• Vanishing Point / ASTRAY
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Vanishing Point / ASTRAY 序

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  序 Journey of Astray -迷いの旅路-

 

 陽の落ちた国道を一台のキャンピングカーが走っている。
 運転席に座るのは背中にかかるほどの銀髪の青年――鏡介きょうすけ
 助手席にはこれまた腰下まで伸びる、ところどころ白い房のある黒い長髪の青年――辰弥たつやが座っている。
 後部の居住空間の座席には茶髪の青年――日翔あきとが暇そうに座っていた。
「なあ、鏡介」
 暇を持て余したのか、日翔が座席を立ち、運転席側に顔を出す。
「日翔、危ない」
 ちら、と振り返り、辰弥が注意するが、それでおとなしく戻る日翔ではない。
 運転席に首を出したまま、日翔は言葉を続けた。
「どこに行くつもりなんだ」
河内池辺かわちいけのべに行くと言っただろうが」
 日翔に視線を投げることもなく、鏡介が答える。
「だから、河内池辺に行ってもどうせ『カタストロフ』が追いかけてくるだろ。その後どうすんだよ」
「まあ、行き先が決まってないのは事実だね。とりあえず河内池辺周辺でいろいろ整えて――それからどうしよう」
 そう、呟く辰弥の手には色を揃える立方体のパズル玩具、マジックキューブが収まっている。長時間の移動で辰弥も暇を持て余したのだろうが、だからと言ってそんなものを生成しなくても……と運転席で鏡介は考えていた。
 車は自動運転モードにしているため、鏡介もハンドルを握る必要はない。そうなると暇を持て余すのは鏡介も同じだったが、辰弥のように生成能力があるわけでも、日翔のようにコミュニケーション能力があるわけでもなく、ただぼんやりと流れる景色を眺めるしかなかった。
 ――というのが辰弥と日翔の認識だったが、当の鏡介はぼんやりとする暇などなかった。
 一応は不測の事態に備えて両手は空けているが、思考は高速で回転し、これからのことをまとめている。
a.n.g.e.l.エンジェル、周辺の防犯カメラをピックアップ、映像を――)
『周辺の防犯カメラの映像、前後三〇分のデータ消去完了しています』
 鏡介の指示を先回りして受け取ったa.n.g.e.l.が即答する。
 相変わらずこいつの解釈はすごいなと鏡介が考えると、その思考を受け取ったa.n.g.e.l.が「お褒めに預かり光栄です」と返してくる。
(しかし、『カタストロフ』が拠点を襲撃してきたが不在だった、となると恐らくは全国に包囲網を展開するはず。本拠地である上町支部が潰されたとはいえ細かい拠点はあるだろうから、その網を抜けるとなると――)
『「カタストロフ」の上町支部が壊滅したことを鑑みて、現時点での「カタストロフ」には桜花全土に包囲網を敷くほど密な行動はできないと推測されます』
 なるほど、と鏡介は呟いた。
 a.n.g.e.l.の言うことはもっともだ。辰弥の話によれば上町支部は何やら不思議な仕組みによって立ち入ることができなかったのにすばるが死亡した直後にカグラ・コントラクターが突入し、制圧している。そう考えるとプレアデスという不可視の存在――オカルトでしか説明できないようなものを従えていた昴が何らかの仕掛けを施していても不思議ではない。
 それほどの拠点を「カタストロフ」は失ったのだ。上町支部のリーダーであった昴もいなくなったことで桜花の「カタストロフ」は混乱の只中にあるはず。それなのに辰弥を殺すためか確保するためかは分からないが「グリム・リーパー」の拠点を襲撃したのはよほど辰弥のことがネックになっていたのだろう。
 鏡介がちら、と助手席の辰弥に視線を投げる。辰弥は無言でマジックキューブをくるくると回してばらばらになった色を合わせようとしている。
 所沢ところざわ 清史郎せいしろうによって開発された局地消去型生物兵器Local Eraser Biowepon――通称「LEBレブ」の第一号被検体、「第一号エルステ」が本来の識別記号名前である辰弥は清史郎がいた兵器開発第1研究所がカグラ・コントラクター有する特殊部隊「特殊第四部隊トクヨン」によって制圧されたことをきっかけに世に放たれ、その後研究を復元した永江ながえ あきらが開発した第二世代のLEB、その最終ナンバーである「ノイン」と融合し、新たな個体となった。融合前の面影は残っているが単純な見た目は以前より成熟しているようにも見える。
 昴と彼が率いたプレアデスとの戦いで、勝てないと悟った辰弥は自分という「個」を棄てた。ただ昴を殺すためだけに力を欲し、それに応じたノインと融合して鎖神さがみ 辰弥たつやとしての在り方まで棄て去った。LEBであることを隠し、人として生きようとした辰弥が生き延びるためにLEBとしての生き方を受け入れ、その後昴を否定するために自分という存在まで否定する――その決断を日翔も鏡介も責めることはできない。結果として、辰弥は一度は自分を棄てたもののノインの声で自我を取り戻したらしいが、それでも一度は自分を手放そうとした事実は二人にも重くのしかかってくる。
 ――お前はそれでよかったのか。
 日翔も鏡介も、言葉にせず辰弥に問う。
 「自分を棄ててまで、お前は何を守ろうとしたのだ」と。
 鏡介の視線を感じたのか、辰弥が手を止めて視線を上げる。
 深紅と黄金きんの瞳が鏡介に投げられる。
「どうしたの」
 二色の瞳に見据えられ、鏡介が「いや」と低く呟く。
 呟いてから、一度目を閉じて考えをまとめ、言葉にする。
「後悔してないのか」
「何を」
 辰弥の指がマジックキューブを回す。
 車のモーター音が響いているはずなのに、マジックキューブが回転してかちりと止まった音が聞こえた気がして鏡介は辰弥から視線を外した。
「自分を棄てたことに後悔はないのか」
「後悔してない――と思う」
 躊躇いがちな辰弥の声。
 その声音に、何故か鏡介は安堵を覚えた気がした。
宇都宮うつのみやが千歳の尊厳を踏みにじったことも、日翔を俺を釣るための餌にしようとしたことも、鏡介を殺そうとしたことも、何もかもが許せなかった。でも、あの時の俺は宇都宮には勝てなかった。だから――」
「『邪神に魂を売った』か?」
 以前、辰弥が言っていたことを思い出し鏡介が揶揄する。
 ほんの少しの沈黙の後、辰弥が苦笑した。
「言ったね、そういうこと」
「ああ、日翔のためならと言ってお前は俺を裏切った」
「ごめんて」
 再度苦笑し、辰弥がマジックキューブを回す。
「――でも、その結果、日翔が助かったんだから結果オーライじゃない?」
「その結果お前が自分を棄ててたら意味ないぞ」
 言葉は厳しいが、口調はむしろ柔らかい。
「お前がそれで納得している、後悔していないなら俺はこれ以上何も言わない。だが、少しでも後悔があるのなら――」
「後悔があろうがなかろうが俺のために無茶したのは事実だろー。無茶しやがってさ」
 そう割り込んで苦笑した日翔は窓の向こう側に視線を投げ、それから言葉を続ける。
「本当なら俺はここにいるはずがなかった。そう考えるとお前らが戦ってくれたから今お前らと一緒にいられるってのも分かってる。が、そのためにお前らが無茶をしたと考えると正直複雑だぞ」
 末期の筋萎縮性側索硬化症ALSとなっていた日翔を救うために辰弥と鏡介は自分たちのプライドを捨てて「サイバボーン・テクノロジー」の狗として戦い続けた。一度は辰弥が鏡介を裏切ったもののその結果、新しく開発されたALS治療薬の治験ではなく御神楽みかぐら財閥が多くの人を救うために開発を進めていた生体義体で日翔は快復した。
 病に冒された元の肉体を捨て、生体義体という新たな肉体を得たことで日翔は今こうやって二人の後ろで会話をする――いや、以前と同じ暗殺者として生きることができている。
 自分が死なずに二人と生き続けることができるという事実に、日翔は感謝していた。諦めて、静かに「その時」を待つだけだと思っていたのに二人が――いや、二人とそれを取り巻く多くの人間が抗ったことで奇跡は起きた。
 これはもう奇跡と言って差し支えないだろう。現に日翔は今ここにいる。
 ――そのために多大な犠牲は払ったが。
 日翔の代わりにと「グリム・リーパー」に補充された千歳ちとせは死んだ。いくら千歳が裏切ったとしても千歳を最後まで信じた辰弥が殺してしまった。その辰弥は昴の手からあきらを奪うために自分を捨てた。
 たった一人の命のためにそこまでの犠牲を払う必要はあったのか、と考え、日翔は違う、と考え直した。
 たった一人のため、ではない。天辻あまつじ 日翔あきとという替えがきかない仲間を救うために大勢が動いた。諦めれば永遠に失われるものだから、諦めずに戦い続けた。
 そう考えると辰弥も自分を捨てたとしても日翔が助かるなら安いものだと思ったのだろう。他に昴に対する怒りや憎しみが混ざったとしても、それも晴らせるなら自分を捨ててもお釣りが出るくらいの認識だったかもしれない。
「……バカ」
 思わずそんな言葉が日翔の口からこぼれる。
「なんか言った?」
 日翔としては聞こえるように言ったつもりはなかったが、普通の人間に比べて耳のいい辰弥には聞き取れたらしい。
「いーや、なんでも」
 そう言い、日翔が後部座席に戻る。
 ――と、そのタイミングで三人にグループ通話の着信が入った。
「む、永江ながえ あきらからか」
 発信者の名前を確認し、鏡介が呟く。
「このタイミングで、ということはメンテナンスに関しての打ち合わせか」
「なんでもいいよ、とりあえず出よう」
 辰弥が通話ボタンをタップし、回線を開く。
 日翔と鏡介もそれに続い、通話が開始した。
《おー、みんな無事か、よかった》
 三人が通話に出たことで晃が心底ほっとしたような顔をする。
《いやぁ、今後の打ち合わせをしようと思って君たちの家に向かってたら見慣れた戦闘服の奴らが家の周りをうろうろしてるのを見かけてね》
「よく『カタストロフ』と分かったな」
 鏡介がそう言うが、三人とも分かっていた。
 晃も一時は「カタストロフ」に身を置いていたのだ、その制服くらい知っている。
 まあね、と晃が頷き、それで、と続ける。
《とりあえず君たちを逃すためにキャンピングカーを手配したけど、乗り心地はどうだい?》
「快適!」
 この質問には日翔が真っ先に答えた。
 辰弥と鏡介もその反応に苦笑しながら頷く。
「悪くない。しかし、キャンピングカーなんて普通即納なんてできないだろうが」
 キャンピングカーに限らず車は契約してから納車までに時間がかかるはず。人気の車種や特殊な車になれば半年や一年くらい待たされるのが当たり前だが、晃は一体どうやって即対応させたのか。
 ふふん、と晃が胸を張る。
《中古なら割と納車早いよ。そこに緊急で使うという即納手続き、運び屋ポーター手配となったら――》
「まさか」
 晃の言葉に鏡介がピンときた。
 通常の手続きなら即日や翌日対応など不可能だ。即納手続きとなると、それはもう裏社会の伝手となる。裏社会の販路は秘密や速度が優先される。そこから導き出せるのは――。
 ああ、と晃が頷いた。
暗殺連盟アライアンスを利用したよ。流石にこの状況はアライアンスにも報告しないと君たちは無断離反で追われることにもなるし、ちょうどいいだろ?》
「確かに……」
 アライアンスも慈善事業ではない。いくら裏社会のフリーランスの互助会だとしても無断で加入、離脱はできない。重要な情報を持って逃げられればそれだけで紛争の火種となってしまうから加入も離脱も厳重な調査の元行われる。
 辰弥たち「グリム・リーパー」が上町府うえまちふから武陽都ぶようとへ移籍する時もそうだった。「グリム・リーパー」は上町府で確かな信頼を得ていたから比較的容易に移籍はできたが、それでも無断で離脱すればアライアンスも情報漏洩を防ぐために刺客を放つはず。ただでさえ「カタストロフ」の追っ手から逃げなければいけないのにアライアンスからも追われれば流石の「グリム・リーパー」も逃げ切ることはできないだろう。
 その点で、晃がアライアンスに通報してくれたのは都合が良かった。
《とりあえず、アライアンスに『グリム・リーパー』が『カタストロフ』に追われていることは伝えた。なんだよ君たちアライアンスよりもサイバボーンの依頼優先してたって? 即納でキャンピングカー用意できないかって言ったら『いい厄介払いだ』とかぶつぶつ言いながら用意してくれたよ》
「……なんか厄介払いとか言いながら親切だね」
 移籍直後は日翔のALSの件もあり、アライアンスは千歳をけしかけてきたし「グリム・リーパー」はアライアンスの依頼よりも「サイバボーン・テクノロジー」の依頼を優先させた。
 その点では信頼なんてなかった、助ける義理もなかったはずなのにと呟きつつ辰弥はマジックキューブをダッシュボードに転がした。
《そりゃあ、それだけ金を積んだからね》
 なんて事のないように晃が言う。お金を持ってる奴は言うことが違うな、と三人が会話に乗せず心の中でぼやく。
「で、今回電話してきたのは?」
《ああ、本題に入ろう。とりあえず君たちのメンテナンスのことだ。特に鏡介君、君は直近でホワイトブラッドの透析が必要なはずだ》
「……確かに」
 晃の言葉に鏡介が頷く。
 通常の透析患者ほどの頻度ではないが、ホワイトブラッドの副作用を抑えるためにも透析は欠かせない。今回の依頼が終わって帰還してから透析に行こうと考えていただけにこの襲撃は鏡介にとって大きな痛手だった。義体メカニックサイ・ドックは各地にあるとはいえ裏社会に生きる鏡介が正規の義体メカニックサイ・ドックを頼ることはできず、どうしても誰でも大歓迎な闇義体メカニックサイ・ドックを頼らなければいけない。そんな闇義体メカニックサイ・ドックが分かりやすく居を構えているかというとそんなはずはなく、裏社会のネットワークを使って探し出さないといけない。
 その辺りはウィザード級ハッカーである鏡介なら難なく探し出せるものだが、いくら誰でも歓迎するとはいえ闇義体メカニックサイ・ドックも厄介ごとは抱えたくないので「カタストロフ」に追いかけられています、な鏡介を快く受け入れてくれるかというとそれは難しいかもしれない。
「当てはあるのか?」
 鏡介の質問に晃はもちろん、と頷いた。
《日翔君の生体義体メンテ、辰弥君エルステのテロメア修復、そのついでに君の透析くらい設備は用意するよ。ってか、秘蔵の移動ラボの出番だからワクワクするね!》
「うわこいつ遠足気分で俺たちのメンテする気だ」
 後ろで日翔が呆れているが、晃がこのノリなのはノインのことで顔を合わせて以来数度程度なのにもう慣れた。「まただよ」という顔で辰弥は「助かる」と答えていた。
「助かるよ。予定としては鏡介の透析だけ?」
《一応日翔君の生体義体の追跡調査もしておきたいからね。御神楽には内緒で開発した武装オプション追加してるからどこかで試射とかできるといいんだけどなあ……》
「え、なんだ試射って俺生身で弾飛ばせたりするの!?!?
 晃の発言に目を輝かせる日翔。日翔としては生体義体になったということは以前の肉体のようなインナースケルトンによる怪力は出せないだろうと思っていたところである。一応「武装オプションは組み込んだ」と言われていても今回の仕事でそれを使うことはなかったし、そもそも使い方を聞いていない。
 試射、と言われればいよいよその武装オプションがどのようなものか実際に使える、と日翔はわくわくしていた。
 その点で言えば日翔は以前の肉体に未練を持っていない。とりあえず骨は両親の遺骨も納められているという無縁仏の墓に入れるということで車に積み込んでいるが、それは辰弥の希望で日翔本人は「燃えるゴミでよくね?」と気楽なものである。
《そうだな、生体義体の武装オプション、しっかり理解してもらわないといけないし次合流した時に微調整も兼ねてテストするよ》
「おう、楽しみにしてるぜ!」
 日翔が腕を曲げ、力こぶを作るポーズをとる。
 それを通信画面で見ながら辰弥も小さく頷いた。
「予定としては鏡介の透析、日翔の調整、それから俺の調整って感じ?」
《そうだな、優先度としてはそんな感じだ。エルステがトランス連発してるというなら話は別だがそうでもないんだろう?》
 うん、と辰弥が頷く。
「とりあえず、俺たちは今河内池辺に向かってる」
《池辺か。結構近くだな》
「まあ、色々遠出する準備もあるし」
 辰弥がそう答えたところで、通話に参加している全員の視界に一枚の地図が表示された。
「河内池辺で大型車が止まっても不自然ではない施設を探していたんだが、ここなら合流しやすいだろう」
 鏡介の言葉に、他の三人が地図を見ると市街地から少し外れたところに構えられたキャンプ場にピンが立てられている。
「へえ、RVパーク池辺……RVパークって、車中泊しやすいように整備されたところだよね?」
「ああ、コテージもあるが、キャンピングカーや車中泊装備の客向けの施設だな。大型トラックも泊まれるように整備されているし、ここなら目立つことなくメンテナンスもできるだろう」
 晃からの連絡に、鏡介は鏡介なりに施設を調べていたのだろう。a.n.g.e.l.のサポートもあるだろうが即座にこのような施設を調べ上げてしまうとは鏡介の情報収集能力恐るべし、である。
 鏡介が送ってきた施設の詳細を確認した晃もいいね、と声をあげる。
《ということはエルステの手料理食べられたりするのかな? ほら、日翔君から散々聞かされてるからさ、一度は食べてみたかったんだよ。あ、もちろん唐辛子もりもりの辣子鶏だと嬉しい》
「嫌だよ、なんで唐辛子もりもりの辣子鶏作らなきゃいけないの」
「いや、そもそも辣子鶏は唐辛子もりもりだ」
 不毛な会話に律儀にツッコミを入れた鏡介、今は辣子鶏のことよりも今後の打ち合わせを早く済ませてしまいたい。
「とにかく、目標はRVパーク池辺、ただ、正直なところ俺も疲れているから一旦この近辺で休みたい」
 元々仕事で武陽都の僻地に赴き、戦闘も終わらせた後である。いくら自動運転でも色々考えることが多い鏡介は一度休息を挟みたかった。
「別に自動運転なら鏡介は後ろで休んでくれてもいいんだよ。運転席に座るくらいなら俺でもできるし」
「未成年に運転席を任せられるか」
 辰弥の外見はすでに二十代半ばのもので、それに合わせて各種身分証明になるものも偽造済みではあるが、日翔も鏡介も「辰弥に運転は絶対に任せない」とばかりに辰弥の真相が発覚して以来は一切運転席に座らせていない。
 むぅ、と辰弥が不満そうに唇を尖らせる。
 その辰弥の頭をがしぃ、と掴み、日翔が運転席に首を突っ込んだ。
「はいはいガキはおとなしく座ってな。鏡介、俺が代わってもいいんだぞ」
「嫌だ。お前が一番信用ならん」
「いけずー」
 ここで辰弥や日翔に運転席を任せて仮眠を取ればいいものを、目的地の到着まで責任を持ちたい、と考えるのは鏡介の悪い癖なのか。
《まぁ、私も色々準備があるから今夜合流して調整とかはできないよ。連泊も下手をすれば目立つだろうし、今のところはどこか別のところで休憩した方がいい》
「助かる」
 それなら、と鏡介がa.n.g.e.l.のサポートを利用しつつ直近の車中泊可能な道の駅を検索する。
 ほんの少しできた沈黙に、辰弥が小さく唸って口を開いた。
「そういえば永江 晃……うーん、どう呼んだらいいの」
《君が呼びたいように呼んでくれていいよ。フルネームだと呼びづらいだろうから下の名前だけでもいいんだが》
 呼び方についてはこだわりがないよ、と続ける晃に、辰弥は「それなら」と呟く。
「なら晃、あんたは俺の体についてどう考えてる?」
《初手から重い話持ってくるなあ……トランス可能なLEBの融合なんて初めてだから正直驚いてるよ。あの初回メンテナンスでざっくりとは調べたけどもっと詳しく調べたいと思ってる。クローン作って解剖したいレベルで》
「それはやめて」
 相変わらず突拍子もないことを言う晃に、辰弥は少しだけほっとしたようだった。
「まあ、今後のメンテナンスで色々調べてくれたらいいよ」
《……》
 通話の向こうで、晃が一瞬沈黙したのが分かった。
《……エルステ、何か言いたいことがあるのかい?》
 その言葉に、辰弥が一瞬目を泳がせる。
「……いや、別に」
「なんだ? 主任と個別で話したいことがあるのか?」
 辰弥の様子に何かを悟ったのか、日翔が身を乗り出して辰弥の顔を見ようとする。
「日翔、危ない」
 そのタイミングで、キャンピングカーが路上の石を踏んだか一瞬車体ががたんと跳ねる。
「うぉっと」
 慌てて後部座席に戻り、日翔がそれなら、と続けた。
「俺と鏡介は通話から抜けるが?」
 元々、GNSの通話に発声は必要ない。今三人が声を出しているのはいつもの会話のノリで喋っていただけだ。だから日翔と鏡介が通話を抜けて辰弥が発声せずに会話を続ければ二人には辰弥の言葉は伝わらない。
「……いや、大したことじゃないから。ただの思い過ごしだよ」
 ダッシュボードに手を伸ばし、辰弥はマジックキューブを手に取った。
 何度かくるくる回すと、全ての面の色が揃う。
「ま、とにかく合流するとしたら三日後翌巡くらいかな。鏡介に晃の分の予約も入れてもらうからそれに合わせてよ」
《了解した。君たちも気をつけるんだぞ》
 晃の言葉に、辰弥がもちろん、と頷く。
《じゃあ、現地で会おう。それまで襲われるんじゃないぞ》
 晃のその言葉を最後に通話が切れる。
「……ふう」
 一つ息をつき、辰弥は手の中のマジックキューブに視線を落とした。
 それから再びくるくる回して色の配置をバラバラにする。
「日翔も遊ぶ?」
「えー、俺マジックキューブ苦手なんだよなあ」
 そう言いながらも日翔がマジックキューブを受け取り、遊び始める。
「いやー、こんなものまで作れるとか辰弥すげえな」
「ふふん」
 少々得意げな辰弥の声に、日翔が苦笑して座り直す。
 全てが明らかになる前はこんなものですら生成することはなかったのに、今では暇つぶしのためだけに生成能力を使っている。
 それだけ成長したんだなあ、お父さんは嬉しいぞ、などと考えながら日翔は生体義体に移植した直後の辰弥を思い出した。
 たった一度だけ、「父さん」と呼んでくれた辰弥に誇らしさ半分、恥ずかしさ半分の感情が入り混じる。
 生きていてよかった、辰弥を悪い意味で泣かせなくてよかった、そんなことを思いながら、日翔はマジックキューブを回していた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

三日目夜日もそう遅くはない時間帯。
 いくら温泉で休憩したとしても戦闘の疲れは根強く残っていたのか、日翔と鏡介は奥のベッドルームで寝息を立てている。
 リビングエリアのラウンジソファを展開したサブベッドで横になっていた辰弥は二人が熟睡しているのを気配で感じ取り、体を起こした。
 物音を立てないようにベッドを降り、そっとドアを開けて外に出る。黒猫ねこまるも起きていたのかぬるりと辰弥の足元をすり抜けて外に出ていく。
 八時間スパンで空を巡る太陽は上り切ったところで、周囲は明るい。
 散歩をするかのようにしばらくぶらぶらと歩き、辰弥は人気のない駐車場の角で足を止めた。
 空中に指を走らせて通話をタップ、連絡先から晃の名前を選択する。
 数コールの呼び出し音の後で、晃の顔がウィンドウに浮かび上がった。
《おや、エルステ。君から連絡してくるなんて珍しいね》
「……起きてたんだ」
 もうそろそろ寝る時間だろうに、と辰弥が苦笑すると、晃はまあね、と返してくる。
《明巡の準備もあるし、それに――君が連絡してくると思ったからね》
「分かってたの」
 そう呟いた辰弥の口調には明らかに安堵が含まれていた。
 分かっているなら話が早い、と辰弥は駐車場を区切るブロックに座る。
《で、さっきは何を言おうとしたんだい? 日翔君と鏡介君にも聞かれたくないことがあるなんて珍しい。明日は光輪雨が降るのかな》
「冗談はよしてよ。こう見えても俺は四年間自分がLEBだってこと隠し通してきたんだよ。今さら隠し事なんて」
 空を見上げ、辰弥が自嘲気味に笑う。
 日翔も鏡介も自分のことを大切に思ってくれている。人間ではなく生物兵器だと分かっても人間として扱ってくれる。それでも辰弥は全てを二人に打ち明けることができなかった。
 これ以上隠し事をしても仕方がない、とは分かっている。このことも隠すべきではないと分かっている。それでも、この事実を打ち明けても二人はきっと信じない。
《まあいいか。で、何があったんだ? 君の身体のことならこの間の調整で必要最低限のデータは取ってるけど?》
 辰弥が自分から連絡してくるとは身体のことだろう、と推測した晃の口調は真剣だった。
 晃からすれば辰弥の身体は今すぐにでも調べ上げて研究を進めたい格好のサンプルである。先ほど「クローンを作って解剖したい」と言ったのも冗談ではなく本心かもしれない。
 そんなLEB研究の最先端を行く晃だからこそ、辰弥は今の状況をしっかりと説明しておきたかった。
 ほんの少し口を閉ざして出すべき言葉を考えたのち、辰弥は思い切って口を開いた。
「ノインのことだけど」
 辰弥が「ノイン」と口にした瞬間、通話の向こうで晃が姿勢を正したのがわずかな音で感じられる。
《……ノインがどうした?》
 まさかノインのことを話題にされると思っていなかったのか、晃の声がわずかに緊張している。
 うん、と辰弥が小さく頷いた。
「……ノインは、生きてる」
 その瞬間、通話の向こうで大きな物音が響き渡った。それだけではない、何かが割れる音なども響いたので晃が思わず椅子を蹴って立ち上がり、その拍子にマグカップでも落としたのだろう、と辰弥は冷静に分析していた。
《ノインが生きてるって!?!? いや、融合した細胞は活動しているから生命としては生きてると言えるけど、君が言う『生きてる』ってそういうことじゃないよね!?!?
 矢継ぎ早に繰り出される質問。
「ちょ、落ち着いて」
 晃をなだめながら、辰弥は言葉を続けた。
「なんか、俺の中にノインの人格がある。人格の主導権は俺にあるんだけど、どうも俺にだけノインの幻影が見えて、会話できる」
《なるほど、君とノインの細胞は完全に融合したというよりは別々のままで流動的に結合している状態のはず。だから、脳細胞にもノインのものが含まれているから君にしか見えない幻影として存在している、ってことかな?》
「多分」
 自分よりも自分の身体の状況を把握している晃に少々むっとなりながらも辰弥が頷く。
《じゃあ、ノインが君に見えて会話ができるとして、私のことは何か言ってたかい? 生きてるなら声を聞きたいけどそれは難しいかなぁ……。いや、GNSの念話ならワンチャン……》
「……」
 晃がノインを溺愛していることは知っている。そのせいで辰弥たちは散々な目に遭ったのはまだ記憶に新しい。
 それだけに、辰弥の言葉に迷いはなかった。
 少しだけ視線を地面に近づけると、駐車場の散歩を終え、のんびり日向ぼっこしているねこまるにノインがちょっかいをかけているのが見えた。
「……ノイン、」
 辰弥がノインの幻影に声をかける。
『なに、エルステ』
「主任に伝言、ある?」
 返ってくる答えは予想できたが、念のため確認する。
『んー……』
 ノインがほんの少しだけ首を傾げ、
『主任、じゃま』
 たった一言、そう言った。
「『主任、じゃま』だって」
 一言一句間違えず辰弥が晃に伝える。
《うわあああああああああああああノインだあああああああああああああ!!!! でも邪魔なんていつものことながら酷い!!!!
 うわーん、と泣き出す晃に辰弥ははぁ、とため息をついた。
「相変わらずの情緒不安定だなあ」
《エルステもノインに邪魔って言われたら分かるよぉ! なんでノインは邪魔ばっかり言うんだよぉ!》
『主任、うるさい』
「とにかく、伝言は伝えたから。とりあえず、信じてくれる?」
 とりあえず今は晃を泣き止ませないと話が進まない。
 そう思ったが、情緒不安定な晃は次の瞬間にはけろっとした様子に戻り、もちろん、と頷いた。
《とりあえずノインの意識が残っているのは分かった。と、いうことは――》
 ふむふむと晃が少し考え始める。
 その様子に、辰弥はほんの少しだけ「もしかしたら」という希望が頭をもたげたことに気が付いた。
 自分一人では不可能だが、晃の力を借りれば――。
《分離、できるんじゃない?》
「ほんと?」
 思わず辰弥の声が跳ねる。
 ノインとの融合はあの状況では必要不可欠ではあったが、それでもノインの意識が残っている以上いつかは分離したいと思っていた。自分にだけノインが見えるのも声が聞こえるのも煩わしい、というのが本音であったとしてもノインはノインで自由に生きたいはずである。
 それが、晃の口から「分離できるんじゃない?」と言われたことで頭をもたげた希望が一気に輝きだす。
《多分、結合が強すぎるから君とノインが意識を合わせた程度では分離しないと思う。となると強制的に結合を解除するためのセパレーターを作ればきっといける。あくまでも『理論上は』という状態だから100パー確実に、とは言えないけどセパレーターくらいなら作れると思うなあ》
「……任せていい?」
 ほんの少し、縋るような声で辰弥が言う。
 ああ、と晃が力強く頷いた。
《君も自由になりたいだろう? だったら全力を尽くすよ。それに――》
「面白い研究材料が見つかった、って?」
 晃が言いそうなことはなんとなく分かる。
 先回りして辰弥がそう言うと、晃は「それそれ!」と声を上げた。
《だって久遠くおんはLEBの研究するなって言うんだよぉ。LEBの研究はライフワーク! でもセパレーターの開発ならうまく言ってごまかせるだろうし、頑張るよ!》
「……大丈夫かな」
 はっきり言って不安しかない。
 ここに来て「やっぱり言うんじゃなかったかな」と思いつつも、辰弥はそういうことで、と話を切り上げた。
「俺が言えるのはこれだけ。セパレーターは任せたよ」
《おう、任された!》
 晃が右手を額の高さに掲げて敬礼のポーズをとる。
《とりあえず、池辺で合流したらもう少し詳しく調べさせてもらうよ。それでいいね?》
「うん、その辺は任せる」
 それじゃ、切るよと辰弥が通話終了ボタンをタップしようとする。
《あ、ちょっと待って》
 晃に呼び止められ、辰弥が手を止める。
《エルステ、無茶はするなよ? トランスはもう大丈夫だしテロメアの制限もほぼなくなったようなものだけど無茶をして何かあったら君もノインも救えない。今は君一人の身体じゃないってこと、ちゃんと理解してくれよ?》
「……分かった、極力努力する」
 小さく頷き、辰弥は通話終了ボタンをタップした。
「……」
 もう一度ねこまるに視線を投げ、息をつく。
「無茶はするな、ねえ……」
 それができれば苦労しない。
 「カタストロフ」の追手といつ遭遇するか分からないしこの旅が何事もなく終わるはずがない。
 どこかで無茶はしなきゃいけないんだよ、と思いつつ辰弥は立ち上がり、ねこまるに歩み寄った。
「ねこまる、戻るよ」
 辰弥の声にねこまるがにゃあ、と鳴いて足元にすり寄ってくる。
『だからニャンコゲオルギウス十六世!』
 そんなノインの声を無視してねこまるを抱き上げ、辰弥がキャンピングカーに戻る。
 サブベッドに丸まるように寝転がり、目を閉じる。
(セパレーター、か……)
 本当にノインと分離することができるのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、辰弥の意識は闇へと堕ちていった。

 

to be continued……

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