Vanishing Point / ASTRAY #04
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「カタストロフ」の襲撃を逃れ、キャンピングカーでの移動を始めた三人はまず河内池辺で晃と合流、それぞれのメンテナンスを行うことにする。
途中、河内池辺名物の餃子を食べる三人。その後、「カタストロフ」の襲撃を受けるものの撃退し、RVパーク池辺で一同は一泊することになる。
河内池辺を離れ、隣の馬返に赴いた三人は馬返東照宮を観光する。
その戻りに、辰弥は「カタストロフ」に襲われている一人の少女を保護するが、彼女はLEBだった。
「カタストロフ」から逃げ出したという「
しかし、ナイフを手にした瞬間にPTSDを発症し、ツェンテの殺害に失敗する。
それを見た日翔が「主任に預けてはどうか」と提案、ツェンテは晃に回収してもらうこととなった。
|磐瀨《いわせ》県に到着した三人は路銀を稼ぐため、|千体《せんだい》市にあるアライアンスから「近隣を悩ませる反グレを殲滅しろ」という依頼を受ける。
依頼自体はなんということもないものだったため、メンテナンスを受けてから依頼に挑むが、そこに「カタストロフ」が乱入してくる。
しかも、乱入した「カタストロフ」の構成メンバーはLEB、一瞬の隙を突かれた辰弥が昏倒してしまう。
だが、絶体絶命の状況を覆したのは辰弥自身だった。
反転したカラーの辰弥の動きに、日翔と鏡介は辰弥の中にノインの人格が存在し、このような状況では肉体を制御して動けるということに気付く。
第4章 「A-Dverse 不利」
「いやー……のっけ丼うまかったなァ……」
最初にチケットを白米に交換し、鮮魚市場をぐるりと回って残ったチケットを使い好きな魚の刺身を好きなだけ盛るのっけ丼は日翔とは相性抜群の料理だった。
何しろ、チケットさえあれば好きな具材を好きなだけ
使ったチケット実に六十枚。チケットはバラ売りもされているが、基本的に十二枚ワンセットで売られているものなので日翔は一人で五セット購入したことになる。
鏡介はその十二枚ですら多かったらしく、「ちょっと食ってくれ……」と辰弥に数枚のチケットを譲ったが、そのチケットを譲り受けた辰弥も「少し多かった」となったくらいなので日翔の大食いっぷりが際立ってくる。
五人分を一人で食べた、となると、当然食費もかさむわけで、「グリム・リーパー」の会計担当である鏡介は「またブロックチェーンいじって口座に補充しておかなければ……」と聞き捨てならないことを呟いていた。
「また行きたいね、あの市場」
冷蔵庫にぎっしり詰まった刺身やその他の鮮魚を思い出し、辰弥も呟く。
にゃあ、とキャンピングカーの中を徘徊していた
「おー、ねこまる、腹減ったか」
こいつ、分かってんなあ、と日翔が立ち上がり、ねこまるを抱き上げた。
『だからニャンコゲオルギウス十六世だっつーてんだろーが!!』
ノインが前部座席の隙間から首を出して騒いでいる。
だが、それが聞こえていない日翔はぬるんぬるんと腕から逃れようとするねこまるを器用に抱えながら自分の席に戻っていく。
「ん? ねこまる……お前、太った?」
旅が始まった頃より毛並みの艶が良くなり、質感が増したように感じるねこまる。
ねこまるがにゃあ、と諦めたように日翔の手を舐め始める。
「ははは、くすぐったいなぁ」
「旅が始まってから合成フードよりも本物の魚の切れ端とか食べるようになったもんね。今夜も海鮮丼にするつもりだし、ねこまるもしっかり食べてね」
そんなことを辰弥が呟いていると、ノインも辰弥の膝の上に戻ってきて騒ぎ出した。
『甘エビ食べたい、甘エビ!』
「分かった。ノイン、海鮮丼に甘エビ多めに乗せとくね」
『やったー!』
大はしゃぎのノイン。鏡介がちら、と辰弥を見る。
「ノインは甘エビが好きなのか?」
「多分。あれは俺もまた食べたいって思ったし」
口の中でねっとりととろける甘エビを思い出す。いくら館港跡の養殖工場で養殖されたものとはいえ、天然物とそん色がないおいしさだったのではないか、と辰弥は考える。尤も、天然物など辰弥たちの経済状況ではとても手が出るものではないので想像の範囲だが、それでもフードプリンタで作られたものではない、本物の甘エビはその名の通り甘く、おいしいものだった。
この逃避行が終わったらもう来ることはないかもしれない、と思いつつもまた来ることができればいいな、と辰弥は館魚奈センターの土産物コーナーで買った甘エビのキーホルダーを握りしめた。
立ち寄った先々で購入してきた千歳への「お土産」は辰弥が寝床にしているリビングエリアに取り付けた小さな棚に並べられている。一つ、また一つと増えるキーホルダーに、辰弥は今はもういない千歳への想いを募らせつつあった。
死後の世界を信じているわけではないが、今何をしているのだろうか、向こう側でうまくやっているのだろうか、そんなことを考えてしまう。
『……エルステ?』
ノインが不思議そうに辰弥の顔を覗き込む。
「……大丈夫」
絞り出すようにそう言い、辰弥は手を開いてキーホルダーを見た。
くるんと背を丸めた甘エビのキーホルダー。少しデフォルメされたデザインは女性にも人気があるという売り文句が付けられていたが、千歳は喜んでくれるだろうか。
そんなことを辰弥が考えていると、日翔の声が辰弥を現実に引き戻す。
「だが、まさか館県でも齶田県でも『カタストロフ』が来るとは思ってなかったな。そのせいで色々食いそびれた気がする」
「あー……」
日翔の発言に、鏡介も小さく頷いた。
「この車や俺たちに発信機が付いていないのは定期的に確認しているから確かなはずだ。それに俺たちの移動ルートは決まっていないし、どこにいるのか知っているのは永江 晃くらいのものだ。それなのに何故……」
「……うん……」
もう一度キーホルダーを握り直し、辰弥も頷く。
行き先は行き当たりばったりでしか決めていないのは辰弥も理解しているところだった。
ひとところに留まっているのは危険だということで同じ町には連泊しないし、次の行き先も早くて寝る前、場合によっては当てもなく移動を始めてから初めて決めるくらいである。
そう考えると「カタストロフ」が正確に自分たちの居場所を特定して襲撃してくるのは辰弥たちにとって不可解な出来事だった。しかも、決まって――。
「よくよく考えたら『カタストロフ』が来るのって大抵メンテ明けで助かるよなー。メンテ前とかメンテ中に襲撃されたら大変だぜ」
「確かに」
日翔に言われて辰弥が声を上げる。
「カタストロフ」の襲撃は決まって三人のメンテナンスが終わって暫くしてからだった。
偶然と言ってしまえばそうかもしれないが、こうもタイミングが重なると必然的なものを感じてしまう。
「……まさか、晃が……?」
「えー、主任がチクるとかねーだろ。少なくとも俺の生体義体の追加データは取りたいだろうし辰弥の身体のこともある。あんま言いたかないが、辰弥ってLEBの中でも色々イレギュラーが出てんだろ? それをわざわざ潰すようなこと――」
考え込んだ辰弥に、日翔が浮かんだ可能性を否定する。
襲撃のタイミングを考えれば晃が怪しいのは事実だ。もしかすると、晃は再度「カタストロフ」入りを希望していて、合流してから辰弥の居場所をリークしているのでは、というのは突飛はな発想ではない。それほど、状況証拠は揃いすぎている。
晃と辰弥の話をまとめると、御神楽財閥はLEBの研究を全面的に禁止していて、許されているのは現存し、なおかつ
だが、「カタストロフ」は晃に対してLEBの自由な研究を約束していた。「カタストロフ」の桜花での拠点――上町支部はカグラ・コントラクターによって壊滅したが「カタストロフ」自体が壊滅したわけではない。辰弥の前に現れ、晃に極秘裏に引き渡された
そういった点から、晃がLEBの研究のためだけに御神楽財閥を裏切って「カタストロフ」に行きたいと考えるのは有り得ない話ではない。いくら御神楽財閥――久遠に黙って「グリム・リーパー」の一員となり辰弥たちのメンテナンスを引き受けていると言っても、それは「カタストロフ」に辰弥を売るための方策と考えることもできるのだ。
しかし、辰弥としてはその可能性を否定したい気持ちもあった。
晃はLEBの研究に執着しているところがあるし、人間にしては倫理観をどこかへ置き忘れてきたようなところがあるが、生物兵器であるLEBを兵器として運用するのではなく、新たな種としての共存を考えているような気がしていた。「カタストロフ」がLEBを使い捨ての兵器として運用していることに対しては色々思うところがあるはずだ。少なくとも、人として生きようとしている辰弥(と、ノイン)を再び兵器として運用させることは快く思っていない、と思いたい。
そう考えると、どうしても晃が「カタストロフ」に戻りたいと考えているわけではない、と思いたかった。あくまでも辰弥の希望であるため晃の本心は晃に訊かないと分からないが、仲間の生存を第一に考える「グリム・リーパー」で仲間の命を危険に晒すような行為に走るとは考えたくない。
晃はシロだ。そう、辰弥は主張したかった。
日翔は命の恩人である晃を疑うようなことはしないはずだが、鏡介は疑っているかもしれない。むしろ仲間であっても最悪の事態を想定して動ける鏡介の冷静さと慎重さには頭が上がらない。
鏡介はどう思っているのか――そう、辰弥が鏡介を見ると、鏡介は運転席で腕を組み、眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
「状況だけを見れば永江 晃は怪しい。だが、あいつの思考は単純だ。ポリグラフ検査をすれば確実にボロが出るのは分かり切っている」
「その晃は御神楽の監視下なんだけど。俺たちのこと、バレてたらやばいじゃん」
鏡介が言いたいことは分かる。
晃は嘘がつけない人間ではないが、ポーカーフェイスが得意というわけでもない。
休暇を利用して移動ラボを乗り回していることを突き詰められればどこで辰弥たちのことが発覚するかも分からない薄氷を歩かせているのも事実で、辰弥たちもいつ御神楽に生存を知られて追われることになるかと冷や冷やしているところだった。
「ポリグラフ検査をする前から断言するのは俺らしくないと言うかもしれないが、永江 晃はシロだと俺は思っている」
「鏡介にしては意外だね」
想定外の鏡介の言葉に、辰弥がちら、と窓の外を見る。
「鏡介が人を疑わないなんて、光輪雨降るんじゃない?」
「俺を何だと思っている」
「骨なしチキンのもやし和え」
「お前な!?!?」
あまりの言いように鏡介が声を荒らげるが、辰弥はくすりと笑って口を開いた。
「俺たち以外を疑わないなんて鏡介らしくないな、って。でも――なんだかんだいって鏡介も晃を信頼してるって言えるのかな、これ」
「――多分な」
鏡介は否定しなかった。
辰弥の言う通り、晃を信じたい気持ちはあった。
疑わしい点は多い。だが、その不審点はどれも晃の性格を元に簡単に反証できる。
鏡介としてはその反証に反証を重ねて疑うべき、という気持ちと晃の「『グリム・リーパー』の一員である」という発言を信じたい気持ちが競り合っていた。
辰弥や日翔は甘いと言うかもしれないし鏡介自身もそれは思うが、元々鏡介は他者に対しては甘いところがある。「グリム・リーパー」――その前身の「ラファエル・ウィンド」にいた時期は三人の中で一番長い。それ以前も泥を啜るような生活を送っていたことからこの世界の闇を一番よく知っている。それなのにこの闇で生き延びる最大の秘訣――他者を蹴落とすが三人の中で一番下手なのも鏡介だった。
人生の半分近くは裏社会で生きてきたから他者を疑うというスキルは持ち合わせている。だが、それでもどこかで信じたいという気持ちは持ち合わせていた。
千歳に対してもそうだ。元「カタストロフ」の人間、辰弥に対する馴れ馴れしさ、そういったところから「カタストロフ」のつながりを警戒して疑ってきたが、心のどこかでは辰弥に対する態度は本物であってほしいと思うところはあった。それがうまく伝えられず、辰弥とは一度大喧嘩をして殺し合いにまで発展してしまったが。
そんなことから、鏡介は晃に対しても完全に疑いの目を向けることはできなかった。反証があるのなら猶更だ。
しかし、それなら「カタストロフ」の襲撃の正確さはどこから来た、と鏡介は改めて考えなおした。
怪しいと言えば現在晃に預けているツェンテも怪しいが、これに関しては鏡介も警戒して晃にツェンテには行き先を伝えるな、と指示を出している。流石に完全に伏せるのもどうかと思い、行き先の県名くらいは言ってもいい、とは言っているが、県名だけであそこまで正確に居場所を特定している「カタストロフ」の探査能力は侮れない。
それとも、ツェンテに発信機の類が付いているのか――と考えるが、それも鏡介は否定する。
ツェンテが身に着けていたものに発信機の類は一切付けられていなかった。GNSにはGPSによる位置情報の特定手段が存在するが、それも晃に預けるとなった時点で鏡介がハッキングして位置情報が発信されないように細工をしている。つまり、ツェンテを利用して自分たちの居場所を特定することは不可能――少なくとも、鏡介はそう思っていた。そんな鏡介の裏をかくような位置情報の送信手段があれば話は別だが、ツェンテが自分の意志で「カタストロフ」に連絡を入れない限り、ツェンテの居場所は誰にも特定できない。
となると状況証拠的にツェンテもシロか、と考え、鏡介は辰弥を見た。
「辰弥、」
「ん、」
辰弥が鏡介を見る。
「お前はツェンテのことをどう思っている?」
「ツェンテのこと?」
そう言って鏡介から視線を外し、辰弥が天井を見る。
少し考え、そうだね、と呟いた。
「正直、怪しいとも言えるし怪しくないとも言える、ってのが俺の意見」
「なんか煮え切らないなぁ……」
日翔も話に割り込み、にゅっと座席の間から首を突っ込んでくる。
「ツェンテのこと、怪しむ余地あるか?」
「うん。ツェンテは俺と同じで所沢が制作者だから」
そう呟くように言った辰弥の声が苦々しいもので、日翔と鏡介は顔を見合わせる。
よほど清史郎に対していい感情を持っていないのか、という思いと、清史郎が造ったLEBだから疑う余地がある、と取れる辰弥の発言にどう答えたものか、と二人は考える。
「……所沢がツェンテに何かを仕込んでいると?」
ふと、思い付き、鏡介が尋ねる。
「まあ――そんなところかな。どんなギミックかまでは分からないけど、所沢のことだから何かやってるんじゃないかなって」
「だったら、猶更あの時殺しておくべきだっただろう。何故殺さなかった」
ツェンテを保護した直後のことを思い出す。あの時、鏡介は警戒して「殺すべき」と進言したし、辰弥もそれに同意して殺そうとした。
だが、結果として辰弥はツェンテを殺さず、日翔の提案で晃に預けることになった。
もし、ツェンテを疑っているのならあの時殺しておけば、そんなことを考えてしまう。
「うん、なんで殺せなかったか自分でも分からないよ。でも結果として俺はツェンテを殺せなかったし、ツェンテを殺したからといって襲撃がなかったとも断言できないし、ツェンテに関しては不確定要素が多すぎる」
『あいつはただのしょうわるおんなだろー!』
むぅ、とノインが頬を膨らませるが、日翔と鏡介にはそれは見えていない。
「だから『カタストロフ』の情報源がどこにあるかは俺には分からないよ。もしかしたらどこかで情報が洩れてるかもしれないし、桜花での本部が壊滅したといっても規模は大きいから全国に包囲網が完成してるのかもしれないし」
「そうだな、考えていても仕方がないか」
後手に回るしかできないが、「カタストロフ」がどうやって辰弥たちの居場所を特定しているのかを突き止めなければ対策の打ちようがない。
とりあえずは襲撃されたらそれを撃退するだけだ、と言葉にせずとも三人の中で結論付けられる。
「でもよー……」
話は終わったはずなのに、日翔はまだ何かあるのか話を続けて来た。
「千体市での襲撃以来さ……来るようになったよな」
「あー……」
日翔が何を言わんとしてるか察し、辰弥が唸る。
鏡介もすぐに察し、そうだな、と頷いた。
「……量産型のLEB、か……」
ノインと融合する前の辰弥の姿に酷似した、量産型のLEB。
千体市での襲撃で現れた量産型のLEBは館県での襲撃にも投入された。
いくらフルフェイスヘルメットで顔を隠しているとはいえ、中身がかつての辰弥そっくりと分かっているだけに日翔たちは手が出しづらかった。
辰弥は「LEBは存在してはいけない」とばかりに容赦なく撃破していたが、日翔と鏡介はそこまで割り切ることができないというのが現状だった。
そのため、勝ち目がないと判断した数人のLEBを取り逃がす結果となってしまい、長居はできないと今は高志県へと車を走らせている。
『あのLEB、今度会ったらぶっ飛ばす!』
ふんす、と鼻息荒く宣言するノインを尻目に辰弥はまぁ、と呟く。
「誰だろうと、何だろうと、俺たちの邪魔をする奴は消すだけだよ」
そう言って辰弥はキーホルダーをポケットにしまい、ナイフを一本生成する。
「ただ――あの量産型のLEBなんだけど、色々気になることがあるんだ」
「何だよ」
日翔が辰弥に続きを促す。
「俺もノインの話を聞いて、その後館県で気が付いたんだけど、襲撃に来てる量産型、俺のコピーだけじゃないっぽいんだよね」
「え」「え」
日翔と鏡介の声が重なる。
「お前のコピーだけじゃ、ないだと?」
どういうことだ、と尋ねる鏡介に辰弥がうん、と頷く。
「一つだけ、気配が違うんだ。俺はノインほどの超感覚はないけどそれでもなんとなくは分かるよ。生成はしてるからLEBってのは確定なんだけど、俺のコピー以外に造られた個体があるかもしれない」
「マジか……」
「確かに、所沢はツェンテも生産済みだったからな。
「ツェンテが逃げたからエルフテを指揮個体として投入している可能性はあると思うよ」
辰弥のその言葉を最後に、キャンピングカーの中が沈黙に閉ざされる。
ノインも難しそうな顔をして辰弥の膝の上で考え込んでいる。
『でもさ、エルステ』
日翔と鏡介には聞こえない声で、ノインが辰弥に声をかける。
「何、ノイン」
辰弥がノインに声をかけると、日翔と鏡介もノインがいるらしい辰弥の膝の上に視線を投げた。
『あの気配がおかしい奴、エルステの気配に似てる。りょーさんがたは全然違うんだけど、あいつだけなんかエルステっぽい』
「……それ、ほんと?」
「え、
ノインの声が聞けない日翔が辰弥に通訳を求める。
「なんか、違う気配の個体は俺に似てるって」
「……どゆこと?」
理解できない、と日翔が首をかしげる。
「え、量産型は辰弥のコピーだから似てるってなら分かるが、そうじゃない奴が似てるってか? なんでだよ」
「それは俺が知りたいよ。それとも、量産型は外見設定だけ俺に似せてそれ以外のゲノム情報は別に組み直した、ってことなのかな」
「だが、それでも推定エルフテがお前に似ているという説明がつかない」
鏡介も口をはさみ、三人は同時にうーん、と唸った。
量産型が辰弥に似ているならまだしも、そうではない個体が似ているとは。
辰弥の言う通り、量産型は辰弥たちの士気を下げるために外見をかつての辰弥に似せたガワだけのもので、指揮を執っているらしき個体が辰弥のコピーなのだろうか。
分からない、と三人が同時にため息をつく。
「ま、考えてもしゃーねーか」
全く唐突に、日翔が明るい声を上げた。
「分からんもんをグダグダ考えててもしゃーねーだろ。今度会ったらあのヘルメットひん剥いてご尊顔拝ませてもらえばいいだろ。話はそれからだ」
「それもそうか」
日翔の言葉に辰弥も頷く。
そうだ、情報不足で分からないことを考えていても答えにたどり着けるわけがない。
それなら情報というピースを集めてパズルを完成させればいい。
「じゃ、もう襲撃のことを考えるのはやめだ。もうすぐ高志県に着くんだし、ご当地グルメ調べようぜ!」
『さんせーい!』
ご当地グルメ、と聞いてテンションが上がるノイン。
辰弥もそうだね、と頷き、鏡介を見た。
「……はいはい、高志の名物はふぐの子の糠漬けだ。お前ら、一度は食っとけ。俺は食わん」
逃亡先のご当地グルメ検索ももう慣れたものである。
鏡介が高志県の名産品を口に出すと、辰弥が目を輝かせて振り返り、日翔を見た。
「聞いた? ふぐの子の糠漬け!」
「え、ふぐの子って……卵巣だよな……? 毒、あるよな……?」
日翔もふぐの卵巣に毒があることくらいは知っている。
そんな毒物を有した食べ物あるの? と青ざめる日翔に、辰弥が笑って説明する。
「ふぐの卵巣を糠漬けにすると毒が消えるんだって。日翔でも食べられるよ」
「マジか、桜花人の食に対する執着心やべーな……」
自分でも食べられるとなると興味が湧くのが日翔ではあるが、それでも若干日和っているのは辰弥も分かる。鏡介に至っては初手から食べないと宣言しているのでよほど警戒している、とも言える。
しかし。
「鏡介、内臓が義体なら毒物なんて関係ないんじゃ……」
「それはそうだが、食べたくないものは食べたくない」
「えー、やっぱり骨なしチキンのもやし和えじゃん」
「誰が骨なしチキンのもやし和えだ!」
茶化してくる辰弥に鏡介が吼える。
あはは、と笑う辰弥と日翔、そして眉間にしわを寄せた鏡介を乗せ、キャンピングカーは県境を越え、高志県へと進入していった。
◆◇◆ ◆◇◆
「
尾山駅付近の駐車場にキャンピングカーを止めた三人は駅を一目見ようとぶらぶらと歩いていた。
周辺は観光客らしい、キャリーケースを転がす人々が目につき、ここが観光の町であることを如実に表している。
「おー、あれが噂の
尾山駅東口に建てられた、独特の形状を持つアーチを見上げて日翔が呟く。
「能楽で使われる鼓を模したアーチだそうだ。あと、東口にはもてなしドームもあるらしいぞ」
尾山駅周辺の観光情報を検索していた鏡介がちら、と鼓門の奥、尾山駅を見ながら説明する。
「え、気になる。見てみたい」
鏡介の情報に、辰弥が食いついた。
辰弥としては噂に聞いていた鼓門を見ることができて満足しかけていたところへ追加の観光情報が飛び込んできたのだ、これは見ずにはいられない。
日翔も興味深そうに尾山駅の方に視線を投げ、そうだな、と頷いた。
「行ってみようぜ! 面白そうじゃん!」
「うん!」
「あ、こら急に走るな!」
走り出した日翔と辰弥、それを追いかけるように鏡介も走ると、ねこまるも分かっているのかトコトコと三人に並んで走り出す。
鼓門をくぐると、そのすぐ目の前にアルミフレームが張り巡らされたガラス張りのドームが広がった。
「おおー……」
立ち止まり、ドームを見上げる三人。
その少し先でねこまるが座り込み、毛づくろいを始める。
「すごいな……」
ドームを見上げ、ぐるりと見まわしながら辰弥が呟いた。
「尾山は元から雨や雪が多い地域だからな。駅についてすぐに濡れないように、と観光客をもてなすために作られたドームらしい。この辺りは流石、観光の街だな」
なるほど、と辰弥が頷く。
伝統的な品をモチーフにした鼓門と、未来的なフォルムのもてなしドーム、この二つが同時に視界に入り、過去と未来が繋がっている、そう思わせてくる。
過去と未来――そう考え、辰弥は自分の過去を振り返る。
造られてから今まで、色んな事があった。これから、自分がどこに行きつくのかはまだ分からない。
過去があって、未来に続く――そう思うと、自分の過去は未来にどう影響するのか全く読めず、不安を覚える。
それでも、日翔と鏡介がいたら何とかなるのではないか、そんな楽観的な希望が浮かび、辰弥は苦笑した。
昔はここまで楽観的にはなれなかったのに、今は未来に対する希望みたいなものがいろいろ浮かんでくる。日翔と鏡介と一緒なら、それこそどこに行っても怖くない、そんな――。
『エルステ、お腹空いた』
ねこまるの隣に座り込んでいたノインが振り返り、辰弥に声をかけてくる。
「――ん、」
確かに尾山市に着いてからまだ何も食べていない。
高志県の名産品と言えば――と考え、辰弥が尾山市のグルメ情報を検索し始める。
高志県は県内に
「……ん、若山牛」
若山半島で育てられるという若山牛の記述に、辰弥はちら、とノインを見た。
「ノイン、俺のGNS見れる?」
『んー?』
辰弥に声をかけられたノインが首を傾げ――次の瞬間、顔を輝かせた。
『おー、肉!』
「近くに若山牛のローストビーフを使った『うしまぶし』を出す店があるみたいだよ」
「えっ、牛!?!?」
辰弥とノインの会話に日翔が割り込んでくる。
うん、と辰弥が頷き、視界に表示させていた紹介ページを日翔に転送した。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!! に!!!! く!!!!」
肉と聞いてテンションが上がるのはノインだけではなかった。
万年食べ盛りの日翔が目を輝かせて鏡介にもデータを転送する。
「……む、若山牛のうしまぶしか……」
眉一つ動かさず、冷静そのものに見える鏡介の声もわずかに上ずっている。
内臓が義体だからと昔はエナジーバーやゼリー飲料だけで済ませていた鏡介だが、食に対して無頓着ではない。こう見えて三人の中では一番グルメに関しての知識がある。
「若山牛といえば流通数が少なくてほぼ高志でしか流通していないと言われている幻の牛肉だな。確かに高志に来たなら一度は食ってもいいかもしれない」
「ふぐの子の糠漬けよりは優先度高いだろ! 食いに行こうぜ!」
「ふぐの子の糠漬けを馬鹿にするな。桜花人の知恵の結晶だぞ」
「でもあれ、昔の人がふぐの卵巣を暗殺に使おうとして保管してたら毒が抜けて失敗した、ってやつじゃなかったっけ。元々は失敗を知恵の結晶と言ってもなってもなあ……」
日翔としてはキャンピングカーの中で話題に上がったふぐの子の糠漬けはどちらかというと恐怖の食材なのだろう。ネタとして引きずる日翔に鏡介と辰弥も思い思いの言葉を口にするが、日翔はいやだいやだと首を振る。
「いやお前らと違って俺は毒の分解機構ないんだぞ。当たったら――」
「いや俺はレセプターに結合しないだけで」
「俺は義体が素通りさせるだけで」
「そんなん聞いてないわー!!!!」
重要なのはお前らに毒が効かない、俺は毒が効くってことなんだよと力説する日翔を尻目に、辰弥と鏡介が顔を見合わせた。
「……日翔ってさ……」
「毒、効くんだな」
「普通は効くの!!!!」
辰弥と鏡介の含みのある物言いに日翔がぶんぶんと両手を振る。
「いいな! 俺に盛ろうとか考えるなよ!?!?」
『あきとは一回痛い目に遭っとくといい』
いつの間にか日翔の前に移動したノインが呆れたように呟いている。
「そうだね、いつも大盛りばっかり食べてるしたまには痛い目に遭って懲りてもらった方がいいかな」
「ひどくね!?!?」
やばい、こいつら俺に一服盛る気だ。
そう考えた日翔がぶるりと身を震わせる。
毒は怖い。いくら辰弥と鏡介が毒無効の体質だったとしても「グリム・リーパー」で最大出力を誇る日翔が毒で戦線離脱などすればあっという間に壊滅してしまう。
流石に二人に迷惑はかけられない。しかしおいしいものは腹いっぱい食べたい。
そんな二律背反に悩まされながら、日翔は店に向かって歩き出した辰弥と鏡介の後を追うのだった。
「ここか」
鼓門を抜けて数分、牛の顔をラインでデフォルメしたようなエンブレムが染め抜かれた暖簾を前に鏡介が低く呟いた。
「うん、さっき空いてるか訊いたら空いてるって言われたから予約したし行けるでしょ」
そう言いながら、辰弥がさっさと暖簾をくぐって店に入っていく。
「……なぁ、鏡介」
辰弥に続く前に、日翔が一度立ち止まって鏡介を見た。
「なんだ?」
「辰弥さ――ちょっと明るくなったよな」
もう、何度か鏡介に話して鏡介の同意も得ている話だが、それでもついつい確認してしまうのは辰弥を息子として見ようとしてしまっているからだろうか。
日翔としては辰弥はまだ子供で、自分のような大人が守ってやらないといけない、という思いがあった。全ての事実が明らかになり、今では自分より上背もあるほどに成長して、自分よりも達観していても、それでも実年齢を考えると本来ならまだ遊んでいてもいい年齢だ――そう思ってしまう。
辰弥が子供扱いを望んでいないことも分かっているが、それでもその考えは大人に植え付けられた間違ったものだ、という意識がある。
それに関しては鏡介に何度も「辰弥の意志を捻じ曲げるな」と怒られはした。しかし両親が御神楽陰謀論者であったとしても幼少期をある程度自由奔放に生きてきた日翔にとっては辰弥の考えは否定したくなってしまうのだ。
もっと自由に、子供らしく生きろよ――と。
そんな日翔のいつもの考えに気付いたか、鏡介が苦笑して日翔の肩を叩く。
「お前の望みは辰弥の幸せか? それとも自分の満足か?」
「そりゃあ、辰弥の幸せ――」
「だったら、辰弥がやりたいようにさせてやればいいだろう」
そう言って、鏡介がさっさと暖簾をくぐって店に入ってしまう。
「あ、待てよ!」
慌てて日翔も暖簾をくぐり、店に入る。
――でも、
暖簾をくぐりながら、日翔はふと考える。
――辰弥、お前は本当に幸せなのか――?
望んでもいないのに造られて、子供という時間を知らずに大人にさせられて、暗殺者として生きて。
それが幸せなのか、疑問に思ってしまう。
そう思ってから、日翔は自分が今を幸せと思っていないのではないか、と気が付いた。自分が幸せでないから、辰弥も幸せだと思っていないのでは――と。
そんなはずはない。好き勝手生きて、好きなものを食べて、大切な仲間に囲まれて、幸せでないはずがない。人を殺すことに抵抗感もないし、それが当たり前だと思っている。
それなのに、どうしてこんなに心に棘が引っかかっているのだろうか。
「……ま、いっか」
深く考えるのは自分の性分じゃない、そう思った日翔が首を振って暗い考えを振り払う。
今は幸せだ。辰弥もきっと幸せだ、それでいい。
そんなことを考えながら日翔も店に入ると、辰弥と鏡介はもう席について今時珍しい物理メニューを開いて何を注文するか話し合っていた。
「やっぱりうしまぶしだよね」
「ああ、本物の若山牛を一度は味わっておきたい」
「あー、お前らずるいぞ! 俺にもメニュー見せろ!」
日翔が騒ぎながら辰弥の隣に座り、メニューを覗き込む。
「お、これいいな!」
「……?」
日翔が指差したメニューを辰弥と鏡介が確認する。
「……って、」
「本気かお前!?!?」
日翔が指差したメニューは「おおうしまぶし」と記載されたものだった。
メニューの説明を見ると、「若山牛ローストビーフを敷き詰めた特大の『うしまぶし』、通常の四倍サイズ」と記載されている。
「シェアしてお召し上がりください」と記載されている――のだが。
「日翔……一人で食べる気?」
「おうよ! 肉はいくらあってもイイからな!」
ドヤァ、とオーダー画面を開く日翔に辰弥は苦笑、鏡介は渋面をその顔に浮かべる。
相変わらずの大食いっぷりに「こいつはフードファイターとして稼がせた方がいいのでは……」などと思ってしまう。
実際にフードファイトはこの時代にも存在する。プリントフードだから食材を無駄にすることはないし、仮に作り過ぎたとしても観戦者に「選手が実際に食べたものはこちら!」とお裾分けもされるので廃棄されるものがあるとすればそれは実際に食べ残されたものだけだ。それにフードファイトのルールとして「食べ残せば即失格」が設定されている大会もあるのでフードファイターは基本的に自分の限界を把握している。
そんなフードファイトに日翔を放り込めばどうなるか――。
「辰弥、」
「何、鏡介」
真剣な顔で話しかけて来た鏡介に、辰弥が首を傾げる。
「日翔をフードファイトに送り込めば稼げるんじゃ」
「ダメだよ鏡介、俺たちは暗殺者、フードファイトなんて派手な場所に行って目をつけられたらそれこそ『カタストロフ』に襲われる」
「――確かに」
せっかくいい路銀稼ぎの手段を思いついたのに、と悔しそうな鏡介に辰弥がもう一度苦笑した。
「ま、でも裏フードファイトとかあるんじゃないの? そういうのなら出てもいいんじゃないかな」
「それだ」
よし、近くの裏フードファイトを探してみるか、と鏡介が早速検索を始める。
「その前に腹ごしらえ。鏡介もうしまぶしでいい?」
「大きくない方でな」
「りょーかい」
日翔に続いて、辰弥が自分と鏡介の分のうしまぶしをオーダーに追加する。
「若山牛か……」
鏡介の解説を待つのもいいが、食べ物関連だと自分でも調べてみたい。
そう考え、辰弥は若山牛について解説しているページを検索した。
まずは世界中で最も手軽に調べられるサイペディア。
桜花には三大桜牛と呼ばれるブランド牛が存在するが、若山牛はその中には属していない。だが、だからといってランクが落ちるわけではなく、単純に流通数が少な過ぎて知る人ぞ知るブランド牛ということになっているらしい。
ついでに桜牛のブランド牛について調べてみると、桜花の全ての都道府県に何かしらのブランド牛が存在するらしく、それぞれ流通数は少ないものの各地のグルメな富裕層を唸らせているということに桜花人の食に対する執着をひしひしと感じる。
桜花は御神楽財閥のお膝元ということもあり、他の国に比べて比較的生鮮食品が入手しやすくなっている。御神楽財閥が謳う「世界平和」の一端に「豊かな食卓」があるらしく、世界各地の食糧支援――フードプリンタのフードトナー工場の建設やフードトナーの原料となる大豆生産工場の建設、維持技術提供などの活動は有名だ。そのフードプリンタが行き渡ったところで次に行っているのが本物の食材による伝統料理の復活で、各地でかつて生産されていた作物の工場を少しずつ増やしてフードプリンタと通常の食事が併用できるように、と配慮されている。
もちろんこれもビジネスなので御神楽財閥には思惑がある。
御神楽陰謀論者の中ではこうすることで工場の建設や維持の権利を独占し、莫大な利益を得ていると囁かれている。
実際のところ、莫大な利益を得ているかどうかは別としても御神楽財閥は工場建設の費用を融資し、工場の運営が軌道に乗ったところで融資分を回収しているところはある。だがそれは工場建設を支援する他の企業も同じ、それどころか御神楽財閥の方が融資の利息はかなり低めに抑えられているのが現実である。
とはいえ、日翔は御神楽陰謀論者なので御神楽財閥が全て独占している、と思っているところではあるが。
そんな状態だから、この逃避行の先々で口にするご当地グルメの多くが御神楽財閥の支援によって生産されているものという事実に日翔は複雑な思いでいた。
ここまで高いのは御神楽が利益を独占しているからだ! と主張することもあるが、辰弥と鏡介は慣れたもので適当に聞き流している。
結局、日翔もご当地グルメのおいしさに負けてガッツリ食べてしまうので最近は「悔しいが御神楽のおかげで美味い飯が食える……」となっていた。
それはそうとして、各地にご当地ブランド牛があるのなら食べてみたい、と思うのは辰弥だけではなかった。
「日翔、桜花各地にご当地ブランド牛があるの知ってる?」
「え、何それ知らん」
辰弥から振られた話題に日翔が食いつく。
「ちょっと調べてみたら、桜花にいろんなブランド牛があるみたいだよ。桜花三大桜牛は知ってる?」
「おう、知ってるぞ!
「一部では
鏡介の解説も入り、日翔がほへー、と声をあげる。
「とにかく、三大――四大? 桜牛はあるけどもう一つ
「斐太――ってことは、
いくら義務教育をサボっていた日翔でも都道府県くらいはある程度知っている。ましてや有名どころのご当地グルメとなると逃避行が始まってから「ここに行けばあれが食える」で色々調べているので日翔に都道府県クイズを出すなら「◯◯が食べられる県は?」と出せばほぼ確実に正解が出るくらいである。
逃避行が始まる前はいくら食べるの大好き、と言ってもご当地グルメなどほとんど知らなかった日翔。こうやっていく先々の料理を楽しみにできるほどに快復した、という事実は辰弥にとっても鏡介にとっても喜ばしいことだった。
「斐太地方といえば
「マジか! 斐太牛の握りとか絶対うまいやつ!」
「――と、なると次の行き先が決まったな」
お冷を一口、鏡介が冷静に口を開く。
「次の行き先は井口県だ。海なし県だがうまい魚があるぞ」
「お、もしかして鮎か? 鵜飼いで有名なやつ!」
「ああ、鮎の塩焼きは俺も食ってみたい。今はシーズンオフだが、養殖ものなら年中食えるはずだからそれを食べよう」
「おー!」
なし崩してきに決まった次の行き先に、日翔がテンション高く拳を上げる。
そのタイミングで、三人の目の前にうしまぶしが差し出された。
「お待たせしました。うしまぶし二つとおおうしまぶしです」
おひつに盛られた白米の上にはローストビーフがこれでもかと乗せられてる。さらに尾山市の名産品の一つである金箔が上品に飾られ、見た目にも美しい。おひつ以外にもさまざまな薬味が盛られた小皿や小鉢、お新香、だし汁の入った器が三人の前に置かれ、三人は「おお……」と声を上げた。
その中でも日翔のうしまぶしは壮観だった。
四倍サイズというだけあって、まずおひつが大きい。その上に薄切りにされたローストビーフが何重もの円を描いており、さながら牛肉でできた牡丹の花である。
「いやぁー、いいですなー」
割り箸を手に、日翔が満面の笑みを浮かべる。
「じゃー食べようぜ!」
『お肉ー!!!!』
ノインも身を乗り出しておひつを覗き込んでいる。
「じゃ、食べようか」
辰弥の言葉を合図に、四人は手を合わせる。
『いただきます』
食材には感謝の念を。
それだけは忘れず、四人は声を合わせ、うしまぶしを口に運んだ。
「ふー食った食った」
日翔が満足そうに腹を叩いている。
「……もう食べたの……」
出汁茶漬けにしたうしまぶしを食べながら辰弥が呆れたように呟く。
うしまぶしはそれはもう美味しかった。
若山牛のローストビーフは白米の熱で脂がとろけ、口の中いっぱいに脂の甘みを広げていく。そこに二杯目としてさまざまな薬味の味変を楽しんだ後、温かい鰹出汁で出汁茶漬けにする――うしまぶしの元ネタとなった
特に出汁茶漬けにしたうしまぶしは鰹出汁で肉が温まり、柔らかさを取り戻している。さらに溶け出した脂が鰹出汁と合わさってえもいえぬ旨味となり、満足感が倍増する。
そんなうしまぶしをじっくり堪能している横で――日翔はあっという間に四人前のおおうしまぶしを完食した。
「いやーマジでうまいわこれ、いくらでも行けそう」
「だったら日翔、お前これもいけるだろう」
食べ終わった鏡介が日翔にデータを転送する。
「ん?」
どれどれとデータを確認した日翔がおお、と目を輝かせた。
「裏グルメフードファイト! これ、食いまくったら勝ちの奴だろ!?!?」
ああ、と鏡介が頷く。
「鏡介、食べながら探してたの?」
最後に残った鰹出汁を飲みながら辰弥が尋ねる。
「まあな。これからの予定を立てるにはちょうど良かったから」
辰弥にもデータを転送し、鏡介が説明する。
「参加費は百万、しかし勝てば一千万が一気に入ってくる」
「うわ、責任重大」
「のっけ丼五人前食った後に海鮮網焼きセットも食ったお前なら余裕だろう。レギュレーションに義体禁止はなかったし、裏フードファイトはとりあえず『どんな手を使ってでも食い切った方が勝ち』だ」
「――ふむ」
含みのある鏡介の言葉に日翔が考え込む。
「なるほどな、最悪、腕力に物言わせてもいいってことか」
「そういうところだけ察しがいいなお前は」
まあ、そういうことだと言う鏡介がそこで、と話を続ける。
「開催日程的に少し余裕があるからメンテナンスを済ませておこう。場合によっては有耶無耶にして逃げられるかもしれん」
「それって――」
鏡介の言い分に、辰弥もピンと来た。
今まで、「カタストロフ」の襲撃は自分たちのメンテナンスの後だった。それはここに到着する前の車の中で話していたから覚えている。
つまり、日翔が負けそうになったら「カタストロフ」の襲撃を利用して有耶無耶にして逃げるつもりか、という鏡介の計算高さに辰弥は感心した。
逆に考えると勝ちそうなタイミングで襲撃があった場合は自分たちで阻止すればいいということか、と考えるとかなり気が楽である。
裏フードファイトということは観客は刺激を求める富裕層や一発逆転を狙うギャンブル中毒に人間が多いはず。そう考えるとうまく利用すれば混乱に乗じて逃げることも可能だろう。
それに、これだけ食べてすぐの参戦となると胃袋の容量的に不利になるが、メンテナンス明けなら程よく腹ごなしも済んでいるはず。万全の体制で試合に参加できる。
わかった、と辰弥と日翔が頷いた。
「じゃあ、晃呼んでおくか。ノイン、晃のお土産、何がいいと思う?」
『んー、ローストビーフ……?』
うしまぶしのローストビーフ、すごく美味しかった! と目を輝かせるノインに、辰弥もそうだね、と頷く。
「晃に持たせるお土産、若山牛のローストビーフでいいよね?」
「いいんじゃないか? あいつはもっと肉を食うべきだ」
あの顔色、必要最低限の栄養しか摂っていない。もっとタンパク質とビタミンを摂るべきだ、と同意する鏡介。
「なんだかんだ鏡介も晃のこと信じてるんだね」
「一応はお前と日翔の命の恩人だからな。メンテナンス明けの襲撃の謎は気になるが、判断材料が足りない状態で疑いたくない。もっと状況証拠ではない、物的証拠になりうるものが出てこれば話は別だが」
そういうことだ、と鏡介がお冷の最後の一口を飲んで立ち上がる。
「そろそろ移動しよう。ああ、お土産もここで買っていこう」
「あいよー」
辰弥と日翔も立ち上がり、鏡介が会計を進めるのを見守る。
「……」
値段を聞いた瞬間、鏡介の眉間の皺が深くなったのは見間違いではないだろう。
これは日翔にしっかり稼いでもらわないとな、と思いつつ、辰弥は店の外に出て、どうやら店員にローストビーフの切れ端をもらってご満悦な様子で待っていたねこまるを抱き上げた。
◆◇◆ ◆◇◆
軽いクラクションの音と共に、オートキャンプ場に入ってきた移動ラボがキャンピングカーの隣に停まる。
「なんだい、今回は裏フードファイトに出るって?」
現在地を説明した辰弥が軽く今回のイベントについて説明していたため、晃が開口一番そんなことを言ってくる。
「ああ、ルール無用の裏フードファイトなら日翔でも勝てると思ってな」
「ってか、生体義体って別にそこまで燃費悪くないはずなのになんでこんなに燃費悪いの……どこで調整ミスったんだろう……」
鏡介の説明をスルーして晃が首をかしげる。
「毎回、メンテの時に身体測定もしてるんだけど食べてる量の割には体重の増減がないんだよね。食べたカロリーどこに消えてるの……」
「え、主任のことだからてっきり胃袋に小さなブラックホールでも作ってんのかと……」
「なんて!?!?」
日翔と晃のやり取りに「こいつらアホだ……」と額を抑える鏡介。
辰弥も「ほんとそれ……」と眺めている。
「食べたもの、ちゃんと消化、吸収できてないのか……。それはそれでちゃんと検査した方がいいかな」
「え、別に消化不良とかないし、今朝のう〇こも立派なバナナう〇こだったぞ?」
「ちょっとデリカシー持って喋ってくれない!?!?」
頭の頭痛が痛い……と博士号を持っている割には重言を口にする晃。
流石の晃も日翔のフリーダムさには付いていけないか……と思いつつも、辰弥はふと違和感に気付いた。
「……あれ?」
辰弥の視線がきょろきょろと何かを探すような動きを見せる。
「どうした? 何か探してるのか?」
「あー……いや、うん……。今日はツェンテいないんだな、って」
「あー……」
辰弥に言われて、晃も声を上げる。
いつもならメンテナンスの手伝いとして移動ラボに乗っているツェンテが今回はいなかった。
まだ移動ラボから降りてないんだろうか、と辰弥が考えている横でノインがふんふんと鼻を鳴らす。
『今日はしょうわるおんな来てない! 主任独り占め!』
「だから性悪女って言っちゃダメだって」
辰弥がなだめていると、晃がまあね、と移動ラボの方に振り返りながら答えた。
「今回、ツェンテ調子悪くてさ。輸血が必要とかそういう話じゃなくてただの風邪っぽいんだけど熱があるから置いてきた」
「置いてきたって、大丈夫なの?」
晃がツェンテを連れて移動していたのはツェンテが御神楽財閥――特に
ツェンテが久遠に発見されるのは開発者である清史郎が生きていると発覚するだけでなく、下手をすればツェンテの口から辰弥の生存を察知される可能性があり、「グリム・リーパー」にとっては即座に包囲網が敷かれることを意味する。「カタストロフ」の包囲網は桜花本部である上町支部が壊滅しているからそこまで密にならないが、御神楽財閥――が、有する「カグラ・コントラクター」が敷く包囲網から完全に逃れるのは不可能に近い。鏡介が防犯カメラ等をハッキングして所在をごまかせたとしても限度がある。
そう考えると、ツェンテの存在を御神楽財閥に知られるわけにはいかなかった。
だからこそ、今回晃がツェンテを置いてきたという決断に疑問を隠せない。
実は裏切るつもりじゃ……そんなことを辰弥と鏡介が考えていると、晃は大丈夫だよ、と笑ってみせた。
「信頼できる知人に預けてきたし、彼は別に御神楽とのつながりはない。ツェンテのことは適当に誤魔化したが、なーんか苦笑いして引き受けてくれたんだよね」
「……それ、バレてんじゃない……?」
言葉自体は絶望的だが、辰弥の言葉には苦笑が混ざっている。
知人とやらは晃のマッドサイエンティストぶりを知っていて、ツェンテも晃が造り出した人工生命であると認識しているのかもしれない――かもしれないと思いつつも何故か確信できる。
どうせ晃が人工生命を造った、御神楽に知られればただでは済まないだろうから仕方なく預かった――そんな様子が目に浮かぶ。
「そうかなあ、『お前のことだから深く聞かない』って言ってたけど」
「……バレてるね」
「ああ、バレてるな」
辰弥と鏡介が顔を見合わせる。
日翔はというとツェンテが来なかったことにいささかの寂しさを覚えたようだが、すぐに気を取り直してねこまると戯れている。
「日翔君、ねこまると仲がいいね」
『ニャンコゲオルギウス十六世ってんだろーが!』
げしぃ、とノインが晃の脛を蹴る。という姿が辰弥の視界に映り込む。
ノインでも
「まぁツェンテが御神楽にバレてないならいい。とりあえずメンテ頼むよ」
「あいよ。フードファイトのこともあるし、日翔君は特にしっかり調整しておく」
大食いの件もしっかり調査しないとな、と呟きつつ晃が日翔を呼んだ。
そのタイミングで、辰弥がふと思い出したように声を上げる。
「あ、そうそう」
「ん? どうした?」
「日翔だけどさ、言い忘れてたけどなんかすごい技使うんだよね」
「具体的には」
すごい技、と聞いて晃の目の色が変わる。
言い忘れていた、というよりも磐瀨県での襲撃から日翔が使い始めた必殺技の件を、辰弥はここで漸く質問することにしたらしい。
「なんか、プラズマナックルって叫びながら電撃加速したパンチぶちかましてるんだけど」
「……」
辰弥の発言に、晃の表情が変わる。
興味を持つ――かと思ったら、逆に「無」の表情になる。
「え、何それ知らん……怖」
「え、晃が生体義体に仕込んだんじゃないの」
「いや確かに武装オプション仕込んだけど! それはLEBのトランス能力を応用した骨格変形だけだよ!?!? 電撃加速とか何それ聞いてない!」
聞いてないって、それはこっちの台詞だよと叫びたくなるのをグッと堪え、辰弥がちら、と日翔を見る。
「……本人は『なんか知らんけどできた』って言ってたけど……」
「え~……そうだ鏡介君、日翔君のGNSログを見せてくれるかな?」
「了解した」
日翔のプラズマナックルは鏡介としても原理を理解しておきたいところ、晃ならGNSログを見れば何か分かるかもしれないと頷き、空中をスワイプ、それから指を走らせる。
GNSログの閲覧に関しては鏡介がデータリンクを応用して共有できるようにしているため、晃の視界に日翔のGNSログが転送される。
それを見た晃が興味深そうにデータに目を走らせた。
「ふむふむ、なるほど」
「何か分かった?」
データを見て何やら頷く晃に辰弥が声をかける。
「日翔君の生体義体は、インナースケルトン装備時の筋力を再現出来るよう、インナーマッスルを盛った仕様になっている、という話はしたっけ?」
「え、何それ聞いてない。この前の戦いでポータブルカバーを引っこ抜いてびっくりしたんだから」
晃の口から出てきた思わぬ言葉に、辰弥が最初に襲撃を受けたときのことを思い出す。
「ごめんごめん、言ったつもりで言ってなかったか。とにかくそういう仕様で生体義体を作成して渡したんだが、その筋力を動かすために生体電流も強めに流せる仕様にしておいたんだ。」
「生体電流を強めに……? ああ、体内の電気信号が流れやすくってこと?」
「そうそう。で、日翔君はどうやら、本来なら無意識や反射の領域で自動的にしか操れない生体電流を意識的に流して放電できるようになったみたいだ」
これは予想外だよ、大変に興味深い、と晃が興奮した様子で分析した結果を説明する。
本来なら無意識でしか操れない生体電流を意図的に操る――そんなことが可能なのかと辰弥と鏡介が日翔を見る。が、すぐに「あいつならやりかねない」と納得する。
だが、そこで出てくる疑問もある。
「それって、日翔の健康に影響はないの?」
疑問点は解消してしまいたい、と辰弥が日翔に尋ねる。
「ないぜ」
俺ピンピンしてるし、と即答する日翔。
「生体電流の許容範囲内の放電だし、悪影響はないと思うよ。万一あったとしても、すぐには影響は出ないはず。定期メンテを続ければ、そのタイミングで異常があれば分かるよ」
「ならよかった」
晃の説明に、辰弥がホッと息をつく。
「ただ、この規模の生体電流はそんなに連続して流せないはずだ。下手に連発すれば、体を制御する生体電流さえ一時的に流れなくなって、体が動かせなくなるだろう。それだけは気をつけるんだぞ」
「へーい」
日翔が適当に返事をする。
これで日翔のプラズマナックルに対する疑問は解けた。
連発さえしなければ問題ないなら、連発しそうになった時に止めればいいだけだ。
そう自分に言い聞かせ、辰弥は日翔から視線を外して晃を見た。
「じゃあ俺もメンテの準備するよ」
「おう、今回のメンテが終われば多分テロメア周りでキリキリしなくてもいいと思う。完全回復というわけじゃないけど、君に関してはメンテ自体はスパンを広げても問題ないかもね。ってもデータは欲しいから今のスパンで検査はするけど」
何気ない言葉のはずなのに、辰弥の胸がつきん、と痛む。
ノインとの融合がなければ――いや、融合してもメンテナンスを受けなければ今頃自分はトランスの副作用であるテロメアの消耗に完全に命を削られていたはずだ。
もし、融合していなければ千歳の許に逝けたのだろうか――そんな考えがちらりと胸をよぎる。
千歳を殺したという事実は胸に重く残っている。それこそ、日翔や鏡介を遺して死んでもいいと思えるくらいには。
それでも辰弥が生きることを選んだのは日翔や鏡介を遺すことに罪悪感を覚えていたのと、千歳が見ることができなかった景色を見ると決めたからだ。二人を遺してもいいとは思うが、それと罪悪感を覚えるのは別の感情だ。罪悪感を覚えなくなって、自分が満足したら迷いなく自分の命を絶てるのではないか――そう、辰弥はなんとなくだが考え、いいやと首を振る。
今はそんなことを考えている場合ではない。三人で生きると決めたし、千歳がどう思おうとも彼女の思い出を胸に生きる。それだけだ。
そのためにもメンテナンスはしっかり受けて、万全の状態を維持する。
余計なことを考えている暇はない、と辰弥は移動ラボに向かって歩き出した。
日翔も晃に声をかけられ、移動ラボに向かっている。
鏡介は「メンテナンスの間に情報を集めておく」とキャンピングカーに戻っていく。
移動ラボの、自分用に用意されたブースで衣服を脱ぎ、辰弥は調整槽の薬液に身を沈めた。
――夢を、見ていた気がする。
薬液にはLEB用に調整された鎮静剤的なものが含まれているのか、調整中の辰弥の意識はいつも夢の中にあった。
見る夢はまちまちで、造られたばかりの頃や日翔に拾われた時のことなど過去の記憶が朧げに揺らいでは通り過ぎていく。
――辰弥さん、
不意に、そんな声が聞こえた気がして辰弥が目を開ける。いや、開けたというのは夢の中の認識だったかもしれない。
――ずっと、好きでしたよ――。
「――っ!」
まどろんでいたはずの辰弥の意識が覚醒する。
千歳、と叫ぼうにも肺に入った薬液で言葉は発せない。
それによって一瞬で頭がパニック状態となり、辰弥は調整槽の中で溺れるかのようにもがきはじめた。
「エルステ!?!?」
機器から発せられたアラートに晃が駆けつけ、辰弥を調整槽から引き上げる。
「しっかり! 落ち着いて全部吐き出して!」
差し出された洗面器に、半ば嘔吐するかのように肺の薬液を吐き出し、辰弥が何度も呼吸を繰り返す。
「――ぁ」
肺に空気が入ったことで呼吸が戻り、辰弥は小さく声を上げた。
「どうしたんだい、悪い夢でも見たのか?」
「――なんでもない」
精一杯の虚勢でそう答え、辰弥が首を振る。
「ごめん、やり直しだよね」
「いや、今回のデータはほとんど取れてる。無理する必要はないよ」
もう一度薬液に身を沈めようとする辰弥を晃が止めた。
その晃を見る辰弥の目が揺らいでいる。
他人の感情の機微に疎い晃でも分かった。
エルステのメンタルは相当追い詰められている――そう判断した晃が白衣が濡れるにも関わらず辰弥を引き寄せた。
「大丈夫だ、そんなに背負わなくていい」
「でも、俺は――」
「第一世代だろうが第二世代だろうがLEBは大切だからね。自分を追い込んで自滅するのを見たくない」
ぽたり、と辰弥の前髪から落ちた薬液が波紋を作る。
「とりあえず、今日のメンテはここまでにしておこう。エルステは身体を拭いて」
落ち着いた晃の声に、辰弥も冷静さを取り戻す。
差し出されたタオルを受け取り、辰弥は調整槽の外に出た。
「日翔君や鏡介君に言えないことでもあるのか?」
晃のその質問に、辰弥は少し考えて小さく頷く。
「何でも言えると思ってたけど――言えないこともあるんだね」
「私でよければ話を聞くよ? 二人には言わないし、この際ぶちまけてくれても――」
「大丈夫」
そう言った辰弥の声は冷え切っていた。
「いや、晃のことを信用してないとかそういうのじゃない。ただ――やっぱりこれは誰にも言えないなって」
千歳に対する想いは誰にも言えない。自分の罪も、今でも分からない千歳の本心に対する不安も、全て自分で抱えるしかない。
「そんなぁ、そんなに私のことが信用ならないのかい? 悲しいなぁ」
辰弥の返答に、晃がしょげ返ってうなだれるが、辰弥はそれどころではないのか意に介することもなくぽつりと呟く。
「……俺は、人を好きになっちゃ駄目だったんだろうか」
「そんなことないよ」
辰弥の言葉を、晃が即座に否定する。
「人間だろうがLEBだろうが関係ない。人間と同じ感情と思考を持つのにそれを制限する必要なんてない。だから、君が誰かを好きになったとしてもそれを咎める権利はないよ」
「晃……」
「ほら、早く身体を拭いて服を着ないと風邪を引くよ。この辺りは結構冷えるからね」
何もなかったかのように振るまう晃に、辰弥も少しだけ安堵する。
これで晃も深刻そうな様子を見せれば辰弥の心も重いままだったが、相変わらず明るく振る舞う様子は辰弥にとって救いとなった。
「……ありがとう」
心の裡は話すことができないが。
それでも寄り添ってくれるという事実に、辰弥は日翔や鏡介に対するものとはまた別の安心感を覚えた。
◆◇◆ ◆◇◆
ツェンテが心配だからとメンテナンスが終わった後の食事もそこそこに晃が武陽都に帰り、三人もしっかり休養をとって数巡。
尾山市の繁華街、そこから裏路地に入ったその先に三人はいた。
人の気配がない裏路地をしばらく歩くと、鏡介が一つの扉の前で足を止める。
「ここだ」
そこにあったのはなんの変哲もない鉄の扉。
どちらかというと裏口とか非常口とか、そのような雰囲気の扉を鏡介が叩く。
コンコンと何度も扉を軽く叩く鏡介。
裏路地に金属音が溶け込んでいく。
「――ん、」
扉を叩く鏡介の様子に、辰弥の眉が寄る。
これはただ適当に叩いているわけではない――叩き方に法則がある。
叩かれた扉から響く音は同じだが、叩く間隔に長短がある。
なるほど、モールス符号か、と音の感覚と知識が結びつき、自然と脳が解読に入る。
――ほうじ茶、金箔、桜菓子、若山牛……何これ。
解読したモールス符号は尾山市の名産品を列挙していた。
一瞬、鏡介何やってんのと思いたくなるがすぐに納得する。
おそらくはこの名産品の名前と、その列挙の順番が会場に入るための暗号。
それを音声ではなくモールス符号で照会しているので一般人からすればただの扉連打にしか見えないし、そもそもモールス符号を知っている人間は専門職でもない限りそれほど多くない。モールス符号という通信規格は広く知られていても、それを解読できる人間はあまりいないのだ。
そんなことを考えているうちに、壁のロックパネルが【OPEN】に切り替わり、扉が開く。
「行くぞ」
うん、と辰弥と日翔が鏡介に続いて扉の中に入る。
扉のその先は煌びやかな装飾が施されたロビーだった。
仮面を被った、裕福そうな人間がワインを手に談笑し、今日のフードファイトの予想をしている。
それ以外にも目を血走らせて参加者リストを凝視しているみすぼらしい服装の人間が隅の方に集まっていたり、奥のカウンターではいかにも大食いそうな恰幅のいい男が手続きを進めている。
《――今日で三巡。『カタストロフ』の襲撃はまだないが、今回のフードファイトは襲撃には絶好のチャンスだ。警戒は怠るな》
鏡介の声が辰弥と日翔の脳内に響く。
「うん、気を付ける」
「ルール無用なんだからぶっ飛ばせば大丈夫だろ」
辰弥と日翔もそれぞれ返答し、鏡介は受付カウンターに向かった。
手続きを終えた恰幅のいい男が三人を一瞥し、ニヤリと笑う。
「なんだ、三人で挑むのか?」
好戦的な視線を向ける男に、日翔がニッと笑って自分の胸を叩く。
「ルール無用でも参加は一人って決まってんだろうが。俺が出るんだよ」
「へえ、お前が」
男が日翔をターゲットにしたのか前に立つ。
「そんな痩せっぽちのチビに何ができるんだ。さっさと帰って母ちゃんのプリントフードでも食ってな」
「チビは傷つくなあ……確かに俺が一番チビだけどさ」
そう言った日翔の視線がちらり、と辰弥に向けられる。
ノインと融合しなければ、この場で一番背が低いのは辰弥だったはずだ。
くそう、デカくなりやがって、と心の中で悪態をつきながらもなんとなく嬉しい日翔は自分より頭一つ分くらい大柄な男をまっすぐ見上げた。
「言っておくが、俺は胃袋にブラックホールがあるんじゃないかって言われてるんだぜ? どんだけ出ても全部食ってやらぁ」
「おう、威勢がいいな。威勢がいい奴は俺は好きだぜ」
そう言い、男がくるりと踵を返して片手を挙げる。
「せいぜいそのブラックホールで食ってくれよ。少食のやつと戦りあっても面白くないからな」
じゃ、会場で、と男が係員に案内されて控え室に向かう。
「へっ、ただデカいだけじゃダメってことを教えてやるよ」
控え室に続くドアの向こうに消えた男にそう吐き捨て、日翔はさっさと手続きに入っていた鏡介の隣に立った。
「参加はこちらの方ですね。ルールは確認済みでしょうか?」
日翔を見て最終確認を行うスタッフに、日翔はああ、と大きく頷いた。
「ルール無用フードファイト、3ウェーブに分かれて料理が出て、ウェーブごとの料理を食い切ったら他の参加者のメシを食っていい、だったな」
「え、そんなこと言ってません。妨害してもいい、です」
何この人正気……? というスタッフの心の声が聞こえてくるようである。
辰弥は相変わらずバカだなあ、といった顔をしており、鏡介はこめかみに手を当てて眉間に皺を寄せている。
日翔だけが「え、そうだっけ?」ととぼけつつ相変わらずの人懐こい笑みでサムズアップしてみせた。
「まぁ、向こうが殴ってきたら殴り返すけどさー、できれば平和に済ませたいじゃん。だったら他の奴のメシも食ったほうが盛り上がると思うんだけどなぁ」
「お前はもう黙ってろ」
耐えきれず、鏡介が日翔を止める。
「とりあえず、ルールは把握していらっしゃるようですのでこれで参加の意思とさせていただきます。ウェーブで出された料理をノルマ分完食できなければその時点で失格ですのでご注意ください」
「あいよ」
日翔が大きく頷くと、スタッフがリストバンドを取り出して日翔の手首に巻く。
手首にぴったり巻かれたため、無理やり外して辰弥や鏡介に渡すことはできなさそうである。
「ステージにはそのリストバンドをつけている方のみが上がれます。お連れ様は控え室には入れますが、試合中は控え室か観客席での観覧にご協力ください」
「ああ、承知した」
鏡介が頷くと、別のスタッフが三人を控え室に案内する。
控え室に設置されたホログラムディスプレイにはフードファイトの厳守事項や今回の参加者のリングネーム、各ウェーブに出される課題料理が映し出されている。
「おー、若山豚のソーセージを使ったホットドッグ! え、何フードファイトなのに本物の食材出てくるの!?!?」
メニューを見た日翔の興奮が止まらない。
鏡介もメニューを見てほほう、と声を上げた。
「若山豚ソーセージのホットドッグ、若山牛のモモステーキ、加若ガニの握り……ラインナップがすごいな」
「しかも全部本物でしょ? 参加費百万が安く見えてきた……」
辰弥もこのラインナップにはため息しか出なかった。
確かに一人分でも高級食材だからグレードによっては万単位の費用がかかる。若山牛のステーキに関しては部位がモモなのでグレードは少々落ちている。そう考えるとソーセージもカニももしかしたら検品の際に弾かれたB級品を使っているのかもしれない。それでも生産に手間暇かけられた高級食材なのでフードファイターが全て食べれば百万円で済むのか……? という疑問が生じてくる。
ただ、このフードファイトに金を賭ける人間の多くは富裕層だ。一回のフードファイトで一千万円くらい費用がかかろうとも、その裏で動く金はその数十倍以上、ということだろう。
さすが裏フードファイト、と辰弥と鏡介が期待を込めて日翔を見る。
「日翔、お前だけうまい汁を啜らせないぞ」
「おうよ、勝ちに行ってやんよ」
参加費百万、優勝すれば賞金一千万円に追加してオッズに応じた報酬。優勝できなければ百万円払って料理を食べただけ。
だが、その料理が本物の料理であるならば参加して腹一杯食べられるだけで儲け物かもしれない。
それでも、人間というものは欲深いもので、「優勝しなければ払い損」となるのだ。
「しかし、腹減ってきたな……」
ステージに呼ばれるのを待つ間、日翔がそんなことを呟いている。
別に朝食は抜いていない。何も食べずに挑むより多少食べておいたほうがたくさん食べられるというのはフードファイトの世界では常識である。
そのためか、控え室にはサンプルも兼ねて試合で出される料理が一皿ずつ置かれていた。
それはとうの昔に日翔が食べた。その上で「腹減ってきた」と言っている。
冗談抜きで底なしの日翔の食欲に、鏡介は「勝ったな」と考えていた。
「お待たせしました。選手の方はステージに来てください」
スタッフが日翔を呼びに来る。
「待ってました!」
日翔が勢いよく立ち上がり、ドアに向かう。
辰弥と鏡介もスタッフの案内で観客席へと向かい、ステージを見上げる。
ステージには日翔を中心に五人の挑戦者が立っていた。
誰もが大柄な体躯で、三人の中では一番逞しいはずの日翔が貧弱に見える。
そのためか、ステージに表示されたオッズ表も日翔の人気は最下位で、一番人気の挑戦者のオッズが二倍程度に対して日翔のオッズは三桁に迫る倍率。
この裏フードファイトの投票方式としては完食+おかわりによる上位三人を正確に当てる三連単なので的中すれば一攫千金が狙えるが、賭け金も一口が高額なのでハイリスク・ハイリターンな賭け事である。
鏡介も自分の小遣い稼ぎに一口買うか……と考えていたが、日翔以外の挑戦者のポテンシャルが全く分からず、じりじりと投票終了時間が近づいている。
単勝なら迷わず日翔に賭けたのに……などとぶつぶつ呟く鏡介のシャツを辰弥が引っ張る。
「鏡介、三連単買うなら日翔、一番左、一番右で買ってみたら?」
「その根拠は」
「見てたら分かるよ」
自信たっぷりの辰弥の言葉。
これはLEBとして何らかの勘が働いたのか。辰弥が言うなら買ってみてもいいかもしれない。日翔はおそらくトップに立つだろうからあとは左右どちらを二位予想するかだが、これに関してはデータを見ると何となく有利そうな挑戦者が見えたので当たりをつけて投票する。
「……追加で百万の出費か……」
これで外したら懐が寒いな、とぼやきつつも鏡介は受け取った紙の投票券を見た。
リストバンドといい、投票券といい、不正防止にアナログ的な手法が使われている。これが電子投票ならハッキングで改竄のしようもあったが、紙に印刷されたものが相手では手も足も出ない。
やがて投票が締め切られ、五人の挑戦者の前に山盛りになったホットドッグが置かれる。
真剣な顔をする挑戦者の中で、日翔だけがテンション高くホットドッグを眺めている。
『第1ウェーブは若山豚ホットドッグ三十個! 制限時間は十分、十分以内に二十個以上食べられればクリアです!』
「……一つ三十秒で食べられないとノルマ未達か……厳しいな」
聞こえてくるアナウンスに、鏡介が眉間に皺を寄せる。
「日翔なら余裕じゃない?」
辰弥は日翔を信頼し切っているのか、余裕の表情である。
「……だといいがな」
いまだに辰弥が投票してみろと言った根拠が分からず、鏡介はそれ以上何も言わずステージを注視した。
ホログラム投影でステージにカウントダウンが表示される。
それが0になった瞬間、わっと観客席が盛り上がった。
挑戦者たちが目の前のホットドッグに手を伸ばす。
日翔がまず一個ホットドッグを掴み――一口で頬張った。
「はぁ!?!?」
日翔の一口を見た瞬間、鏡介が声を上げる。
「あー、骨格変形使って口の中広くしてるね」
辰弥が淡々と状況を把握して鏡介に説明する。
「日翔の本気の一口知らない? ショートケーキ一個なら丸ごと行くよ」
「マジか」
「ただ、入れすぎて噛むのに時間がかかるけど口の中を広くしてるから噛むのも余裕、必要最低限噛んで飲み込むんじゃない?」
辰弥に言われてよく見ると、日翔は一口で食べたホットドッグを数噛みしてあっという間に飲み込み、次のホットドッグに手を伸ばしている。
その間隔、実に十秒。
一つ三十秒という最低ラインを軽々クリアした状態で日翔は次々とホットドッグを食べていく。
「……これは余裕だな」
周囲より明らかに高スピードで小さくなっていくホットドッグの山に、鏡介が第1ウェーブの勝利を確信する。
合計三百秒――五分も経過しただろうか。
誰よりも早くホットドッグの山を制覇した日翔が隣を見る。
「うーん、物足りねぇ」
そんな声がステージから聞こえる。
その瞬間、周囲から「は?」や「まさか」という声が上がった。
今回のルール無用フードファイトは完食すれば他の挑戦者の邪魔をして失格に導くことも許されている。普段ならここで隣の挑戦者との殴り合いが発生するのだが――。
「ちょっといただくぜ!」
日翔は隣の挑戦者を殴るどころか、あろうことかさらに手を伸ばしてホットドッグを奪った。
「え!?!?」
まさか強奪されるとは思っていなかった隣の挑戦者が硬直している間に日翔は二個目、三個目のホットドッグを強奪していく。
「は!?!? まだ第2ウェーブと第3ウェーブがあるぞ!?!?」
鏡介が叫ぶ。
このフードファイトは「規定量をいかに早く食べ尽くすか」が課題となっている。そこに他人の料理を食べる余裕などない。
それなのに、日翔は隣の挑戦者のホットドッグを強奪している。
食べられている側の挑戦者が、日翔を止めようと殴りかかるが、日翔はのらりくらりとその拳をいなして次々にホットドッグを頬張っていく。
流石に相手の攻撃をいなしながらなので先ほどよりは食べるスピードが落ちているが、それでも凄まじい勢いで日翔は二皿目のホットドッグを食べ尽くしていった。
その、制限時間が十分に到達する前にレフェリーが赤い旗を掲げる。
『二番、ノルマ未達につき失格です!』
どよめく会場。
そう、日翔はライバルのホットドッグを十一個食べてノルマを達成できなくしてしまったのだ。
「すげえぞ三番!」
「うわー、こいつに賭ければよかった!」
「いや、ここで全力出したら次のウェーブ無理だろ」
そんな声が観客席から上がる。
二番に投票していた観客はここで手持ちの投票券が外れ券になってしまうが、それでも日翔を含めてまだ四人の挑戦者がいる。三連単の勝敗はまだ分からない。
十分のタイマーが0を刻み、この時点で四人の挑戦者の第2ウェーブ進出が決定する。
一位は当然ながら日翔、二位に一番人気の四番が控え、三位と四位がそれぞれ一番と五番になっている。
失格となった二番は二番人気だったため、かなりの人数――どころか大半の投票者に打撃を与えたようだが、その多くが数百万程度失っても痛くも痒くもない富裕層で、むしろ日翔の食べっぷりを嬉しそうに眺めている。
「いやー、あの見た目であの食べっぷり、いいですな」
「まさか隣の分を食べて妨害とは、前代未聞で面白い」
「ですが、次のステーキでうまくいきますかね」
ヒソヒソ聞こえてくる言葉に、鏡介はふん、と鼻を鳴らす。
ここで日翔が他人の料理を強奪するのは想定外だったが、同時に辰弥が両端の挑戦者に賭けろと言った意味も理解する。
日翔なら次もやる。テーブルは詰めずに間隔が開いたままになるので、第2ウェーブで余裕があれば日翔は必ず四番のステーキを強奪する。いや、余裕があれば、ではない。日翔のことだから余裕だらけになる。
実際、次の料理が出るまでに三十分のインターバルを設ける、とアナウンスされているが、日翔は口直し用に置かれたクッキーをあっという間に平らげ、物欲しそうな顔で他の選手のクッキーの皿を眺めている。
何をどうしたらそんなに腹が空くんだ、と思っているうちに三十分が経過し、今度はステーキが山積みになった皿が四人の前に用意される。
味変ができるようにさまざまな味のソースも並べられると、日翔が目を輝かせてステーキを見始めた。
これはどの肉をどのソースで食うか考えているな――と鏡介が他の挑戦者も観察する。
日翔以外の三人は真剣な顔でステーキを眺めている。その顔に胃袋に対する余裕はあまり見えない。
――勝ったな。
第1ウェーブでの戦績を考えると、第2ウェーブで一位通過すれば妨害せずとも日翔の優勝は確定である。
それでも、日翔のことだから隣――四番の肉を強奪するんだろうな、と思っているうちに第2ウェーブがスタートした。
第2ウェーブはステーキだが、ノルマは三十枚の肉に対し三十分で二十枚。肉ということで一枚につき一分半の猶予が与えられているが、日翔はそんな猶予をものともせず次々とステーキを口に運んでいる。
「いやマジでいい食いっぷりだな!」
観客も日翔の食べっぷりに魅了されて日翔のリングネーム――いつもの「Gene」コールを始めている。
「いやー、日翔、本当によく食べるねー」
心底楽しそうに辰弥が呟く。
しかし、鏡介は真剣な顔で周囲を見回した。
「辰弥、油断するな。『カタストロフ』が襲撃してくるなら今だ」
「そうだね」
辰弥も真顔に戻り、脳内でノインに声をかける。
『「かたすとろふ」の気配も、エルステみたいなやつの気配もないよ』
観客をかき分けるようにうろうろしていたノインから声が届く。
『それよりもお腹すいた。ノインもお肉食べたい』
「日翔が優勝したらステーキにしようか」
『やったー!』
それなら頑張る、とノインが再び観客をかき分けて周囲の警戒に戻る。
「……便利だな」
辰弥の声だけは聞こえるので、返答だけで状況を察した鏡介が呟く。
「まあ、あまり広範囲の索敵はできないけどね。この部屋の中くらいならノインも歩き回れるし、そこからノインの感覚を展開すれば『カタストロフ』がこの部屋に入る前くらいには察知できるよ」
辰弥がそう答えたその時、観客席がわっと盛り上がる。
その反応に辰弥と鏡介がステージを見ると、案の定日翔は自分の分を完食し、四番のステーキを強奪し始めていた。
四番といえば受付の前で日翔を煽った大男である。その男が、唖然として日翔が自分の分の肉を食べるのを眺めている。
「お前、さっきホットドッグ食いまくっただろ」
「いやー、全然足りないな」
そんなことを言いながら、日翔がもう一枚肉を奪う。
あっという間に四番の皿から十一枚の肉を強奪した日翔は満足そうな顔で水を一気に飲み干した。
『ここで一番人気の四番がまさかの失格です!』
完全に大番狂わせの展開。
この時点でほとんどの観客の投票権が紙屑となり、人生の一発逆転を賭けていた貧困層のギャンブル中毒者は絶望してのたうち回っている。
しかし、多くの富裕層は投票が外れたことに失望するよりも、日翔が五番人気にも関わらず、一番人気と二番人気の挑戦者を食欲で打ち負かしたことに興奮していた。
会場はやんややんやの大喝采。あとは第3ウェーブでノルマを達成できれば日翔の優勝は確定なので観客たちは「ここで脱落するなよ!」と応援している。
日翔も余裕の笑顔でガッツポーズをして観客に応え、会場の熱気は最高潮に達していた。
第2ウェーブが終わり、三十分のインターバルに入る。
その間も日翔と、付き添いである辰弥たちとの接触は禁じられているためアドバイスはできないが、その代わりのように周囲が日翔に向かって叫んでいた。
「もう強奪すんなよ!?!? 三人脱落したら無効試合だからな!」
「えぇ〜……」
観客たちのヤジに、日翔は不満たらたらの様子。
「……日翔、マジで強奪だけはするなよ……」
GNSの通信も封じられている鏡介が祈るように呟く。
投票した後で知ったことだが、裏フードファイトだけあって無効試合に対する払い戻しは一切ない。運営からすれば日翔がもう一度強奪を行なって失格者を出せば総取りとなりラッキーという話になるが、観客たちからすればそれは面白くない。いくら投票券が紙屑となったとしても、いや、紙屑になったからこそ運営に全額渡したくないという気持ちが生まれてくる。
インターバルが終わり、三人の挑戦者の前に加若ガニの握りが出される。
しかし、今までのように一度に全てが出されるのではなく、十貫ずつ乗った皿がいくつも用意される形となっている。
その瞬間、観客席を安堵のため息が支配した。
第3ウェーブは一度に全てを出されるのではなく、食べきればおかわりが出されるわんこそば形式。となると日翔が隣の席から強奪して失格者を出すようなことはない――はずである。
『第3ウェーブはわんこ寿司! 終了までの十分間で積み上げた皿の枚数で順位が決定します!』
アナウンスに会場がわっと盛り上がる。
不満そうだった日翔も「好きなだけ食べていい」と解釈したらしく、完全に機嫌が戻っている。
ホログラムでカウントダウンが表示される。
0になった瞬間、日翔はむんず、と両手で寿司を掴んだ。
「おー、うめー! 生のカニじゃねえか、とろける~!」
幸せそうに満面の笑みで寿司を食べる日翔。
この加若ガニの握りはサービスの一環で観客たちにもふるまわれ、辰弥と鏡介もどれどれと口に運んだ。
蟹の刺身は鮮度が高くないと味が落ちるというよりも食中毒リスクが高い。しかし、昔は漁業が盛んだったことから御神楽が高志県、それも若山半島での海鮮物の養殖に力を入れているためフードファイトに使われたこの蟹も養殖工場から生きたまま直送、調理されたものらしく鮮度が非常に高い。
生の蟹特有の、舌の上でとろりととろける身に舌鼓を打ちつつ、辰弥はステージの日翔を見た。
日翔は十貫盛られた皿を一枚三十秒も掛けないペースで平らげている。
他の二人も負けじと寿司を頬張っているが、既に大量のホットドッグとステーキを食べた後でかなりペースが落ちている。
逆に、全くペースが落ちないどころかペースアップしているようにも見える日翔の底なしの食欲に、観客のテンションも最高潮に達していた。
タイマーが十分に近づき、十秒前になると大きくカウントダウンが始まる。
『十、九、八――』
観客たちが一丸となってカウントダウンの声を上げる。
「おかわり!」
日翔が空になった皿を掲げて声を上げ、すかさず新しい皿を受け取って頬張り始める。
「……食いきれるか……?」
最後の皿が完食できずにタイマーが0になっても失格にはならない。
だが、この場を盛り上げるなら日翔の完食はいい起爆剤となる。
そんな期待を込めて鏡介が日翔を見ると、日翔は余裕の顔で次々と寿司を頬張り――
『三、二、一、ゼロ!』
タイマーが0になったのと同じタイミングで喉が動き、最後の寿司を飲み込んだ。
『うおおおおおおおおおおおお!!!!』
ぴったりのタイミングで一貫も残さず食べた日翔に観客たちが沸き上がる。
「信じてたぞ!」
「よくやった!」
「見てて気持ちよかったぞ!」
そんな声が次々と日翔に投げかけられる。
「へへっ、まだまだいけるぜ!」
日翔がガッツポーズで観客たちに応えると、そのタイミングで空中に【Winner:Gene】の文字が浮かび上がる。
誰も文句のつけようがない、日翔の圧勝。
結果が出たことで、今回のフードファイトの払戻額が表示される。
五番人気の日翔、四番人気の一番、三番人気の五番と順位が付いたので最終結果は3ー1ー5、払戻倍率は過去最高の99・4――つまり百万円が一気に一億円近い金額に跳ね上がる。
「うわ……」
払い戻し金額に、辰弥が思わず声を上げる。
「……鏡介、」
「的中だ」
たった一言、鏡介が答える。
日翔が一位になることは分かっていたとしても、一番と五番のどちらが勝つかは賭けだった。一応、データ上では一番の方がやや有利に見えたので鏡介は3ー1ー5で賭けていたが、人気の高さで言えば五番の方が上だったのでどちらが勝ってもおかしくない状況だった。
その二択を見事的中させた鏡介が両手で辰弥の肩を掴む。
「辰弥、今夜はステーキで祝杯だ」
「鏡介、目が怖い」
今回の払い戻し以外にも日翔が受け取る賞金がある。優勝賞金一千万円に追加してオッズに応じた報酬――聞いたところ倍率掛ける十万円が授与される。つまり、追加で約一千万円。
金に汚い鏡介の目の色が変わるのは必然である。
「……とりあえず、日翔を迎えに行こうか」
勝利はしたが、「カタストロフ」はまだ姿を見せていない。
警戒をした方がいい、と辰弥は鏡介の腕を掴み、控室へと引きずって行った。
◆◇◆ ◆◇◆
『かんぱーい!』
剥き出しのLED照明の下で辰弥と日翔がグラスを掲げて声を上げる。
「……乾杯」
鏡介も控えめにグラスを掲げ、三つのグラスがかちん、と合わさる。
「いやー食った食った。もう、どの料理もマジでうまくてさ。お前らにも食わせたかったぜ」
「一応加若ガニの握りはサービスで配られたけどね」
グラスに入った合成オレンジジュースを飲みながら辰弥が答える。
日翔と鏡介はビールで乾杯しているが、辰弥だけは「お前は! 未成年!!!!」と無理やりオレンジジュースをオーダーされて飲んでいる。
尤も、辰弥は元からアルコールが苦手なので最初から麦茶を頼むつもりではあったが、オレンジジュースになったのは日翔の余計な気遣いのせいである。
料理に使う分には全然いいんだけど、お酒のどこがいいんだろう……と思いつつ、辰弥がビールを飲む日翔と鏡介を見る。
「凱旋パーティーだ。しっかり食えよ」
三人の目の前にはステーキの皿が置かれている。
『ステーキ!』
辰弥の横で、ノインが目を輝かせている。
『エルステ!』
「分かってるよ」
辰弥がステーキを一口大に切り、口に運ぶ。
『んー!』
幸せそうに唸るノイン、辰弥も値段の割にクオリティの高いステーキに大きく頷く。
「ここ、意外とおいしいね」
「内装を簡素にして、人件費もロボットをメインにすることで切り詰めた分、肉の質はいいと口コミにあったからな。流石に若山牛を出すほどではないが、黒毛桜牛の一頭買いで安く仕入れているらしいぞ」
鏡介も慣れた手つきでナイフとフォークを扱いながら説明する。
「いや、これうまいわ! さっき食った若山牛のステーキもうまかったが、これは焼き方の問題か……? 負けてねえぞ?」
日翔もナイフとフォークで肉を切り分け、口に運んでいるが、一切れの大きさが鏡介のそれとは比べ物にならない。
あっという間にステーキを平らげ、大盛りのライスもぺろりと行った日翔は、サラダがサラダバー形式で食べ放題なのをいいことに皿を持って立ち上がった。
「……あれだけ食っといて、まだ食うのか」
日翔の食欲に、鏡介がげんなりとしている。
「まだまだいけるぞ?」
「でも、普段の倍以上食べてるじゃん。普段は我慢してたの?」
我慢させている、いや、日翔の身体の維持に必要なカロリーが摂れていないのなら今後の食事も考えなければいけない。
そう思いながら辰弥が尋ねると、日翔はいーや? と首を振った。
「なんか、うまく言えねえが食欲スイッチがある感じ。好きなだけ食べていいってなったらスイッチが入ってる感じがするんだよなー」
「んな、オカルトな」
いや、日翔の言い分は分からないでもない。「甘いものは別腹」と言うように、お腹いっぱいでも甘いものは追加で食べられる、といった感じで日翔も食べていいとなったら身体が高速消化モードにでもなるのだろう。メンテナンスの時に晃が言っていた「生体電流が強めに流せる」も関係しているかもしれない。
だが、普段はその食欲をセーブできるというのなら気にしても仕方がない。
これは定期的に日翔をフードファイトに出場させた方がいいな――そう思い、辰弥は今後の料理の量は増やさないことにした。
日翔がウキウキとした様子でサラダバーに移動していく。
「……辰弥、」
日翔が席を立ったタイミングで、鏡介が辰弥に声をかけた。
「どうしたの?」
「結局、『カタストロフ』は来なかったな」
鏡介のその言葉に、辰弥もそうだね、と頷く。
「襲撃するとしたらあの時が一番確実だったはずだ。俺たちも動きづらいし、日翔も一応分断されてたから向こうにとっては有利だと思ったのに」
「もしかすると――今回は俺たちの動きが筒抜けになっていなかったのかもしれない」
あのタイミングで襲撃を仕掛けてこなかったのなら、尾山市での襲撃は考えられない、と鏡介が断言する。
辰弥もそれは理解できたのでそうだね、と頷いた。
「どうする、暫くここに潜伏する?」
「いや、たまたまこのタイミングで見つからなかっただけで、いつどこで接触するか分からない。予定通り井口県に向かう」
「了解」
「んー、次の行き先の話か?」
話がまとまったところで、日翔がポテトサラダを山盛りに乗せた皿を持って戻ってくる。
「日翔、炭水化物摂りすぎ」
「えー、いいだろ、ここのポテサラうまかったんだよ!」
そんなことを言いながら、日翔が大きな口でポテトサラダを頬張り始めた。
「……ま、いっか」
「カタストロフ」は襲撃してこなかった。日翔もおいしいものをたくさん食べることができたし、逃亡資金も稼げた。それでいい。
それでも――何故、「カタストロフ」が現れなかったのか、疑問が辰弥の胸に残る。
今までの襲撃がメンテナンスの後だったということを考えると、メンテナンスのために合流した晃が一番怪しい。鏡介はシロだと言うし、辰弥も晃を疑う理由がなかった。
それなら前回と今回で何が違ったのか――。
前回のメンテナンスと今回のメンテナンスを思い出す。
前回と明らかに違う点――。
「……あ」
思わず、辰弥が小さな声を上げた。
「どうした?」
日翔がポテトサラダを頬張りながら訪ねる。
「――いや、なんでもない」
思い当たることは一つある。だが、確信は持てない。
これは晃に確認してみないといけない、そう思い、辰弥は残っていたステーキを口に運んだ。
◆◇◆ ◆◇◆
車中泊可の道の駅にキャンピングカーを停めて眠っていた辰弥が目を開け、身体を起こす。
物音を立てないように外に出て、辰弥はGNSの回線を開いた。
数度のコールの後、晃が通話に応じる。
《どうしたんだい? こんな時間に》
「やっぱり起きてた」
晃のことだから、多分起きてるんじゃないかと思って、と辰弥が言うと、晃は苦笑して「そりゃあ」と応えた。
《日翔君のプラズマナックルの件、一応生体電流云々で説明はしたけどもっと詳しく調べたかったからね》
「ちゃんと寝てよ?」
《寝てるよ? それはそうと、こんな時間に電話したの、この話をするためじゃないだろう? 何があったんだ?》
晃が話を促す。
辰弥がそれね、と小さく頷いた。
「……メンテナンスの時に、ツェンテを連れてこないでほしい」
《え?》
思いもよらなかった話に、晃が声を上げる。
《どういうことだい、ツェンテを連れてくるなって》
「いつも、メンテナンスの後に『カタストロフ』の襲撃があるのに今回はなかった。タイミングがメンテナンスの後って決まってるから、晃が来ることがトリガーになってるんじゃとは思ってたんだけど、今回はそれがなかったんだ。で、何が違ったのかって考えて――」
《ツェンテがいなかったことが原因かもしれないって?》
辰弥の言葉を先読みし、晃が尋ねる。
「うん、もしかしたら、ツェンテが『カタストロフ』に情報を流してるんじゃないか、って」
《そんなバカな。それだったら私が武陽都にいる間、こっちが『カタストロフ』に襲われてもおかしくないじゃないか。でも、そんなことは一度もなかったぞ?》
「それは、『カタストロフ』の目的が俺だってことで説明がつく。そもそも武陽都の家が襲撃されたときも俺が目的だって言ってたじゃない」
旅が始まるきっかけとなった最初の襲撃――そのとき、晃と鏡介は「カタストロフ」の目的は辰弥だと判断していた。そう考えると武陽都で晃が襲われない理由も説明がつく。
いくら晃が御神楽の庇護下にあったとしても、晃は隙が多いのでいくらでも襲撃する余地があるのだ。
《うーん、でも鏡介君がGNSいじって位置情報は消してるし、ツェンテは『カタストロフ』に戻りたくないって言ってるよ? そんな、裏切るわけ》
「うん、ツェンテを見てると裏切るとは思えない。だけど、もし何らかの方法で『カタストロフ』がツェンテから情報を得ているとしたら――」
《襲撃する余地はあるってことか》
「だから、メンテナンスの時にツェンテを連れてこないでほしい」
疑わしい項目があるのなら、なるべくそれは排除してしまいたい。
そう、辰弥が晃を説得するが、晃はうーん、と唸るばかり。
《無理だよ。今回はたまたま知人も預かってくれたけど、メンテナンスの度に預けるとなると向こうの予定も合わせなきゃいけないし、色々と怪しまれる。御神楽にバレないようにするには連れて歩くのが一番安全なんだ》
「でも――」
《それに、たまたまメンテナンスの後に重なっただけで、関係ないかもしれないじゃないか。もしツェンテが本当に『カタストロフ』のスパイならこっちも考えるけど、確定してないなら難しいかな》
「……そっか」
肩を落とし、辰弥が低く呟く。
「こっちも可能性の話しかできないからね、無理だというのなら従うしかない」
《悪いね。でも、こっちもツェンテのことは色々調べてるんだよ? 何か分かったら教えるから、我慢してくれ》
分かった、と辰弥が頷き、回線を閉じる。
そのまま駐車場を横切って道の駅に設置されたベンチに座り、隣に座ったノインを見る。
「どう思う?」
『んー……』
ノインも唇に指を当てて考える。
『あのしょうわるおんなが怪しいに決まってるだろ』
「……それ、感情だけで言ってない?」
ノインもツェンテに対して疑念を持っているのはなんとなく分かるが、それでも発言が感情に任せたもので本当に怪しいと断じることができない。
これはもう少しツェンテを監視するしかないな、と呟いて辰弥は夜空を見上げた。
空に輝くバギーラ・リングにこれからのことを考える。
ツェンテは本当に怪しいのか――それとも考えすぎているだけなのか。
答えが出ぬまま、時間だけが過ぎていった。
to be continued……
おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと あすとれい
第4章 「げてものが☆あすとれい」
「Vanishing Point / ASTRAY 第2章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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クロスフォリオ
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No name lie -名前のない亡霊-
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