから分かっている。辰弥にとってあの別れ方は耐えがたいものだったはずだ。
だから、もういないと分かっていても縋ってしまうことを咎めることはできなかった。
本来なら諦めて前に進むべきだとは分かっているが、それは今でなくてもいい。
それに辰弥は千歳のことを引きずりつつも前に進もうとしている。
それなら黙って見守るべきだ、と鏡介はレジに立つ辰弥を見た。
「日翔」
「何だよ」
「今は辰弥の好きにさせてやれ。前に進めるうちは――な」
レジで会計を進め、キーホルダーを袋に詰めてもらっている辰弥に視線を投げながら、鏡介は自分にも言い聞かせるようにそう言った。
◆◇◆ ◆◇◆
三人が乗ったキャンピングカーがRVパーク池辺に到着すると、晃はもう到着していたようで、パークの入り口で「こっちこっち」と手を振っていた。
鏡介がマニュアル運転に切り替え、晃の誘導に従って車を進めると大型車両専用スペースの一角に一台の大型トレーラーが停車しているのが見えた。
「やあ、みんな無事だね!」
三人と一匹が車から降りると、晃が嬉しそうに三人を見て頷く。
「メンテ資材はちゃんと揃えてきたから安心してくれ」
「ああ、頼む」
鏡介が代表してそう言い、トレーラーに視線を投げた。
「……でかいな」
「いいだろー? いやー、いつかは使いたいなと思って買ってた移動ラボなんだが、実際こうやって出番が来ると嬉しいものだね」
ふふん、と晃がトレーラーに歩み寄る。
「でもね、この移動ラボのすごさはこれだけじゃない。見てて」
そう言いながら晃がコントロールパネルを展開し、いくつかのスイッチをオンにする。
最後のスイッチをオンにした瞬間、移動ラボが唸りを上げた。
『!?!?』
晃の操作を見守っていた三人が声にならない声を上げる。
晃が乗ってきたトレーラー――移動ラボの両サイドが拡張し、後部の収納スペースを大きく広げたのだ。
サイド部分が展開しきると、それを支えるために自動で支柱とアウトリガーが展開、車体を地面に固定する。
「す……すっげえ!」
一つの研究室となった移動ラボに、日翔が歓声を上げた。
「三人三様の設備が必要だからね、これくらいは用意しないと狭くて何もできないってもんだ。中もすごいよ、入って確認してくれ」
展開された階段を上り、晃が移動ラボの扉を開く。
中に入った三人はその内部の広さにただただ驚くしかできなかった。
移動ラボの四隅のうち、三つの隅にそれぞれ透析用のベッド、生体義体メンテナンス用のベッド、そして調整槽が置かれている。格納中はそれぞれが干渉しないように折りたたまれる仕組みとなっているが、それでもこの移動ラボの規模には圧倒されるしかない。
三つの設備を設置してもなおラボ内部は余裕があり、三人は余裕を持って中を歩き回ることができた。
「……あれか、
ふと気づいた鏡介が声を上げる。
「よく分かったね。
そんな説明をしながら晃は手際よく設備をチェックし、辰弥と日翔を見た。
「まずはエルステと日翔君の調整をしようか。エルステに関してはオートでメンテナンスできるから同時に日翔君の武装オプションとかいじるよ。鏡介君の透析はどうしても時間がかかるし時々チェックしないとトラブルの元になるから後で個別にやるよ」
晃がそう言っている間に調整槽に薬液が満たされていく。
「分かった」
調整槽に満たされた薬液と辰弥を見比べ、鏡介が頷いた。
「じゃあ、二人の調整が終わるまで俺はキャンピングカーの方で調べ物をしておく。お前ら、しっかり調整してもらえよ」
そう言いながらも、鏡介の視線は晃に移動している。
「他にスタッフもいないようだが、一人で大丈夫か? 多少は手伝えないこともないが」
こんな大型の特殊車両を持ち出しながら、ここにいるのは自分たちと晃のみで他のスタッフがいる気配もない。
一人で全ての機材を扱えるのかという鏡介の心配をよそに、晃はにっこり笑って親指を立てて見せた。
「大丈夫、ほとんど自動化してるし君が下手に触って設定が変わった方が危険だ。特にエルステの調整槽は薬品濃度のリアルタイム調整とか諸々あるし、私一人で大丈夫だよ」
「そうか、それなら俺は邪魔をしないでおく」
辰弥と日翔に向かってひらひらと手を振り、鏡介は移動ラボを降りていく。
それを見送った晃がほらほら、と辰弥と日翔に声をかけた。
「二人とも準備した。カーテンはかけておくから全部脱いで――ああ、日翔君はこの検査着に着替えてね。まぁ前回の調整からそんなに時間も経ってないし一時間もあれば二人とも終わると思うよ」
二つの設備の間に用意されたカーテンが閉められ、日翔の姿が見えなくなる。
(あのさ晃、)
日翔には聞かれたくなく、辰弥が目の前の晃に回線を開く。
《おや、通信とは日翔君に聞かれたくないことでも?》
(それ。ちょっと見てよ)
検査や調整のためなら人前で脱ぐことにためらいはない。
身に着けていたものをすべて取り払い、辰弥は晃に向き直った。
(これ見てよ)
《見て、って――》
辰弥に言われて、晃が辰弥の全身に視線を巡らせ――。
「な――」
「ない!?!?」と言いかけて慌てて口を押えた。
《え、ちょ、どゆこと》
(ノインが撤去した)
『だって邪魔だし、それに困ってないだろ』
《え、ノインが!?!?》
えー、ノインなにやってんのー、とばかりに晃が天を仰ぐ。
《エルステに生殖機能が備わってることに関して調べようと思ってたのにー》
(いやそれを調べてほしいとは思わないけど、まぁとにかくノインにやられたってことで)
《ノイン……。いやぁ相変わらずの気まぐれだなぁ……》
しみじみと呟く晃に、辰弥はふとノインに声をかけた。
(やっぱり、分離したい?)
『んー……。分離できるなら』
どことなく諦めたようなその物言いに、辰弥もそうだね、と頷く。
(セパレーターが開発されるまでの我慢、か……)
とりあえずあまり変なことはしないでよ、と釘を刺し、辰弥は調整槽の中に身を沈めていった。
調整槽の中でぼんやりと考え事をしているうちに一時間が経過していたらしい。
調整完了のアラームが鳴り、調整槽から薬液が排出されていく。
体を起こし、槽の脇に置いてあった洗面器に肺に溜まっていた薬液を吐き出し、それからタオルを手に取る。
髪を拭き、身体も拭いていると隣の設備で日翔がはしゃいでいる声が聞こえてきた。
「うおすげえ、こんなこともできるのか!」
「生体義体だからね、色々盛り込んでおいたよ。どうせ日翔君のことだから無茶するだろうと思ってあらかじめ仕込んでおいたんだけど『カタストロフ』に追われてるとなると近々出番があるかもしれないなあ……」
使わないに越したことはないけど、と続ける晃の声を聞きながら辰弥がパーカーのジッパーを上げ、カーテンを開けた。
「晃、調整終わった」
「おお、お疲れさん。データは……うん、しっかり取れてるみたいだね」
調整ついでにデータの収集も行っていたのか、晃がレポートを確認して満足そうに頷く。
「日翔君の調整とか諸々もちょうど終わったところだよ」
「おう、すげえよ!
日翔もガッツポーズを辰弥に見せてくる。
その元気さにほんの少しだけ胸が痛むのは生体義体といってもただの生身ではなく、遺伝子的にも色々調整されているらしい、という事実からだろうか。
できれば日翔にはごく普通の一般人として生きてほしい、という願いが辰弥にはあった。両親が遺したインナースケルトンを導入するための費用を返済するために暗殺者となり、裏社会で生きてきた日翔だったが、借金は治験の権利を売却した金で完済している。生体義体への置換コストも晃が「グリム・リーパー」に参加することと辰弥の身体を自由に調べさせることを条件にチャラとなっている。
そうなると日翔が裏社会に残る理由はどこにもなく、足を洗うことは可能だった。
それなのにそれを選ばず暗殺者として生き続けることを望んだ日翔に、何故か辰弥の心が痛む。
だが、目の前の日翔はそんな辰弥の考えをよそに子供のようにはしゃいでいる。
――考えすぎ、か。
日翔がそれでいいと言っているのならそれでいいのだろう。今更「グリム・リーパーを抜けろ」とも言えないし、第一、日翔と離れ離れになりたくない。
結局これが最善の答えだったのだ、と自分に言い聞かせ、辰弥は晃に視線を投げた。
「鏡介呼んできた方がいい?」
「そうだね、鏡介君の透析もさっさと終わらせてしまおう」
透析だけはどうしても時間がかかる。最低でも
分かった、と辰弥が踵を返すと日翔も慌てて上着を羽織り、辰弥の横に並んだ。
二人で並んで移動ラボを降り、隣に止めたキャンピングカーを見ると鏡介はアウトドアチェアとテーブルを出し、屋根を広げてくつろいでいた。
「鏡介、鏡介の番だって」
辰弥が声をかけると鏡介が空中をスワイプしてウィンドウを閉じ、立ち上がる。
「早かったな」
「まぁ、簡単な調整だけだったし」
そうか、と鏡介が移動ラボに視線を投げる。
「俺の透析は時間がかかるから二人で散歩してきてもいいぞ。そういえば道路の向こう側には道の駅があるみたいだぞ」
「へえ、気になる」
鏡介の言葉に辰弥の目が輝く。
道の駅と言えば地物野菜やちょっとした焼き菓子などが置かれていたり、近くに牧場があったりすると搾りたて生乳のソフトクリームが販売されていたりして見ていて飽きない。
特に辰弥は料理が趣味というだけあって地物野菜には興味があるし、日翔は食べるのが大好きなのでご当地グルメは食べておきたいと思っているところがある。
鏡介を置いていくことに若干の申し訳なさはあるが、それでも鏡介の気遣いに甘えた方がいい。
「行ってみようか」
日翔にそう打診すると、日翔も興味を持ったのかおうよ、と頷いた。
「なんかうまいものあるかな」
「あるんじゃないかな。夕飯はもちろん作るけどちょっとおやつを食べるくらいはいいと思うし」
「じゃ、決まりだな。道の駅行こうぜ」
話が決まれば即行動、とばかりに日翔が歩き出す。
「あ、日翔待ってってば」
辰弥も慌てて日翔を追いかけ、その途中でちら、と鏡介を振り返った。
鏡介は鏡介でさっさと移動ラボに乗り込んでいる。
晃がいるなら問題ないか、と考え直し、辰弥は日翔と並んで歩きだした。
RVパーク池辺を出るとまず目の前に大きめの幹線道路があり、その向こうに温泉施設などが整った大型の道の駅が見えた。
温泉があるならあとで三人で入りに来てもいいな、と思いつつ、それでも自分の身体のことを考えると気安く「温泉に行かない?」とは言いづらい。
温泉施設を横目で見ながら通り過ぎ、辰弥が物販コーナーへと足を向けようとしたとき、うなじの毛がちりちりと焼かれるような、そんな感覚を覚えた。
「!?!?」
思わず立ち止まり、辰弥が辺りを見る。
「……」
日翔も立ち止まり、辰弥と同じように周りを見回している。
「……気が付いた?」
「ああ、見られているな」
辰弥の言葉に日翔が小さく頷き、物販コーナー横の小道に視線を投げた。
「ここで襲われたらやばい。とりあえず森に入ろう」
『エルステ、敵は十人。「かたすとろふ」だね』
ノインの方が感覚が鋭いため、より詳細な敵の戦力を伝えてくる。
「
「そうだな」
早速武装オプションを使う時が来たかー、などと日翔がぼやき、辰弥も頷きながら小道に入り、森へと向かう。
森には散歩コースが作られていたが、道を逸れて奥に入るとうっそうと茂った木々で視界は悪くなる。
それに構わずある程度奥まったところまで入り、二人は立ち止った。
「分かってるよ」
静かでいて、凛とした辰弥の声が木々の間を抜けていく。
次の瞬間、銃声と共に二人に向かって無数の弾丸が襲い掛かった。
「来やがった!」
日翔が両腕を盾にするかのように構える。
すると前腕を構築する
その一方で辰弥は軽い身のこなしで跳躍し、周囲の木々を蹴って飛来する銃弾を全て回避していた。
「Gene!」
回避の間にも辰弥は
「サンキュ!」
展開した骨の盾を格納、KH M4を受け取った日翔が銃弾が飛来してきた方向に向けて発砲する。
それを援護として辰弥も地を蹴り、その方向へと走り出した。
「Gene! これ使って!」
走りながら辰弥が
空中を舞いながら展開されたポータブルカバーが日翔の前に落下し、銃弾から彼を守る。
それを確認することもなく辰弥が大きく跳躍した。
人間ではありえない脚力で跳躍し、空中に舞い上がったところで手近な木を蹴り方向転換する。
――いた!
眼下に見える数人の男たち。
見覚えのある戦闘服に統一された装備、ノインの言う通り「カタストロフ」のメンバーだった。
男たちは木を盾に発砲していたが、頭上の辰弥に対しても即座に対応していた。
数人の男が辰弥に向けて発砲する。
銃弾が腕を掠めるがそれに構わず辰弥はP87を空中から発砲した。
銃弾の雨が男たちに降り注ぐ。
『ついげきはまかせて』
辰弥の攻撃に一瞬怯んだところでノインが追撃を始める。
髪を何本もの槍にトランスさせ、伸ばしたものが次々に男たちを串刺しにしていく。
それをブレーキに落下の衝撃を抑えた辰弥が着地、すぐに反対側へと走り出す。
「カタストロフ」は二手に分かれ、挟み撃ちをするかのように回り込んでいた。
日翔も気配でそれに気づいていたため、辰弥が片方を攻撃した時点で持ち前の怪力を発揮しポータブルカバーを引っこ抜いて差し替え、その向きを変えることで反対側の攻撃に対応している。
(もう
生身だからもう怪力は発揮できないと思っていただけに、今の日翔の動きは辰弥にとって衝撃だった。骨を利用した防御といい、本来の生身ではあり得ない怪力といい、これでは自分と同じ生物兵器じゃないか、と思ってしまうが、辰弥はすぐにその考えを否定する。
義体とはそういうものだ。元々は平和利用のためであったとしても目を付けられれば即座に兵器転用される。それがこの生体義体に関しては元から兵器利用も可能だっただけのことだ。
薄暗い森の中ということで視認性は最悪だったが、それでも日翔は弾道から敵の配置を読み取って正確に応戦していく。
叫び声と共にどさり、という音が響く。
インナースケルトンを失ったとしても日翔の射撃の腕は落ちていない。
伊達に暗殺者として生きていないだけあって手慣れた射撃が一人、また一人と「カタストロフ」のメンバーを排除していく。
そこへ反対側のメンバーを殲滅した辰弥が援護に入り、形勢はあっという間に辰弥たちの側に傾いた。
どさ、と最後の一人が地面に倒れ伏す。
音だけの判断だったが、それ以上誰かが動く気配もなく、二人は銃を下した。
「雑魚だったな」
死体の一つに歩み寄り、日翔が足先で死体を軽く蹴る。
「まあ、『カタストロフ』も桜花の本拠地を潰されてるからね、統率はとれてないんじゃないかな」
念のため警戒しながらも辰弥が答える。
「鏡介が言ってたよね、『本拠地を潰されているからまだ全力で追跡できないはずだ』って」
「そういやそうだな」
『エルステ、早く離れた方がいい』
銃声を聞きつけて近寄ってくる人間を察知したか、ノインが辰弥の袖を引っ張る。
「日翔、戻ろう。見られるとまずい」
「ああ、厄介ごとはごめんだからな」
日翔も頷き、辰弥に続いて歩き始める。
「……見られたらまずいし、もったいないけど捨てるか……」
いくら緊急事態とはいえアサルトライフルやPDWなんてものを持っているのを見られれば確実に通報される。トランスではなく生成で作り出したものをさらに別の物体に変えることはできないため、生成した武器は捨てざるを得ない。
ただ、そのまま捨てると誰かが拾って悪用することも考えられるため、辰弥は手にしていたP87を空中に放り投げた。それと同時に髪を超硬合金の槍にトランスさせてP87に叩き付ける。
超硬合金の槍を叩き込まれたP87が粉々に砕けて枯葉の上に落ちていく。
「日翔、M4貸して」
「おう」
日翔からKH M4を受け取り、同じように投げて破壊する。
「一応、鏡介たちの方も確認するか……」
そう呟き、辰弥は回線を開いた。
「鏡介、調子はどう?」
ややあって、返事が届く。
《透析中だから身動きはとれないが情報収集だけは進めている。『カタストロフ』が池辺周辺まで網を延ばそうとしているようだな》
「ああそれ、襲撃された」
《はぁ!?!?》
思わず鏡介が大きな声をあげる。
《なんで俺の支援を頼まない?》
「いや、二人で対処出来るし、それに透析って聞くから絶対安静かと」
という辰弥の言葉に、鏡介はそういえばこいつらは義体の知識はないんだったな、と思い直す。
《義体用の透析は義体の透析スロットに透析用のチューブを挿してしばらく待つだけだから、キーボードを触るくらいはできる。今度からは遠慮なく支援を要請してくれ》
義体用の循環液の透析は義体側で多くの処理が行われることもあり、他の一般的な透析より圧倒的に楽で制約も少ない。強いて言うならば、チューブが抜ければ大ごとになるので移動上の制約が生じるくらいだ。ホロキーボードで支援する鏡介には問題にならない範疇であった。
《で、大丈夫なのか? 怪我はないか?》
「かすり傷だったしもう治った。ところで、そっち側に異常はない?」
今、一番気になるのは鏡介たちの安否である。
こうやって会話できていることを考えると鏡介たちはまだ襲われていないことが分かるが、別動隊がこれから襲撃を仕掛けてくることも十分考えられる。
《こっちは特に問題はない。だが、お前らが襲われたならこっちも警戒した方がいいな》
a.n.g.e.l.、と続けて周囲の防犯カメラを利用し、索敵を始めた鏡介に、辰弥も「すぐ戻る」と声をかける。
《――いや、防犯カメラやその他もろもろ使って索敵したが『カタストロフ』の姿はもうないな》
元からそこまでの人員を割けなかったか、と続ける鏡介に、辰弥も日翔もほっとしたように肩の力を抜く。
「まあ、でもいつどう出るか分からないから早く戻った方がいいよね」
《いや、周辺の防犯カメラに『カタストロフ』の戦闘服が映れば即通報するように仕込んでおいた。死角はあるがここはかなり人目に付く、武装した人間が踏み込めばすぐに誰かが通報するだろう》
そっか、と辰弥が頷く。
「じゃあ、道の駅で夕飯の材料だけ買って戻る。ついでに軽く索敵しておくよ」
鏡介のことは心配だが、過度に心配してもありがた迷惑なだけである。
それに鏡介の戦闘能力はよく分かっている。相手がGNSを導入している限り
昴との戦いの際に「カタストロフ」も対策してローカルネットワークを構築、鏡介のハッキングを妨害したが本拠地である上町支部を潰されてはそれもままならないはず。そう考えると集団で鏡介に襲い掛かるのは「脳を焼いてください」と言っているようなものである。
その信頼があったから、辰弥は予定を多少繰り上げたとしても全てキャンセルすることはなかった。
以前ほど過度な心配をしなくなったのはそれぞれがそれぞれの強みを活かして生き残ることができると分かったから。
前よりは個を尊重した信頼を寄せることができるようになったのは辰弥としても大きな成長だった。
「日翔、買い物して帰ろう」
「おうよ。俺、ソフトクリーム食べたい」
「もう、日翔は相変わらず食いしん坊なんだから」
あれだけ餃子を食べておいてまだ食べるの? 俺まだ満腹感あるんだけど、と苦笑しつつ、辰弥が道の駅に向かって歩き出す。
「しゃーねーだろ、動いたら腹減るんだよ」
その会話は、つい先ほどまで命のやり取りをしていたとは微塵も思わせない。
慣れ切った日常に旅が追加されただけだ。
「で、夕飯何するんだ?」
「キャンプといえばカレーでしょ」
「やりぃ!」
カレーはおいしい。しかも空の下で食べるとなるとそれだけでうまみが倍増する。
うきうきと次の食事に期待を寄せながら、日翔は辰弥と並んで道の駅に向かっていった。
◆◇◆ ◆◇◆
「エルステの手料理は初めてだなぁ」
焚き火を前に、晃がカレーの入った皿を手にしみじみと呟く。
「日翔君から『エルステの料理はうまい』って散々言われてたんだけど、やっと食べられれるよ」
「おう、めっちゃうまいから!」
そう言う日翔はすでにカレーをがっついており、隣で辰弥が苦笑していた。
「早食いはよくないって」
「そうだぞう、しっかりよく噛んで食べないと健康によくないぞ」
「知るか、うまいもんはうまいんだよ」
おいしそうにカレーを頬張る日翔に、晃もカレーを一口食べる。
「――うん、おいしい」
スパイスからではなく市販のルーを使用したものではあるが、そこに辰弥なりの工夫や隠し味が仕込まれているのか深みのある味が晃の舌を刺激する。
しかし、
「うーん、でも辛味が足りないなぁ……」
晃がそう言った瞬間、三人がげっ、とした顔をする。
それに気づいていないのか、晃はアウトドアチェアの横に置いていた小さなケースから何かを取り出し、おもむろにカレーにかけ始めた。
「うわ、それって……」
晃が手にしていたのは赤いボトルだった。
いかにも辛そうな色のボトルからカレーに注がれる赤色の液体に日翔がドン引きしたような顔をする。
「え? ナガエスペシャルで作ったナガエシラチャーソースだよ。日翔君も使うかい?」
「誰が使うか!」
ナガエスペシャル、と聞いた時点で日翔は「これはダメだ」と本能的に察していた。
ナガエスペシャルといえば晃が開発した新種の唐辛子である。そして、晃は無類の辛い物好き。
そう、この唐辛子はハバネロやジョロキアもびっくりの辛さを誇る。世界一を塗り替えたと言っても過言ではない。
そんな唐辛子を使って作られたシラチャーソースが甘いはずがない。
なんでこんなに辛いのが平気なんだよ、ってか辰弥の料理台無しにすんなよ、と抗議の視線で日翔が晃を睨むが、晃も、料理を台無しにされた辰弥も涼しい顔をしている。
いや、辰弥は興味津々でナガエシラチャーソースのボトルを眺めていた。
「晃、ちょっとちょうだい」
「おお、エルステは気になるか! いいぞ、使ってくれ!」
辰弥が興味を持ったことでいい気になった晃がボトルを手渡す。
『おいエルステ、何やってんだ! やめろ!』
ノインが必死の形相で辰弥の腕を掴むが、幻影であるノインはそれ以上辰弥に干渉することはできない。
そんなノインの抗議を無視し、辰弥はナガエシラチャーソースをほんの少しだけカレーにかけた。
「遠慮しなくていいんだぞう? たっぷり行きなよ」
「いや、こういうのは少しずつ試さないと味のシナジーが分からないから」
そう言いながら、辰弥はカレーを一口、口に運んだ。
「――!?!?」『ぎゃー!!!!』
一瞬にして口内を灼熱の痛み地獄に引き摺り込んだその味に、辰弥とノインが反応する。
辰弥は目を白黒させて痛みを和らげるべくラッシーを手に取るが、ノインは口元を押さえて地面を転げのたうち回っている。
辛い、どころではない。痛い、である。
こんなものを平気で食べているのか、と辰弥はラッシーを飲みながら平然とカレーを食べ続ける晃を見た。
「どうだ? おいしいだろう?」
「味を理解する前に痛みがやばい。ってか、俺、基本的に痛みは平気なんだけどこれはさすがに……」
研究所にいた頃、実験と称して様々な痛みを刻み込まれたがこれはそのどれにも該当しない。完全に未知の痛みに、辰弥は「これにも慣れないと……」と考えていた。
万一拘束されて拷問を受けたとしても痛みに慣れていればどうということはない。だが、未知の痛みは慣れていないだけに無駄に苦痛を味わってしまう。
慣れるため……と、辰弥はもう一口カレーを口に運んだ。
『やめろー! エルステー、やめろー!』
少しは慣れたのか、なんとなくだが味が分かる。
ジョロキア系の味なのか、うっすらと柑橘系の風味を感じ、どのような料理にも合いそうな気がする――辛くさえなければ。
元々のナガエスペシャルの味に追加してニンニクの香りや酢の酸味、若干だが砂糖も入っているのか甘味も感じられる――辛くさえなければ。
『やめろって言ってんだろ! それ以上口に運ぶな!』
辛すぎる以外は市販のシラチャーソースと大差なく、料理の味変にはぴったりの調味料と言えるだろう――辛くさえなければ。
そう、「辛味」が全て台無しにしているのである。
どうしてここまで辛くしてしまったんだよ、このバカと思いながらも辰弥は味の分析をしながらカレーを食べ続ける。
『バカはお前だ! エルステ!!!!』
(ザマァ)
地面を転げまわるノインの姿に、辰弥は溜飲が下がる思いだった。
今まで色々やってくれたお返しとばかりに、辰弥はさらにナガエシラチャーソースを追加し、辛さが倍増したカレーを食べ続けた。
『エルステのアホー!!!!』
ノインの絶叫が、上質なBGMだと言わんばかりに。
「――で、お腹もいっぱいになったことだしこれからについて打ち合わせしておこうか。あと、『カタストロフ』の襲撃についても確認しときたい」
(辰弥の中だけ)大騒ぎだった食事も終わり、晃がいよいよ今後についての本題に入る。
「一応、一般人に知られたくなかったのかな。人気のないところで襲ってきたんだけど」
思い返しながら辰弥が呟く。
あの時、近くにいると分かったから敢えて人気のない森に「カタストロフ」を誘い込んだ。それにまんまと引っかかった「カタストロフ」が襲撃してきたわけだが、そのあとは態勢を立て直すこともなく完全に撤退してしまっていた。
辰弥としては陽が落ちてから再度襲撃してくる可能性も考慮していたので拍子抜けもいいところである。
「まあ、『カタストロフ』も一般人は知らない秘密組織だからね。あの上町支部の解体で組織の名前を知った人間は多いだろうけど、何をやってるかとかは明言されてないから」
「むしろ、名前だけでも知られてしまったからそれ以上何も知られたくない、と」
辰弥の言葉に晃がそうだね、と頷く。
「だから人気の多いところを移動していれば『カタストロフ』も下手に手出しはできないと思う」
「いや、それも無理があるな。向こうもそれは理解しているだろうから大規模な襲撃はせずとも隠密による暗殺を図る可能性もある」
楽観的な晃の言葉を一旦否定し、鏡介がそうだな、と言葉を続ける。
「とはいえ、隠密が得意な暗殺者は重宝される。こちら側の索敵網を考慮してもそう何度も投入できない戦力のはずだ。だから基本的に街中を移動すれば襲撃は減らせるかもしれないが、それはそれでこちら側にも制約は多い」
「そういえば、『カタストロフ』の捜索網ってどんな感じなんだろう。俺が河内池辺にいるって分かってんだからここに長居するのは危険だよね」
辰弥の言葉に鏡介がああ、と頷く。
「だから明巡にはここを発つ。とはいえ、
「じゃー
遠くならまずそこだろ、と言わんばかりに日翔が提案してくる。
「バカか。渡嶋道は自家用車で渡れん。フェリーに乗れば行けるがそんなことすれば密室で襲ってくださいということになるぞ」
「ちぇー」
ご当地海鮮丼食いたかったなーと未練たらたらな日翔に辰弥が苦笑した。
渡嶋道は桜花国を構築する列島のほぼ最北端に位置する最大級の島である。桜花の本州とは橋で接続されておらず、移動するにはフェリーや海底トンネルを通る列車に乗るなど、公共交通機関の利用が必須となる。キャンピングカーに乗って移動するには現実的な選択肢ではなかった。
「
「館県かぁ……りんごもうまいんだよなぁ」
じゅる、と涎を垂らす日翔に鏡介が盛大にため息をつく。
「まあ、館県を逃走先にするのは悪くないな。今の『カタストロフ』の戦力を推測する限りあの辺りまで手を伸ばすのは無理がある。まぁ居着いてしまえばどこでどう察知されるから分からんから長居はできないが、各地の
桜花本州の最北端にある館県。渡嶋道とは海を挟んで最も近い場所にある。「カタストロフ」の桜花戦力が第二首都圏に含まれる上町府を中心としていると仮定した場合、陸続きの中では最も遠い場所になるので逃亡先としてはかなりいい選択肢となる。
「なら決まりだね、第一首都圏を抜けて館県を目指す。その後ゆっくり南下するのもいいんじゃないかな」
鏡介の言葉に、辰弥が楽しそうな顔をした。
桜花各地を巡る、そんな生活は考えたことがなかった。研究所にいた頃は研究所を離れることなど考えたことがなかったし、日翔に拾われてからも一生暗殺者として上町府から離れられないと思っていた。それはカグラ・コントラクターに捕捉されてしまったため武陽都へと逃げ込んだが、それでもここで骨を埋めることになるとばかり思っていた。思いがけず上町府へ戻ることもあったがまさかこうやって桜花各地を旅してまわることになるとは。
自分に何ができるのかは全く分からない。桜花各地を転々としながら進めていくのは辰弥にとって未知の体験だった。
ノインと融合して新たな身体になって、そこから始まる旅が辛いものであるはずがない。そう、辰弥は期待していた。
「カタストロフ」の襲撃はもちろんあるだろう。だが、それが常時起こるとも思えないし運が良ければ遭遇することすらないかもしれない。
逃避行であっても、穏やかな日々を過ごせるかもしれない。
そう考えると、辰弥も日翔に負けず劣らずの期待を持っていた。
「じゃあ、まずは北上するってことで決まりだね。君たちの位置は頻繁に報告しなくていいよ。メンテナンスの時だけどこにいるか、どこで合流するかだけ教えてほしい」
方向性が決まったのならもうこれ以上話し合うことはない。
鏡介も頷き、辰弥を見る。
「というわけでもう寝るぞ。なるべく早いうちに移動したいからな」
「あ、ちょっと待ってよ」
鏡介が見た辰弥はゴソゴソと何かをしていた。
よく見ると大ぶりのマシュマロにバーベキュー用の串を刺している。
「はい、鏡介」
辰弥がマシュマロを刺したバーベキュー串を鏡介に手渡す。
「……焼きマシュマロか」
辰弥の意図を察し、鏡介が苦笑する。
「日翔も」
「やりぃ! 焚き火で焼きマシュマロ、やってみたかったんだよな!」
日翔もノリノリで串を受け取り、焚き火にかざし始める。
「私の分はないのかい?」
「もちろんあるよ」
晃にも串を手渡し、辰弥もマシュマロを焚き火にかざし始めた。
焚き火に炙られ、マシュマロに少しずつ焦げ色が付いていく。
「……とりあえず館県に行くって決めたけどさ」
マシュマロを炙りながら、辰弥がポツリと呟いた。
「この辺りにいられるのってもう最後かもしれないじゃん。だから、もう少し観光したいな」
「具体的には?」
鏡介が辰弥に尋ねる。
第一首都圏は首都圏というだけあって「カタストロフ」の辰弥に対する包囲は密になっているはずである。場所によっては再び襲撃されることも、今後の行き先がバレてしまうこともあり得る。
できればどこにも立ち寄らずに包囲網を抜けてしまいたかったが、辰弥がわがままを言うことが珍しすぎて可能であるなら叶えてやりたい、と考えてしまう。
そうだね、と辰弥が口を開いた。
「
「……いいだろう」
鏡介が小さく頷く。
馬返東照宮と言えば第一首都圏内でも有名な観光名所だ。観光名所だけあって人の動きは激しく、そんなところで襲撃しようものなら多くの一般人を巻き込む上に下手をすれば世界遺産を破損してしまうこともあり得る。「カタストロフ」としては最も近づきたくない施設の一つだろう、と分析する。
辰弥がここに行きたいと言ったのもその意図があってだろう、と考え、鏡介は焼き上がったマシュマロを焚き火から引き上げた。
「……この状況を楽しむのもいいかもしれないな」
「カタストロフ」から逃れることだけを考えていたが、だからと言って肩肘張っていても疲れるだけだ。辰弥や日翔のように「カタストロフ」のことを思考の片隅に残しておいて旅を楽しむのもいいかもしれない。
かつて、
裏社会からは抜けきっていないし逃亡生活ではあるが、今の自分たちは一般人に限りなく近い場所にいる、という感じがした。
気ままに旅をして、旅費を稼ぐためにアライアンスの仕事を受けて、そして次の場所へ向かう。
今までになかった自由が、そこにあった。
いつ、何が起こるかは分からない。何かしらのきっかけで旅が終わることも考えられる。
それでも、今はこの旅を楽しもう、と鏡介は自分に言い聞かせた。
いつか、笑って思い返せるように。
今まであまり作ることができなかった明るい思い出をたくさん作るために。
「じゃあ、さっさと食べてさっさと寝る。明巡は早いぞ」
そう言い、鏡介は焼きたてのマシュマロを口に運んだ。
焼かれてとろりとしたマシュマロが、甘く鏡介の口に広がっていった。
to be continued……
おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと あすとれい
第1章 「みかくが☆あすとれい」
「Vanishing Point / ASTRAY 第1章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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