Vanishing Point / ASTRAY #02
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「カタストロフ」の襲撃を逃れ、キャンピングカーでの移動を始めた三人はまず河内池辺で晃と合流、それぞれのメンテナンスを行うことにする。
途中、河内池辺名物の餃子を食べる三人。その後、「カタストロフ」の襲撃を受けるものの撃退し、RVパーク池辺で一同は一泊することになる。
第2章 「A-Miable 愛想」
「おはよう」
RVパーク池辺で一泊し、起きてキャンピングカーから出たところで辰弥は晃に声をかけられた。
「おはよう。ってか、ちゃんと寝た?」
晃が睡眠を惜しむタイプなのは見ただけで分かる。目の下のくまに荒れ放題の肌、研究ジャンキーで寝食を忘れているのは日常茶飯事、典型的なマッドサイエンティストが惰眠を貪るタイプであるはずがない――辰弥の偏見だが。
辰弥に言われて、晃が苦笑する。
「ちゃんと寝たぞ。ってか移動ラボにメンテ資材しか積んでないから研究なんて――いや、研究資材も積んでおけばLEBの研究もし放題か?」
「ちゃんと寝て。いくら自動運転でも緊急時はドライバーの判断に任されるんだから」
「えーでも私大型免許持ってるけどマニュアル運転なんて」
「よく大型取れたね!?!?」
一体どんな裏口受験をしたのやら、と思いつつも辰弥はキャンピングカーの隣に停められた移動ラボを見上げた。
桜花国内でも三台しか導入されていない
そんなものをポンと持ち出す、いや、三人の
その晃は鏡介に「キャンピングカーの調達費用を払う」と言われて「いいよいいよ私も『グリム・リーパー』の一員だからね!」と答えていたらしいが。
名声も富も得たい放題なのにそれを無にしかねない行動を繰り返す晃に、辰弥は羨望半分、呆れ半分の視線を投げる。
LEBなんてものが作り出されなければここまで危険な橋を渡る必要はなかったはずだ。自分たちに手を貸していると
自分は生まれてくるべきではなかった――辰弥のその思いは今も変わらない。
だからこそ晃がいた第二研究所は燃やされたし晃も「生体義体の研究」という首輪を付けられた。晃本人はその頭脳ゆえに首輪を外してこうやって支援してくれているが。
一体LEBの何がいいのやら、と当事者である辰弥は思いつつ、朝食を作るためにキャンピングカーの収納からフライパンを取り出した。
焚き火の薪が炭化して炭として利用できそうだったので火をつけ、フライパンを置く。
「朝ごはん、何作るんだ?」
「トーストとベーコンエッグ。出発は早いし手軽に作れるものがいいからね」
手際よく朝食を作る辰弥を興味津々で眺めながら、晃は極力辰弥の邪魔にならないようにしつつも声をかけた。
「ノインは元気にしてるかい?」
「視界をウロチョロして邪魔。挙げ句の果てに◯◯◯消すとかふざけてんの」
「うわ、清純そうなエルステでもその単語口にするんだ」
いささか引き気味の晃に辰弥が苦笑する。
「別に俺は清純じゃないよ」
「え、経験あるの!?!?」
「――うん」
一拍おいて答えた辰弥の声が寂しそうだったことに晃が気づく。
鏡介から聞かされた辰弥に対する注意事項にこれはあったはず、晃としても好き好んで地雷を踏む趣味はないので気づいてしまったからには黙っておこうと判断する。
「ごめん、この話はここまでにしておこう」
そう言い、晃は空中をスワイプして一枚のウィンドウを展開した。
「今回の調整でテロメアは10%回復、ここまで回復したら百回くらいトランスを連発しない限り命に関わるようなことは起きないと思うよ。まぁ、いくらテロメアが損傷しにくいという第二世代の特性を引き継いだとはいえノインほどダメージを受けない、ということはないだろうからこれからも定期的に調整は続けるけどね」
「俺の体を調べて他に分かったことは?」
フライパンに卵を落としながら辰弥が尋ねる。
「ノインのせいで生殖機能実装についての調査ができなかったからなぁ」
「そこから外れて!?!?」
そこ、そんなに重要じゃないでしょ、と抗議する辰弥に晃がなんでぇ、と反論した。
「LEBが新人類として繁栄するかもしれないんだぞう? 人間と交配できるのかとか、もし交配できた場合、どこまでLEBの能力が引き継がれるとか――」
「やめて」
冷たい声が辺りに響く。
その声に熱く語り出した晃も思わず言葉を止めた。
「流石に不愉快だ。俺はLEBなんて全個体消えればいいと思ってるし新人類になりたいなんて思ってない。俺以外の個体がどう思ってるかは分からないけど、少なくとも俺はそう思ってるから俺の前でこれ以上その話しないで」
辰弥の声は静かだったが、その奥に抑えきれないほどの怒りが含まれているのは他人の感情の機微に疎い晃にも分かった。
「そんなこと言うなよぉ〜。前の恋人の件は仕方ないと思うし、また今後生殖能力を活かす機会もあるかもしれないだろー」
『ノインが一緒のうちはないよ』
悪びれた様子のない晃の言葉に辰弥がため息をつく。
一度、
一方で、晃は「もっと調べたいんだけどなあ」といった顔で辰弥の全身を眺め回していた。
辰弥が第一世代であるにも関わらず「生殖能力がある」と気づけたのは最初の検査で融合したLEBにどのような影響が出たのか、復元した第一世代の仕様書と全ての項目を比較した結果である。結果としては辰弥には子を成す能力はある、と分かったもののそれがいつ、どのようにして得られたのかまでは分からない。それこそ仕様としては設定していたものの発生段階でのミスで最初からオミットされていなかった可能性もある。辰弥にのみ「血を摂取することで対象の特性をコピーすることができる」というコピー能力が与えられた、というパターンのように。
これがノインとの融合の結果備わったものではないとは断言できる。ノインと融合して生殖能力が身についたとして、ノインは雌体なのだから精巣が機能するはずがないのだ。ノインとの融合の結果というのなら卵巣が生成されるはずだ。
だからこそ晃はこの謎を解明して今後のLEB研究に反映させたかったが、辰弥が協力的でなければそれは叶わない。
いつかはきちんと調査したいが、今は素直に引き下がったほうがいい、そう思い、晃は気を紛らわせようとフライパンを覗き込んだ。
ベーコンがこんがりと焼け、卵の白身もカリカリとした様子を見せている。黄身は程よく半熟になっており、そろそろ焼き上がりだろうと晃の目にも分かった。
「もうすぐできるよ。晃、皿出して」
「あいよ」
晃が頷いて皿を取り出す。
その頃には日翔と鏡介も起き出してきて、特に日翔は朝食の匂いに眠気が一気に吹き飛んだようだった。
「おー、ベーコンエッグ!」
やっぱ朝ごはんといえばこれだよな! と声を上げる日翔に鏡介もテーブルに並べられていく皿を見て笑みをこぼす。
「辰弥のベーコンエッグは格別だからな」
テーブルに並べられたベーコンエッグとトースト、今までの日常と変わらないメニューが青空の下にある。
「よっしゃ、食べようぜ!」
テンション高くベーコンエッグをトーストに乗せた日翔に、辰弥も同じようにしてトーストを手に取った。
「食べよう」
「いただきまーす!」
真っ先に日翔がトーストに齧り付く。
程よく半熟になった黄身がとろりとトーストに垂れていく。
「うんめー!」
聞き慣れた日翔の一口目の声。
鏡介はトーストとベーコンエッグを別に食べながらうんうんと頷いている。
「焚き火でのベーコンエッグ初めてなのに焼き加減は完璧だな」
「ふふん」
鏡介の声に得意げに辰弥が笑う。
「やっぱり、朝はベーコンエッグじゃないと調子が出なくて」
「……それ、俺の影響だろう」
カリカリに焼かれたベーコンを噛み締めながら鏡介が苦笑した。
まあね、と辰弥が指についた黄身をペロリと舐める。
「鏡介が出してくれたベーコンエッグは今でも憶えてるよ」
「……そうか」
今から思えばもう五年前になるのか。
日翔が辰弥を拾った翌巡の朝食に鏡介はベーコンエッグを作って辰弥に差し出した。
連れて帰ってきた直後は「こんな怪しい奴、殺したほうがいい」と言ったものの、日翔と昴の説得で一度は引いた鏡介。
それでも辰弥に対する不信感は拭えなかったので二人が手を出さないなら、とベーコンエッグに毒物を仕込もうとしていた。
それを未遂で終わらせた理由は今ではもう思い出せない。
一晩寝て考えが変わったのだろう、と今では思っているが、とにかくあの時出したベーコンエッグを不思議そうに眺め、それから美味しそうに貪った辰弥の顔は今でも憶えている。
今思えば初めて食べた本物の食材の料理だったからだろうが、顔中黄身だらけにしてベーコンエッグを食べていた辰弥に絆されたのは事実だ。
仕方ない、日翔の気が済むまでうちにおくか、そう思って早五年。
今ではなくてはならない仲間にまでなった辰弥はこうやって朝食にベーコンエッグを出すほどの成長を見せた。
初めは知識はあるのに何もできない、冷蔵庫にあるものを食べていいと言えば生肉を食べていたほど何もかもに無頓着だった辰弥がここまで人間らしく振る舞えるようになったのは鏡介としても嬉しいところだった。
あの時殺さなくてよかった、いや、全てを知った今ではあの時毒物を仕込んでいても殺すことはできなかったがここまでの信頼関係を築くこともできなかった、そう思うと人生何がどう動くかは分からない。
ふと、「運命は自分の手で掴み取れ」と言った昴の言葉を思い出す。
――俺は、掴み取れたんだろうか。
今となっては死んで当然だと思える昴ではあるが、鏡介を今の道へ進むきっかけを与えてくれたのも彼だった。師匠の「ハッカーは人のためにあるべき」という主張が受け入れられず飛び出し、昴と出会ったことで今の自分がある。
そう思うと、この運命は確かに自分の手で掴み取ったものだ。
自分の意思で辰弥も日翔も守ると決めたしそのためなら自分の肉体にも命にも執着はない。
自分は二人のために生きる、そんな思いが再確認できたような気がして鏡介はもう一口ベーコンエッグを口に運んだ。
「とりあえずこの後の予定を確認しよう。辰弥は馬返東照宮に行きたいんだな?」
「うん、なんていうか……今後の旅を占いたい」
「んな、オカルトな」
辰弥の言葉に日翔が苦笑する。
「だが、たまにはオカルトに頼るのもいいんじゃないか? あのプレアデスとかいうオカルトとやり合ったんだ、意外と面白いことになるかもな」
結局、昴が連れていたプレアデスという存在が何者かは最後まで分からなかった。あの戦いの後、鏡介は辰弥から軽く説明を受けたが「魔力供給を受ける」という言葉に「んなオカルトな」と思ったものだ。
地球という場所から来た昴、そして同じく地球から来たというアンジェという少女の存在がこの世界にもまだオカルトは存在すると信じる根拠となったが、それでも科学技術が発展したこの世界でオカルトとは色々と複雑な気持ちになる。
とはいえ、プログラムや統計に頼らない占いというものが意外と迷った時の道しるべになることも理解できた。
人間の心というものはプログラムで制御できるものではない。時にはオカルトだと笑われたとしても不確定要素に頼ることで最終的に最善の結末を迎えることができるかもしれない。同じくらい最悪の結末を迎える可能性もあるが、その時はその時で自分に運がなかったとか運命だと割り切ればいい。
「ま、オカルトっていうがオカルトも時には大切なんだぞ? 研究成果にオカルトを持ち込むのは御法度だが道に迷った時は私だって棒を倒すぞ」
「マジか」
「例えの話な!?!?」
そう言いながら晃が最後の一口を放り込んだ。
「馬返東照宮はいいな。世界遺産にもなっているし君たち今まで旅行したことがないんだから観光地くらい楽しんできなよ。あ、後日お土産くれると嬉しいな」
『もちろん、主任にいっぱいお土産買う!』
「うん、お土産買ってくるよ」
ノインの言葉を代弁し、辰弥も空になった皿を手に立ち上がる。
「みんな食べ終わった? そろそろ後片付けをしよう」
「ほーい」
日翔も勢いよく立ち上がり、辰弥に皿を渡して焚き火の前に立つ。
「俺はこいつの後始末しとくから他は任せた」
「火傷しないでよ」
「ほいほい」
日翔が金網を片付け始めたのを見て、辰弥も食器を洗うために洗い場へと向かう。
「辰弥、手伝おう」
鏡介が辰弥の隣に立ち、スポンジを手に取る。
「ありがと」
辰弥が小さく頷き、二人は無言で食器を洗い始めた。
「じゃあ、今回はここでお別れかな」
全ての後片付けが終了し、辰弥が忘れ物がないかを確認する。
「あーそうそう、出発前に渡しておきたいものがあるんだった!」
車に乗り込もうとした辰弥を晃が呼び止める。
ん? と立ち止まった辰弥の代わりに日翔が晃の前に立つと。
「はい」
晃がアタッシュケースを日翔に手渡した。
「なんだこれ?」
「『カタストロフ』に襲われたことを考えると君たちに武装は必要だ。それに路銀を稼ぐために地域のアライアンスにも顔を出すんだろう? だったらこれが必要だ」
アタッシュケースを開ける日翔に晃が言う。
辰弥と鏡介もアタッシュケースを覗き込むと、そこにはいくつものカプセルが収納されていた。
透明で、力を加えると簡単に割れそうなそのカプセルの中には巻貝のようなものが格納されている。
「これは――」
「生体銃。ハンドガンタイプとアサルトライフルタイプを用意した」
得意げにそう言う晃に、三人もああ、と思い出した。
上町府にいた頃、これを使った「ワタナベ」には手を焼いた。
「本体は仮死状態でカプセルに収納されてる。カプセルを割れば仮死状態が解除されると同時に急速成長が働いて数秒で銃の形になるよ。マガジンはないけど一度起動したら百発は撃てる。適切な餌を与えれば寿命が来るまで撃てるけど今回は使い切りを想定してるから餌は持ってきてないよ」
「うわあ、これを自分で使う時が来るとは……」
そう言いながらも日翔は興味深そうにカプセルを手に取り眺めている。
「カプセルはそう簡単に割れないからいくつかポケットに入れておくといい。あ、使い終わったらマガジンキャッチを押せば自壊機能が発動するように調整してるからそれを使って破棄してくれ」
詳しいマニュアルは後で送っておく、と続け、晃はもう一つ、と保冷バッグを取り出した。
「エルステにはこれも渡しておく」
辰弥が保冷バッグを受け取って中を確認すると、そこにはいくつかの輸血パックが収められていた。
「いくら生体銃があると言っても生成を使わなければいけない局面は出てくると思う。その時に君が貧血だと大変だろう? 備えあれば憂いなし、だ」
「ありがとう」
確かにトランスができるといっても生成をしないというわけにはいかない。実際に「カタストロフ」との戦闘で生成したし、暇を弄べばパズル玩具を生成することもある。トランスのおかげで貧血に至る可能性は格段に減ったが、それでも輸血パックの予備があるのは心強い。
「おー、助かるぜ!」
保冷バッグを覗き込んだ日翔も礼を言うと、晃はそれじゃ、と片手を挙げた。
「君たちの旅の無事を祈ってるよ。次合流した時に色々聞かせてくれ」
うん、と辰弥たちも頷き、片手を挙げる。
辰弥たちがキャンピングカーに乗り込むと、晃ももう一度手を振って移動ラボに乗り込んでいく。
「それじゃ、馬返東照宮に向かうか」
そう言い、鏡介が車を発進させる。
ゆっくりと動き出したキャンピングカーを、晃は運転席から見送った。
「……いい思い出作れよ」
それじゃ私も武陽都に戻りますかね、と呟き、晃も車を発進させた。
◆◇◆ ◆◇◆
馬返東照宮がある馬返市は観光客で賑わっていた。
川内池辺市も餃子の街ということと馬返市と隣接していること、そして武陽都都心部へ向かうのに適した立地ということから住人の人口密度が非常に高かったが、馬返市はどちらかというと観光客によって人口密度が高い、という印象を受ける。
自家用車で来訪した観光客で渋滞する道をゆるゆると移動しながら、三人は近辺で食べられるご当地グルメの検索をしていた。
「へえ、駅前から門前近くまで色んなものが食べ歩きできるみたいだよ」
近辺のグルメ情報を見ていた辰弥がそう声を上げる。
「そりゃあいいな! 駅前の駐車場に車停めて食べ歩きしながら東照宮まで行ってみるか?」
食べ歩きと聞いて俄然やる気を出したのはもちろん日翔。
鏡介はどことなくうへぇ、と言いたそうな顔をしているが辰弥と日翔が食べ歩きしたいというのなら止めない、という風である。
「まあ、食べ歩きしたいというならそれでもいい。ったく、襲撃の可能性も考えておいた方がいいのに人気に構えやがって……」
辰弥と日翔がここまで浮かれているのなら周辺の索敵は俺がやるしかない、と考えつつ鏡介はさっとプログラムを組んでa.n.g.e.l.に送る。
「a.n.g.e.l.、周辺の監視カメラに――」
「a.n.g.e.l.にサポート頼んだの?」
『周辺の監視カメラの制御、把握済みです』
鏡介の耳と聴覚に辰弥とa.n.g.e.l.の言葉が重なる。
「ああ、どこで誰に目を付けられるか分からん。できれば街中を歩き回りたくないがきちんと警戒さえしておけば多少出歩いたところで問題ないのは分かっているからな。念のための保険みたいなものだ」
「鏡介の警戒心には助けられてるからね。ありがと」
なんだかんだいって裏社会でのキャリアは鏡介が一番長い。暗殺者としての自覚が今一つ足りない日翔や一般的な倫理観が皆無と言っていい辰弥からすれば鏡介の心配しすぎるくらいの警戒心はむしろ心強い。かといって鏡介に全てを任せるわけではないが、鏡介の警戒を補助する形で自分たちが警戒すれば「カタストロフ」もそう簡単には攻めてこないだろう、と辰弥は考えていた。
「とりあえず、駅前の駐車場に移動しようか」
「そうだな。日翔もそれでいいか?」
「おいしいものが食えるならどこでもいいぜ!」
日翔は完全に食べ歩きモードになっている。
そんな日翔に苦笑しつつ、辰弥も窓の外に視線を投げた。
観光客で賑わう馬返駅近隣の道路。
そういえば今巡はどこで寝よう、と考えて近くのキャンプ場を検索する。
駐車場は数多くあるが、そこで車中泊していいとは限らない。できれば道の駅や、RVパークと言った車中泊が可能な駐車場を備えた場所に移動したい。
馬返東照宮は単純に観光するだけなので駅前の駐車場は一時的な駐車になるが、一晩泊まると、と辰弥が考えたところで幾つかのキャンプ場が検索の結果として浮かび上がる。
「日翔、鏡介、
「俺もそれを提案しようと思っていたところだ。公園があって、隣接してオートキャンプ場があるようだし今回はそこに泊まらせてもらおう」
鏡介が地図データを共有すると、辰弥と日翔の視界にオートキャンプ場の詳細情報が表示される。
「良さそうなところじゃん」
「だが、予約なしで泊まれるのか?」
楽しそうに声を上げる辰弥とは裏腹に珍しくも冷静なことを言う日翔に、鏡介はふっと笑った。
「もう予約した。平日だし、空いているから特別にシャワーとかも無料で使わせてもらえるぞ」
鏡介は抜かりがなかった。泊まると決めた瞬間に予約システムに割り込んで予約をねじ込んだのだろう。確かに平日にキャンプ場を使うような客はそう多くないだろうし、キャンプ場としても当日とはいえ予約を入れてもらえるのはありがたい、というところか。
「さすもや」
思わず日翔がそんな言葉を口にする。
「誰がもやしだ!」
「もやしって言ってねーだろ!」
「『もや』がもやし以外にどんな意味がある!」
始まる口論に辰弥がくすっと口元をほころばせる。
鏡介はもう生身の部分より義体の部分の方が多い。前にどれくらい義体化したのか尋ねればざっくりと六、七割は義体化しているんじゃないか、という答えが返ってきていた。
そうなると何を持って人間と呼ぶのかがあやふやになるところだが全身を武装可能な生体義体に置き換えた日翔も人間と言えないかもしれないし、辰弥に至れば元から遺伝子構造をプログラミングされた生物兵器である。そう考えるとまだ人間としての生身が残っている鏡介が一番人間らしい、と言えるかもしれない。
義体が当たり前になったこの時代でそんなことを考えるのは時代に逆行しているかもしれないが、それでも辰弥は自分たちは「人間」だと思いたかった。
「まぁ、もやしが太もやしになっただけでしょ。俺は殺せなかったわけだし」
「くっ」
痛いところを突かれた鏡介が低く呻く。
辰弥の言うとおりだ。鏡介は辰弥を殺せない。それは一度経験した。
辰弥が千歳に絆され、鏡介の警告に耳を貸さず家を飛び出して「カタストロフ」に加入し、その後敵同士となる
あの時は二人とも完全に互いを殺すつもりで銃を向けたが、互いに互いを追い詰めてもなおとどめを刺すことはできなかった。
裏切ったとしても大切な仲間を殺すことはできない、その思いから最終的に和解したがそれにより「カタストロフ」を裏切った辰弥は最終的に千歳を殺すことになったし、今こうやって「カタストロフ」に追われることになった。
辰弥が「カタストロフ」を裏切らなければ千歳は死なずに済んだかもしれないし、場合によっては日翔も「カタストロフ」のルートで生体義体を得られたかもしれない。もし、そのルートを選択していた場合、辰弥も日翔も今のような自由はなく、ただ使い捨てられるだけの駒になっていた可能性はあったが。
千歳を喪ったのは辰弥にとって苦しいことではあったが、それでも「最悪の事態」にはなっていない。むしろ自由を手にしたまま日翔を救うことができたのだからほぼ最善の結果で今を迎えている。
それに、結局のところ千歳の本心は辰弥には分からなかった。
本当に自分のことが好きだったのか、それとも昴に言われるがままに恋人を演じたのか、その真相は闇の中。
だから辰弥は「千歳は俺のことは好きじゃなかった」と自分に言い聞かせて自分を保っている。そうでもしないと罪の意識に押し潰される。
日翔が助かったという事実、自分たちの自由が奪われなかった事実、それは嬉しい。だが、そこに「千歳も隣で笑っていてほしかった」と願うのは強欲だろうか。
「ん、辰弥どうした、難しそうな顔して」
後部座席から前席に首を突っ込んで鏡介と口論していた日翔が突然辰弥に話しかける。
「あ、」
考え込んでしまっていたことに気づき、辰弥が日翔を見る。
「なんでもない」
「あまり深く考えていても仕方ないぜ、気楽に行こう」
日翔が辰弥の肩をポンと叩く。
「うん」
「お前ら、もうすぐ駐車場に着くぞ」
投影されるマップに視線を投げた鏡介も周囲に人影がないか注意しながらそう声をかけてくる。
降りる準備をしなければ、と日翔が後部座席に戻り、直後「ねこまるー」とねこまるを呼ぶ声が聞こえてくる。
『だからニャンコゲオルギウス16世ってんだろ!!!!』
後部座席に突撃したノインが日翔の足を蹴っているが、それに気づかない日翔は寄ってきたねこまるを抱きかかえて車が止まるのを待つ。
キャンピングカーはゆっくりと駐車場に進入し、空いていた大型車両スペースに入っていく。
「よーし、行くかー」
日翔がねこまるを抱えてさっさと車を降り、それに続いて辰弥と鏡介も地面に降り立った。
駅前から馬返東照宮の門前まで続く幹線道路と、道路沿いに並ぶ様々な店。
旧時代の面影を残すよう条例で景観を決められた通りはホロサイネージのけばけばしさもなく、昔ながらの行燈型看板で観光客を魅了していた。
「お、あれなんだ?」
お前はグルメハンターか、と言いたくなるような嗅覚で日翔が駅前の店を指さす。
辰弥と鏡介がその方向に視線を投げると、「揚げゆばまんじゅう」と書かれたのぼりが揺らめいていた。
「へえ、揚げゆばまんじゅう」
辰弥も興味津々でのぼりと、その奥の店を見る。
歩きながら食べられるよう店頭に備えられた屋台式のカウンターにはいくつもの饅頭が並べられている。
カウンターの隅に置かれたチラシに視線を投げると「湯葉を使った皮で小豆餡を包み、衣を付けて揚げた饅頭です」と書かれている。
さらに説明を読むと馬返の名物スイーツとして古くから愛されているとも書かれており、それだけで期待値が高まってくる。
「食べてみようか」
辰弥が提案すると、日翔と鏡介、ノインもそうだな、と同意する。
「すみません、四つください」
「えっ」
辰弥の注文に、日翔が思わず声を上げる。
「四つって、俺たち三人」
「――え」
日翔に指摘されて辰弥が日翔と鏡介、視界に映り込むノインを見て首を傾げかけ、すぐにあっと声を上げた。
「ごめん、三つだね。三つで」
『ノインの分も買え! エルステが二個食えばいいだろ!』
ノインの文句に辰弥が「んな無茶な、」と言いたそうな顔をする。
一方の日翔と鏡介は辰弥の様子に顔を見合わせていた。
「……鏡介、四個目って……」
「……秋葉原の分か……?」
辰弥にのみ見える幻影としてノインがいることを知らない日翔と鏡介は四個目は千歳に対して買おうとしたのだろう、と判断する。
四人で旅をしているつもりなんだろうか、と考えると、河内池辺で買ったキーホルダーの件も含めてまだ立ち直れていないのか、と考えてしまう。
だが、そこで辰弥に現実を突きつけても仕方ない、と二人は辰弥が注文し直すのを黙って見ていた。
辰弥の注文に、看板娘らしき女性が慣れた手つきで饅頭を紋の入った包み紙に入れ、手渡してくる。
受け取ると、揚げたてらしい熱に辰弥は顔をほころばせた。
「おー、うまそー!」
そう言い終わらぬうちに日翔が饅頭にかじりつく。
それを見て辰弥と鏡介も饅頭を口に運んだ。
衣と、揚げられた湯葉のサクサクとした食感が食欲をそそる。
「……ん、」
『甘いー! 甘いのいいね、辛いのなんてクソ喰らえ』
ノインの言葉遣いが気になるが、これが素、というものだろう。
下手に注意しても聞く耳を持たないのは分かっているのでスルーし、辰弥も饅頭に集中した。
まず、口に広がる塩味は衣に付けられたものだろうか。直後、小豆餡のガツンとした甘さが口いっぱいに広がり、塩味によって引き立てられていく。丁寧に練られた小豆餡は本物の小豆を使ったもので、同時に衣も湯葉も合成食材ではなく本物の材料を使って作られていることに気付かされる。
普通、屋台飯と言えば食品衛生法や食材の管理等の観点から、合成素材のフードトナーを使ったプリントフードである。比較的安価に量産できるし特殊な技術を求められないので、祭りの縁日やちょっとしたイベントで活躍するのは辰弥も知っていた。
しかし、この店の揚げゆばまんじゅうは観光地という多くの人間が集まる場所で、本物の食材を使用している。代金もそれなりに高かったが、それは観光地という付加価値によるものだと思っていた。だが、本物の食材ということを考えると本物の食材こそが付加価値であり、この饅頭を作るのに必要な材料費を考えると逆に安い。
いくら桜花が御神楽財閥のお膝元で、諸外国に比べて本物の食材が入手しやすいとはいえこの味を維持し続けるには相当な努力が必要なはずである。それとも、御神楽が馬返東照宮という世界遺産を保護すると同時に歴史的観光地としての文化を維持するために多額の支援を行っているのだろうか。
御神楽の「世界平和」という理念は理解できる。人々が飢えることも争うこともなく、文化的な生活を送れるように、と採算度外視の福祉事業に力を入れているおかげで、辰弥もその恩恵にあずかれている。
「うまいな」
饅頭を食べながら鏡介も呟く。
「……来て、よかったな」
「うん」
この旅がただの観光旅行ではないことは分かっている。「カタストロフ」から逃げ延びるための逃避行であることは重々承知している。
だが、だからといって楽しんではいけないというルールはどこにもない。逃げ延びた先で本のひと時の安らぎを得る、それくらいの権利はあってもいい。それに、これからどのような旅になるかは予想すらできない。「カタストロフ」の追っ手に追いつかれるのか、それともそんなことなく平和に逃げられるのか。
それを占うために馬返東照宮に立ち寄ろう、という話もしていたが、こうやって三人で買い食いをしていると、自分たちの旅が逃避行であることを忘れてしまいそうになる。
ぶらぶらと大通りを歩きながら、三人は東照宮に飾られているという「見ざる聞かざる言わざる」のサルをモチーフにした人形焼きや香り豊かな葉山椒を詰めた塩にぎりを楽しんだ。
「いやー、すげえな。観光地のグルメ、舐めてたわ」
両手に持った塩にぎりを交互にかじりながら日翔が笑う。
「俺の推測だけど、御神楽が文化保持のために支援してるんじゃないかな」
辰弥も塩にぎりを頬張りながら自分の考えを口にする。
その瞬間、日翔がげっ、と声を上げたのを聞き逃さなかったが、辰弥はそれをスルーして鏡介を見た。
「ああ、かなり御神楽の支援の手が入っているようだ。日翔には耳の痛い話かもしれないがこういう方面で御神楽は世界平和を目指している、ということだ」
「ぐぬぬ……」
両親が御神楽陰謀論を信じる反御神楽思想の人間だったために日翔もその思想を色濃く受け継いでいる。
辰弥が食材を調達するために足しげく通う「カグラ・マート」も御神楽系列ということで日翔としては色々思うところがある。
辰弥を造り出した研究所が、御神楽系列であることを考えると御神楽財閥も清廉潔白ではないのは明らかだが、それを言うと日翔にALSの治療薬の治験を受けさせるために手を組んだサイバボーン・テクノロジーも、それと敵対した榎田製薬やワタナベといった各種企業も、もっと腹黒いことをしているはず。水面下で御神楽財閥や他のメガコープの足を引っ張ることは当たり前、人を人と思わぬ扱いも日常茶飯事である。それを差し置いて御神楽財閥だけを悪と叫ぶのは正しいことではない、それは日翔も薄々感じていたことではあったが、それでも御神楽陰謀論を捨て去るのは日翔にとって両親を捨て去るにも等しいことだった。
「ま、これで考えを改めろとは言わん。が、お前も少なからず御神楽の支援を受けているということは覚えておけよ」
「……おう」
「あ、ここから上っていくのかな」
鏡介の言葉に日翔が少々気を落としたところで辰弥が声を上げた。
日翔と鏡介が辰弥の指さす先を見るとうっそうと茂った木々の間に東照宮へとつながる階段が見えた。
「おー、こりゃ上りがいがありそうだな」
周囲を見ると観光客たちもぞろぞろと階段を上り始めている。
見たところ、階段はそう長くなく、すぐに整備された歩道に繋がっているようだが東照宮の社殿まではそこそこ距離があるようだ。
「食べ歩きの腹ごなしにはちょうどいいんじゃない? 行こう」
早く行きたい、とばかりに辰弥が先に立って階段を上り始める。
「あ、辰弥待てよ!」
辰弥を追いかけ始める日翔。
しかし、その肩を鏡介が掴んだ。
「待て、日翔」
「何だよ」
「少しだけ話したいことがある」
そういった鏡介の面持ちはまじめなものだった。
それに日翔も動きを止め、鏡介を見る。
「なんかあったか?」
「――辰弥のことだが」
少し先に立って歩く辰弥の背を見ながら鏡介が低い声で続ける。
「かなり、無理していると思う」
「あー……」
感情の機微に疎い日翔にもピンときた。
日翔は、辰弥が千歳を殺したという事実しか知らない。自分に晃と生体義体を届けるためにノインと融合したという事実しか知らない。そこにどのような感情があったのか、どのようなやり取りがあったのかは知らなかった。全て終わった後に鏡介から聞かされた事実でしか何があったのかを把握していなかった。
一応は辰弥も殺意を持って千歳を殺したわけではない、とかノインを融合した裏でどのような感情が渦巻いていたのか、とかそういったものは鏡介からの話で理解できるものではない。辰弥本人ではないから何を思ってその決断に至ったかなど分かるはずがない。自分以外の人間の気持ちを察するなど国語の定期テストで「これを書いた作者の気持ちを答えろ」と問われる並みに不可能なことである。
とはいえ、辰弥の心の内を完全に理解できずともどのような状態なのかはなんとなく分かった。
旅が始まり、未来に希望を持って歩いているようでも、その心の奥底に苦い感情が押し込められているのは時折見せるぼんやりした表情で分かる。
辰弥はまだ過去に縛られている。積み重なった過去に押し潰されそうになりながらもそれを気取られないように歩いている。
「父さん」と呼べないのもそこに根があるんだろうな、と考え、日翔はああ、と頷いた。
「この旅で、少しでも重荷が軽くなるといいな」
「ああ、辰弥には幸せになる権利がある――本人がその権利はないと思っていても、俺は辰弥に幸せになってほしい、と思う」
「俺も」
LEBだから、人間ではないから、と不幸になる必要はない。本人が幸せだと思っているなら、その幸せは偽物だ、本物の幸せを掴め、と言うのはただの偽善だと分かっているが、日翔と鏡介の目には今の辰弥は幸せになる権利を放棄してしまっているように映っていた。
それとも、辰弥はあれで幸せなのだろうかと考え、鏡介はかすかに首を振った。
旅ができる、おいしいものが食べられる、それだけで満足せず、もっと強欲に幸せを求めてもらいたい、と思う。
それを見つけられるのが自分たちだ、と鏡介は辰弥を追って足を踏み出した。
「今はそっと見守ろう。やぶれかぶれになるなら止めるだけだ」
「そうだな」
並んで歩きながら日翔も頷いた。
辰弥の幸せは二人とも心の底から願うものだった。辰弥が幸せになるなら自分たちが苦しんでも構わない、と思えるほどに。
それが本末転倒であることは分かっていたが、それでも辰弥には心の底から笑ってもらいたかった。
ここからは大人たちの仕事だ、そんなことを考えつつ二人は辰弥に追いつき、並んで歩きだす。
「先に行くんじゃねえよ」
日翔がそう言って辰弥を小突くと、辰弥も苦笑して日翔を見る。
「だって馬返東照宮だよ? 色々回りたいじゃん」
「ま、そりゃそうか」
そんな会話をしながら、三人は表門へと続く通路を歩いていた。
「うわー」
馬返東照宮に到着し、左右の仁王像を見上げて辰弥が声を上げた。
重要文化財としても指定されている仁王像は厳しい表情で来訪者を睨みつけている。
人の流れに沿って境内に入り、左側を見ると東照宮の神馬をつないでおくための厩、
馬返東照宮に行くなら必ず見ておけ、と言われるものの一つがそこにあるため、三人はぶらぶらとそちらの方に歩みを向けた。
「あ、あれだ!」
神厩舎の一角を指さし、辰弥が二人に声をかける。
「ん、」
辰弥の声に、日翔が指の先を見る。
「おー、あれが有名な……ええと、なんだっけ」
「三猿だ」
そのうちの三匹がそれぞれ目、耳、口をふさいでおり、有名な「見ざる聞かざる言わざる」を表している。
そう、それそれと頷き、日翔はGNSを視界撮影モードに切り替えて写真を撮った。
「いやー、生きてるうちに生で見れるとは思わなかったなー」
「これと祈祷殿の眠り猫が有名だからな。後でそれも見に行こう」
うん、と辰弥と日翔が頷く。
暫く神厩舎を眺め、それから
「馬返東照宮は何百年も前、
歩きながら、鏡介が東照宮の由来について語りだす。
「それ、観光ガイド情報?」
辰弥が確認すると、鏡介は一瞬、悔しそうに顔を歪ませる。
「なんで俺の知識よりも観光ガイドを信じるんだ」
「鏡介なら調べるの早いし」
ぐぬぬ、と鏡介が唸る。
実際のところ、鏡介は視界の隅に観光ガイドを開き、a.n.g.e.l.に読み上げさせていたものを解説に使っていた。その時点で辰弥の推測は正しいのだが、博識と言われてみたいという下心は確かにあった。
単純な学歴だけで言えば三人の中で一番高学歴なのは日翔である。中卒とはいえ他の二人が義務教育すら受けられる状況でなかったことや裏社会に生きているという立場を考えると十分高学歴なのだが、それを許さないのが世間である。
スラム街の生まれ、さらに幼少期に母親である
ただ、辰弥だけは「局地消去型」という特性上、人間としての知識は必要であると学習装置を使って知識を埋め込まれていたため一般常識や大学卒業程度の知識は身に着けているが、それはあくまでも知識であり、経験したことではないので一般常識も「どうしてこれが常識なのか分からない」という状態である。
そんな状態だから鏡介に対しても「博識」というより「調べ物がうまい」という認識の辰弥と日翔だが、鏡介はそれが不満らしい。
「お前ら、もう少し司令塔に対して敬意を持てよ」
「あ、すごい!」
鏡介が文句を言ったタイミングで、辰弥が走り出した。
日翔と鏡介も慌てて追いかけると、辰弥は本殿手前の唐門の前で立ち止まり、胡粉で白く塗られた門を見上げていた。
「すごい彫刻だね」
細かい彫刻が施された豪奢な門に、日翔と鏡介も頷く。
鏡介の記憶では、東照宮に祀られている将軍は質素を好んでいたし、没した後も簡素に祀れと遺言を残していたはずである。それなのに周囲がそれはメンツが立たないと逆に豪華な神社を建立し、馬返東照宮として栄えている、今では観光名所として莫大な利益をもたらしているはずだ。
だが、その蘊蓄を語ったところで辰弥も日翔も「観光ガイド情報?」と言ってきそうな気がして鏡介は口を閉じた。
少し調べれば分かることだ。こちらから言う必要もない。
辰弥と同じように唐門を見上げながら、鏡介は一つの時代を築いた将軍に思いを馳せた。
あの将軍も幼少期から大変な目に遭ったらしいが、それでも耐え続け、時を待ち、最終的には将軍の座に上り詰め、一つの時代を築き上げた。
俺たちはどうだろうか、将軍とか人の上に立つつもりはないが、それでも今をちゃんと生きることができているだろうか、と考えて苦笑する。
真っ当な生き方ではないかもしれないが、自分たちは生きている。今は逃亡生活かもしれないが、時が熟すのを待って反旗を翻したい気持ちはある。
その時を熟させるのが俺の仕事だ、と鏡介は自分に言い聞かせた。
「辰弥、日翔、そろそろ行こう」
ここまできたならお参りくらいしたほうがいい、そう言い、鏡介は門を潜り抜けた。
拝殿でお参りを済ませた辰弥は興奮した面持ちではしゃいでいた。
「東照宮のお賽銭システムすごくない? 昔の時代のやり方を引き継いでるなんて!」
「そうだな」
鏡介の声も興奮が隠せないでいた。
「いやー、まさか旧時代のコインにチャージして投げるとか誰が考えたんだ? 天才だろ!」
そう言う日翔はコインを一枚手にして興味深そうに眺めている。
「百円玉だってよ。百円で何が買えるってんだよ」
「昔と今じゃ通貨の価値は全然違うからね」
そう言いながら、辰弥も手の中の五百円玉を眺める。
東照宮の賽銭は他の神社と同じように電子決済することで出現するARコインを投げるものであるが、少し上乗せすると旧時代に流通していた実物のコインを使うこともできる。これは希望すれば持ち帰ることも可能なのでお土産としても人気が高い。
辰弥たちもせっかくだから、と実物のコインを二枚ずつ購入し、一枚は普通に投げ入れ、もう一枚は記念に持ち帰ることにしていた。
『むふー、ごっひゃくっえ、ん! いちばん高いやつ!』
ノインの言葉と同時にずしりと重みを感じる金属製のコインに、昔はこれが、と辰弥が考える。
今の時代、支払いは全て電子決済となっており、実体通貨というものは存在しない。「仕事」での報酬もうまくマネーロンダリングされた電子通貨で支払われていたくらいだ。電子通貨が使えない取引に関しては大昔に倣って物々交換が行われている。
金属を通貨に使っていたなんて、と思いつつ辰弥は大切そうにコインをポケットに入れた。
「……俺が五円玉とかなんか冷遇されてる気がする……」
五円玉を手に、鏡介がぼやく。
このコインは上乗せ金額に関わらずランダムで手渡されるものだったが、鏡介としては少々不満があったらしい。
普段から金に汚い鏡介ではあるが、今では使えない通貨であっても高価なものが欲しかったのか。
いいじゃん、と辰弥が笑う。
「五円玉は『ご縁がある』って意味もあるらしいよ」
「俺はこれ以上の縁はいらん」
「じゃあ、交換する?」
『アホー! せっかくの五百円を手放すな!』
仕方ないなあ、と言った顔で辰弥が提案すると、鏡介は食い気味に、
「交換する」
と即答した。
「もう、鏡介ってほんとお金に汚い」
そう言いながらも辰弥はポケットから五百円玉を出し、鏡介と交換する。
『あー! ノインの五百円ー!!!! 一番高いやつー!!!!』
「いいな。高額というのはそれだけで心が躍る」
「……鏡介らしいね」
そんなことを言いながら、辰弥は五円玉の穴から向こう側を覗き込んだ。
「硬貨に穴を開けるって昔の人は面白いことを考えたんだね」
「そうだな」
辰弥に同意しながら、鏡介は五百円玉をポケットにしまう。
そこでつい先ほど辰弥が言った「ご縁がある」という言葉を思い出した。
――お前こそ、いい縁を見つけるべきだ。
辰弥と離れたいわけではない。だが、もうこれ以上傷つかなくていい縁があってもいいのでは、と思う。
その点では辰弥が五円玉を手にするのは必然かもしれない。
大切そうに五円玉をポケットに入れる辰弥を見ながら、鏡介は願わずにはいられなかった。
辰弥にいい縁がありますように、と。
「あ、おみくじ!」
鏡介が感傷に浸っているところで辰弥が突然声を上げる。
東照宮に来てから辰弥ははしゃぎっぱなしだな、と思いつつも鏡介が見ると、いつの間にか境内を抜けて表門にまで戻ってきており、お守りなどが授与される表番所の前に来ていた。
鏡介が授与所を覗き込むと様々なお守りや御朱印受付の案内に混ざり、「御遺訓おみくじ」と書かれた箱が置かれている。
おみくじなんてオカルトな、と思いつつも、そもそもここに来てお参りした時点でもう十分オカルトに触れているなと考え直し、鏡介が辰弥を見る。
「引いてみるか?」
「いいの?」
「思い出作りにはちょうどいいだろう」
そう言い、鏡介は授与書に向かって歩き出した。
「――それに、俺だってたまにはオカルトに頼りたくなる」
ここから始まる旅の行く末を占いたい。いや、この旅が希望のあるものだと縋りたい。
そう考えると辰弥よりも鏡介の方がおみくじを引きたいという欲に駆られていた。
「おー、おみくじ、いいな!」
日翔も辰弥に並んでおみくじの箱の前に立つ。
「ふーん、決済したらここから一つ引けってことか」
箱の中にはいくつものおみくじを模したタグが入っている。昔の時代なら手に取ったおみくじを開いて書かれたメッセージを読んだのだろうが、この時代は結んだ紙を模したタグを手に取ればタグに応じたメッセージが転送され、タグはすぐそばのおみくじ掛けに引っ掛けるようになっている。
三人がそれぞれ決済を済ませ、タグを一つずつ手に取っていく。
『ノインの分も引け!』
(いや、俺が二つ引いたらダメでしょ)
『むぅー!』
ノインが棚によじ登っておみくじを引こうとするが、幻影であるためその手はタグをすり抜けるのみ。
(ほら、諦めて)
『やだー!』
駄々をこねるノインを心の中で宥めつつ、辰弥は日翔と鏡介を見る。
「せーの、で見てみようか」
「おう、そうしようぜ!」
「お前らは小学生か」
そんなことを言いながら、三人が手に乗せたタグを見る。
『せーのっ』
三人の声が重なり、おみくじが転送されてくる。
「おおっ、大吉だ!」
日翔の嬉しそうな声が響く。
「ぐ……大凶、だと……」
なんで、と言わんばかりの鏡介の声も響く。
「辰弥はどうだった?」
日翔が尋ねると、辰弥は不思議そうな顔をして二人におみくじの結果を共有した。
「上吉だって。見たことない」
不思議そうな辰弥の声に、鏡介が即座に検索する。
おみくじといえば大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶、大凶の七つが定番である。鏡介は初めておみくじを引いたが、日翔は幼い頃に両親と初詣に行って引いたことがあるのでなんとなく分かる。辰弥も知識としてはこの七つの運を知っていたようで、見たことのない吉に困惑している。
「――ふむ、」
検索を終えた鏡介が小さく声を上げた。
「辰弥、それは東照宮独自のレア吉だぞ」
「え」
まさか、といった顔で辰弥が鏡介を見る。
「順位としては大吉の一つ下らしいが、東照宮でしか出ないし封入確率も低い幻のおみくじと言われているようだ」
「へえ」
そんなレアなの、と言いながら辰弥がおみくじを読む。
将軍が詠った和歌らしきものと、その下に書かれた各種運。
「勝負事:必ず勝つ、待ち人:来る、失物:すぐ見つかる、旅行:先々に良い事がある、事業:売買共によい、交際:今の心を保て……」
「すげえいいこと書いてあるな!?!?」
勝負に勝つとか旅行で良い事があるとか幸先よすぎだろ、と日翔が笑う。
「そうだね」
たとえ「カタストロフ」に見つかったとしても負けることはないのだろう。いいことがあるとは、この先物であれ人であれ忘れられない出会いとかあるのだろうか。
ポケットに入れた五円玉を思い出し、辰弥はそんな期待を持たずにはいられなかった。
きっといい縁がある、そんな希望が辰弥を包む。
「いい旅にしよう」
そう言い、辰弥は表番所の横に備え付けられたおみくじかけに歩み寄り、タグを引っ掛けた。
いくつものタグが引っ掛けられたおみくじかけに視線を投げ、振り返って二人を見る。
「行こう。きっといいことある」
「そうだな」
鏡介も頷き、おみくじかけにタグをかける。
自分は大凶かもしれないが、辰弥に幸運が降りかかってくれるならそれでいい。上吉は幻のおみくじと言われているだけでなくご利益もすごいものがある、と実際に引いた人の記事に書かれていた。それも一つや二つではない。
幻と言われているだけあって記事も古いものが多いが、それでも引いた人がそう言っているのなら期待してもいいかもしれない。
「辰弥の運、すげえな」
鏡介の隣でタグをおみくじかけに掛けた日翔が呟く。
「ああ、今まで大変だった分、いい事があるといいな」
そんなやりとりを交わし、三人は東照宮を後にした。
『良い話でまとめようとするな! ノインのぶんはー?』
「……ん?」
東照宮を出て幹線道路に戻り、キャンピングカーを停めた駐車場に向かう途中で日翔が突然足を止めた。
「どうした?」
鏡介も足を止める。
「子供の声がする」
辰弥は微かな声を聞き取ったか、すぐそばの裏路地に視線を投げている。
「なんか感じるなーと思ったが子供か?」
日翔がそう尋ねると、辰弥はうん、と頷いて路地裏に足を向けた。
「子供だけじゃない、なんか嫌な空気を感じる」
「観光地だからと言って治安がいいわけじゃないもんな。親からはぐれた子供が悪い大人に引っかかったか?」
だったら助けないとな、と日翔が両手の指を鳴らす。
「お前ら……」
厄介ごとに首を突っ込むなよ、と言いつつ、鏡介も路地裏に足を向けていた。
「行くぞ」
「応!」
怪しまれないようごく自然に、三人が路地裏に足を踏み入れる。
少し歩くと、黒い衣装に身を包んだ数人の男の姿が見えた。
「『カタストロフ』!?!?」
辰弥が思わず声を上げる。
あの戦闘服は「カタストロフ」のものだ。
自分を追ってここまで来たか、と辰弥が考えるが、それにしては違和感を覚える。
男たちは辰弥にではなく、別の何かに注意を払っているようだった。
先ほど聞いた子供の声は男たちの視線の先にあるような気がする。
まさか、と思った瞬間、辰弥は動いていた。
地を蹴り、左右のビルの壁を足がかりに三角跳びして空中に舞い上がる。
空中に舞い上がったことで現場の様子が俯瞰できた。
男たちの視線の先には一人の少女がうずくまっている。
――ノイン!?!? いや、違う!
白い髪に、同じく白いワンピースを着た少女。
見た目にノインを思い出させるが、ノインは辰弥と融合しているし、男たちが迫っているということは幻覚ではなく実在する。
『ノインに似てる、なんかムカつく!』
(そんなこと言わずに、助けるよ!)
ノインを叱咤しながら、辰弥は髪をいくつもの槍にトランスさせた。
男たちが頭上の辰弥に気づいて銃を向けるがもう遅い。
次の瞬間には串刺しにされた男たちが地面に縫い付けられる。
「大丈夫?」
トランスを解除して髪を元に戻し、辰弥は少女に駆け寄った。
日翔と鏡介もすぐに合流し、少女を見る。
「ありがとうございます!」
目を潤ませながら、少女が辰弥に抱きつく。
その目を見た瞬間、三人は思わず固まった。
赤い瞳。爬虫類のような縦割れ瞳孔。
以前聞いた久遠の言葉を思い出す。
――LEBはね、特徴的な眼をしているの。
その時久遠が口にしたLEBの特徴――辰弥は自分の眼を思い出す。
目の前の少女はどう見てもLEBだった。LEB以外でこの眼を持つ人間がいるはずがない。
「君、は――」
辰弥が声を絞り出す。
「エルステさんですよね? よかった、ここでお会いする事ができて」
辰弥に縋りつき、LEBの少女は心の底からよかった、と繰り返す。
「助けてください。『カタストロフ』に帰りたくないです!」
「『カタストロフ』……」
この一言で理解した。
この少女は「カタストロフ」にいた。
晃が造った第二世代が「カタストロフ」に拉致されていたのか、それとも「カタストロフ」が造り出した個体かは判別できないが、少なくとも「カタストロフ」にいたところを逃げ出してここまで来たのは間違いない。
辰弥を名指ししたということは辰弥なら助けてくれると信じ、気配を辿ってここまで来た、ということか。
『こいつ、主任の匂いがしない、第二世代じゃない』
くんくん、と匂いを嗅ぐような動きをしながら、ノインが言う。
「長居はまずい、とりあえずキャンピングカーに戻ろう」
周囲の防犯カメラをジャックして警戒していた鏡介が辰弥に声をかける。
「うん、一旦戻ろう」
辰弥が少女を抱き上げる。
『連れて帰るの? やばくない?』
ノインは少女を連れて帰ることに難色を示しているが、ここで助けてしまった以上放置しておくわけにはいかない。
(一旦連れて帰るしかないでしょ)
そう反論しながら、辰弥は鏡介を見た。
「鏡介、周りは?」
「大丈夫だ、追っ手の気配はない」
鏡介の返答に、辰弥が頷いて走り出す。
小走りで路地裏を出て人混みに紛れ、キャンピングカーに戻る。
キャンピングカーに入ったところで、辰弥は少女をソファに座らせた。
「もう大丈夫」
「ありがとうございます」
辰弥の言葉に、少女がほっとしたように頭を下げた。
「君、LEBだよね」
単刀直入に辰弥が尋ねる。
「はい。
何一つ隠そうとせず、少女――ツェンテはそう言った。
ツェンテ、と聞いた瞬間、辰弥の後ろで日翔と鏡介が顔を見合わせた。
「鏡介、こいつ――」
「第一世代だ」
以前、辰弥を救出する際に見た資料と晃の発言から判断する。
第一世代は序数でナンバリングされるのに対し、第二世代は基数でナンバリングされる。十は
しかし、第一世代は「
そう考えるとツェンテが命名規則から第一世代と判断できるが、一体誰が、という話になってくる。
日翔と鏡介の視線が自然と辰弥に投げられる。
「辰弥――」
日翔がそう呼びかけた時、辰弥の手がわずかに震えているのが見えた。
「――所沢……」
辰弥が低い声で呟く。
「所沢って、第一世代LEBを造り出した所沢 清史郎か?」
分かりきったことかもしれないが、鏡介が確認する。
「うん……所沢は生きてる。他人の空似だと思いたかったけどツェンテを見て確信した。ツェンテを造ったのは所沢だ。どうやってか分からないけどあの襲撃を生き延びて、ずっとLEBの研究を続けてたんだ」
「……ヤバくね?」
黙って辰弥の話を聞いていた日翔が声を上げる。
「ああ、かなりヤバい。『カタストロフ』はLEBの量産を計画していた。そういえば秋葉原が提出していた『エルステ観察レポート』に所沢の名前があったな。そうか、あいつが辰弥の――」
苦々しげな口調で鏡介が答える。
「ツェンテがいる、ということはLEBは量産できる体制に入ったということか」
「かもしれない」
辰弥の声は震えていた。
所沢の名前を聞いただけでも吐き気がしてくる。
こんなところでその名前を聞きたくなかった、とばかりに声を震わせる辰弥の肩に鏡介が手を置いた。
「落ち着け。もうお前には関係のない人間だ」
「でも、所沢がLEBを量産して――」
量産されたLEBが戦力として投入されれば大変なことになる。第一世代であるならトランスは考慮しなくていいが、それでも血液がある限り武器弾薬の類が作り出せ、人間以上の身体能力を持つLEBが戦場に立てば生身の人間はひとたまりもない。義体であればある程度対処できるかもしれないが、物量で攻められれば時間の問題だ。
元々は昴が「あの国」――故郷である地球の日本とかいう国に復讐するための尖兵として 量産計画が進められていたLEBだが、昴が死んだところで所沢がLEBの研究をやめるはずがない。それどころか邪魔者がいなくなったと量産体制を整えているかもしれない。
そうなるとせっかく戦力がダウンした桜花の「カタストロフ」も力を取り戻してしまうことになる。今後、「カタストロフ」の襲撃に量産されたLEBが投入されるかもしれない。
遭遇しないに越したことはないが、現状を推測するとそう楽観視もしていられない。実際に量産型のLEBが投入されたとして、三人で凌ぎ切れるかも分からない。とはいえ、辰弥というLEBを既に有している「グリム・リーパー」もまたLEBに対する対抗策を有していると言えた。
辰弥は第一世代、第二世代の壁を超えたハイブリッドである。量産型に遅れをとるとは思えない。日翔も生体義体の武装オプションでフレキシブルに対応可能である。鏡介は元から義体、GNS特攻持ちのハッカーだ。ネットワーク次第では量産型のGNSに一括侵入して一掃も狙えるし
勝てない敵ではない、問題はどれくらいの物量で押しかけてくるかだ、と三人は考えていた。
そうなると目下の問題は目の前にいるツェンテである。
ツェンテは「カタストロフ」に追われていた。同時に、現時点でLEBを生み出せるのは清史郎と晃の二人だけのはずである。さらに生産ナンバーが序数であることと、清史郎が「カタストロフ」にいることを考えると清史郎が造ったのは明白。
ふう、と心を落ち着け、辰弥はツェンテに声をかけた。
「『カタストロフ』に追われてるの?」
辰弥の問いかけに、ツェンテがはい、と頷く。
「『カタストロフ』の研究所に居たくなくて、逃げてきました。エルステさんならきっと力になってくれると思って気配を辿ってきたんです」
「ということは、研究所は第一首都圏範囲内にあるのか」
ふむ、と鏡介が低く唸る。
「違います。研究所から桜花に向かう船にこっそり忍び込んで密航してきました」
「……じゃあ、所沢は海の向こうか……」
「多分……」
清史郎が桜花にいるなら先手を打って殺害、LEBの量産を阻止できるかと思っていただけに辰弥がわずかに肩を落とす。
「エルステさん、助けてください。あなただけが頼りなんです」
『エルステ、こいつうさんくさい』
ツェンテの懇願に対し、ノインが異議を申し立ててくる。
確かに、と思いつつ、辰弥は日翔と鏡介を見た。
「どう思う?」
「どう、って――」
困惑したように日翔が鏡介を見る。
鏡介はというと険しい面持ちでツェンテを睨みつけていた。
「――俺は、殺すべきだと思う」
『そうだ、殺せ殺せ!』
「鏡介!」
鏡介の言葉に日翔が慌てたように声を上げる。
「いや待てよいきなり殺すって、お前――」
「ツェンテが真実を言っている保証はどこにもない。『カタストロフ』に襲われたのも辰弥を釣る餌ということも考えられる」
鏡介はどこまでも冷静だった。ツェンテが逃げてきたことすら疑い、排除することを提案する。
「いや俺は反対だぞ! いくらなんでもこんな子供を殺すなんて――」
「ノインのことを忘れたのか? ノインを保護したから辰弥は何度も殺されたかけたし御神楽にも追われることになった」
『むぐぐ』
「それは、」
あまりの正論に、日翔が言葉に詰まる。
辰弥がノインを拾ったことで「グリム・リーパー」は
その経験から、明らかにLEBと分かっている個体を保護するのはあまりにも危険すぎた。千歳が身分を偽って「カタストロフ」から派遣されてきたようにツェンテも辰弥に助けを乞う体で接触しているのかもしれない。
鏡介に言われて日翔もそれは理解できたが、だからと言って殺すという決断には至れなかった。確かに自分たちの旅に連れて行くのも今後「カタストロフ」と接触したときのことを考えれば危険であることを考えれば連れて行くわけにはいかない。
そうなるとツェンテをどこかで保護してもらうしか手はないが、もし保護した先が「カタストロフ」に襲われた場合、辰弥たちに責任を取る能力はない。
鏡介の言う通り殺してしまった方が誰にとっても安全なのは分かりきったことだった。
「辰弥、どうする」
鏡介が辰弥に問いかける。
「……」
ツェンテを見たまま、辰弥が唇を震わせる。
「俺は……」
「エルステさん!」
ツェンテが辰弥のパーカーの裾を掴む。
『騙されるなエルステ、これははにーとらっぷだぞ!』
ノインも警告する。
辰弥も分かっている。LEBを保護することの危険性は身をもって知っている。鏡介の言う通り殺すべきだと心は傾いている。
それでもどこかでツェンテを信じたい、という気持ちがあるのも事実だった。
ツェンテは本当に清史郎の元から逃げてきて、自分に助けを求めているのだと、信じたかった。
それでも、この旅に不安要素を乗せたくない。
心を決め、辰弥はツェンテを抱き上げた。
「おい、辰弥――」
「車を汚したくない。殺すなら外だ」
キャンピングカーを降り、辰弥が人気のない路地裏に入る。
日翔と鏡介もキャンピングカーを降りるが、鏡介はちら、と周囲を見て日翔に声をかけた。
「日翔、ついて行ってやれ。俺は周囲を警戒する」
鏡介の言葉に日翔が頷き、辰弥に続く。
ツェンテは不安そうな顔をしたまま辰弥に抱きつき、何度も「助けて」と呟いている。
「……ごめん、君を助けられない」
苦しげに呟き、辰弥はツェンテを地面に下ろした。
本当は殺したくない。その気持ちと同時にLEBは排除しなければいけない、という思いが重なる。ツェンテがただの少女であるなら児童保護施設にでも連れて行っただろう。だが、LEBをそういった場所に連れて行くことはできない。
「エルステさん……」
ここまで言われるとツェンテも覚悟を決めたのだろう、抵抗することもなく辰弥の前に立つ。
ふう、と息を一つつき、辰弥はナイフを生成した。
トランスで刃を作り出さなかったのは単純にツェンテの血を受ける面積を最低限にしたかっただけだ。経口接種しなければ対象の特性をコピーすることはあり得ないが、それでもツェンテの血を浴びてしまえば自分の心が崩れてしまいそうな気がする。
生成したナイフなら記憶と共に捨ててしまえばいい、そう考え、辰弥はナイフを握りしめた。
「――ごめん」
ぎゅっと目を閉じたツェンテの心臓を狙い、辰弥がナイフの切先を向ける。
――と、その瞬間、辰弥の脳裏を一枚の映像が閃いた。
「――っ!」
辰弥の目が見開かれる。
「ち、とせ――」
辰弥の手からナイフがこぼれ落ちる。
「あ――」
脳裏に蘇ったのは胸に深々とナイフを突き立てられた千歳の姿。
自分が刺した、助けることができなかった、殺してしまったという思いが辰弥の胸を埋め尽くす。
『おい、エルステ』
遠巻きに見ていたノインが駆け寄り、辰弥の肩を掴む。
『エスルテ、しっかりしろ!』
フラッシュバックによるPTSDの発症ということはノインにも分かった。浅くて速い辰弥の呼吸から、過呼吸を起こしていると判断する。放置すれば日翔に違和感を抱かれるかもしれない、とノインは素早く呼吸器系の制御を辰弥から奪い、平静を装う。
(ぅ……ぁ……)
速い呼吸の合間に脳内に響く辰弥の呻き声に、ノインは症状の重さを思い知った。
『エルステ、落ち着け』
「っ、は……」
ノインの声掛けと呼吸器系の制御による深呼吸で辰弥は呼吸の調子を取り戻し、徐々に落ち着きを見せてくる。ノインはそれを確認し、呼吸器系の制御を辰弥に返す。
「辰弥……」
ナイフを取り落とした様子を見て、やっぱり辰弥もツェンテを殺すのには反対なのか、と日翔は一人合点した。
「辰弥、無理すんな」
日翔が辰弥に歩み寄り、そっと肩に手を置く。
「……ごめん」
地面に落ちたナイフに視線を落とし、辰弥が呟いた。
殺意はあった。だが、殺せなかった。
千歳の最期の姿が脳裏をかすめてナイフを握ることができない。今、ナイフを見ているだけでも再び過呼吸を起こしそうな錯覚すら覚える。
それなら、と銃を生成しようとして、辰弥はそれを思いとどまった。
日翔は完全に辰弥がツェンテを殺さない選択をした、と思い込んでいる。ここで気が変わったとばかりに殺せば日翔は確実に失望する。
いや、日翔に失望されるのは構わない。日翔の期待に応えるために生きてきたわけではないのだから失望させても今更、である。
それでもツェンテの殺害を諦めたのは単純に信じたい気持ちも残っていたからだ。
ツェンテを連れていくことはできない。他人に迷惑をかけたくないから殺さなければいけない、その意識は強い。鏡介の言うようにツェンテの言葉が本当に正しいかどうかは判別できない。
ツェンテは海の向こうから来たと言った。少なくとも桜花国外からであることは明白だが、どうして自分を追ってきた、と辰弥は考える。
本当にツェンテは自分に保護してもらいたいと思ったのか。リスクを冒してまで海を渡る必要はあったのか。
ノインと出会った時のことを思いだす。あの時のノインも辰弥を目指して歩いてきた。
それを考えるとツェンテも本当に保護してもらいたいという意図で来たと断言できない。
鏡介の言うように殺すべきだ、という気持ちは強い。だが同時にもう一度信じてみたい、と思ってしまう自分がいる。
どうして、と考えて、辰弥は自分が「赦されたい」と思っていることに気が付いた。
千歳を死なせた、その事実から目を逸らしたくてツェンテを殺したくないのでは、と考える。
ここでツェンテを殺せば自分を信じた相手を裏切ることになってしまう。別に千歳は自分のことを信じていたわけではない、と考えようとしても本当は信じていた、と思いたくなってしまう。
ナイフから目を逸らし、辰弥はツェンテを見た。
ツェンテも閉じていた眼を開けて辰弥を見る。
「……エルステ、さん……?」
「やっぱり俺には君を殺せない。殺しちゃいけない気がする」
そう、辰弥が言ったところで周囲を警戒していた鏡介がこちらに向かってくる。
「――辰弥、」
ツェンテが死んでいないことに鏡介が眉を顰める。
「何故殺さなかった」
お前が殺せないなら俺が、と銃を抜こうとする鏡介を日翔が止める。
「やめろ、さっき殺そうとしたのは辰弥の本意じゃない」
「だが、ツェンテを連れていくことはリスクが高すぎる」
鏡介は完全にツェンテを連れていくことに反対している。
それは辰弥も同じだった。
ただ、連れてはいけないが殺すこともできない、それだけだ。
「なあ……」
厳しい目でツェンテを睨む鏡介に、日翔が恐る恐る声をかける。
「……主任に預けたらどうだ?」
「……永江 晃に?」
鏡介が怪訝そうな目を日翔に向ける。
辰弥もまさか、と言った面持ちで日翔を見た。
「ほら、主任ならLEBは扱い慣れてるしさ、それに一応御神楽に守られてる立場じゃん。そこならツェンテも変なことできないんじゃないか?」
「確かに……」
LEBに対して異常なまでの執着を持っている晃なら、ツェンテを預けたとしてトラブルに巻き込まれる可能性は低い気がする。何かあった場合はカグラ・コントラクター、いや、
問題は自分たち「グリム・リーパー」のことがトクヨンに察知されたら、というものではあるが、晃もいざという時は口が堅いしツェンテも、「何か知らないけど拾った」でごまかしてくれるかもしれない。それに晃のことだ、ツェンテという新たなLEBをこっそりと育てるくらいはしそうである。
「確かに晃に預けるのが一番安全かもしれない。俺たちの旅に同行しないし、一応は管理下に置かれるわけだし、殺さなくていいのかも」
「……」
辰弥の言葉に、鏡介が黙り込む。
この条件下でなら殺さない、という選択肢は確かに存在する。しかし何が起こるか分からないという不確定要素を残してしまうことになる。
できれば殺してしまった方がリスクを抑えられるが、辰弥はそのリスクを冒すというのか。
「……無駄に、殺したくないのかも。確かに俺はLEBなんていなくなればいいって思ってる。でも、造られてしまったものは……仕方ないんだ」
自分のエゴで殺したくない、と辰弥は続ける。
「だから、晃に預けようと思う。それでもし、ツェンテが裏切るようなら、その時は――」
「仕方ないな」
辰弥の言葉に、鏡介が表情を緩めてため息をつく。
「お前は元からそういう奴だ。そこまで覚悟を決めているなら俺はそれに従うまでだ」
「鏡介……」
「だが、何かあったときは躊躇わずに引鉄を引け。それが原初のLEBとしての責任だ」
うん、と辰弥が頷く。
「エルステさん……?」
ツェンテが不安そうに辰弥の顔を覗き込む。
「君は殺さないよ。俺たちに危害を加えない限りは」
その瞬間、ツェンテの顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
「でも、俺たちの旅に連れていけないから信用できる人間に預ける。それでいい?」
「はい、エルステさんたちの邪魔はしません」
何度も頷き、ツェンテがそう宣言する。
「じゃ、決まりだね。晃に迎えに来てもらおう」
「もう少し武陽都に近いところで合流したいが、今俺たちが武陽都に近づくのは危険だ。ここまで来てもらうか」
話が決まったのなら、と鏡介が晃との回線を開く。
「どうせこの後オートキャンプ場に行くわけだし、そこで合流でいいでしょ。落ち着いて受け渡しできる」
辰弥がそう提案すると、鏡介もそうだな、と頷いて合流地点を指定した。
「――できれば早いうちに頼む。ああ、気を付けてきてくれ」
その言葉で通信を切断し、鏡介は「行くぞ」と辰弥たちに声をかけた。
◆◇◆ ◆◇◆
「へえ、この子がツェンテ! うわー、かわいいなぁ……」
合流場所、かつ辰弥たちの宿となるオートキャンプ場で、晃が目を輝かせてツェンテを見た。
「白い髪に紅い目、顔つきとか私のどストライクだよ。所沢博士も粋なことしてくれるなぁ」
『主任!?!?』
すっかりツェンテにメロメロな晃の様子に、ノインが目を丸くする。
『主任、そいつやなやつ! 騙されないで!』
「第一世代、ってことはトランスはできないのかな?」
「はい、生成しかできませんし、私には物質の知識をあまり埋め込まれていないので大したものは作れません」
質問によどみなく答えるツェンテに晃はそうかー、と笑った。
「いいよいいよ、LEBだからって何でも作れなきゃいけないことはない。まぁ、どうしてもと言うなら多少は資料見せるけど」
「晃、調子に乗らないで」
新しい個体を目の当たりにしたことで興奮している晃に、辰弥が冷静に注意するがそれに耳を貸す晃ではない。
「ツェンテ、お腹空いてない? わたしもとんぼ返りしなきゃいけないからエルステの料理はお預けだけどエナジーバーは色々取り揃えてるから好きなの食べていいよ」
「ありがとうございます。永江さんのラボに行く間にいただきます」
『主任!!!! それははにーとらっぷだ!!!!』
地団駄を踏むノインに、辰弥は「ノインってもしかしてハニトラって言葉を使いたいだけじゃないのかな」とふと考える。
『このしょうわるおんなー!!!!』
(ノイン、駄目だわ……)
両腕をガトリングにして発砲するノインを諦めの面持ちでなだめながら、辰弥は晃に声をかけた。
「晃、ツェンテのこと頼むよ」
「おう、任された!」
ツェンテを抱き上げながら晃がテンション高く頷く。
「っても、御神楽にツェンテのことがバレると、色々面倒なことになりそうだ。目を離すわけにはいかないから合流の時に連れてくるけど、それでいい?」
「まぁ、それくらいは仕方ないかもね。誰かの目が光っている方がいい」
辰弥が頷き、それじゃ、とツェンテを見る。
「ツェンテ、晃の指示には従って。それなら安全なはずだから」
「分かりました。エルステさんも気を付けてくださいね」
ツェンテが頷き、晃と共に車に乗り込んでいく。
走り去る車を見送り、辰弥はほっと肩の力を抜いた。
「いやー、あの子優しい子だなぁ。遠くからはるばる逃げて大変だっただろうに、俺たちの心配までしてくれるなんてさ」
『ほだされるな、あきとのバカー!』
ノインの絶叫が辰弥の聴覚を揺さぶる。
(ノイン、うるさい)
脳内にわんわんと響くノインの声に顔をしかめながら、辰弥は日翔と鏡介を見た。
「とりあえずご飯作るよ。キャンプオーブンで白身魚とハーブのオーブン蒸しとかどう?」
「すげぇ! 食いたい!」
「……いや待てキャンプオーブンって……」
日翔が目を輝かせ、鏡介がまさか、と青ざめる。
辰弥がもちろん、とキャンプオーブンを持ち上げた。
「生成した。今」
「バカかお前!!!!」
浮かれてるんじゃない! と鏡介が声を上げるが、辰弥はさっさとキャンプオーブンを抱えて調理場へと向かって行った。
to be continued……
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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと あすとれい
第2章 「しょくよくが☆あすとれい」
「Vanishing Point / ASTRAY 第2章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
FANBOX
OFUSE
クロスフォリオ
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