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Vanishing Point / ASTRAY #05

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ここまでのあらすじ(クリックタップで展開)

 「カタストロフ」の襲撃を逃れ、キャンピングカーでの移動を始めた三人はまず河内池辺で晃と合流、それぞれのメンテナンスを行うことにする。
 途中、河内池辺名物の餃子を食べる三人。その後、「カタストロフ」の襲撃を受けるものの撃退し、RVパーク池辺で一同は一泊することになる。
 河内池辺を離れ、隣の馬返に赴いた三人は馬返東照宮を観光する。
 その戻りに、辰弥は「カタストロフ」に襲われている一人の少女を保護するが、彼女はLEBだった。
 「カタストロフ」から逃げ出したという「第十号ツェンテ」、保護するべきと主張する日翔と危険だから殺せと言う鏡介の間に立ち、リスクを避けるためにもツェンテを殺すことを決意する辰弥。
 しかし、ナイフを手にした瞬間にPTSDを発症し、ツェンテの殺害に失敗する。
 それを見た日翔が「主任に預けてはどうか」と提案、ツェンテは晃に回収してもらうこととなった。
 |磐瀨《いわせ》県に到着した三人は路銀を稼ぐため、|千体《せんだい》市にあるアライアンスから「近隣を悩ませる反グレを殲滅しろ」という依頼を受ける。
 依頼自体はなんということもないものだったため、メンテナンスを受けてから依頼に挑むが、そこに「カタストロフ」が乱入してくる。
 しかも、乱入した「カタストロフ」の構成メンバーはLEB、一瞬の隙を突かれた辰弥が昏倒してしまう。
 だが、絶体絶命の状況を覆したのは辰弥自身だった。
 反転したカラーの辰弥の動きに、日翔と鏡介は辰弥の中にノインの人格が存在し、このような状況では肉体を制御して動けるということに気付く。
 依頼完遂後、館県と齶田県を通過した三人は高志県に到達する。
 高志県のグルメを堪能しつつ、日翔は旅銀稼ぎのために裏フードファイトに出場、その食欲からライバルの料理を強奪、見事優勝するのだった。
 しかし、いつもはメンテナンス後に来る「カタストロフ」の襲撃が来ず、辰弥はツェンテが襲撃犯を呼び寄せているのではないか、と考える。

 

  第5章 「A-Bsolute 絶対」

 

 尾山おやま市から斐太陣屋ひだじんや市までは高速道路を使えば二時間もかからずに移動することができる。
 だが、特に急ぎの旅でもなく、当てもなく気ままに逃避行する身としては一般道を使ってのんびり桜花全国を回りたい、と思っていた。
 キャンピングカーは外山とやま県や越山えつざん県を数日かけて移動し、いよいよ当面の目的地に設定していた井口いぐち県に差し掛かったところだった。
「おー、これが荘川しょうかわ郷の合掌造りかー」
 日翔が窓から身を乗り出して周囲に立つ茅葺き屋根の建物を眺める。
「この辺は御神楽も文化財保護に力を入れているからな。七百年近く残っている建物もあるそうだ」
 鏡介も観光情報を参照しながら説明すると、日翔がほへー、と声を上げた。
「御神楽が隕石除去できたのって四百年ほど前だろ? その前の建物がまだ残ってるって、よほど運が良かったんだな」
「そうだな。とはいえ、荘川郷は、というか桜花はアカシアの中でも比較的バギーラ・レインの被害は少なかったらしいから残っていても不思議ではないだろう」
「バギーラ・レインの被害に大小なんてあるの?」
 日翔と鏡介の会話に辰弥も混ざる。
 ああ、と鏡介が頷いた。
「アカシアの自転角度とバギーラ・リングの展開角度の都合でバギーラ・レインの頻度に大小があったらしいな。桜花は頻発区域から外れていたからはぐれ隕石が時折降る程度だったようだ……が、そういうのはたいてい大型の根性あるやつだから降ってきたらかなりの被害を出したらしい」
「ふーん……サイペディア情報?」
 興味深そうに話を聞く辰弥に鏡介が再度頷き、視界のサイペディアのページをスクロールする。
「実際に、桜花でも除染区域があるだろう? 御神楽がバギーラ・レインを制御できるようになったとはいえ全てに対処するのは不可能ということで落ちてきた成れの果てだ」
「いーや、あれは御神楽がわざと落としたな! だってあのエリア、反御神楽のレジスタンスの拠点があると言われてた場所だぜ? 絶対事故に見せかけて――」
「はいはい。それでいいよ」
「塩!?!?
 両親が御神楽陰謀論を支持する人間だったために日翔も陰謀論に染まっているのはいつものこと。
 熱弁し始めた日翔を適当にいなし、辰弥はちら、と窓の外に視線を投げた。
 隕石を除去できる、ということは、逆に隕石を除去せず降らせることは可能だ。御神楽財閥なら高性能な量子コンピュータも取り揃えているだろうし、「どの隕石を降らせれば目的の場所に落ちる」という計算も即座に行えるはず。
 陰謀論というほどではないが、御神楽財閥がアカシアを支配するために隕石を任意の場所に降らせて見せしめにしている、というのは有名な都市伝説である。それが事実か否かは重要ではない。アカシアの隕石除去を一手に引き受けている御神楽財閥はその気になれば隕石除去を取りやめて世界を再び混沌に陥れることができる、その事実だけが重要なのだ。
「日翔が御神楽を嫌うのも分からないわけじゃないよ」
 ぽつり、と辰弥が呟く。
「御神楽が隕石を利用してレジスタンスとか敵対企業を攻撃しても俺は別にどうでもいいけど、日翔にとってはそれが重要なんでしょ。御神楽は悪だ、だから引き摺り下ろしたいって気持ちは分かるよ。だけど、御神楽を引きずりおろしても第二、第三の御神楽が現れて世界は変わらず回るだけだ」
「それは――」
 辰弥の言葉に日翔が詰まる。
 いくらアホキャラで通っている日翔でもその理屈は分かる。巨大複合企業メガコープがこの世界を支配している以上、どこかの企業が消えても他の企業がその隙間に収まるだけだ。
 それでも御神楽を悪と思うのは何故だろうか――と考え、日翔はぶんぶんと首を振った。
 そんなことをぐだぐだ考えるなんて自分らしくない。親が悪だと言っていたから悪、それだけでいい。両親がどんな気持ちで御神楽財閥の陰謀論を支持していたかなど、両親がいない今考えていても仕方がない。
 少なくとも、盲目的に御神楽財閥を信用してはいけないのだ――それだけ考えて、日翔は窓から首を引っ込めた。
「なあ、腹減った。荘川郷といえば五平餅とか斐太牛コロッケとかあるんだろ? 食いに行こうぜ」
「もう、日翔は相変わらず食いしん坊なんだから」
 辰弥が苦笑して後部座席を振り返り、日翔を見る。
「もうすぐ駐車場に着くからいつものように食べ歩きしよう」
「おー」
 荘川郷のグルメはどんな味がするのだろうか。
 その思いは三人とも同じだった。
 逃避行の身ではあるが、逃げるからには精一杯楽しみたい。
 そんな三人の思いを乗せ、キャンピングカーは観光客用の駐車場に入っていった。

 

 荘川郷は合掌造りの古い家屋が点在し、中心部に観光客向けの店が並ぶ構造となっていた。
 両脇に並ぶレトロな感じの店を眺めながら三人はぶらぶらと歩いている。
「あ、斐太牛の串焼きもあるんだ。斐太陣屋の名物だけどこっちでも売ってるんだ」
 黒猫ねこまるを抱き抱えた辰弥が「これならねこまるも食べられるかな」などと呟いている。
『だからニャンコゲオルギウス十六世だっつってんだろーが! あとねこまるに塩分の高いもの食わせんな!』
「今、『ねこまる』って言ったよね?」
『あーーーー!!!!
 騙したな、エルステ! とノインが辰弥の足を蹴る。
「騙してないし、ノインが自爆しただけだし」
『うるさい!!!!
 蹴るだけでは効果がないと判断したか、今度はふくらはぎに噛み付くノイン。
 だが、どのような暴行を加えたとしても幻影である限り何の効果もないわけで、辰弥は気にせず串焼きの店に立ち寄って牛串をオーダーする。
「四本ください」
「あいよ――って、一つはその猫にあげるんかい? だったら塩抜きあるから一本はそれにしてやるよ!」
 店主はペット連れの観光客にも慣れているらしく、手早く串に刺した牛肉を炭火のコンロの上に置く。そのうち三本は軽く塩を振り、一本だけは味付けなし、焼き方も他の三本に比べてレアにして差し出してきた。
「ありがとう」
 先に差し出された牛串と紙皿を受け取り、辰弥がねこまるを地面に下ろす。
 串から牛肉を外して紙皿に入れてやると、ねこまるはふんふんと匂いを嗅いだ後、猛烈な勢いで食べ始めた。
「やっぱ美味しいものは分かるんだね」
 牛肉にがっつくねこまるを三人が見ていると、その三人の分も焼き上がったか三本の串が差し出される。
 それを受け取り、辰弥たちも一口頬張る。
 まずは焼けた炭の香りが広がり、続いて斐太牛の脂がじわり、と滲む。
 こういった観光地のB級グルメだと使われる食材もワンランク落ちがちなものではあり、この斐太牛の串焼きも例に漏れずそうなのだろうが、それを感じさせない肉の味である。
「おー、前に食べた若狭牛もうまかったが、これもなかなかうめえなあ」
 あっという間に一本平げ、物足りなさそうにしながら日翔が店の看板を見る。
「辰弥、この斐太牛のおやきってやつも食ってみたい」
「もう、仕方ないなあ」
 辰弥も串に残った最後の一切れを食べてからちら、と鏡介を見る。
「鏡介はどうする?」
「……食べる」
 ボソリ、と答える鏡介。
 逃避行が始まる前ならいくら辰弥の手料理がおいしくとも「これくらいにしておく」と遠慮していた鏡介が、逃避行が始まってからはかなり食べるようになった。流石に全量を食べ切ることができずに辰弥や日翔に手伝ってもらうこともあるが、それでも同じものを食べようとする姿勢は垣間見える。
 この旅の共通の思い出を作っていきたいのか――そう思いながら、辰弥はうん、と頷いておやきを三つオーダーする。
 両面こんがりと焼かれたおやきは一口頬張ると、焼肉風味に味つけられた斐太牛を米の甘みがふんわりと包み込む、そんな感じがした。
 おやきといえば伊那いな県が有名で、高志こし県に向かう途中で立ち寄った際に幾つか食べていたが、伊那県のおやきは小麦粉を練った生地で餡が包まれていた。しかし、この斐太牛のおやきは生地部分が米でできており、差し詰め米おやきといったところだろうか。
 これもいいな、いつか自分でも作ってみたいな、などと考えながら辰弥が頬張っていると、鏡介も眉間に皺を寄せながら無言で貪っていた。
「……うまいな」
「顔つきが全然おいしそうに見えないんだけど」
「悪いな、元からこの顔だ」
 外見からはとてもおいしそうに食べているとは思えない様子で、鏡介がおやきを平らげる。
「斐太牛の味付けが最高だな。辛すぎず甘すぎず、それでいて飲み物が欲しくなる」
「それはそう」
 斐太牛の串焼きとおやきを食べると、次は飲み物が欲しくなる。
 ちょうど売店にはソフトドリンクも販売しており、辰弥は日翔と鏡介に確認してからドリンクも注文した。
「お客さん、よく食べるねえ。ちょっとおまけしてやるよ」
 三人の食べっぷりに気を良くしたか、店主が紙皿に小さな焼きおにぎりを三つ乗せて差し出してくる。
「ここいらで採れた黒米を混ぜた焼きおにぎりだ。うまくいけばメニューに載せようと思うんだ、ぜひ試食してってくれ」
「おー! サービスいいな!」
 日翔が遠慮なく焼きおにぎりを手に取り、一口で頬張る。
「うんめー! この黒米のぷちぷちした感じがいいな!」
「うん、焼きおにぎりの焼き加減もすごくいい」
「塗ってあるのは朴葉味噌用の合わせ味噌か? 斐太地方らしくていいな」
 三者三様の感想に、店主も嬉しそうに笑う。
「どうだ、メニューに出してもいい感じか?」
「ああ、大きさ次第では小腹が空いた時にちょうどいいボリュームになっていいかもな。特に黒米は腹持ちもいいはずだから長時間のドライブ向きとも言える」
 鏡介の分析をふむふむと真剣な顔で聞く店主。
「確かに映画の前に餅を食うとトイレに行かなくて済むと聞くしな。この辺は田舎だから市街地に向かうのに時間がかかるし、その間に何度もトイレ休憩しなくて済むと考えるとこれはアリか……」
 店主としてはそこまで考えていなかったのかもしれない。だが、鏡介の説明は理に適ったもので、うまく売り出せば人気商品になり得るポテンシャルがあると感じさせた。
「よっしゃ、じゃあもうちょっと調整してメニューに入れてみるわ! 兄ちゃん、ありがとな!」
「どういたしまして」
 最後の一口を口に入れ、鏡介が烏龍茶を一気に煽る。
「うまかった。また荘川郷に来ることがあったらもう一度寄りたいくらいだ」
「ああ、また来てくれよ! そん時はまたうまいメニュー追加しとくからさ!」
 気のいい店主に見送られ、三人が再びぶらぶらと荘川郷を散策する。
 途中で築七百年を超えるという合掌造りの家屋を見学したり別の店で斐太牛コロッケを楽しむ。
「……あ、そうだ」
 駐車場に戻る途中で、辰弥が不意に声を上げる。
「ん? どうした?」
 立ち止まった辰弥に、日翔が声をかける。
「……お土産、買ってもいいかな」
「あー……」
 辰弥の言葉に、日翔もすぐに察した。
 千歳にお土産を買いたい――それは今まで立ち寄ってきたどの場所でも辰弥が行ってきたことだ。それをここで断る理由などどこにもない。
「ああ、いいぜ! 俺もなんか買おうかな」
 日翔が明るい声で同意する。
 鏡介も一瞬複雑そうな顔をしたが、すぐに口元に笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、土産物屋なら冷凍のご当地グルメもあるはずだ。夕飯を買うにもちょうどいいだろう」
 特に辰弥に気を遣っているつもりではないが、それでも少しでも辰弥が負い目を負わずに済むなら、そう思ってしまう。
 辰弥は千歳の影に縛られ続けている。いつかは前を向いて進まなければいけないが、今はまだその時ではないということか。
 新しい出会いがあれば、や、俺たちがいるじゃないか、と思うものの、辰弥にとっては多くの初めてを与えたのが千歳だった。
 それが辰弥に良かったのか悪かったのかは日翔にも鏡介にも判断できない。
 ただ、もう過去のことだからいつまでも囚われ続けるな、そう言いたくてたまらなかった。
 千歳はもうこの世にいない。辰弥のことが本当に好きだったのかも今では闇の中。昴を庇った、という行動と「好きでしたよ」という言葉のちぐはぐさが今でも辰弥を惑わしている。いや、昴との戦いで明かされた昴と千歳の関係に「好きでしたよ」という最期の言葉が陳腐化してしまっている。
 秋葉原は本当に辰弥のことが好きだったのだろうか――そう考え、鏡介は分からない、と低く呟く。
 他人の感情を推し量れるほど鏡介は器用ではなかったし、過去の人間の感情を特定したところで何の救いにもならない。
 それでも、辰弥が少しでも救われてくれるのなら、などと願ってしまう。
 ――せめて辰弥のことを好きなまま逝ってくれていれば。
 そんな、ロジックも組めない願いを、鏡介は祈らずにはいられなかった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「やー、さすが山の中、空気がうまいねー」
 移動ラボから降りた晃がうーん、と大きく伸びをする。
「さて、恒例のメンテタイムだよ。鏡介君はそろそろ透析しておいたほうがいいんじゃなかったっけ」
「ああ、頼んだ」
 山奥のオートキャンプ場。キャンプのシーズンからは外れているためか、はたまた山奥すぎてわざわざこんなところにまでキャンプをしに来る客が稀なのか、駐車場に他のキャンプ客の姿はない。
 逆に言うと襲撃するにはもってこいのロケーションで、三人はいささかの不安を感じずにはいられなかった。
 特に辰弥はツェンテが「カタストロフ」に連絡して襲撃班を誘導しているのではないかという疑いを持っているだけに移動ラボに対する警戒心が非常に高い。
 降りてきたのは晃一人だが、ツェンテはまだ移動ラボにいるのか――そう、鋭い視線を辰弥が向けていると、晃がそれに気づいたか苦笑してみせた。
「ツェンテは来てないよ」
「え」
 思いもよらなかった言葉に辰弥が固まる。
 嘘だ、と言わんばかりの様子で移動ラボの中を覗き込もうとする辰弥に、晃がうん、と頷く。
「なんか今日も調子が悪かったみたいでさ。無理言って知人に預けてきたよ。でもこれができるのも限られてるからなあ……」
「そっか。なら大丈夫か」
 ここで襲われても、被害が出るとすればキャンピングカーや移動ラボだけで、それに関してはうまく敵を誘導できれば被害を出さずに済む。他の宿泊客がいないのは不幸中の幸いで、逆にフィールドが広く使えて地の利を得られるかもしれない。
 幸い、辰弥たちは暗殺者と言いながらも市街地でのゲリラ戦には多少の心得がある。周囲の地形や建物を利用して戦うのは慣れているので「カタストロフ」が対ゲリラ戦特化の編成をしていない限り勝ち目はある。 
 とはいえ、ツェンテがいないのなら襲撃の可能性はかなり下がるか――そう思い、辰弥は少しだけ肩の力を抜いた。
『エルステ! 主任にお土産!』
 晃の姿を見たノインが、辰弥のパーカーの袖を引っ張り声をかけてくる。
「そうだね、せっかく買った冷凍おやき、渡しておかないとね」
 忘れる前に渡しておこう、と辰弥は日翔と鏡介に晃を押し付け、キャンピングカーへと戻っていった。

 

「なー主任、」
 移動ラボの中、メンテナンス用のベッドの上で日翔が晃に声をかける。
「どうした?」
 採血用のシリンジを手にした晃が首を傾げる。
「……あんたの見立てではさ、辰弥はどうなんだ?」
 前々から感じていた疑問を、日翔が口にする。
「どう、って……」
 日翔の質問は漠然としすぎている。
 恐らくは日翔自身も疑問を完全に言語化することができないのだろう、と思いつつ、晃はそうだな……と呟いた。
「私としてはエルステは興味深い個体だと思ってるよ。兵器でありながら人間よりも人間らしくて、私たちの中では一番繊細で、今も細い綱の上を歩いてると思う」
「……あんたにとっては辰弥って研究対象でしかないのか?」
 晃の言い分に、日翔が少しだけムッとしたように言う。
「私は研究者だからね。日翔君も鏡介君も等しく研究対象だよ」
「鏡介はただの人間だろうが」
「人間だからだよ。LEBと全身生体義体と、身体の一部を義体化しただけの人間、そんな全く構造の違う存在が共に行動すればどのような相乗効果が得られるか――興味深くないかい?」
「そうだった、あんたそういう奴だった」
 聞いて損した、とばかりに日翔が唸る。
 日翔からすれば辰弥は当たり前の人間だ――そんな意識があった。LEBという生物兵器で、他の個体と融合して進化できる生物が人間であるはずがないが、それでも辰弥の感情や思考は人間のそれと同じで、人間としての思考や知性があるのならそれは人間だ、と思っていた。いや、日翔にそのような複雑な思考はできないが、「人間と同じように考えられるなら人間だろ」という主張はできた。
 しかし、晃からこうもはっきりと言われてしまうと辰弥がLEBで、自分は生体義体で、と「人間としてのあり方をしていない」事実に胸が痛くなってしまう。
 日翔の生体義体は日翔の遺伝子情報を組み込んだクローンベースのものではあるが、ただ肉体をクローニングしただけではない。それでは生体義体として制御できない問題が多々発生して実用化に至っていなかったものを、晃がその問題点を全て解決させて実用化に至らせた。日翔に関しては本業が暗殺者だから、と戦闘特化のカスタマイズが施され、第二世代のLEB開発で得たトランスのノウハウを応用して骨格変形による攻防一体の能力が備え付けられている。
 その点では俺も辰弥と同じかあ、などと日翔が漠然と考えていると、晃が腕に注射針を刺して採血した。
「私は人間かそうでないかはあまり関係ないと思うよ。最終的に生き残ることができた存在が正義だからね。でも違う種族が手を取り助け合う現象は滅多に見られないから興味深いってだけだ」
「そっか」
 チューブを通ってシリンジに流れていく赤い血に、日翔が低く唸る。
 隣のブースでは鏡介が人工循環液ホワイトブラッドの透析を受けているはずだ。もう一つのブースでは辰弥が調整槽に入り、テロメア周りの調整とデータ収集を行なっている。
 三者三様のメンテナンスに、日翔は改めて自分たちの歪さを実感した。
 両親が反ホワイトブラッド思想も持っていたから日翔はALSになっても全身義体への置換を拒んだ。そのホワイトブラッド汚らわしい血がなければ鏡介は生きていけない。辰弥は血液であれば血液型がどうであれ体内に取り込むことができるが、ホワイトブラッドは生成の材料にならないため取り込めないらしい。
 そういう点では人間であるはずの鏡介が三人の中で異物とも言えた。
 だが、辰弥も日翔も最終的に頼るのは鏡介だという事実。鏡介がいなければここまで生き残ることもできなかったかもしれない。
 昔、あかねに言われた言葉を思い出す。
 ――バランスがいいとは言ったけど、そのバランスは危うい足場の上よ――。
 あの時はそんなことない、と思っていたが、今なら分かる。
 自分たち「グリム・リーパー」は強固な絆で結ばれているかもしれないが、その絆が少しでも綻びれば容易く崩壊する。実際に一度は崩壊した。
 誰かが折れればあっという間に共倒れになる、そんな共依存関係を改めて実感し、日翔は諦めたように移動ラボの天井を見上げた。
「……俺が間違ってたのかな」
「そんなことないよ」
 不安そうな日翔の呟きを、晃が即座に否定する。
「間違ったか間違ってないか、そんなのただの結果論だよ。生き残ってるならそれは全て正解だ。死んでしまえばその選択は間違ってたってことだからね」
「主任……」
「エルステの話に戻るけど、エルステは誰よりも生に対する執着が強い。LEBの本能だと言えばそれまでかもしれないけど、エルステに限って言えば本能で生きようとしているより、自分の意思で生きようとしてるんじゃないか、って思う」
 それは、と日翔が尋ねる。
 あれだけ希死念慮が強いとか日翔や鏡介のためになら命を棄てられると言われていた辰弥が「生に対する執着が強い」と言われてもピンとこない。
「エルステはね、態度では死にたいと見せてるかもしれないけど同時に『それは今じゃない』とも思ってるんじゃないかな。『死にたい』という気持ちと『今じゃない』という気持ちは両立するからね」
「なんか難しいな」
「そんなこと言うなよぉ、これでも単純に噛み砕いてるんだぞぉ」
 突然情緒が乱れる晃に、日翔がしゃーねーだろ、と反発する。
「難しいことは考えたくねーんだよ」
「もうちょっと頭を回転させたほうがいいぞぉ? 何も考えないと歳取った時にボケるからなぁ」
「ボケたくねえよ!?!?
「だったらまず小学生の算数ドリルからやり直すかぁ!?!?
 そんなやりとりを一通り済ませ、晃はこほんと咳払いした。
「とにかく、エルステはそう簡単に死なないよ。ただ――もし君たちのどちらかが先に死ぬようなことがあった場合、その限りではないだろうけどね」
「――む」
 晃の言葉が日翔に突き刺さる。
 ――君たちのどちらかが――。
 武陽都での出来事を思い出す。
 あの時、日翔は死の淵に立たされていた。辰弥と鏡介は殺し合うレベルでの大喧嘩をした。
 もし、あの時生体義体が間に合わなかった、もしくは辰弥が鏡介を殺していれば――。
 今、辰弥は生きていなかったかもしれない。
 そもそもトランスによる最大のデメリット、テロメアの異常消耗で命を削り切っていた可能性も多々ある。
 本当にぎりぎりのところで、三人は生き延びて今ここにいる。
 茜の言う通り、本当に危うい足場の上で生きてんなあ、と日翔は苦笑して体を起こした。
「辰弥が生きてる理由が俺たちなら、そう簡単に死んでられねーな」
「そうだよ。だからちゃんと三人で逃げてくれよ」
「モチのロン」
 軽く答えてベッドから降り、日翔は隣のブースを仕切るカーテンを開けた。
「鏡介、聞いてたか?」
「ああ、聞いていた」
 右腕の透析用スロットにチューブを差し込んだ状態で調べ物をしていたのか、鏡介が空中に指を走らせながら頷く。
 透明なチューブを流れる白い液体を一瞬だけ直視してしまい、思わず目を逸らした日翔に鏡介が呆れたようなため息をつく。
「慣れろ」
「慣れねえよ!」
 だって白い血だぞ? なんか気持ち悪いじゃねえかと反論する日翔だが、鏡介はそれに傷ついた様子も見せずにもう一度わざとらしくため息をつく。
「四の五の言わずに義体化しておいたほうが良かったようだな」
「生憎と、もう義体化してるぞ」
 そんな軽口を叩きながら日翔が丸椅子を引き寄せ、鏡介の横に座る。
「ま、辰弥のためにも俺たちは死ねねえな」
「そのために俺が後方支援しているだろうが」
 二人とも考えることは同じだった。
 辰弥の目の前では死ねない――もし死ねば、その時点で辰弥の心は折れる。
 既に一度折られているのだ。これ以上折らせるわけにはいかない。
 なんとしても「カタストロフ」から逃げ切って――いや、「カタストロフ」が二度と辰弥を追跡しないように持ち込んで、改めて三人で生きる。
 そう誓い、二人はカーテンで仕切られたもう一つのブース――辰弥が眠っているはずの調整槽を見るのだった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「流石に暗い山道は危険だからねぇ、明るくなってから武陽都に帰るよ」
 そう言った晃がさっさと移動ラボに設置した自分用の仮眠スペースに潜り込む。
 流石に長距離の移動となるとちゃんと休息を取ったほうがいいと分かっているのか、と安心した三人が焚き火を囲み、辰弥がバーベキュー網の上に朴葉味噌を乗せる。
「お、朴葉味噌! 具は何にするんだ?」
 斐太地方の名物料理、朴葉味噌。
 大きな朴葉に様々な調味料を混ぜた味噌を乗せ、きのこや野菜、斐太牛を焼いて食べるもの。古くは雪深い斐太地方の住人が凍った食材を囲炉裏に乗せた朴葉の上で温めて食べた、朴葉には殺菌作用があるので保存食として利用された、など言われているが、今ではご当地グルメとして人気が高い。土産物として朴葉と味噌がセットになったものも売られており、辰弥もそれを買って夜食にしたというわけである。
 焚き火で熱せられた味噌がいい香りを放ち、同じく朴葉に乗せられた各種きのこやねぎ、斐太牛もいい感じに焼けてくる。
『むぅ~……』
 しかし、ノインだけが焚火の斐太牛に興味を見せることなく移動ラボの方を見て唸っている。
「どうしたの?」
 辰弥がノインに声をかける。
『しょーわるおんなの気配がする』
「何言ってんの」
 まさか、と辰弥が否定する。
「今回はツェンテ連れてきてないって言ってたじゃん。それに君が気付くならさっき晃が来た時に気付くものでしょ?」
『でも、なんかいる気がする』
 ノインが頑なにいる気がするということで辰弥もいささかの不安を覚えるが、そんなことはあり得ないと自分の中で否定する。
 指摘した通り、本当に隠れて来ているなら晃が到着した時点でノインが騒ぐはずである。ノインの感覚の鋭さを考えたらこのタイミングで見落とすはずがない。
 それなのに今いる気がする、と言われてもそれはただの考えすぎとしか言えない。
 第一、辰弥たちは移動ラボに乗り込んでメンテナンスを受けているのだ。その時にツェンテがいるなら気付いているし今頃一緒に食卓を囲んでいる。
「考えすぎだよ。ほら、もう焼けるから斐太牛食べて落ち着きなよ」
『むぅ』
 不承不承、といった体でノインが焚火の方に向く。
 そのタイミングで肉も野菜も焼けたため、辰弥は日翔と鏡介の紙皿に具を取り分けた。
「それじゃ、食べよう」
「いただきまーす!」
『……いただきます』
 日翔が上機嫌で焼けた肉を口に運ぶ。
「うんめー! これは白米が欲しい!」
「……確かに、白米に合うな」
「白米、炊いておけば良かったね」
 どうする、生成する? などと言い出す辰弥に日翔と鏡介が全力で首を振る。
「やめろやめろやめろ、それは抵抗感がやばい」
「夢見が悪くなりそうだから遠慮しておく」
「……そう」
 辰弥も全力で止められているのに生成するほどバカではない。
 ただ、「白米、欲しいなあ……」と呟きながらちびちびと焼けた椎茸をかじっている。
「……不謹慎だけどさ」
 かじった椎茸を飲み込んだ辰弥がふいに呟いた。
「ん? どうした?」
 いつの間に購入していたのか、荘川郷の名を関した桜花酒で一人酒盛りを始めていた日翔が辰弥を見る。
「日翔、それいつ買ったの」
「えー、お前がお土産買ってるときに見つけて買った。飲むか?」
「いや、いい」
「じゃー鏡介飲むか?」
 日翔に話を振られて鏡介が一瞬意外そうな顔をするが、すぐに小さくうなずいて紙コップを日翔に差し出す。
「少しもらおうか」
 応、と日翔が紙コップに酒を注ぐ。
 それをちびちびと飲みながら、鏡介も辰弥を見た。
「どうしたんだ?」
「うん……楽しいな、って」
 楽しい――その言葉が辰弥から出たのが意外で、日翔と鏡介が顔を見合わせる。
 この言葉自体は辰弥が初めて言った、というわけではない。武陽都にいる間は日翔のことで精一杯だったが、上町府にいる頃は楽しそうに料理をしていたし、暗殺の仕事以外の時間を楽しんでいたように思える。
 だが、武陽都で様々な出来事があり、耐えがたい喪失も経験した後で辰弥は初めて「楽しい」と言ったのではないだろうか。
 「カタストロフ」に追われている身で、この旅もその手から逃れるための逃避行ではある。本来なら楽しいとは真逆の行為ではあるはずだが、辰弥は楽しいと感じているのか。
 いや、実際のところ、日翔も鏡介もこの逃避行を楽しんでいた。暗殺連盟アライアンスの一員として生きている身だと他の地域に足を延ばす、ましてや旅行などそう簡単にできるものではない。上町府から武陽都への移籍自体がある意味奇跡だったくらいである。
 それが今、三人は逃避行と言いつつも気ままに行きたい場所へ行ってご当地グルメを楽しみ、日翔に至っては裏フードファイトで荒稼ぎをしている。これが楽しくないと言えるはずがなかった。
 それでも日翔と鏡介には不安があった。
 自分たちは楽しんでいるが、果たして辰弥もそうなのだろうか、と。
 だから、辰弥が楽しい、と呟いたことにほんの少し安心を覚えた。
 辰弥もこの旅を楽しんでいる。千歳のことや自分のことなど、思うところは色々あるだろうが、この旅を楽しむ心の余裕はできているのだ、と。
「不謹慎なわけがあるか。逃げていて楽しんではいけないという法律はない」
 ふっと口元を緩め、鏡介が答える。
「でも、俺は生物兵器で、好きな人を殺して、その罪は背負わなきゃいけないし償わなきゃいけない。それなのに楽しむなんて――」
「辰弥、」
 辰弥の声を遮り、日翔が彼の名を呼ぶ。
「だからこそ楽しまなきゃいけないんだよ」
「……日翔……?」
 そう言った辰弥の目が揺らいでいる。
 だからこそ楽しむ――その言葉の意味が分からない。
「生物兵器だから楽しんじゃいけないなんて道理はないし、殺した奴のことを悔やんでもそいつが生き返るわけじゃねえ。あの世で恨まれようが、生きてりゃ正解なんだよ。だったら精一杯楽しむ! それが死んだ奴に見せつける意志ってやつだ」
 アルコールのせいだろうか、日翔の顔は少し赤くなっていた。
 珍しく正論っぽいことを口にしているが、恐らくは酒に酔っての饒舌だ。
 それが分かっているから、辰弥も苦笑して今度は焼けたネギを口に入れた。
「……ん、ネギの香りがいい」
 そう呟いて、日翔を見る。
「君、酔ってるよね。飲みすぎには気を付けてよ」
「だいじょーぶ、この程度で酔っぱらうほど下戸じゃねーよ」
 日翔が笑って斐太牛を口に運ぶ。
「やっぱ斐太牛はうんめーなぁ……」
 そう、呟いた時だった。
 突然、複数の風切り音が響き、鏡介の右腕に搭載された反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアが自動起動する。
「襲撃!?!?
 慌てて朴葉味噌の乗った紙皿を簡易テーブルに置いて三人が立ち上がる。
 三人の周囲を取り囲む複数の気配。夜の闇に紛れて姿は見えないが、明らかな敵意を感じて三人はポケットに忍ばせていた生体銃のカプセルを割った。
 こちらに敵意があるのなら躊躇いはない。
 真っ先に日翔が闇に向かって発砲する。一般流通している銃のように火薬で弾頭を飛ばしたりエネルギー弾でもないので闇に紛れてしまえばマズルフラッシュによる位置バレは発生しない。
 とはいえ、夜間の襲撃で相手も暗視装置ナイトビジョンくらいは装備しているはずなので、そんなものを装備していない辰弥たちは逆に相手の位置が把握できなくて不利、とも言えた。
 ただ、鏡介は義眼に赤外線センサーやサーモグラフィが搭載されているために相手の位置が把握できる。
 咄嗟に鏡介が辰弥と日翔の間にデータリンクを接続、自分の義眼から構築した敵の配置を送信する。
「サンキュ!」
 日翔が即座に対応し、先ほどの牽制とは違って確実に敵を狙った射撃を行う。
 辰弥もフルオートで撃ち切った後、右腕を大鎌にトランスさせて闇の中に飛び込んだ。
 日翔とは違い、コピー能力を持つ辰弥は実験体時代に様々な生物の血液を摂取してその特性をコピーしている。その中には夜間に活動する生物もいたので闇の中でも視界が奪われることがない。
 焚火の光を受けて大鎌が閃き、まとめて数人の手足を刈り取る。
「ノイン!」
 辰弥がノインに呼びかける。
『結構多い! りょーさんがたが十――違う、あいつもいる!』
 ノインがそう答えた瞬間、辰弥が大鎌を頭上に構える。
 同時に、艶消し塗装のされたコンバットナイフが大鎌に叩きつけられた。
「あんたは――!」
 辰弥が叫ぶ。この気配は千体市の時から遭遇するようになった特別な個体だ。
 ここにも来たのか――そう思いながら、辰弥は大鎌を振ってフルフェイスヘルメットを被った目の前のLEBを振り払う。
「のうのうと生きやがって!」
 目の前のLEBが叫ぶ。
 その声に、辰弥が一瞬怯む。
 この個体が辰弥に対して声を放ったのは初めてだった。
 今まで、多少の声を上げることはあったが、それは全て呻き声やウォークライの類で、はっきりと言葉にしてぶつけてきたことはない。
 同時に、辰弥はこの個体が自分に対して並々ならぬ憎しみを抱いていることに気がついた。
 他の量産型はただ命令に従って攻撃してくるだけだ。首輪型爆弾と学習装置による洗脳で命令には絶対服従のようで、撤退の命令がなければ撤退しないし、生け捕りにしても爆弾が起爆して首が吹き飛ぶ。
 今、辰弥の目の前に立つ個体も首輪型爆弾は装着していたが量産型と違って洗脳されている気配はない。いや――辰弥エルステに対して明確な殺意を向けるよう「調整」されているとも言える。
 しかし、なぜこの個体だけ、という疑問が辰弥に浮かぶ。
 辰弥を生死問わず確保したいだけなら自我を残す必要はない。量産型と同じように思考能力を奪えばいい。それなのに、この個体だけは明確に辰弥を殺す――その意思でここに立っている。
「なんで俺を狙うの! 命令だから?」
 もしかしたら対話できるかもしれない、そのわずかな期待に賭けて辰弥が叫ぶ。
「お前だけは俺が殺す! お前が――!」
 その後の言葉は聞き取れなかった。ただめちゃくちゃに叫んで山刀マチェットを生成し、辰弥に切りかかる。
『エルステ! 他にもいる!』
「くっ!」
 辰弥が相手のマチェットを大鎌でいなしながら、左手を防弾盾バリスティックシールドにトランスさせて飛来した銃弾を受け止める。
「今日こそは!」
 LEBが叫ぶ。両腕を大鎌と盾にトランスしていることでそれ以上対処しきれずに銃弾が辰弥を掠める。
辰弥BB!!!!
 鏡介が咄嗟に近くの敵を撃ち抜き、反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアを展開しつつ辰弥とLEBの間に割り込んだ。
「邪魔するな!」
「BBはやらせん!」
 周囲の銃弾をホログラフィックバリアで無効化しつつ、鏡介が左手に握ったナイフをLEBに向けて投擲する。鏡介のその動きが予測できなかったのか、LEBが虚を突かれたように後ろに跳んで距離を開ける。
「大丈夫かBB!」
「大丈夫! この程度、すぐに治る」
 体の数か所を掠めた銃弾による傷はすでに出血が止まっている。
 辰弥としてはこの程度、大した傷ではなかったが、それでもじわじわ削られることを考えると鏡介の援護はありがたかった。
 辰弥と鏡介を前に、フルフェイスヘルメットのLEBは歯ぎしりする。
 流石に辰弥エルステ鏡介Rainの二人を前にしてはこちらの不利は明確。
 と、なると――と考えた特殊個体のLEBの判断は早かった。
 即座にGNSのデータリンクで仲間の量産型LEBに指示を飛ばす。
「――む、」
 LEBがデータリンクを利用したことに気付いたのは鏡介が先だった。
「BB、気を付け――」
「うわっやっべぇ!」
 鏡介が辰弥に注意を促そうとしたところで、日翔の声が響いた。
「なんかこいつらいきなり――」
 鏡介が自分のデータリンクを確認する。日翔の周囲に九体のLEBが展開している。
「クソッ、日翔Geneが!」
「RainはGeneの援護を!」
 辰弥が鏡介に指示する。特殊個体とはいえLEBが一体と取り巻きの一般構成員なら辰弥一人でも十分対処できる。
 周囲からの一斉攻撃に一瞬後れは取ったが、相手がそのつもりだと分かれば鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュの一撃で粉砕してしまえばいい。
 LEB部隊はこの個体含めて計十体、生成能力が厄介とはいえ、日翔は過去の戦いで撃退経験もあるので取り囲まれさえしなければ後れを取ることはない。インナースケルトンの最高出力並みの怪力や骨格変形による攻防一体の生体義体は日翔の天性の闘争本能と相性がいいのか、暗殺者に復帰してそれほど時間は経過していないのに生体義体のポテンシャルを最大限に引き出した攻撃を展開している。
 ただ、鏡介が辰弥に気を取られたことで「グリム・リーパー」側に一瞬の油断が生じただけだ。
「すまんBB!」
 鏡介が身を翻して日翔の方に向かう。
 それを見送り、辰弥は軽く身を落とした。
 マップの光点と周囲の気配から敵の距離と配置を確認する。
 ――いける!
 ノイン、と辰弥がノインに呼びかける。
『あいよー!』
 辰弥と思考を共有しているために細かい作戦の説明は必要ない。
 身体の感覚が一瞬揺らぎ、ノインの細胞が担当している部位が頭部に集中する。
 ――今!
 合図と同時に、辰弥は地面を蹴った。
 目標は特殊個体のLEB、辰弥を囲む全員がその動きに反応し、一斉に引鉄を引く。
 しかし、まずは回避行動を優先すると踏んでいたため、LEBに対する攻勢を見せた辰弥に一瞬だけ反応が遅れ、銃弾は辰弥から逸れたところに跳んでいく。
 それと同時に、辰弥を取り囲んでいた「カタストロフ」一般構成員の全身を何本もの棘が貫いた。
「トランス……!」
 絶命間際に構成員の一人が苦々しく呟く。
 棘は辰弥の髪から続いていた。つまり、ノインを利用して髪を棘にトランス、周囲一帯を貫いている。
 鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュよりははるかに効率がいい攻撃に、構成員たちがその場に崩れ落ちる――特殊個体のLEBを残して。
「ノイン、ありがと!」
 辰弥がノインをねぎらう。
『むふー!』
 辰弥に並走しながらノインがドヤ顔で特殊個体のLEBを指さした。
『やっぱあいつ防いだ!』
「それは想定の範囲内――っと!」
 辰弥が大きく跳躍する。人間の身体能力をはるかに上回る跳躍力で特殊個体のLEBの頭上を取り、辰弥はもう一つのカプセルを指先で割る。
 ノインも再度辰弥の髪を棘にトランスさせ、今度は特殊個体のLEBの周囲に突き刺す。
 その棘の檻の中――LEBに向けて生体銃をフルオートで発砲しながら辰弥は中に飛び込んだ。
「逃がさない!」
「チィ!」
 檻の中で、LEBが舌打ちをしてマチェットを構える。
「こんなもの!」
 マチェットを檻に叩き込む。その衝撃に辰弥が一瞬顔をしかめるが、すぐに平然としてナイフを生成し、LEBの懐に飛び込む。
「生憎と、マチェット程度で叩き壊せる強度じゃないんだよね!」
 痛いことは痛いんだけど、と言いつつ辰弥がLEBにナイフを叩き込む。
「だったら殺すまで!」
 マチェットでナイフを受け止め、LEBがナイフ越しに辰弥を睨む。
「お前だけは、俺が――!」
 ヘルメットのシールドがミラー加工されているため、辰弥からはLEBの表情は伺えない。
 しかし、自分に対して明確な憎悪を殺意を持っていることはその気迫からびりびりと伝わってきた。
 一体、何がこの個体を駆り立てる――そう思いながら辰弥はLEBのマチェットを弾き、もう一歩踏み込む。
 振り抜かれたナイフがLEBの腕を浅く切る。
『エルステのボケ! 何やってんの!』
 ノインが辰弥を叱咤する。
 だが、辰弥はというと相手が痛みに一瞬怯んだにもかかわらず後ろに跳んで距離を開けていた。
「く――っ」
 辰弥が、ナイフを握る右手を左手で掴む。
 ナイフを取り落としそうになるほど震える右手に、今はダメだと自分を叱咤する。
『エルステ!』
「駄目だ……。今攻めないと……!」
 髪を超硬合金にトランスさせて作った檻の中、追い詰めたも同然の状態で攻めないわけにはいかない。
 それでも、辰弥は踏み込むことができなかった。
 過呼吸を起こしそうになるところを必死で抑え込み、目の前のLEBを睨む。
「君だけは――!」
 量産型はそこまで脅威ではない。しかし、この特殊個体のLEBは自分に明確な憎悪を向けているだけに早急に排除しなければいけない。
 辰弥が思うように動けないことをいいことに、LEBがマチェットを振り上げる。
『んもー!』
 咄嗟にノインが檻に使った棘の一本を動かしてマチェットを受け止めた。
『エルステ、しっかりしろ! ぴーてぃーえすでぃーやってる場合じゃないぞ!』
(分かってる――!)
 辰弥も必死に意識を引き留め、目の前のLEBに体当たりした。
 ノインが檻を解除し、体当たりをまともに受けたLEBは後ろにあった無人のトラックに叩きつけられた。
 即座に辰弥がU字状の枷を生成して投げつけ、LEBの両手両足をトラックに張り付ける。
「くそ――!」
 悪態をついたLEBが辰弥に憎悪の目を向ける。
「さて、御尊顔の拝見と行きますか――」
 ナイフを手にしたまま、辰弥が一歩近寄る。
「お前は――」
 近寄ってくる辰弥に、LEBが叫んだ。
「そうやって俺殺すのか!」
「――っ」
 LEBの叫びに、辰弥の動きが止まった。
 「俺も殺すのか」――その言葉がなぜか引っかかる。
 そうだ、殺すつもりだ。LEBなんて、一人残らず。
 だから目の前の個体も特殊個体であったとしても例外なく殺す。
 それなのに、なぜこの言葉が棘のように引っかかるのか――。
「俺、は――」
 唐突に脳裏を過ぎる千歳の最期。人工循環液ホワイトブラッドに塗れた千歳の顔が、目の前のLEBに重なって見える。
「ちと、せ――」
 なぜ彼女の名前が出たのかも分からない。
 だが、辰弥は無意識に千歳の名を口にしていた。
「ッ、その名を呼ぶな!」
 LEBの叫びに、辰弥がはっとする。
「どうして――」
 ――どうして、千歳のことを知っている?
 いや、相手は「カタストロフ」なのだから構成員だった千歳のことが知られていてもおかしくはない。それなのに、なぜか違和感を覚える。
 しかし、LEBは辰弥のその問いを別の意味で捉えていた。
「お前ごときが口にしていい名前じゃない!」
 枷から抜け出そうとLEBがもがくが、トラックに深くまで食い込んだ枷と、力がかけにくい体勢で拘束されたために抜け出せない。
 辰弥が動揺しているため、時間は稼げたようだが、このままでは逃げられない、そうLEBが悟ったタイミングで生き残っていた他のLEBや一般構成員の動きが変化した。
 日翔や鏡介と交戦していた量産型LEBが一斉に後ろに下がる。
「あぁ? 逃げるのか?」
 追撃しようとする日翔を鏡介が止める。
「深追いするな」
 「カタストロフ」側は、指揮官らしき人物からデータリンクで撤退を命じたのだろう、煙幕を焚き一斉に闇の中へと消えていく。
「BS! 撤退しろ!」
 撤退命令が出ているのに動きがない特殊個体のLEBに業を煮やしたか、構成員の一人がそう声をかける。
「くそ――!」
 BSと呼ばれたLEBが、低く呻いた。
「こんなところで使いたくなかったが――」
「っ、まずい!」
 逃げるつもりか、と辰弥がナイフを手に走り出す。
 だが、辰弥が到着する前にLEBはぬるりと枷から抜けて身を翻した。
「な――」
 ナイフが届かず、辰弥が目を見開く。
 その一瞬で煙幕が炊かれ、LEBの姿が煙の向こうに消えていく。
 枷は確かにLEBをトラックに張り付けていた。それなのにLEBは枷から逃れた。
 腕だけなら手錠抜けなり逃れる方法はあったかもしれない。しかし、辰弥は確かに見ていた。
 磔にされたLEBの手足が細くトランスし、枷から抜けたのを。
 トランスができる――つまり、ノインと同じ第二世代。
 量産型はトランス能力を備えない第一世代の状態の辰弥をクローンしているのかトランスは使わなかった。明らかにトランスすれば乗り切れる状況でも使ってこなかったのでそれは判断できる。
 しかし、この特殊個体のLEBはトランスを使用した。
 ということは第十一号エルフテではなく11エルフなのか――。
 いや、「カタストロフ」にいるらしい所沢が追加で入手した辰弥の遺伝子情報を完全再現してエルフテを造り出した可能性も否めないが、所沢にそこまでの能力があるのか、と疑ってしまう。
 それなら最初に量産型が出てきた時点で全てトランス可能型でもおかしくない。襲撃してくるのは毎回トランスのできない量産型で、この特殊個体だけがトランスできたと考えると所沢はトランス可能な個体を造れないのではないか、そう考えたほうが納得できる。
 それならこのBSと呼ばれた特殊個体はナンバリングとしてはどういう扱いになるのか。
 エルフテか、エルフか――。
 いや、そんなことはどうでもいい。問題はノインが「量産型よりエルステに似ている」と言っていたことだ。
 そう考えると今の辰弥により近い状態だと言える。
 ノインと融合した辰弥の遺伝子情報を「カタストロフ」が持っているはずがないので、厳密に言えば武陽都にいた頃の辰弥に近いと言えるが、そうなると所沢が少し前の辰弥を限りなく近く再現できないという判断は覆される。考えようによってはコストか再現性の都合で第一世代の量産が容易だからと考えることもできる。
 だが、それでももう一つ否定すべき点がある。
 それはこの個体だけが自我を持って攻撃してくる点だ。
 量産型に自我らしきものはない。いや、あったとしても思考力を完全に奪われている。
 それなのにBSだけは自我があり、明確に辰弥に殺意を、憎悪を向けてきた。
 この違いは何なのか。単純にクローニングしただけなら量産型と同じように自我を奪えばいい。
 それを行っていない理由――。
 いくら考えたところで所沢の思考など分かるわけもないが、辰弥は考えてしまった。
 晴れていく煙幕の向こうにBSの、「カタストロフ」の姿はない。
 残されたのはいくつもの死体と銃弾によって穿たれた痕だけ。
 今回も生き延びることができた、それは喜ばしいことのはずなのに、何故か苦い思いだけが胸の中に広がっていく。
「辰弥、大丈夫か!」
「傷は――もうふさがっているか」
 日翔と鏡介が駆け寄ってくる。
「……うん、大丈夫」
 心ここにあらず、といった様子で辰弥が頷いた。
 あの個体は一体何なのか、ただそれだけが辰弥の心を支配していた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 晃があくびをしながら移動ラボから降りてきたのは襲撃の後、辰弥たちが井口県の暗殺連盟アライアンスに依頼した死体処理班が全ての死体を片付けた後だった。
「んー、何かあったのかい?」
「晃……」
 あれだけの騒ぎだったのに気づかなかったの? と辰弥が心底呆れたような声を上げる。
 長旅で疲れているのもあるだろうし、普段はあまり眠っていないらしい晃のことだからつい寝込んでしまったということも分かるが、もし「カタストロフ」が移動ラボにまで侵入していれば辰弥たちは手も足も出なかったかもしれない。
 しかし、「カタストロフ」は以前晃も狙っていたはずなのに今回は全く手を出さなかった。
 そう考えると――。
「まさか、晃……」
『主任がスパイのわけあるかー!』
 辰弥の呟きに、ノインが脛を蹴る。
 それもそうか、と辰弥が思い直すが、だとしたら前回襲撃がなかったのはただの偶然で、「カタストロフ」は毎回自分たちの位置を正確に把握しているというのだろうか。
「……なんで、今回は襲撃があったんだろう」
 晃は今回ツェンテを連れてきていない、と言っていた。それなのに襲撃があった。
 ――本当にそうか?
 襲撃前の出来事を思い出す。
 朴葉味噌を食べていた時、何があったか――。
 辰弥が思い出そうとしたとき、不意にノインがふんふんと鼻を鳴らして移動ラボを睨みつけた。
『しょーわるおんな!』
「――え?」
 辰弥が声を上げる。
 そうだ、朴葉味噌を食べていた時、ノインは『しょーわるおんながいる!』と騒いでいた。
 まさか。
 辰弥が移動ラボに向かって駆けだす。
「おい、どうした!?!?
 日翔が辰弥を追いかける。
 鏡介もすぐに辰弥に追いつき、その肩を掴んだ。
「辰弥、どうした?」
「ツェンテがいる!」
『はぁ!?!?
 日翔、鏡介、晃の声が重なる。
「そんな、ツェンテは知人に預けてきたって――」
「とにかく、ツェンテが移動ラボにいる!」
 辰弥が移動ラボに乗り込む。
「どこに――」
 いつものメンテナンスエリアにはいない。運転席にも、仮眠スペースにもいない。
 いや、晃も知らない様子だったからこんなすぐに分かるところにいるはずがない。
 それならどこに――。
「辰弥! 荷室だ!」
 鏡介が叫ぶ。
 義眼のセンサーを利用して透視したのだろう、鏡介がそう言うなら間違いない。
 移動ラボの荷室は車体の外側にしか扉がない。
 転がるように移動ラボから降り、辰弥は荷室のドアに手をかけた。
 ドアを開ける。
「――ひっ」
 そこに、ツェンテがいた。
 雑多に積まれたメンテナンス用の備品の隙間で、ツェンテがうずくまり、頭を抱えてガタガタと震えている。
「……いた」
 放心したように辰弥が呟く。
 日翔、鏡介、晃もすぐに荷室に駆け付け、中で震えているツェンテを見る。
「何でいるの!?!? 体調は大丈夫かい?」
 荷室からツェンテを出し、晃が尋ねる。
「分からない……です……」
 目に涙を浮かべ、ツェンテが晃に抱き着いた。
『んー! このしょうわるおんなー!』
 ノインが両手をガトリングにトランスさせて撃つモーションに入る。
 これは辰弥にしか見えない幻影だったが、とりあえず落ち着いてとなだめ、辰弥は晃と、抱き着くツェンテを見た。
「ん、電話だ」
 突然、晃がそう呟いて回線を開く。
 晃の周囲に通話中ステータスが浮かび、会話が始まる。
「ん-、こっちはのんびり休んでたよ。……え? ツェンテがいなくなった? ああ、こっちにいるよ。なんか勝手に車に乗り込んでいたらしい」
 晃の口ぶりからすると、通話相手はツェンテを預けたという知人らしい。
 話の内容から、預かっていたはずのツェンテがいなくなった、という連絡をしてきたようだ。
「……これではっきりした。ツェンテが『カタストロフ』を呼んでいる」
 通話中の晃にしがみついたままのツェンテを見て、辰弥が苦々しく呟く。
「んな、ツェンテがスパイだなんて」
 日翔は信じられない様子で、
「……だからあの時殺しておけと」
 鏡介はこうなることは想定できた、と言わんばかりの顔で呟いた。
「いや待てよぅ、ツェンテが犯人だなんてまだ決まったわけじゃないって」
 通話を終えた晃が慌てて辰弥からツェンテを離すように抱きしめる。
「でも、状況的にツェンテしか考えられない。前に襲撃がなかったときはツェンテがいなかった。今回、襲撃があった上にツェンテが密航していた、もうスパイがツェンテじゃなくて誰だって言うの」
『そーだそーだ! しょーわるおんな以外に考えられん!』
 ノインも地団太を踏みながら同意する。
「だが、こいつすごい怯えてるぞ? そんなスパイなんて……」
 反論したのは日翔。鏡介も苦々しい目でツェンテを睨みながら確かに、と頷く。
「見ただけでは置いて行かれるのがさみしくて密航しただけに見える。だが――」
「だが?」
 日翔が首をかしげる。
 鏡介が空中をスワイプしてホロキーボードを呼び出す。
「それを確認するのが俺の仕事だ。GNSログを確認する」
「なるほど」
 鏡介の動きに、辰弥も頷いた。
 GNSログなら通話記録も一定期間の視界記憶も残っている。
 ツェンテの怯えがただの演技だとしたらこのログの確認で全て暴かれる。
 どう出る、と辰弥たちが鏡介の動きを見守っていると、鏡介はため息交じりにホロキーボードを格納して首を振った。
「……駄目だ、GNSログではシロだ」
「そんな、」
 ありえない、と辰弥が唸る。
「ツェンテが連絡したとしか考えられない。通話ログを消したとか――」
「痕跡も残さず通話ログを消せるのはウィザード級くらいのものだぞ。まぁ、適切なツールがあれば不可能ではないが、ツェンテのGNSにはその手のツールは入っていない」
「でも、これが演技って可能性も」
 信じたくない、といった顔で辰弥が首を振る。
 襲撃のトリガーをやっと突き止めたと思ったのに、鏡介は違うと否定する。それが信じがたく、辰弥はさらに縋ろうとする。
「……まぁ、ツェンテがウィザード級ハッカーで、見つかると思ってツールを全て消した可能性はある。一応隠匿情報検査ポリグラフ検査もしておくか」
 知っていることを知らない、と嘘をつくのは難しい。
 完全に知らないことを知らないというのは当たり前のことだが、知っていることを知らないと言った場合、どこかしらで破綻する。
 それは心拍数であったり体温の変化であったり様々ではあるが、それを完璧にコントロールできるのはよほど訓練されたスパイくらいである。
 目の前のツェンテの怯えが演技ではなく本物であることを確認するのにもポリグラフ検査は有効だろう、と鏡介は踏んでいた。本物であるなら本当に連絡していた場合、反応が出る。演技だとしても演技を続けたまま知っていることを知らないと言い続けることができるのかは疑問である。
 ポリグラフ検査自体はある程度の精度は出せるものの御神楽の警察機構が自白の証拠としては扱わないほどに信憑性は薄い。事件について、犯人しか知りえないことを炙り出すのに使われるが、この情報社会で何らかのきっかけでその情報を入手することは十分にあり得るからだ。
 ただ、今の状況ではツェンテ以外に真実を知る人間はいない。そう考えるとポリグラフ検査は有効、とも言えた。
 鏡介がウィンドウを共有し、辰弥たちの視界にもポリグラフ検査の各種波形が表示される。
「お前が『カタストロフ』に連絡したのか?」
「ち、違います! 私、そんなことしません!」
 鏡介の質問に、ツェンテが何度も首を横に振って否定する。
 辰弥が波形に注目する――が、反応はない。
「どうしてここにいる?」
「分からないんです。気が付けば、車の中にいて……」
 こちらも反応がない。「気が付けば車の中にいた」は気になるが、反応がないということは嘘をついていない。もしかすると体調不良でぼんやりしているうちに寝ぼけて乗り込んでしまったのかもしれない。
 その後もいくつか鏡介は質問したが、嘘をついたときに出る反応は一切なく、逆にツェンテが嘘をついていないという証明だけが積み重なっていく。
「……辰弥、やはりツェンテはシロとしか……」
 ここまで何も出ないと鏡介も信用せざるを得なかったのか。
 諦めろと言わんばかりの鏡介に、辰弥がそんな、と唸った。
「……そんな、考えられない……」
「うーん、じゃあこれを使ってみるかい?」
 今まで黙ってポリグラフ検査の様子を眺めていた晃が、不意に移動ラボの中に入り、中から小さなケースを取り出してきた。
「何それ」
 辰弥が尋ねると、晃はケースを開けて一つの薬瓶を取り出す。
「私が開発した正直薬。だけど副作用というか、本当に効果あるのかなぁこれ」
「どういうこと」
 歯切れの悪い晃に辰弥が追い打ちをかけると、晃はうーん、と唸りながら中に入っていたカプセルを辰弥に渡した。
「これ、ノインに飲ませたことあるんだけど、『主任、好き』しか言わないんだよぉ。惚れ薬作っちゃったかなぁ」
『アホー! ノインは主任が好きなの!!!!
 晃の言葉を聞いて、ノインがじたばたと暴れる。
「……はぁ」
「つまり、ノイン以外で臨床実験したい、と」
「そういうこと!」
 気の抜けた声を上げる辰弥と、冷静に状況を把握する鏡介。
 晃は少し気合が入ったのか全力で頷いている。
「じゃあ、これを飲ませて好き以外のことを言ったら正直薬ってことで」
『だから元から好きってんだろーが!』
 カプセルを手に、辰弥がツェンテに近寄る。
「ツェンテ、疑いを晴らしたいならこれ飲んで」
「うぅ……」
 まだ怯えてはいたが、ツェンテも疑われたくないと思っていたか、素直にカプセルを受け取って飲み下す。
 薬が効き始めるほんの少しの間、辰弥は他の可能性について考えようとした。
 辰弥はツェンテが嘘をついている、と信じたかった。ツェンテ以外に実行可能な存在はいない。だからここでツェンテが完全にクロだと確信して、その後のことを考えたかった。
 ――クロだったとして、殺すの?
 不意に、そんな疑問が浮かび上がる。
 それはツェンテと出会ったときに通過した疑問だ。
 あの時、辰弥は鏡介の忠告通りにツェンテを殺そうとした。だが、できなかった。
 ツェンテを前にした時に起こしたPTSDの発作に、殺せない、と思ったはずだ。
 理性ではLEBは全て駆逐されるべき、と思っている。しかし、どこかでそれは不可能だ、とも感じている。
 所沢が開発し、晃が発展させたLEBは、久遠曰く「人権があるもの」として定義づけられているらしい。そんなものを与えられていい存在ではないのに、与えられてしまえば殺しにくくなる。
 襲撃してきた量産型を躊躇いなく殺せるのは相手が自我を持たず、人権があるものとして認識できないからだ。それに、自分に害なすものであれば人権があろうと刃を振るう。
 しかし、ツェンテはどうだ。
 ツェンテは自分に危害を加えただろうか、と考え、すぐに否と首を振る。
 辰弥はツェンテに直接危害を加えられていない。仮に「カタストロフ」に連絡していて、間接的に危害を加えたとしてもそれは通信手段さえ奪ってしまえば無効化できる。
 本当に殺すべきなのだろうか――そう考え、辰弥は自分が迷っていることに気が付いた。
 今更、LEBの命を奪ったところで辰弥には失うものは何もない。
 殺してしまえば楽なはずなのに、前に進めない。
 それはあのBSと呼ばれたLEBに対しても同じだった。
 BSに明確な憎悪を向けられ、辰弥は動けなくなった。
 BSもツェンテも、何故か殺せない、という思いに駆られてしまう。
 それは憎悪という形で、無垢という形で自分の罪を突き付けてくるからか。
 いや――と辰弥はもう一度首を振る。
 自分の罪を直視したくなくて逃げても同じことが繰り返されるだけだ。
 死にたくなければ、日翔と鏡介と生きたいと願うのならこの連鎖は断ち切らなくてはいけない。
 いつまでも千歳の面影を追いかけて、BSやツェンテにそれを押し付けてはいけないのだ。
「さて、薬は効いてきたかな。ツェンテ、私のことどう思ってる?」
「え、好きですよ」
『んーーーー!!!!』
「えー……。やっぱり惚れ薬だったかぁ……」
 これは晃の質問が悪い。
 面倒を見てくれる人に対して「嫌い」とは普通に考えてあり得ない。「お世話になっている」程度の意味合いで「好き」ということも重々考えられる。
 ノインがツェンテの周りで大暴れしているが、それが見えているのは辰弥のみ。
 実際に何かが影響されることもないので、辰弥は普通にスルーしてツェンテの様子を窺っていた。
「『カタストロフ』とは連絡を取っていないのか?」
 再度、鏡介が尋ねる。
 ツェンテがこくこくと頷いて鏡介を見上げた。
「『カタストロフ』には戻りたくありません! 所沢博士の実験はもう嫌です!」
「――所沢」
 辰弥が低く呟く。
 その呟きに忌々しさがわずかに含まれていたことに日翔も鏡介もすぐに気づいた。
 やはり、清史郎は生産したLEBに対して非人道的な実験を行っているのか、その確信にいつかきちんと決着をつけなければ、と思う。
 辰弥が「カタストロフ」に狙われずに生きるとすれば清史郎を排除することが必要。そのためならいくらでも手を貸す。
 それはそれとして、辰弥には平穏に生きてもらいたいという気持ちもあるが。
 鏡介が質問を続ける。ツェンテがよどみなく答え、鏡介もポリグラフ検査を接続したまま確認するが本当に嘘をついている気配はない。
 最初は「本当に惚れ薬を作ってしまったのでは……」と疑っていた鏡介ではあったが、このツェンテの反応を見る限り惚れ薬ではなく、ノインは本当に晃に好意を持っていたのではないか、と考え直した。
「しかし、本当に嘘をついている様子はないな」
 一通り思いついた質問を終えた鏡介が確信したように報告する。
「ほら、やっぱりツェンテはシロじゃないか」
「……そんな……」
 そんなはずはない、と辰弥が続けようとして口ごもる。
 そもそも、どうしてツェンテが「カタストロフ」に連絡をして居場所を教えていると思っているのだろうか。
 辰弥の中では「ツェンテがいないときに限り襲撃がなかった」ということと「ツェンテが密かに移動ラボに乗っていた」という二点がツェンテをスパイと断言する決め手になっていた。
 しかし、どのような手を使ってもツェンテが「カタストロフ」と連絡を取っていたという証拠は出てこず、逆にツェンテは連絡を取っていないという証拠だけが積みあがっていく。
 そんなはずはない、きっと何か裏があるはずだ、と辰弥はツェンテの肩を掴んだ。
「本当に連絡してないの? それができるの、ツェンテしかいないんだよ!?!?
「落ち着け、辰弥!」
 鏡介が辰弥の肩を掴んでツェンテから引きはがす。
「嘘だ! ツェンテは『カタストロフ』から来たんだよ? 俺に助けを求めるなんて都合がよすぎる!」
「でも、何やってもツェンテが連絡してるって証拠は出なかったじゃないか!」
 日翔も辰弥をなだめようとするが、辰弥は納得できずに日翔と鏡介の手を振り払う。
「ツェンテは殺した方がいい! このままじゃ、ずっと『カタストロフ』に狙われる!」
「落ち着け。ツェンテが連絡していない以上、『カタストロフ』は何らかの手段で俺たちの位置を把握しているとしか考えられない。俺が突き止めるから、とりあえずツェンテを疑うのはやめろ」
 鏡介としてもツェンテを疑いたい気持ちはあった。しかし、ここまで調べて証拠が出ないどころか「連絡していない」という証拠が揃ってしまえば信じざるを得ない。
 それこそ、ツェンテが本当にスパイであるのなら鏡介を上回るハッキングの才能と、完璧に感情のコントロールを叩き込まれた素材である、という証拠を突き出すしかない。
 しかし、これも質問をしている間にシロだと判明している。ツェンテがスパイであるという可能性は限りなくゼロに近い。
「そんなことない、絶対ツェンテは何か隠してる!」
 もう一度、辰弥がツェンテの肩を掴もうとするが、それは日翔が全力で止める。
「落ち着け辰弥! 主任、とりあえずツェンテ連れて戻ってくれ! 次また襲撃が来るかもしれないし、安全なところに行った方がいい!」
「お、おう。ツェンテ、帰ろう」
「……はい」
 日翔の勢いに圧され、晃が頷いてツェンテを移動ラボに乗せる。
「放してよ! ツェンテはクロだ!」
 日翔に掴まれたまま、辰弥が叫ぶ。
「辰弥、どうしたんだ! 落ち着け!」
 走り去る移動ラボに追いすがろうとする辰弥を、鏡介も必死でなだめる。
「何があったんだ、お前らしくない」
 鏡介の真剣なまなざしに、辰弥が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「俺は――」
 そう呟き、唇を噛んでうなだれる。
 何もない。何もないはずだ。
 ただ、ツェンテが怪しいと思うだけだ。
 それなのに、どうして日翔も鏡介も分かってくれない。
 ツェンテは敵だ、ただその思いだけが辰弥の胸を塗りつぶしていく。
 それとも、本当にツェンテは何も知らないのか――。
 疑惑だけが、辰弥の中で渦巻いていた。

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと あすとれい
第5章 「みっこうで☆あすとれい」

 


 

「Vanishing Point / ASTRAY 第5章」のあとがきを
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この作品を読んだみなさんにお勧めの作品

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
 もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
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  Vanishing Point
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 「グリム・リーパー」が白い少女を拾い、事件に巻き込まれていくサイバーパンク・サスペンスです。

 

  虹の境界線を越えて
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  No name lie -名前のない亡霊-
 本作と同じく惑星「アカシア」を舞台とする作品です。
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 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

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