• Vanishing Point / ASTRAY
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Vanishing Point / ASTRAY 序

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三日目夜日もそう遅くはない時間帯。
 いくら温泉で休憩したとしても戦闘の疲れは根強く残っていたのか、日翔と鏡介は奥のベッドルームで寝息を立てている。
 リビングエリアのラウンジソファを展開したサブベッドで横になっていた辰弥は二人が熟睡しているのを気配で感じ取り、体を起こした。
 物音を立てないようにベッドを降り、そっとドアを開けて外に出る。黒猫ねこまるも起きていたのかぬるりと辰弥の足元をすり抜けて外に出ていく。
 八時間スパンで空を巡る太陽は上り切ったところで、周囲は明るい。
 散歩をするかのようにしばらくぶらぶらと歩き、辰弥は人気のない駐車場の角で足を止めた。
 空中に指を走らせて通話をタップ、連絡先から晃の名前を選択する。
 数コールの呼び出し音の後で、晃の顔がウィンドウに浮かび上がった。
《おや、エルステ。君から連絡してくるなんて珍しいね》
「……起きてたんだ」
 もうそろそろ寝る時間だろうに、と辰弥が苦笑すると、晃はまあね、と返してくる。
《明巡の準備もあるし、それに――君が連絡してくると思ったからね》
「分かってたの」
 そう呟いた辰弥の口調には明らかに安堵が含まれていた。
 分かっているなら話が早い、と辰弥は駐車場を区切るブロックに座る。
《で、さっきは何を言おうとしたんだい? 日翔君と鏡介君にも聞かれたくないことがあるなんて珍しい。明日は光輪雨が降るのかな》
「冗談はよしてよ。こう見えても俺は四年間自分がLEBだってこと隠し通してきたんだよ。今さら隠し事なんて」
 空を見上げ、辰弥が自嘲気味に笑う。
 日翔も鏡介も自分のことを大切に思ってくれている。人間ではなく生物兵器だと分かっても人間として扱ってくれる。それでも辰弥は全てを二人に打ち明けることができなかった。
 これ以上隠し事をしても仕方がない、とは分かっている。このことも隠すべきではないと分かっている。それでも、この事実を打ち明けても二人はきっと信じない。
《まあいいか。で、何があったんだ? 君の身体のことならこの間の調整で必要最低限のデータは取ってるけど?》
 辰弥が自分から連絡してくるとは身体のことだろう、と推測した晃の口調は真剣だった。
 晃からすれば辰弥の身体は今すぐにでも調べ上げて研究を進めたい格好のサンプルである。先ほど「クローンを作って解剖したい」と言ったのも冗談ではなく本心かもしれない。
 そんなLEB研究の最先端を行く晃だからこそ、辰弥は今の状況をしっかりと説明しておきたかった。
 ほんの少し口を閉ざして出すべき言葉を考えたのち、辰弥は思い切って口を開いた。
「ノインのことだけど」
 辰弥が「ノイン」と口にした瞬間、通話の向こうで晃が姿勢を正したのがわずかな音で感じられる。
《……ノインがどうした?》
 まさかノインのことを話題にされると思っていなかったのか、晃の声がわずかに緊張している。
 うん、と辰弥が小さく頷いた。
「……ノインは、生きてる」
 その瞬間、通話の向こうで大きな物音が響き渡った。それだけではない、何かが割れる音なども響いたので晃が思わず椅子を蹴って立ち上がり、その拍子にマグカップでも落としたのだろう、と辰弥は冷静に分析していた。
《ノインが生きてるって!?!? いや、融合した細胞は活動しているから生命としては生きてると言えるけど、君が言う『生きてる』ってそういうことじゃないよね!?!?
 矢継ぎ早に繰り出される質問。
「ちょ、落ち着いて」
 晃をなだめながら、辰弥は言葉を続けた。
「なんか、俺の中にノインの人格がある。人格の主導権は俺にあるんだけど、どうも俺にだけノインの幻影が見えて、会話できる」
《なるほど、君とノインの細胞は完全に融合したというよりは別々のままで流動的に結合している状態のはず。だから、脳細胞にもノインのものが含まれているから君にしか見えない幻影として存在している、ってことかな?》
「多分」
 自分よりも自分の身体の状況を把握している晃に少々むっとなりながらも辰弥が頷く。
《じゃあ、ノインが君に見えて会話ができるとして、私のことは何か言ってたかい? 生きてるなら声を聞きたいけどそれは難しいかなぁ……。いや、GNSの念話ならワンチャン……》
「……」
 晃がノインを溺愛していることは知っている。そのせいで辰弥たちは散々な目に遭ったのはまだ記憶に新しい。
 それだけに、辰弥の言葉に迷いはなかった。
 少しだけ視線を地面に近づけると、駐車場の散歩を終え、のんびり日向ぼっこしているねこまるにノインがちょっかいをかけているのが見えた。
「……ノイン、」
 辰弥がノインの幻影に声をかける。
『なに、エルステ』
「主任に伝言、ある?」
 返ってくる答えは予想できたが、念のため確認する。
『んー……』
 ノインがほんの少しだけ首を傾げ、
『主任、じゃま』
 たった一言、そう言った。
「『主任、じゃま』だって」
 一言一句間違えず辰弥が晃に伝える。
《うわあああああああああああああノインだあああああああああああああ!!!! でも邪魔なんていつものことながら酷い!!!!
 うわーん、と泣き出す晃に辰弥ははぁ、とため息をついた。
「相変わらずの情緒不安定だなあ」
《エルステもノインに邪魔って言われたら分かるよぉ! なんでノインは邪魔ばっかり言うんだよぉ!》
『主任、うるさい』
「とにかく、伝言は伝えたから。とりあえず、信じてくれる?」
 とりあえず今は晃を泣き止ませないと話が進まない。
 そう思ったが、情緒不安定な晃は次の瞬間にはけろっとした様子に戻り、もちろん、と頷いた。
《とりあえずノインの意識が残っているのは分かった。と、いうことは――》
 ふむふむと晃が少し考え始める。
 その様子に、辰弥はほんの少しだけ「もしかしたら」という希望が頭をもたげたことに気が付いた。
 自分一人では不可能だが、晃の力を借りれば――。
《分離、できるんじゃない?》
「ほんと?」
 思わず辰弥の声が跳ねる。
 ノインとの融合はあの状況では必要不可欠ではあったが、それでもノインの意識が残っている以上いつかは分離したいと思っていた。自分にだけノインが見えるのも声が聞こえるのも煩わしい、というのが本音であったとしてもノインはノインで自由に生きたいはずである。
 それが、晃の口から「分離できるんじゃない?」と言われたことで頭をもたげた希望が一気に輝きだす。
《多分、結合が強すぎるから君とノインが意識を合わせた程度では分離しないと思う。となると強制的に結合を解除するためのセパレーターを作ればきっといける。あくまでも『理論上は』という状態だから100パー確実に、とは言えないけどセパレーターくらいなら作れると思うなあ》
「……任せていい?」
 ほんの少し、縋るような声で辰弥が言う。
 ああ、と晃が力強く頷いた。
《君も自由になりたいだろう? だったら全力を尽くすよ。それに――》
「面白い研究材料が見つかった、って?」
 晃が言いそうなことはなんとなく分かる。
 先回りして辰弥がそう言うと、晃は「それそれ!」と声を上げた。
《だって久遠くおんはLEBの研究するなって言うんだよぉ。LEBの研究はライフワーク! でもセパレーターの開発ならうまく言ってごまかせるだろうし、頑張るよ!》
「……大丈夫かな」
 はっきり言って不安しかない。
 ここに来て「やっぱり言うんじゃなかったかな」と思いつつも、辰弥はそういうことで、と話を切り上げた。
「俺が言えるのはこれだけ。セパレーターは任せたよ」
《おう、任された!》
 晃が右手を額の高さに掲げて敬礼のポーズをとる。
《とりあえず、池辺で合流したらもう少し詳しく調べさせてもらうよ。それでいいね?》
「うん、その辺は任せる」
 それじゃ、切るよと辰弥が通話終了ボタンをタップしようとする。
《あ、ちょっと待って》
 晃に呼び止められ、辰弥が手を止める。
《エルステ、無茶はするなよ? トランスはもう大丈夫だしテロメアの制限もほぼなくなったようなものだけど無茶をして何かあったら君もノインも救えない。今は君一人の身体じゃないってこと、ちゃんと理解してくれよ?》
「……分かった、極力努力する」
 小さく頷き、辰弥は通話終了ボタンをタップした。
「……」
 もう一度ねこまるに視線を投げ、息をつく。
「無茶はするな、ねえ……」
 それができれば苦労しない。
 「カタストロフ」の追手といつ遭遇するか分からないしこの旅が何事もなく終わるはずがない。
 どこかで無茶はしなきゃいけないんだよ、と思いつつ辰弥は立ち上がり、ねこまるに歩み寄った。
「ねこまる、戻るよ」
 辰弥の声にねこまるがにゃあ、と鳴いて足元にすり寄ってくる。
『だからニャンコゲオルギウス十六世!』
 そんなノインの声を無視してねこまるを抱き上げ、辰弥がキャンピングカーに戻る。
 サブベッドに丸まるように寝転がり、目を閉じる。
(セパレーター、か……)
 本当にノインと分離することができるのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、辰弥の意識は闇へと堕ちていった。

 

to be continued……

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